G121.主人不在中の中国家族旅行

 前報(Gb1)で報告した通り、スイス出張からの帰国が延期になったために、帰国後家族4人で参加予定の中国ツアーに私が参加できなくなった。和子は3人での参加に迷いがあったようだが、娘も息子ももう成人に近い。相談して参加することにし、同行者にも親切な方がおられたりして、9日間のツアーを存分に楽しんできたようだ。その様子が多くの写真に残されていたので報告します。
    (中国ツアー旅程表)


1日目.香港観光 1988/08/08(月)
 8月8日、我が家から成田空港までタクシーで移動し、集合時間に集まって税関、出国手続き、ボデイーチェックなど初めて手続きを終えて無事予定の便に乗り込んだが、2名遅れる人がいて、12分遅れでの出発になったとある。成田空港を飛び立って、茨城県と千葉県の境界線・利根川河口の銚子辺りの写真を撮ってある。
 香港の啓徳空港に13時25分に到着した時に、空港から見えた香港の街も撮ってある。
(成田出発)
(香港啓徳空港着)
 色々な入国手続きをしてバスに乗り、香港島に移動してお目当ての観光地を回って歩いた。最初の観光地は、ビルの前にある円筒状の建物の上に立つ赤い四本柱の展望台?の下に屋根付きの門、さらにその下に赤い山門が並んだところがあり、その周りに布か陶製か分からないが、色とりどりの岩や人形が派手に飾ってある所の写真いっぱい撮ってある。この場所がどこなのか、NETで香港にこんな建物がある場所がないかと探してみたが一向に出て来ない。(久しぶりにやって来た娘は、これを布だと思う感覚は可笑しいと言う)
(香港島観光へ)
(干し物?加工装飾された岩)
(人形に旅行者もいてややこしい)
(色が塗られた岩? ぶら下げられた布? 後ろの建物はどこ? )
 次に出てくる写真には、「ビクトリアピークからの眺め」のメモが付いていた。ビクトリアピークは香港島西部にある標高552mの太平山の山頂で、香港島一の絶景ポイントで知られているらしい。手前の香港島の高いビル群が目立つが、海峡の向こうが本土の香港市街、夜になると向こうの本土の街の明かりが綺麗に見えるようになり、100万ドルの夜景として世界的に有名らしい。
(ビクトリアピーク(大平山)から香港の街)
 本土を拡大して撮影した写真もある。香港では30年前にすでにこんな高い大きなビルが作られていたのだ。
(ビクトリアピーク(大平山)から)
 次の写真はは香港島の南の海岸際にある天后廟、多くの神様がいて「すべての祈りごとを聞いて貰える」有難い寺院。中でも本殿前に立つ大きな観音様は有難いお顔をされていて、この寺院のシンボルなっているとのこと。右に同じ大きさの天后様は影が薄い。
(天后廟本殿)
 天后廟本殿前の道の先には若者が集まる場所があったようだが、その先の海沿いにいかにも中国という感じの真っ赤な造りの廟と獅子の像が見える。有難そうな建物でこれが天后廟だと思っていたが、建物のあちこちに「ーー亭」と書いた立派な宣伝看板が取付けてあり、ここは寺院ではなさそうだ。

(???)
(天后廟前)
(天后廟)
 香港島のホテルに入ってから本島のレストラン泰豊楼にて夕食後、香港の百万ドルの夜景を楽しんでいる。
(香港夜景)

2日目.香港お土産店巡り 1988/08/09(火)
 ホテルチェックアウト後、お土産店をあちこち歩き回り、九龍駅14:22発の電車で広州駅に18:20到着、レストランで夕食後ホテルに入った。

