Gb1.スイス出張(1)アルプスの山々 水力実験所の更新計画の立案設計の参考のため、模型試験立会官として来所されたローザンヌ大学の教授の実験室を見学するだけの出張だったが、急遽共同研究の話が出て、その実験研究のために出張期間が延びて2ヶ月近い出張になった。スイスの国柄、その間、日本のような休日出勤一切なし、休日ごとにスイスアルプスに出かけて景観を楽しんできた。捨てがたい綺麗な写真が多く、スイスの写真だけで随分長くなったので、帰途立ち寄ったパリの写真は次に回します。(このスイス出張の帰国後に、家族4人で中国ツアーに申し込んでいたが、私の帰国が遅れて3人でのツアー参加になり、和子は初めての海外ツアーに随分苦労したと恨み節。) 例によってアルバムには説明のない写真が多く、地名を調べるのにグーグルマップを参考にしたが、ローマ字、カタカナの地名はボケ頭には記憶しずらく、何度も繰り返すことになって、仕上げるのにすっかり時間がかかってしまいました。 1988年6月17日成田発---6月17日ジュネーブ観光---ローザンヌ---6月19日モンブランバスツアー---6月25日グリンデルヴァルト---6月26日ベルン---7月3日シオン城---7月10日チェルマット---7月23日ロシェ・ド・ネイユ---7月31日ミューレン---8月6日ジュネーブ---(以下次報:8月12日13日パリ---8月14日成田着)
1.ジュネーブ1988/06/17(金) 6月17日に成田を出て翌日ジュネーブに到着、宿泊先のローザンヌに向かう前に、ジュネーブの歴史建造物のサンピエール大聖堂を見物した。サンピエール大聖堂についてのNET情報 旧市街の真ん中、とがった塔が目を引くこの大寺院は、12〜13世紀に建立された。その後、幾度となく改築・増築されたため、さまざまな様式が混在している。
フランス語圏における宗教改革の中心人物となったカルヴァンは、1536年から約25年間、この殿堂でプロテスタンティズムの説教を行った。カルヴァンの活躍によってジュネーヴが「プロテスタントのローマ」といわれる、その土台となった場所である。殿堂内には、カルヴァンが使用した椅子、円陣の彫刻が施された聖職者席などがある。 また、地下にはヨーロッパ最大級の考古学発掘展示施設があり、サン・ピエール大聖堂建築以前にあった宗教建造物の基盤を見学できる。CHF5を払うと北と南にあるふたつの塔へ上ることができ、狭くて急な157段のらせん階段を上りきると、レマン湖とジュネーヴ市街のすばらしいパノラマが360度見渡せる。 高い殿堂内の窓がいろいろな模様のステンドグラスが嵌められていて綺麗だった。
2.モンブランバスツアー1988/06/19(日) 17日のうちにローザンヌに移動してホテルに入り、翌日は日本で予約しておいた19日のバスツアーの確認をするだけで長旅の疲れをいやした。 フランスのシャモニーに向かって断崖脇の山道を走っていく向かいにモンブランと思われる雪山が写っているが、どの辺りを走っているのか分からない。そのすぐ先と思われるが、橋の上に高い橋が見えている。推定して橋の名前を書いていたのを消去してしまい、再推定が出来なくて残念。
3.ローザンヌホテル1988/06/24(金) ホテルから目の前にヨットハーバーとレマン湖が広がって見えて絶景、毎日見ていた景色です。
4.グリンデルヴァルトへ1988/06/25(土) 次の休日にはグリンデルヴァルトに出かけた。グリンデルヴァルトについては、NETに詳しい案内があった。 アイガー北壁とヴェッターホルンに抱かれた町グリンデルヴァルトは、ユングフラウ地方の大自然を観光する拠点として大人気のスポットで、町中には日本語の観光案内所があることからもわかるように、日本からの旅行者も数多く訪れる人気の町。周辺には緑の絨毯がどこまでも広がり、その上に昔ながらのシャレーやカウベルを響かせる牛たちが点在する光景は、まさに「アルプスの少女ハイジ」の世界のようです。
