H22.南房総ドライブと伊豆半島ドライブ

 アルバムを開いていくと、1994年2月と1995年2月に房総へ、1995年3月に伊豆半島まで遠距離ドライブをしている。定年前、連休を使っての安上がり旅行、お元気でした。

1994年2月11日:銚子犬吠埼ドライブ
 我家8:05=飯岡町刑部岬=地球が丸く見える丘=屏風ヶ浦=外川港=犬吠埼=銚子漁港16:20=19:30我家(走行距離250km)
 和子の日記によれば、朝8時に我家を出発して先ず刑部岬に立ち寄ったことになっているが、アルバムには刑部岬の写真はなく、最初に出てくる写真は犬吠埼近くにある「地球の円く見える丘展望館」のもの。展望館への入館券と、館入口での私、館屋上での和子の写真があり、

(展望館入口)
(展望漢の入場券)
(展望館屋上)
 展望館の屋上から撮った太平洋の広い展望写真もある。
(地球の円く見える展望館の屋上からの展望)
 次は、すぐ近くの犬吠埼灯台。NETには
    豪快な犬吠埼の突端にそそり立つ白亜の塔、犬吠埼灯台は1874年(明治7年)英国人リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により造られた、れんが造りの西洋型第一等灯台で、日本で24番目に点灯されました。99段のらせん階段を昇った眺望は太平洋の孤島に身をおいた錯覚を覚えるほど雄大で、世界灯台100選、日本の灯台50選に選定され、Aランク保存灯台、国の登録有形文化財に登録されている。
 灯台の下の断崖絶壁の下には無数の岩礁があり、写真のウサギの耳のような形の岩もここで撮った写真だと思われる。

(犬吠埼灯台)
(犬吠埼)
(ウサギ岩?)
 下の展望写真が犬吠埼灯台の写真と同じページに貼ってあり、ウサギ岩らしき岩も見えるので、灯台から撮った写真だと思ったのだが、今のグーグルマップを見るとこんなに長い堰堤が伸びた地点が犬吠埼近くには見つからない。25年の間に堰堤がなくなったのか? 他の地点で撮った写真なのか?
(犬吠埼灯台からの展望)

1995年2月10日〜12日:南房総ドライブ
 去年2月の犬吠埼ドライブと同じ2月に南房総ドライブに出かけた。去年は日帰りで忙しいドライブだったが、今年は房総に2泊して、3日間南房総をあちこちと走り回っている。
    2月10日:我家7:30=大洗・鹿島・小見川・千潟・旭・東金=九十九里海岸=白子・一宮・大原(八幡神社)・御宿・勝浦・天津小湊=鴨川シ−ワールド=月の砂漠=御宿(泊)
    2月11日:御宿旅館=小波月=メキシコ記念公園=勝浦(朝市・高照寺の大銀杏)=松部港=勝浦海中展望塔公園=鵜原理想郷=太海フラワーセンタ=和田浦=千倉お花畑=館山南房パラダイス=野島崎灯台=民宿
    2月12日:民宿=野島崎灯台(最南端の岬)=白浜フラワーパーク=洲崎灯台=坂井花摘み園=冨浦(崖観音)=鋸山=木更津・千葉・柏・東海P=我家
2月10日
我家7:30=大洗・鹿島(朝食)・小見川・干潟・旭・東金=九十九里海岸=白子・一宮・大原(八幡神社)・御宿・勝浦・天津小湊=鴨川シ−ワールド=月の砂漠=御宿(泊)
 7時半に我家を出て海岸通りを走って、鹿島で朝食、そのまま海岸通りを走って千葉県房総に入り、東金から海岸に出て九十九里浜に出。
 ただっ広い砂浜に息をのんだ。砂浜の砂紋も綺麗だった。
(九十九里浜)
(砂紋)
 浜沿いを南下して、白子海岸も通過して大原漁港の外れに車を止めて、高台の小浜城跡にある小浜八幡神社にお参りした。神社前からは、眼下に大原漁港全体を俯瞰することができた。
(八幡神社から大原漁港)
 更に南下して御宿、勝浦を通過して鴨川のシーワールドに入った。
鴨川シーワールドについてNETには
    鴨川シーワールドは、海の王者シャチ、イルカ、アシカ、ベルーガの4種類の動物パフォーマンスと環境一体型展示施設で、800種11,000点を越える川や海の生き物を飼育展示した水族館です。
 飼育員の指令に従って、イルカが水中から飛び出してくるパーフォーマンスを見たり、
(鴨川シーワールド:イルカ)
 鴨川シーワールドの中にオーシャンスタジアムがあって、シャチが人を乗せて泳ぎ回る芸当、トドが指令に従ってお辞儀する芸当、などを楽しんだ写真が何枚かある。