3日目.広州観光 1988/08/10(水)
 この日は、朝から夜まで一日広州観光。まずは中山記念堂、お堂の前で孫文像がお出迎え。NETには
     中山記念堂は偉大な革命家−孫文を記念するために広州の市民や海外の華僑の寄付で建てられました。記念堂は総統府の旧跡に位置しています。中山記念堂は最も広州を代表する建物の一つで、広州市で大型のイベントや演出が行われる場所です。
     建物は八角形の独特な宮殿式の建築で、民俗風情に満ちております。外観は雄大で、内部の構造もしっかりしています。上部は全て鉄筋コンクリートで建てられ、屋根は青い瑠璃瓦が用いられました。屋根の下に孫文手書きの「天下為公」という横額が掛かっています。ロビーは柱が一本も見えず広々としています。実は柱はあるのですが、壁に隠されています。合わせて8本の柱があるので、建物や八角形の屋根をしっかりと支えてます。
中山記念堂
 次は広州博物館になっている鎮海楼。NETには
 広州博物館は1929年2月11日に落成し、地方史の研究と陳列を主とする総合的な博物館で、広州に関する歴史と文物を保存し、展覧し、科学研究する専門的な施設です。当館は景色が美しい越秀山に位置し1380に建てられた明の時代の建築―鎮海楼を主体としています。博物館が落成した時、「広州市立博物館」と称され、華南地域で初めての公立博物館で、全国で最も早く創建された博物館の一つです。
 博物館の鎮海楼は今まで600年の歴史を有しています。高さは28メートルで、幅は31メートルで、奥行きは16メートルで、赤いレンガと緑の瓦で立派で美しく、広州で有名な古代の建物です。鎮海楼は5階建てで、上に行くと、面積は徐々に小さくなり、塔でもなく楼でもない形なので、「五層楼」と呼ばれています。建物の前に二つの石の獅子が向かい合っており、明の時代に彫刻された物です。鎮海楼は五回壊れ、五回再建され、元々はレンガと木の構造でしたが、1928年に再建された時、鉄筋コンクリートの構造に変えられました。最上階に上って見渡すと、珠江と白雲山、広州の美景等がすぐ目に入り、「五嶺以南の第一楼」と呼ばれています。
 次にはテレビ塔からの展望として数枚の写真がある。広い平野に広がる広州市街の展望を楽しんでいる。
(テレビ塔から広州市街)
(テレビ塔から広州市大通り)
 テレビ塔からの展望として「白雲山を眺める」と題する格好いい山の写真がある。白雲山についてNETには
     広州は「白雲珠水」とも呼ばれ、「白雲」は白雲山のこと、「珠水」は珠江のことを指しています。白雲山は広州市の北部にあり、市内まで約6キロ離れています。白雲山は繋がっている山々からなり、総面積が28平方キロ、マカオ特別行政区の面積に当たり、主峰“摩星嶺”の標高が382mもあり、広州で最も高い峰です。雨が過ぎて空が晴れると、白雲が山と渓流をまつわりながら立ち上り、とても美しいので、「白雲山」と名付けられました。
 自由市場と書かれた写真には、テントの下の仮店舗のような市場に大勢の人が店を漁り歩いている光景が写っている。これは広い市場のほんの一部で、中国にはこんな市場がいっぱいあるとのこと。
(テレビ塔から白雲山)
(自由市場)
 広州植物園で撮ったガジュマルの大木の写真がある。ガジュマルは南米の植物と思っていたが、浅はかだった。
(広州植物園:ガジュマルの木)
 光孝寺の写真には、屋根の上に獅子頭などいろいろな飾り物がずらりと並んでいる。NETには
     広州では“未有羊城、先有光孝”(広州が誕生する前に、光孝があった)という諺があります。光孝寺は広州で面積が最も大きく、歴史が最も長い仏教寺院です。
     光孝寺は越秀区の光孝路に位置し、六榕寺、海幢寺、華林寺とともに広州四大寺院の一つとされ、現在まで1700年の歴史があります。光孝寺には長い歳月を持つ樹木が空高くそびえ、多くの建物が分布し、文化財も多く保存されています。
(光孝寺)
 バスで19時30分に広州飛行場に着いたが、20時40分発の桂林便が遅れ20時50分に搭乗するも、桂林の天候が悪く更に遅れ、22時20分やっと出発、23時10分に桂林空港着陸、23時50分にホテルに入った。ホテル停電、11階まで階段登ったり、荷物送り先を間違えられて香港に送られて着の身着のまま。ハプニング続きだったと。
 