ベルナーオーバーラント鉄道(Berner Oberland-Bahn)でインターラーケンへと下りることができる。また、ここ(グリンデルヴァルト駅)でヴェンゲルンアルプ鉄道(Wengernalpbahn)に乗り換え、クライネ・シャイデック(海抜2061メートル)まで登れば、ユングフラウ鉄道(Jungfraubahn)に乗り換えてヨーロッパ最高地に位置するユングフラウヨッホ駅(海抜3454メートル)まで向かうことができるほか、ラウターブルンネン-ミューレン山岳鉄道(Bergbahn Lauterbrunnen?Murren)の索道と山岳鉄道でU字谷の縁のミューレン(海抜1639m)まで向かうことができる。その他、バスでシュテッヘルベルクまで移動すると、そこからシルトホルン登山鉄道の索道でミューレンを経由して、女王陛下の007の舞台ともなったシルトホルン(標高2970メートル)まで登ることができる ユングフラウヨッホ展望台駅に到着すると、レストランなどがあるベルクハウスに入ります。左手に「Tour」という青い案内標識を追っていけば、下記のルートで周遊できます。 駅(ベルクハウス) → 3Dシアター(エレベーターで上がり) → スフィンクス展望棟 → アレッチ氷河雪原 → 展示通路アルパイン・センセーション → 氷の宮殿 →プラトー展望テラス → ベルクハウス戻り
ローザンヌから鉄道に乗ってグリンワルド駅について、上記の案内の登山鉄道コースで世界一高いユングフラウ駅に登りつき、早速エレベータでスフィンクス展望台に登って展望を楽しんだ。西側にはユングフラウの岩頭が間近に見えていた。
緑の原野の上に見えるのがアイガーかも。
5.ヴェンゲン1988/06/26(日) グリンデルヴァルトのホテルに泊まって、次の日8月26日、ロープウエーに乗ってメンリッヘン経由ヴェンゲンに登った。ヴェンゲンについてNETには 名峰ユングフラウの麓、ラウターブルンネン谷を見下ろすテラス状になった山の台地にある村で、ユングフラウ地方の観光拠点として、ホテルが多く集まるリゾートとして発展してきました。山上にあるためラウターブルンネンから登山鉄道で結びます。ミューレンと同じくガソリン車乗り入れ禁止リゾートなので、静かなアルプスの山里の雰囲気を満喫できるでしょう。
今のグーグル地図では、ロープウエー駅の周りには多くの家が立ち並んで街のようになっているが、当時はもっと牧草地のような草原が広がっていたような気がする。
ラウターブルンネン駅に近づくと、車窓から高い絶壁を落下するシュタウプバッハ滝が見えてきた。
シュタウプバッハの滝(Staubbachfall)は、スイスの滝であり、ベルナー・オーバーラント、ラウターブルンネンの上に位置する。滝の落差は300m(1,000フィート)で、懸谷からリュッチネ川が崖の上に出たところにある。「シュタウプ」は、ほこりや塵を意味する。
非常に高い滝であるため、流れが崖の麓に達するまでに、霧としてほとんどなくなってしまう。雨の後や雪解けの季節には、シュタウプバッハの滝はとても激しい滝となる。落下する前の川の流れは急激であり、水の多くは風にあおられ、雲と霧の間にちりとして落下する。夏の乾燥する時期に水量が減少しても、影響は比較的少ない。崖の高さは800〜900フィートで、1本の滝としては、ヨーロッパで最も高いものの1つである。 ラウターブルンネン駅で電車を降りて、街の中を歩きながら名瀑シュタウプバッハの滝の写真を撮りながら歩いた。私の撮った滝の写真を並べておきます。
6.シオン城1988/07/03(日) レマン湖の東端湖畔、モントルーの東にシオン城があり、一日かけてゆっくり観光した。NETには シオン城は、スイス連邦ヴォー州のモントルー近郊のレマン湖畔にある城である。イギリスの詩人バイロンの詩「シヨンの囚人」、「シヨン城詩」の舞台として知られている。
