G102.台湾出張

 台湾で初めてのポンプ水車だった明湖発電所の大容量ポンプ水車を日立が受注し、1985年に据付を完了した。水車の世界では、受注前に模型水車で性能試験を実施して保証事項を満足していることを示し、受注した水車を制作据付後、実物水車でも性能試験を実施することが必要だったので、据付後の1985年台湾に三回出張した。一回目は1月27日〜30日、据え付けが完了した明湖発電所を実地検分して試験計画の確認をし、二回目は5月16日〜24日、台北の台湾電力本社で試験実施方法の説明をして承認を得て、試運転を始める現地で計測器類の取付け動作確認をし、三回目は8月9日〜16日性能確認試験を顧客立会いの下に実施してポンプ水車引き渡しの承認を得た。
 上池の日月潭は略称明潭とも呼ばれ、10年後に明湖ダムの濁流川下流に造られた明潭ダムを下池とし、同じ日月潭を上池とするポンプ水車が建設された明潭発電所と混同するためか、MINGHU P.SはTAKUAN P.Sに改名されている。
 当時、台湾の人達は日本語が話せる人が多くて海外出張としてはらくちんな旅で、特に二回目は時間的にもゆとりがあって、台中から花蓮まで台湾を東西に横断して名所めぐりをしたので、写真がいっぱい残っている。
(台湾観光地点)

記録
1. 一回目(1月27日〜30日)
 出発は日曜日、まだ小学生だった息子が和子に連れられて見送りに成田空港まで来てくれた。
 台北では日本語が通じるとはいえ初めての場所、飛行機から台中行きの列車に乗り換えるだけで精一杯だっただろうが、台北支店の人に出迎えられて故宮博物院を案内してもらって台中行きの列車に乗ることができた。
(成田までお見送り)日曜日
(台北:故宮博物院)
 台中駅まで出迎えてもらった車で日月潭脇の明斑発電所工事関係者の宿舎に入った。次の日、水車内部に入って水車の組立状況を確認したり、鉄管の内径を測ったり、下池明湖に対する水車中心高さを実測したりして、その日はここでまた一泊、次の日また作業所の車で送ってもらい、途中、当時台湾省の省都だった中興新村に立寄って、満仏寺の大仏さんや宝覚寺の布袋大仏さんを案内してもらった。満仏寺の大仏さんは1999年9月21日の大地震で壊れたまま、今は見ることができないらしい。
(中興新村:満仏寺の大仏様)
(中興新村:宝覚寺布袋大仏)
 そのまま台中駅まで送ってもらい、後は自分で台北駅、台北空港経由日本に無事帰国した。

2. 二回目(5月16日〜24日)
 二回目の出張は試験準備、試験計画書を台北の本社に提出して説明し、翌日現地に入った。すぐの日曜日には現地指導員に日月潭周りの観光名所を案内してもらった。
 先ずは文武廟、「文武廟」と書かれた大きな山門をくぐった前に広がる寺院の威容は広大で、赤青緑と色彩豊かで見ごたえのあるお寺でした。
     台湾で最も大きな湖である日月潭は国内外多くの人が訪れる観光地です。そんな日月潭の北側の湖畔にそびえるのが「文武廟」と呼ばれる台湾式の大きなお寺。こちらでは「文」の神様である孔子と、「武」の神様である関羽と岳飛が両方祀られています。建物も赤や緑など中華様式が色鮮やかで美しく、見ごたえのある場所です。
(文武廟)
 正面の拝殿への階段の両側には、白い玉に乗っかった大きな真っ赤な獅子像がこちらを睨んでいた。NETには
     日本では狛犬と呼ばれますが、台湾だと「石獅」と呼ばれます。文武廟の石獅は高さが6mもあります。文武廟の石獅は文武廟を守護すると同時に、参拝者を歓迎する意味を表しています。
 拝殿の両側に控える大聖殿の真っ赤な神殿の前の壁は、赤や青の龍の見事な彫刻で飾られていた。
(文武廟の石獅子)
(赤青の龍の壁)
 高い文武廟の建物の上からは日月潭の水面が見えていた。
 明湖発電所近くの水里川の写真には川辺で洗濯をしている人の姿があり、日本でもおなじみだった風景だなあと懐かしく眺めた。
(日月潭)
(水里川での洗濯風景)
 日月潭の周りの山の上に玄奨寺というお寺があった。西遊記でも知られる玄奘三蔵法師の霊骨を祀る寺で、建立は1965年とのこと。
 玄奨寺の写真に並んで「総統 蒋石銅像」と読める名板を掲げた鳥居?の写真が貼ってあり、その奥の石段の上に銅像が立っている。NETで調べても日月潭周りにこんな像は出てこなかった。
(玄奨寺)
(蒋介石総統銅像)
 玄奘寺の山からもう一つ奥の山の上に広場があり、その真ん中に慈恩塔という高い塔が立っていた。これは1971年、蒋介石総統が自らの母親の王太夫人に対する感謝の気持ちを表して建てたもので、同時に国民にも孝行の大切さを示したものとのこと。
  塔の高さは46m、中には螺旋階段が造られていて、最上階の展望台まで登ることができた。階段自体も下から見上げても、上から見下ろしても、その正八角形の螺旋階段が美しく見えた。

