H32.米国ロッキーマウンテン発電所(2/3)

 前報のH31に続いて、アメリカのロッキーマウンテン発電所納め32万kW3台の受け入れ性能試験をするための、今回は2回目の出張、1か月以上の長期出張だったので、2回に分けて報告します。
 観光写真ばかり並んだアルバムを見た時にはのんびり出張だと思っていたが、今回同行した和子の日記帳を開いてみると、徹夜、深夜作業が続いた結構忙しい出張だったようだ。仕事の資料関係書類は全部処分してしまったので、仕事の詳細は不明なまま。
7/31:6:20 Og,Tsとタクシーで成田へ、12:15発Ya家族と12:30アトランタ空港着、レンタカーで18:00ロームアパート着
8/1:出勤:夕方ゴルフ(15:00〜20:45)
8/2:出勤前も仕事、出勤:買物Kマート
8/3:出勤、夕食後OgとPC作業
8/4:出勤
8/5:出勤、Fg,Ta新たに到着
8/6:日曜出勤、和子・Og・Tsアトランタへ:ジョージア議事堂+オリンピックスタジアム+アンダーグラウンド+バックヘッド+トウリ―スミスハウス+スワンハウス+モール街ショッピング
8/7:出勤、20:00帰宅、0:00まで仕事
8/8:出勤、
8/9:出勤:8:00〜0:00自宅で会合
8/10:出勤:21:00〜0:15自宅で会合
8/11:午前中、和子含め全員メドウレイクゴルフ場、20:00〜揚水試験で徹夜
8/12:朝9:00帰宅、14:00〜17:30会合
8/13:休日:朝10時Og・Ta・Tsとテネシー州ロックマウンテンにケーブルカーで往復、チャタヌーガでチューチュートレインモール、ケイプスプリング飲水、21:30〜1:00報告書作成
8/14:出勤:和子は午後からYa家族と一緒に発電所見学、上池も
8/15:6:30出勤13:20帰宅、買物:夜22:00出勤、試験開始
8/16:12:00帰宅、仮眠後15:00〜18:00報告書作成
8/17〜9/5:次報
(2回目出張アパート日誌)

 アルバムに和子の姿があるのは会社の思いやりだと思ってみていたが、多人数の長期出張なので、現地の賄さんを雇うよりは安上がりと言うことだったかと思われる。
(お勝手場でご活躍の和子)
 1年前から作業中のYaさんにも夏休み中の家族連れが加わったので、和子も昼間の話し相手にもなってもらって助かったことだろう。
 8/5からFg,Taが応援に加わって、総勢6名の強力な陣容になった。。
(Yaさん家族と)
(8/5より6人態勢)
 8月6日日曜日、私はFg,Taと発電所に出勤したが、和子はOgさんTsさんとアトランタ観光に出かけた。フルトン球場の隣にオリンピックスタジアムが建設中だった。
 Tsさんは運動着に着替えてジョギングしたり、ジャンプしたり。
(建設中のオリンピックスタジアム)
 どこで撮ったのか、ベンチに座った労働者風の像が写っていた。考える人と同じぐらい芸術的価値があるものではないかと思ったが、NETで検索しても出てこなかった。
 最後にモール街に立ち寄ってもらってショッピング、食材も。
(労働者像?)
(モール街でショッピング)
8月10日 忙しい日程の中でも、草刈りしようと言っては、この日だけでなく短時間でもしょっちゅうゴルフを楽しんでいたようだ。和子もクラブを振ったり、カートを運転したりして楽しんでいた。
(時々草刈り作業)
 8月13日日曜日 和子は朝早くアメリカでの車初運転に挑戦、1時間練習。
 10時からOgさんTsさんTaさん川本夫婦5人で、アトランタを通り過ぎてテネシー州チャタヌーガまで走り、ルックアウトマウンテンにケーブルカーで往復、チャタヌーガ市街でチューチュートレインモール、チカマウガバトルフィールドパーク、ケイプスプリングなどを観光した。
 インクラインレイルウエイの写真:最大傾斜72.7%という世界で一番の斜度を誇るケーブルカー。


(チケット?)