この城についての最古の記録は1160年のものであるが、城が建っている場所の岩は原始時代に住居とされていたことが判明している。12世紀にサヴォワ伯が領有してから拡張が行われ、13世紀から14世紀に最盛期を迎えた[1]。バイロンによる1816年の詩「シヨンの囚人」、「シヨン城詩」は、16世紀にこの城に幽閉されたジュネーヴの宗教改革者フランソワーズ・ボニヴァルのことをうたったものである
その中で一番見ごたえがあったのはやはりボニヴァールの牢獄だった。NETの案内 シヨン城を世界的に有名にたらしめたのが、ここ「ボニヴァールの牢獄」(写真参照)。イギリスの詩人バイロンが「シヨンの囚人」という抒情詩において、実在した政治囚ボニヴァールをイメージに描き、実際にボニヴァールが6年間も繋がれていたという、いわくつきの地下牢です。
地下牢は、縛っていた手錠と柱が無残に残されており、むき出しの岩肌が寒々しく、小さな窓の下には湖の冷たい波が打ち寄せます。この厳しい環境下で、スイスの長い冬を何度も耐え抜くつらさは…相当なものであったと案じられます。
真ん中にある塔の頂上からは,小さな窓から四方の絶景を見渡すことができ、モントルーの市街も見ることができた。。
7.ローザンヌ大聖堂1988/07/06(水) この日はローザンヌ大学での仕事が速めに終わり、大学近くにあるローザンヌ城を案内してもらった。格好のいいお城だった。
8.チェルマット1988/07/10(日) 今日はアルプスの尖った名峰マッターホルンの東側のチェルマット村の登山鉄道を乗り継いでアルプスの展望を楽しむツアー。ローザンヌから電車に乗ってチェルマットに着くと、トリフト川渓谷の向こうにマッターホルンの山頂部が青空をバックに綺麗に見えていた。 チェルマットの写真の次には、クラインマッターホルン駅の展望台・グレイシアーパラダイスからの写真が貼ってある。ヨーロッパ最高度にある展望台で、北西すぐ前にマッターホルン、東側にはモンテローザなどイタリア国境の山並みが見渡せた。
クラインマッターホルン駅からゴンドラでトロッケナーシュッテック駅に近付くと、マッターホルンがもっと近く大きくなってきたので駅の外に出てみたが、残念ながらマッターホルンの山頂はまだ雲に隠れていた。
トロッケナーシューッテックからフーリ駅に立ち寄った写真が一枚あり、
9.ロシェドネイユ1988/07/23(土) 次の次の土曜日、モントルーの裏山ロシェドネイユに登った。 モントルーから登る登山電車の車窓からは、左手にモントルー東端の湖岸に、シオン城がレマン湖に突き出して建っているが見えている。 レマン湖の西端は霞んで見えないが、右手にはローザンヌ辺りまでの町並みがみえる。
10.ミューレン1988/07/31(日) 7月最後の日曜日には、7/10に行ったチェルマットの西隣のミューレンからのアルプス展望記録です。 ローザンヌから電車に乗ってベルン駅で乗換えてミューレンへ向かう積りだったが、間違えてオルテン駅まで行ってしまった。引き返す電車の待ち時間の間、ちょっとオルテン市内見物した。
今日はラウターブルンネンからはユングフラウ山4158mがみえていた。この写真の右端に写っているシュタウプバッハ滝を見て感激した、6月26日の写真にはアルプスの山々は霞んで見えていなかった。
帰りの電車乗り換えのベルン駅で街に出てみると、ちょうど建国記念日を祝う旗がずらりと立てられていて、これまた絶景でした。
31.ジュネーブ1988/08/06(土) 8月6日にはローザンヌでの仕事が終わって帰国の途に就いた。ジュネーブでジュネーブ祭りの練習の情景を見ることができ、
パリの報告の前に、先日、11月13日14日に出かけた「石和温泉・昇仙峡観光ツアー」の報告を挟みます。 |