4日目.桂林観光@ 1988/08/11(木)
 深夜に電気も戻り、予定通り食事も出て8時40分ホテルをバスで出発、10時に遊覧船に乗って陽朔迄83qの漓江下り、始めはどこにでもありそうな岸壁が続くが、
(桂林から漓江下り@)
  だんだんと岩っぽくなり、
(桂林から漓江下りA)
 両岸の山峰が高く聳えてきて、形も千差万別の山々が織りなす山水画のような風景が、流れの上に時々刻々変化していく様が、多くの写真の残されている。
(漓江下りの山水画@)
 始めは小雨模様で山水画を楽しめたが、だんだんと靄が晴れてきて少し風情が少なっていったようだ。昼食は船の中で出され、「美味しい食事を味わいながら山水画のような風景を楽しむ」最高の時を過ごしたようだ。
(漓江下りの山水画A)

(漓江下りの山水画B)
(漓江下りの山水画C)
 14時10分陽朔について下船、しばし散策後バスで桂林に帰った。
(陽朔で下船)

 象鼻岩を見物してホテルに入った。川面に浮かぶ船に乗っている人達の大きさと比べて、この造形の大きさを伺うことができる。
(象鼻岩)

5日目.桂林観光A 1988/08/12(金)
 10時ホテル発、七ツ星公園の鍾乳洞見物。洞の中には青や赤、色とりどりの岩がで埋まっていて綺麗そうだ。
(七ツ星公園鍾乳洞)
 午後は15時30分から畳彩山の山登り。山頂まで10〜15分程度、山頂からは桂林の街が一望でき、石灰岩でできた桂林のシンボルの尖った山々も身近に見ることができる。360°のパノラマです。息子は運動不足だと言って3度も登頂してみんなを驚かせていたとある。
 風洞は明月峰の中腹の奇妙な洞、南から北まで繋がっていて、高所にあるので風通しが良く「涼しい世界」と呼ばれている。

(畳彩山山頂展望台から)
(畳彩山風洞)
(畳彩山山頂展望台)
 山登りの後は桂林主題動物園。すぐ隣の七星公園のラクダ岩を見て、桂林主題動物園に入っているが、ここで名物のパンダの写真が残っていない。檻に入っているのはレッサーパンダかな?((久しぶりにやって来た娘はクマだと言う)
(桂林動物主題楽園)
(桂林動物主題楽園クマ?)

6日目.上海観光 1988/08/13(土)
 0時15分の臨時便で2時10分上海空港着陸、3時にホテルに入る。9時起床してホテル付近を自由散策。
 11時にホテルを出て、上海の外灘・黄浦港にて自由散策。

(上海市街)
(上海の表玄関)
 昼食を頂いて土産物店漁りして玉仏寺参拝。上海最大の禅寺で、山門奥にある大雄宝殿の写真がある。
(玉佛寺 大雄宝殿)
 大雄宝殿は主殿にあたり、本尊の三尊仏が置かれ、その両側に各10体の諸天が並んでいる。天井は装飾的な藻井となっており、本尊の背後は華厳経の故事を表現した巨大な塑壁になっているとのこと。
(玉佛寺の仏像)
 17時00分上海空港発 19時00分北京空港着、北京の街までの道がどこまでも真っ直ぐ、街路が碁盤目のように整然としているのに驚いたと書いてある。夕食後21時30分ホテルに入った。

7日目.北京観光@ 1988/08/14(日)
 雨の中9時にホテルを出て万里の長城へ。傘をさして万里の長城への急坂を登ったが、カメラをバスの中に置き忘れて写真なし。
 昼食後、明の十三陵を傘をさして歩いている。NETには
     明の十三陵(みんのじゅうさんりょう)は、中国の北京市昌平区天寿山にある明代の皇帝、皇后、皇貴妃と皇太子等の陵墓群である。成祖永楽帝以後の皇帝13代の皇帝の陵墓があるため、この通称がある。このうち定陵は発掘され、内部は地下宮殿として公開されている
(明の十三陵)
(定陵)

