H12.ガーナアコソンボ発電所出張

 ガーナは西アフリカのにある国で、1900年代後半はガーナ国の電力開発を進め始めた時期で、国の発電と送電に対して責任をもつ国有機構VRAから、日立がアコソンボ発電所の水車6台を受注納入していた。この水車の現地性能試験を実施して、最終的に水車を受け入れてもらうための出張だった。観光地に出かける時間はありませんでしたが、ガーナに行かれた人は少なく、なんでも珍しいと思うので、細かい写真も入れて報告します。
 アコソンボダムは、ボルタ川をせき止めて造ったガーナ南東部にある1965年完成の水力発電用のダム。このダムが作るボルタ湖(地図の青い部分)は世界最大級の広さを持ち、発電された電気は、ガーナ及びその周辺の国々へ供給されている。日立はここに、落差68.9m、出力158MWの水車4台、165.5MWの水車2台を納入していた。
VRA:発電と送電に対して責任をもつ国有機構The Volta River Authority (VRA) was established with the mandate to generate, transmit and distribute electricity under the Volta River
    旅程(1993年)
    自宅9/25(土)=成田=9/25(土)アムステルダム9/26(日)=9/26(日)アクラ9/27(月)=9/27(月)アコソンボ10/6(水)=10/6(水)アクラ10/6(水)=10/6(水)ロンドン10/7(木)=10/8(金)成田=10/8(金)自宅
(ガーナ共和国。アコソンボダム)
(アコソンボ水力発電所の構造)

1)アムステルダム
 和子と娘と一緒にマイカーで我家を朝出発し、昼前に成田空港を出発、アムステルダム・スキポール空港に夕方到着し、鉄道でアムステルダム中央駅へ出て近くのホテルで一泊した。翌朝アムステルダム観光をしたようで、中央駅や運河の写真が残っている。
(アムステルダム中央駅)
(運河と王宮)

2)ガーナ
 アムステルダムからガーナの首都アクラの空港に7時間で到着して、またホテル泊。ホテルのベランダに現れたトカゲの写真だけが残っている。
(アクラのホテルにトカゲ出現)
 翌朝、アコソンボ発電所までタクシーに乗って2時間半の移動。タクシー代は人件費安いから大したことなく、経費として計上して文句は言われない。途中、どこまでも草原が広がるガーナの大平原、車窓に変化なく退屈な旅だったことだろう。
(ガーナの広い草原)
 それでも、ところどころで大勢の人で賑わっている小さな町を見ることもあった。
(途中の街)
 低い山並みの麓には、沢山の家の屋根が整然と並んでいるところも見えてきた。その下の裸地の中を歩いている家族の姿を見ることもあった。

(山麓の住宅地)

3)アコソンボ発電所
 アコソンボの日立の現地駐在員と宿舎で落合い、VRA管理事務所にご挨拶がてら打ち合わせに伺った。管理事務所のバルコニーからは、アコソンボダムが真正面に見えていた。ダムは土盛りのダムで、左下には6本の太い鉄管が繋がった発電所があり、右側にはダム水位調整用の余水堰があり、ダムの上にはこのダムで堰き止められて出来た人造湖・ボルタ湖が満々と水を蓄えていた。ボルタ湖は入り組んだ形をしているので、満水でも、どこまでも見渡す限り青い水面!、という光景にはならない。
(VRA管理事務所からアコソンボダム:左端発電所、右端余水堰)
 いい眺めなので、パノラマ写真も撮っておいた。
(VRA事務所からアコソンボダムのパノラマ)
 次の日、ダム水位測定器を確認するためにダム堰堤上に上がった時に、上から下ダム・ボルタ川の写真も撮った。発電所からの電線が伸びていっている広場がスイッチヤード。その上にVRAの管理事務所がある。
(発電所のダム上からボルタ川:左ダム、右スイッチヤード)
 発電所を入れて撮った写真には、各水車発電機ごとに3本づつ、計18本の太いケーブルが下池の上を通っているのが良く見える。
 発電所のすぐ下の水面に、大きな渦が並んで渦巻いているのは、運転中の水車が大量の水を放出しているためだ。水車の負荷によって水車出口の流れ変化するので、渦の様相も変化する。
(ダムから発電所)
4)観光
 発電所上のボルタ湖のへこみには運送会社の船着き場があり、貨物船用の外に遊覧船乗り場やボート貸し出しもやっていた。アコソンボはすでに観光地になりつつあったようだ。
(上ダムの貨物船船着き場)
(上ダムの遊覧船乗り場)
 今回は、私の出張にしては観光地らしいところの写真がないが、砂浜で遊んでいる写真が残っている。ボルタ湖の広い部分なのか、大西洋の海岸まで出かけたのか? 波の荒さから見ると海のようだが。

(アコソンボ上ダム)

6)宿舎
 現地作業員の宿舎は、アコソンボの住宅街の上の方にあった。
(住宅街)
 下から見えるのは宿舎の裏側で、鉄塔の上に置かれた丸い青い水タンクや、窓に取り付けられたクーラが見え、扉を開いた台所からは、賄さんの女性がこちらを覗いている。
(一番上に宿舎)
(宿舎裏側)
 裏側が入口、賄さんに立ってもらってシャッタを押した。時にはお客さんのご来場もあったようで、リビングルームで、女性に挟まれて椅子に座って嬉しそうな男性の姿がある。
(宿舎入口)
(リビング)
 裏側の上に車道が通っていて、レンタマイカーもここに駐車していた。
 裏の道では、学校に通う学童の姿を見ることがあった。子供たちは学校までの相当な距離を毎日往復歩いているのだった。私の小学校時代の友達を思い出す。
(宿舎上)
(学校へ)

5)買物、料理
 アコソンボの街に出ての買い物風景、たまごや野菜の行商をしている婦人、何が入っているのか大きなバケツを頭に載せて歩いている子供もいた。行商のご婦人も商品を移動するときは頭に載せて歩けるように、頭に載せ台を付けている。
(野菜・たまご・洗濯もの?)
 市場に行くと、買い物あさりをするご婦人でごった返していた。鮮魚店には色々な生きのいい海老や小魚が売られていた。色々買い込んで宿舎に帰る。
(市場)
(魚屋さん)
 なんとびっくり! 私が台所で料理のお手伝いをしている写真があった。
(台所お手伝い?)
 出来た料理が並べられた食卓写真、料理の写真を拡大してみたが、何という料理でしょう。

(食膳)
(料理拡大)

 これでアルバムの写真はお終い、ロンドンに一泊しているのだから何か写真が残っていてもよさそうなものだが。成田からどのようにして我が家に帰ったのか、まだ日立健康管理センターに勤めていた和子が、午前中の務めを終わって我が家に帰った時には、私がシャワー室から出てくるところだったと、日記に書いている。タクシーだったか?
 次は1994年2月に行った沖縄パックツアーの報告の予定です。


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