(シャチ)

(トド)
 シーワールドの芸当を楽しんでから、北の御宿まで引き返して、清水川河口沿いの月の砂漠公園に立ち寄った。
 三日月のモミュメントの表面には「月の砂漠を はるばると 旅の駱駝が行きました まさを」の歌詞がほってあった。その海寄りに「月の砂漠 記念像」の名板があり、2頭のらくだが男女の旅人を乗せて歩く大きな像が並んで立っていて、なかなか良いムードを醸し出していた。
(月の砂漠公園)
 そのまま予約してあった御宿の宿に入って一晩泊めてもらった。

2月11日
御宿宿=小波月=メキシコ記念塔公園=勝浦(朝市・高照寺の大銀杏)=松部港=勝浦海中展望塔公園=鵜原理想郷=太海フラワーセンタ=和田浦=千倉お花畑=館山南房パラダイス=野島崎灯台=民宿
 朝食前にちょっとドライブ、メキシコ記念公園に行って太平洋の展望を楽しんだ。眼下に昨夕訪れた月の砂漠公園の砂浜海岸も見えていた。メキシコ記念公園については、聞いたことがある話がNETに出ていた。
    メキシコ記念公園は「日・西・墨三国交通発祥記念之碑」(通称:メキシコ塔)を中心とした丘の上の公園です。1609年、スペイン領フィリピン総督ドン・ロドリゴ一行の乗るサン・フランシスコ号が、メキシコへの帰港中に岩和田の田尻沖で座礁し、当時の村民たちが総出による献身的な救助で、一行317名が救助された歴史的事実から、祖先の美挙を後世に伝え、永遠なる国際親睦を記念して建立されました。また、これを桟に日本・メキシコ(当時スペイン領)・スペインの友好関係がはじまりました。高台にあるこの公園は、御宿海岸が一望できる絶好のビューポイントです。ちばの眺望100景にも選ばれました。
 メキシコ記念塔の下の崖に囲まれた砂浜にも降りて、大波が打ち寄せる太平洋をまじかに眺めた。

(メキシコ記念塔公園から月の砂漠海岸)
(メキシコ記念公園)
(御宿海岸)
 朝食を頂いてから宿を出て南下、勝浦朝市の街にたつ高照寺の境内に入って、有名な乳公孫樹を眺めた。根回りが約10mもある巨大な老木で,主幹は枯れてなくなっているが、脇に延びた多くの枝からは何十本もの太い乳柱(気根)が垂れ下がっている。
 南に向かって開いている勝浦湾の東側に高照寺のある朝市があるが、尾名浦はその反対側の西側にある浜で、その浦の右端にある大岩にぽっかりと大きな穴が開いている。海蝕と風化によってできた洞で「めがね岩」と呼ばれ、いい眺めになっている。勝浦湾のスポットになっているとのこと。
(高照寺の乳公孫樹)
(尾名浦のめがね岩)
 尾名浦から少し西に行ったところに「かつうら海中公園」の入口があった。歩道橋の上を歩いていくと、海中8mまで下りることができるという」海中展望塔が見えていた。
(海中公園から海中展望塔)

 反対側を向いても、断崖と打ち寄せる荒波との調和した景色が綺麗だった。
 海中展望塔の中には入らなかったのか、次は高台にある草地の公園からの写真でした。
(展望塔への橋上)
(勝浦公園)
 次は房総半島の南端近くの千倉町まで南下、千倉町のお花畑についてはNETに
    南房総市千倉町(ちくらちょう)では田んぼの裏作として花の露地栽培が盛んで、12月下旬から3月中旬にかけて、菜の花、金魚草、キンセンカ、ストックなど数多くの花が開花します。
 花大好きの和子は、せっせとお花摘みも楽しんでいた。
(千倉町白間津の花畑)
 マーライオンが水を吹きだしている噴水があり、ガラス張りの大温室が並ぶ前にヤシの並木が茂っていて、南国情緒いっぱいの公園だった。
(南房パラダイス)
 温室の中には、ハイビスカス、オンシジウム、ウツボカズラ、ブーゲンビリアなど