 その後、劇場に入って歌劇団の踊りを見たり、中国楽器の演奏を聞いたりした写真が数枚ある。
(歌劇団)

8日目.北京観光A 1988/08/15(月)
 次の日は雨がやみ、9時25分ホテル出発、北京駅を見て王府〜北京飯店旧館(駐車不可、新館、新々館---建築中)と走って故宮博物院へ
(北京の銀座通り・王府)
 10時から午前中いっぱい故宮博物院見学だった。故宮の中は広くて建物が多く、写真も多くてこんがらがってよく分からない。当たり障りないよう写真を並べて、判るものにはNETの情報を付け加えてみました。
    紫禁城(故宮博物院)城内図

 午門
天安門を通って、端門を抜けた北側にある門、紫禁城の南門。
    この門の名称は、紫禁城からして午(うま)の方角、つまり南の方角にある事から名付けられた。この午門から先は有料で、故宮博物院への入館券がなければ入ることができない。
(午門:故宮博物院)
(北門:故宮博物院)
下の写真は故宮博物院の中心、紫禁城=大和殿
    太和殿は紫禁城の中心となった正殿です。
    現存する中国の木造建築では最大と言われるほどの大きさで、政治や儀式の中心として皇帝の即位や祝日の祭典など、国家的行事はすべてここで行われました。
(紫禁城(国立故宮博物院))
 内廷
 中軸線上に位置する内廷のメインスポット。乾清宮、交泰殿、坤寧宮を「後三宮」とする。
(内廷)
 内廷の東に、端から端まで大きな色鮮やかな龍の彫り物がしてある九龍壁と言われる塀があった。
    九龍壁
    中国三大九龍壁の一つ。長さ29.4m高さ3.5mもある巨大な瑠璃装飾の壁。ちなみにあと二つは北京の北海公園(故宮博物院の北門出てすぐ)と山西省大同にある。
(故宮博物院・九龍壁(清乾隆期創設) )
 故宮博物館内にも入って展示品を見ることもできたよう。
(19世紀日本製 銅製金鍍金時計)
(玉座?)
(故宮博物院展示物)
 故宮の見学が終わり、12時20分から昼食をとって、午後は13時20分から故宮博物院の南にある広い天壇公園を2時間見物。
    天壇公園は、中国の首都・北京にある世界遺産です。
    天壇の「壇」とは、中国において「祈祷をする神聖な場所」という意味があるのだとか。したがって、この天壇公園はかつて皇帝や聖職者たちが祈祷を捧げる宗教的な施設だったといわれています。ちなみに北京市内の東西南北には故宮を囲むようにして、それぞれ日壇、月壇、天壇、土壇と呼ばれる壇が残っています。 「皇帝の庭」とも称されていたことからもわかるとおり、歴代皇帝達と密接な関係にある公園でもあるのです。

(円丘)
(祈年殿)
(天壇公園・圜丘壇 )
(天壇公園・皇帝の祭壇)
 最後は、15時45分から故宮博物院の天安門を南に出た所にある天安門広場。
    天安門
    天安門は、中華人民共和国の北京市東城区に位置する城門で、明・清代の王宮「紫禁城(現・故宮博物院)」の第一門(※正門は第二門の『午門』)。楼上で毛沢東が中華人民共和国の建国宣言を行い、中華人民共和国の国章にもその姿が描かれるなど、中華人民共和国の象徴のひとつとされている。
    天安門の南には、南北880m、東西300mの天安門広場が広がります。総面積約44万uという敷地に50万人とも100万人ともいう人数が集まることのできる世界最大級の広場です。


(天安門広場)

9日目.帰国 1988/08/16(火) 
 8時から朝食、9時15分ホテル発。10時に北京空港に着き、免税店で買い物、12時40分離陸して無事帰国。和子の日記によると、成田からタクシーに乗って我が家に帰り着くと、私が夕飯の用意をしていて、久しぶりに4人での食事をとったとある。今は何もしない私が、30年前には調理もしていたらしい。


(北京空港)
 自分で見ていないことをもたもたと適当に書いてしまいました。次は1892年1月のスイス出張報告です。


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