G91.(夫婦二人の山歩き)の夫の歴史(6) 祖父母
三男光男(みつお) 四男正司(せいじ)
1969年 香波誕生 我が家では和子は長い悪阻に苦しんでいたが、結婚翌年1969/03/08に長女香波(かなみ)を無事誕生。初めての子供はやはり可愛いく写真はいっぱい撮っていたが、当時会社は超多忙で残業、休日出勤続きで、育児は和子任せだった。幼少時代の香波の写真アルバムは香波が嫁ぎ先で保管していて、可愛い写真24枚をスマホで撮って送ってもらったが、その中の8枚を紹介します。 セルフタイマーで撮った嬉しそうな私も写った写真もあった。休みにはハイキングにも出かけていたようだ。
1970年正月休みには広島の久井村まで里帰り、親孝行していた。世羅高生の正司も写っている。
幼い香波がお札とソロバンを前にして、心配顔をしている写真もあった。そういえば、私の高校、大学生活の間受けていた育英資金の返済と生家への仕送りが我が家の生計に重くのしかかっていて、和子が毎月苦労していた。
香波が2歳になった年の5月連休には、マイカーで房総半島を一周した。4日目片貝にもう一泊して帰る予定だったが、雨の予報で日立に直行した。
房総から帰っても、5月に田尻の爺ちゃん(和子の父)と潮干狩り、7月には伊師浜で海水浴と、海によく出かけている。この年9月には長男景太が誕生しているのだから、和子は大変だったろうが頑張り屋だ。
景太誕生 1971年9月18日長男景太が誕生した。和子は誕生前から田尻の実家に移り、生後3週間お世話になった。
生後1月もすると景太のおめめもパッチリと開いてきて、香波のお姉さん振りも実感が出てくる。
1972年 翌年の正月には広島に里帰りしなかったので、5月連休に広島の両親が景太との初顔合わせに、はるばる日立まで出てきてくれた。
香波は金勘定の写真だったが、景太は名ドラマーの格好。
二人の仲介役の石塚家とはその後も交際が続いていて、常陸太田のブドウ園に一緒に出掛けた時の写真が残っていた。
1973年 1973年のお正月は田尻のお爺ちゃんと鹿島神宮に一家で初詣に出かけた。 この4月には香波はアパートの下の方にあった私立幼稚園に入園した。
東京の和子のおばさんの家に挨拶に出かけ、ついでに羽田空港や横浜港見物にも出かけている。
1974年 この年の新年には公園のようになった茨城宇宙通信センタに遊びに行った。
自宅新築 日立市南部の森山町の現住所に宅地を購入し、3月には棟上げ式を開いた。田尻の義父の他に義母も参加してくれた。
森山町のに市立水木幼稚園があり、池の川幼稚園に通っていた香波はここに転園した。こちらの方が規模が大きくて運動会もにぎやかだった。
1975年の正月には田尻爺ちゃんの妹の玲子おばさんもお祝いに来てくれ、11月には七五三祝いに田尻の爺ちゃん祖母ちゃんと弘子おばちゃんもお祝いに来てくれた。
|