(温室の中)
 南房パラダイスの綺麗な花をゆっくり満喫してから、房総半島の最南端に立つ野島崎灯台をちょっと見て、予約してあった民宿に入った。

2月12日
民宿=野島崎灯台(最南端の岬)=白浜フラワーパーク=洲崎灯台=坂井花摘み園=冨浦(崖観音)=鋸山=木更津・千葉・柏・東海P=我家
 7時からの朝食を頂いて7時半に民宿を出て、灯台周りの野島崎の岬を歩いて回った。大岩が続く岩礁や椰子の木の並木をなど見ごたえがあったが、野島崎は房総の最南端、向こうに視界を遮るものは何もない、ひたすら太平洋が続く太平洋が感動ものだった。単純すぎたか写真は撮っていない。

(岩礁の浜)
(野島崎灯台)
(椰子の並木)
(岩礁海岸)
 次は白浜の西の外れ、昨日の南房パラダイスの少し南にある白浜フラワーパークに移動した。8時30分の開演を待って入場、温室後のに違う花を楽しみ、ポピーの花摘みをしたりした。海岸線にも出られるようだったようだが、写真は残ってない。
(白浜フラワーパーク)

 次は館山湾まで北上して、断崖にへばりつくように建てられた崖観音にお参りした。崖観音についてはNETに
    船形山の絶壁に飛騨匠の作という舞台造りの観音堂が張りつくように建つ。本尊の観音堂内陣の自然の壁に刻まれた磨崖十一面観音像は市の指定文化財となっています。
(大福寺(崖観音))
(大福寺(十一面観世音))
 崖観音から下りて北上、鋸南町に入ってロープウエーに乗って山頂駅まで上り、すぐ近くの展望台に「鋸山山頂 標高329m」の看板が付けてあったので、ここが鋸山山頂と思って記念写真を撮った。しかし、日本山岳会のHPには
    ロープウェー山頂駅展望台近くに「鋸山山頂」の表示がありますが一等三角点が設置された地図上の山頂(330m)はそこから東方に40分ほど歩いたところにあります。 日本山岳会
とあり、山頂までは登っていなかったようだ。
 天気が良ければ展望台からは富士山も見えるはずだったが、生憎のお天気で、富士山はおろか東京湾の対岸さえも霞の中、眼下の金谷港がやっと見えるだけだった。
(鋸山山頂)
(鋸山山頂から金谷港)
 昼食を食べて帰途につき、富津=木更津=千葉=柏と走って東海PAで夕食をとって日立に帰ってきて、房総ドライブは終わりました。

1995年3月3日〜5日:伊豆半島ドライブ
 2月の南房総ドライブでドライブ熱に染まってしまい、一月も経たない3月初めの連休を使って伊豆半島まで3泊4日のドライブに出ることになった。
    3月3日:日立6:00=三郷・東京IC・厚木IC・小田原西IC=湯河原=熱海(錦ヶ浦)=網代=伊東=小室山=一碧湖=城ケ崎ピクニカルコース=伊豆高原=大室山=伊豆高原荘
    3月4日:伊豆高原荘=熱川=稲取=河津=白浜=下田=石廊崎(石室神社・灯台・岬・遊覧船)=奥石廊崎=下田海中水族館=伊豆高原荘
    3月5日:伊豆高原荘=大室山=伊東=網代=熱海=真鶴=湘南=江の島(江の島神社・植物園・展望台)=三浦半島城ヶ島灯台=横浜=狩場=ベイブリッジP=守谷P=日立

3月3日
 日立6:00=三郷・東京IC・厚木IC・小田原西IC=湯河原=熱海(錦ヶ浦)=網代=伊東=小室山=一碧湖=城ケ崎ピクニカルコース=伊豆高原=大室山=伊豆高原荘
 我家を6時の出発、日立南ICから常磐道に乗って東京ICを過ぎた東名高速のPAで9時からの遅い朝食をとり、厚木ICから西湘バイパスに下りて、小田原西ICから真鶴道路で熱海まで走った。
 熱海城近くの駐車場に車を停めて、錦ヶ浦の断崖の上をお散歩。