(慈恩塔の階段:下から上)
(慈恩塔)
(慈恩塔の階段:上から下)
 展望台からは、眼下に広い日月潭の湖面全体を見渡すことができた。
(慈恩塔頂上から日月潭)
 日月潭湖畔に先住民が住む徳化社という商店街があり、その中で先住民の衣装を着けさせて貰って記念写真。
 派手な衣装を着けた長い白い顎髭をたらした村長さんと手をつないでの記念写真も撮ってもらった。
(原住民衣装)
(徳化社村長さんと)
 湖畔を周遊する遊覧船に乗って日月潭の景色を楽しみました。
 湖に浮かぶ唯一の島はアルバムでは光華島となっているが、今は拉魯島(ラルー島)と呼ばれる。サオ族の祖先の霊が宿る場所だとされ、聖地として大切にされていて上陸禁止。
(日月潭クルーズ)
(光華島:拉魯島
 徳化社には「台湾高知文化センター」という施設があり、中に入ると、壁から屋根まで全部石造りの家や、藁屋根、藁壁の家など、先住民族の民家が並んでいた。これらの家は長年の風雨に耐えられず、今は見ることができない。
(文化センター入口)
(石造りの家)
(藁屋根藁壁の家)
(藁屋根に柱だけの家)
(台湾高地文化センタ)
  日月潭から少し北に離れた埔里という街に行った。埔里初級農業職業学校のはずれの階段道の途中に、 白い弧形の壁が中心碑を挟むように建てられている。中央には高さ3メートルのステンレス鋼のポールがあり、土台部分には『山清水秀』の文字が刻まれたモニュメントがあった。これは虎子山山頂の一等三角点が戦後破壊されたために建てられた記念碑。
 モニュメントから400段近い石段を登ったところに台湾省虎子山三角点原点の碑が立っていた。裏には由来を説明する碑文があったが漢文で理解できない。
山清水秀碑)
(台湾省虎子山三角点原点)

 予定の試験準備が早目に終わって、帰国の前日の5月23日(木)、作業所付きの運転手さんが台湾の東側まで案内してもらえることになった。
 日曜日に行った埔里から東に曲がっていくと霧社という湖があり、写真はあるが文字通り霧の多いところか、湖の写っている写真は残っていない。
(霧社)
 霧社湖からはくねくねの山道になり、標高3091公尺の「昆陽」の道路標識が立っていた。ここから太魯閣国家公園の中に入る。
(昆陽・3091公尺)
(昆陽:運転手さん)
 途中で撮った写真には全山雪に覆われた山が写っている。まさか南国の5月に雪が積もったとは思えないのだが-----。
 次の「克難関」の道路標識には標高3179公尺の表示があったので、昆陽から克難関までは上り坂だったようだ。
(雪山?)
(克難関)
 大禹嶺のトンネル分岐から中部横貫公路になり、くねくね道をどんどん走っていくと、太魯閣国家公園の中心地の天祥に到着。立霧渓越しに祥徳寺や天峯塔が見えていた。駐車場に車を止めて祥徳寺のお参りに行く。
 近くから見ると天峯塔が空に突き出ていて綺麗に見えた。
(普渡橋)
(天峯塔)
 吊橋を渡ったところに真っ赤な山門があり、そこから少々急な階段を登ったところに祥徳寺本殿があった。1968年台湾一高いところに建立されたとのことで、台湾のお寺としてはまだ真新しく色彩も綺麗だった。
 本殿内には、黄金色の三体の仏像が祀ってあった。
(祥徳寺本殿)
(3体の厳粛な仏像)
 天峯塔まではいかないで引き返し、吊り橋を渡り返して中部横貫公路を下っていくと、立霧渓沿いの太魯閣(タロコ)渓谷を縫う道になった。立霧渓が大理石の岩盤を侵食して形成された大渓谷とのことで、急峻な崖上、覆いかぶさる岩盤の下、素掘りのトンネルなど絶景が続き、本日一番の見所だった。
 この間は車を止める場所がなかったからか、人物写真が残っていない。
(太魯閣渓谷@)
(太魯閣渓谷A)
(太魯閣渓谷B)
(太魯閣渓谷C)
 渓谷を出たところで運転手さんも一休み、門には「東西貫通公路」とあり、今のグーグルマップにある中部横貫公路とは違っている。道路の名前も変わったみたい。 
(太魯閣渓谷D)
(太魯閣渓谷E:東西貫通公路門)
 花蓮まで下って海際に出ると、ここからは蘇花公路になった。しばらく蘇花公路を走って海岸通りをドライブしてから発電所に戻ったが、どの道を走って戻ったのか分からない。
(蘇花公路@)
(蘇花公路A)
  蘇花公路の写真もたくさん残っているが、走りながらの写真なのであまりいいのがないので、絵葉書の写真を2枚載せておきます。
(蘇花公路B)
(蘇花公路C)

3.三回目(8月9日〜16日
 3回目の出張は実際に性能試験を実施するためだったので、測定準備、測定結果の計算、報告書作成と、休日返上、日夜問わず忙しく過ごしたので、観光する気分にもなれず、台北本社での報告会が終わった最後の日に車中から撮った台北の写真が残っているだけです。
(台北市街)
(台北:円山大飯店)



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