(インクライン・レイルウェイ)
(乗場)
 ルックアウトマウンテンのにはポイントパークの説明板が立っていた。
    ポイントパークはチャタヌーガの戦いに参加した老兵を祈念するもので、市民戦争「雲の上の戦い」が行われた現場です。ルックアウト山の上には、ニューヨーク平和事業団が、ユニオンとその賛同者が一つの旗の下で手を握ったことを表示している。Ochs博物館では歴史的資料や絵画で戦いの歴史を深く勉強することができます。
(ポイントパークの説明)
 NETでの他の資料でも、この地におけるアメリカ南北戦争について勉強
     南部軍は1863年9月にチカマウガで勝利を収め、北部連合軍をチャタヌーガに追い詰めた。北部連合軍が都市を守る準備をしている間、南部軍は都市を包囲を敷く準備をしました。10月上旬から11月下旬にかけて、南部軍はルックアウト山の上に陣を敷き、北部連合軍を下に観察することができるようになり、山の頂上の砲兵の位置は北部連合軍の供給ルートを断つことができ、北部連合軍の陣営は、一時行き止まりのモカシンベンドに追い詰められた。
     10月下旬、北部連合軍と南部連合軍は、ルックアウト山と西の谷のワウハッチーで衝突し、クラッカーラインとして知られる供給ルートを正常に開きました。1863年11月24日、ジョセフ・フッカー将軍の指揮下にある北部連合軍は、「雲の上の戦い」として知られるようになったルックアウト山の北斜面を席巻しました。
     南北戦争の史跡である、ルックアウトマウンテンには北部連合軍の兵士や民間人の姿を残してあり、ある写真家がポイントで兵士の肖像画を保存するためのスタジオを設立しました。今日、ルックアウト山の一部エリアには、チカマウガとチャタヌーガ国立軍事公園があります。
 小公園ポイントパークに入ってみた。
(ポイントパーク入口)
 ポイントパーク奥の展望所からは、テネシー川に囲まれた南北戦争の古戦場のモッカシンベンドや、チャタヌーガの街が見渡せた。
    1986年9月8日に国定歴史的建造物に指定されたモカシンベンド考古学地区は 、 ルックアウトマウンテンからテネシー川の真向かいにあります。 アメリカインディアンの入植地という考古学的な資源があるため重要です。
(モッカシンベンド)
(テネシー川とチャタヌーガ市街)

 インクラインでチャタヌーガの街に下りて、街を横切るテネシー川沿いの公園を、木陰でお休みしながらお散歩すると、竿を持った原住民が何匹もの魚をぶら下げている彫像が立っていた・有名な像かと思ったがNETでは見つからなかった。
 これは観光船乗場近くで撮った写真だが、観光船に乗ってテネシー川の観光をする時間はなかっただろう。

(魚を持った漁師原住民像)
(テネシー川公園)
(観光船)
 可愛らしい列車の写真は、鉄道駅がレストランや宿泊施設に生まれ変わったチャタヌーガ・チュー・チュー・トレインモール。メインの客室はビルの内にあるが、列車に繋がった客車も客室になっていた。
(チャタヌーガ・チューチュートレイン)
 次のモダンな建物はチカマウガバトルフィールドのビジターセンターで、外には戦闘で使用された大砲が展示されていた。中にはインフォメーションデスク、映画館、博物館、複数の展示エリア、本屋、お土産店があり、クラウドフラーから寄贈された広範な銃コレクションも展示されていた。
(チカマウガ・バトルフィールド・ビジターセンター)
 公園内には、二人の兵士がアメリカ国旗を掲げている像があり、その前で記念写真。
 アメリカ人の幼い子供連れの若夫婦が散歩していて、一寸だけおしゃべりして記念写真撮らせていただく。
 帰りにはマーケットストリートに立ち寄って、お土産あさりもした。

(外人御夫婦と)
(旗を掲げる2人の兵士像)
(お土産買った!)
 この日の最後のページに、公園内を散歩している写真が貼ってあるのだが、どこの公園だか分からない。日記に、美味しい水を採取したと書いてある「ケイプスプリング」か?
(ケイプスプリング?)

8月14日 休み明けには、私の出勤後、和子にYaさんの奥さんから声がかかって、発電所見学ができた。発電所の中の写真が残っているが、上ダムにも見に行ったらしい。
(発電所見学)
8月15日 午後早々帰宅、徹夜の試験前にモール街まで買物に出かけた。MACY'Sの看板が出ているが、女性服飾品専門店か百貨店か?
(モール街でお買い物)
 アルバムには、2回目出張の写真がまだ一冊分残っているので、残り8/16〜9/5について次号に書きます。
 

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