(熱海城)
(錦ヶ浦案内)
(錦ヶ浦)
 海岸沿いの国道を伊東まで南下して、小室山公園に駐車場に入った。
(小室山公園)
 小室山レストハウスからロープウエーに乗って小室山の山頂まで往復した。
(小室山リフト上り)
(小室山リフト下り)
 小室山からの山頂からは360度の展望、北方向に川奈の街、東に広い川奈ホテルゴルフコースが長く見え、その上に太平洋の海原が広がる。
(小室山山頂から北東方向)
 西を向けば伊東の街並みの向こうに、伊豆半島の山並みがぼんやりと重なって見えていた。
(小室山山頂から西方向)
 次は伊東の街中にある一碧湖にその名前に惹かれて寄ってみた。遊覧船やボートで遊ぶ人も見えたが、静かな雰囲気だがあまり絶景には見えなかった。
(一碧湖)
 少し南に下って、富戸の城ケ崎パーキングに車を停めて、伊豆海洋公園のハイキングを楽しんだ。下の案内図は駐車券のに付いていたもの。
(伊豆高原案内図)
 駐車場には城ケ崎ピクニカルコースの標柱が立ち、岩礁の絶壁が連なる城ヶ崎公園には国立公園の標石があり、
(城ケ崎ピクニカルコース碑)
(城ケ崎公園碑)
 城ヶ崎の岬からは断崖絶壁の真上から覗き込むことができ、向かいのモズガ根まで連なる絶壁を眼下に広がり、素晴らしい眺めだった。
(城ケ崎展望台から)
 城ヶ崎から南の門脇埼までの間に長さ48mの門脇の吊り橋が架かっている。海面まで高さ23mあり、恐々下を見ながら渡るだけで面白い体験だった。
(門脇の吊り橋)
 吊り橋を渡って門脇埼に渡ると、その向こうにも岩の絶壁海岸が続いていた。
(門脇崎から)
 城ヶ崎海岸から街中に入って昼食をとって、大室山に向かうと、大室山の麓のさくらの里広場に、俳人狩行の立派な歌碑が立っていた。
 “伊豆は日のしたたるところ花蜜柑” 狩行
(狩行の句碑)
 句碑の脇に、下の内容の説明板が立っていて、平成5年(1993)11月に作られたばかりの句碑だった。
     鷹羽狩行句碑
     伊豆は日のしたたるところ花蜜柑
    平成4年5月29日に当地を訪れた時の作です。初夏の「日ざし」を「滴る」ようだとうたったこの句には伊豆の自然の明るさと豊かさを見事に表現されています。
    先生は俳誌「狩」主宰、俳人協会理事長、毎日新聞選者としてご活躍で俳人協会賞、芸術選奨などを受賞されています。
    同日の作に
     火の山のわが丈を越す草いきれ  万緑や射抜かるるべく的おかれ
    があります。
    当社の操業30周年を記念して、この句碑を建立しました。
    平成5年11月1日 池観光開発株式会社
 鷹羽狩行の事を検索していたら、狩行は広島県の尾道とも関係があり、何度か登ったことのある千光寺公園に下記の歌碑があることが分かってびっくりした。
     海からの 風 山からの 風薫る
     2003年8月22日、建立。
    本名 高橋行雄 1930年、山形県生まれ。
    尾道商業時代、担任の新開千晩に俳句を学ぶ。のち、山口誓子と秋元不死男に師事。
    1978年、俳誌『狩』を創刊主宰。後年「季語の宝庫」と称えた美しい尾道は、鷹羽俳句の揺籃の地。
    社団法人俳人協会会長、社団法人日本文藝家協会理事など歴任。昭和・平成の俳壇を代表する俳人。
 句碑を見てから大室山に登った。登ったといってもリフトに乗って。
(大室山へ)
(大室山)
 リフトを降りると、目の前に深さが約70m、直径およそ300m、周囲約1kmの火口が見えた。底は平らになっていて、アーチェリーの競技場になっていた。誰でも遊べるらしい。
 火口の周りを一周しようと歩いていくと、最高地点に三等三角点の標石があり、位置の基準となる標識「三等三角点」が設置されていた。説明板には
    北緯34度53分59秒224、東経139度05分52秒094、標高579.64m。
    建設省国土地理院 設置 明治17年(1884年)
 残念ながら、ここからも展望はゼロだった。
(大室山火口)
(大室山三等三角点)
 リフトで降りたところのすぐのところに伊豆シャボテン動物公園があった。
 シャボテン公園を歩いた後、伊東市の海岸寄りにある日立保養所の伊豆高原荘に移動して泊まった。安価でホテル並みの快適さ。
(伊豆シャボテン公園)
(伊豆高原荘)

3月4日
 伊豆高原荘=熱川=稲取=河津=白浜=下田=石廊崎(石室神社・灯台・岬・遊覧船)=奥石廊崎=下田海中水族館=伊豆高原荘
 大雪注意報が出て不安になったが、高原荘では雪なし雨のみ。10時まで様子を見て小雨になったので出発、熱川=稲取=河津=白浜=下田=石廊崎と伊豆半島の最南端まで直進し、石室神社ー石廊崎灯台ー石廊崎と歩き回った。
(石室神社から)
(石廊崎灯台)
(石廊崎)
(石廊崎)
 石廊崎を歩きながら上からの眺めを堪能してから、石廊崎の入江の奥にある伊豆クルーズ船の波止場の駐車場に移動して、可愛いクルーズ船に乗って石廊崎の周りを海の上からグルリと見て回った。
(伊豆急マリン)
 室外の吹き抜けの展望席に出て、浸食されてお化けになったような岩、高い断崖の上に石廊崎灯台など見ながら石廊崎の先端に近づいて外洋に出ると、触れに揺れが大きくなった。石廊崎先端を回って石廊崎灯台を反対側から見上げ、切り立った断崖や岩礁の島々を眺めながら、ヒリゾ浜と大根島の間まで素晴らしいクルーズでした。

(ご機嫌です)

(浸食された大岩)

(石廊崎灯台)
(石廊崎先端)

(石廊崎灯台を反対側から)

(大根島?)

(岩礁の島々)
(石廊崎岬巡り)
 クルーズの写真の中に岩礁の岩肌を撮った写真があった。こんなものどうして撮ったのだろうと思ったが、よく見ると、小さなけものが4匹写っているのに気が付いた。拡大してみると子ザルだった。
(岩碧に小動物)
(子ザル)
 クルーズ船から下りてから、大根島の向かい辺りまで車で移動して奥石廊崎の海岸美を楽しんだ。奥石廊崎についてNETには
     下田から石廊崎のさらに奥へと行くと断崖が続く奥石廊崎が現れる。この絶好の展望場所となるのが通称「あいあい岬」と呼ばれる駐車場。
     伊豆南端の男性的な海岸美を一望できる観光名所。ドライブの合間にちょっと一服。野生の猿が生息する大根島を正面に望み、土産物も豊富な格好の休憩所です。
     奥石廊崎にはユウスゲ公園もあります。
     伊豆の最南端である奥石廊崎では、東の海と西の海の表情が違います。一方が荒れていると、一方は静かな海というような、先端ならではの景色を見ることができます。
(奥石廊崎)
 石廊崎観光を終わって、下田海中水族館でイルカのジャンプなど楽しんでから(イルカのジャンプの写真は最近見たことあるなと思ったら、2月の房総鴨川シーワールドだった。ボケ!)、伊東まで引き返して昨夜と同じ伊豆高原荘に泊まった。大室山の山頂は雪で白くなっていた。
(下田海中水族館)
3月5日
 伊豆高原荘=大室山=伊東=網代=熱海=真鶴=湘南=江の島(江の島神社・植物園・展望台)=三浦半島城ヶ島灯台=横浜=狩場=ベイブリッジP=守谷P=日立
 今日は最終日、雪の状態から箱根を諦め、朝食後宿代の精算をして伊豆高原荘を出て、網代=熱海=真鶴=湘南と北上、江の島に渡って江の島展望灯塔(江の島シーキャンドル)に登って展望を楽しんだ。
(江の島展望塔)
(江の島展望塔)
 次に三浦半島の先端の城ヶ島に渡って、灯台に登ったり城ヶ島公園の岩場を歩いたり、三崎漁港でお土産を買い込んだりして過ごした。

(城ヶ島公園)
(城ヶ島灯台)
(三崎漁港)
 和子の日記を見ると、鎌倉大仏や油壷にも寄りたかったようだが、このまま伊東=横浜=狩場=ベイブリッジP=守谷P(夕食)と走って、我が家に21時に到着した。走行距離786kmのドライブでした。
 

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