H44.1997年 1.動 機
2月14日〜3月11日:ベネズエラ出張今回のアルバムには1997年の写真だけが入っていたので、前報に続いてこの一冊のアルバムに入っていた場所全部を紹介することにしました。1997年の大きなイベントとして、2人だけでスイスアルプスハイキングに出かけたことがあったが、これについては別の独立アルバムになっており、既に「スイスお手軽ハイキング」で報告済なので除外した。まだ現役時代で、旅は主に茨城県内だったのに写真の枚数が多くなって、編集ソフトの容量の限界になりました。アップしてから開くことができるのですかねえ。 2.データ a)山域:ベネズエラ、アメリカ、茨城県、山梨県、栃木県、福島県 b)登山日:2月14日〜3月11日:ベネズエラ出張、4月24日:我家の庭、4月29日:笠間、5月2日:十王パノラマ公園・高萩大心苑、5月14日:近所、6月14日:大塚土ハーブハーモニーガーデン・牛久大仏・牛久アケイディア・カミヤシャトー、7月:風神山の風車、8月6日:天山揚水発電所、8月11日:鷲子山上神社・吉田八幡神社、8月12日:大子やな・お茶の里公園、10月11日〜12日:五十里湖・只見・矢の原湿原・駒止湿原・羽鳥湖、10月26日:四時川渓流・鹿角平観光牧場・江竜田の滝・矢祭山、11月8日:里見村かかし祭り、11月9日:花貫渓谷〜竜神渓 3.山行記録 今回のベネズエラ出張先は、前報の最後に報告したマカグア発電所だったが、発電所での写真は残っていないので、目的が何だったか分からない。和子の日記には、出張期間は2月14日から3月11日と結構長く、前回と同じ技術者と連れ立って出発したとあるので、追加試験もあったのかも知れない。 ベネズエラで唯一残っているのが、街の酒場でお客さん連と一緒に飲んでいる宴会の写真でした。電力会社本社のお偉いさんも入ってのご苦労さんだったような気がする。
4月24日:我家の庭 我家の庭の写真も撮っている。松の木などの庭木の剪定が丁寧に出来ており、シャクナゲなどの花も綺麗に咲いている。庭の手入れは私の担当、現役時代仕事で忙しかったのによくやっていたものだ。
4月29日:静峯ふるさと公園・笠間つつじ公園
5月2日:十王パノラマ公園・高萩大心苑 5月2日付けの4枚の写真がアルバムの1ページに貼ってある。 県道10号線を北上、十王町の城の丘のところで左折、常磐道を潜って右折して十王パノラマ公園についた。
十王パノラマ公園を一回りして県道10号に戻って北進を続けて高萩市に入り、高萩大心苑のレストランで昼食を頂いた。
炭鉱の町と大心苑
明治、大正時代から、昭和40年代まで、現在の高萩市は、炭鉱の町として栄え、有名であった。特に、明治30年に今の常磐線・高萩駅が開設されてからは、毎日、多くの石炭が貨車に積まれて、京浜工業地帯へ運ばれ、日本のエネルギー資源の一翼を担っていた。 現在、炭鉱の面影が消えてしまったが、最も大きな炭鉱だった高萩炭鉱は、今の大心苑のある所が中心で、400mトラックの運動場と現在の市営野球場の所には、大きな「ズリ山」が高く聳え立っていた。そして、坑口を中心にしてその回りには、炭鉱で働く労働者の家族の住宅建ち並び、大集落を形成していた。売店、集会所、会館、共同井戸、大浴場、理容、美容所などもあった。 昭和25年頃から、日本の鉱工業が復興するようになって、炭鉱の景気がよくなってきた。一時は、石炭を「黒いダイヤ」と呼ばれるほどになった。高萩炭鉱は、高萩駅から引き込み線路を敷設してSLで運んでいた。 30年後半から、エネルギー革命が起こり、望海炭鉱も閉山となり、高萩地方の炭鉱産業は終わりとなってしまった。 高萩炭鉱では、観光・レジャー産業に切り替えを図り、昭和44年にズリ山を整地して大心苑(宿泊、運動、野外研修施設)を設立し、海岸近くには、ビーチガーデン施設の経営をはじめ、活気を呈した。しかし、バブル崩壊後の不景気の波で、平成12年12月、ビーチガーデンが閉鎖となり、若者、学校児童生徒の宿泊学習で賑わった大心苑も宿泊運動施設を縮小せざるを得なくなってしまった。その後、「森のホテル」として一般の宿泊施設経営を行っていたが、これも平成16年に閉鎖された。 ズリ山とか炭鉱の住宅街、石炭運搬の引き込み線など、日立の山奥にある日立鉱山の町本山(もとやま)とそっくり。本山は和子の古巣に近く、高鈴山や神峰山の登山基地でもあった。この解説を読みながら本山の事を懐かしく思い出す。
5月14日:近所
アルパムの次のページに牡丹の花が貼ってある。和子の花だと思ったが、和子の日記によれば、この日は、「労金に固定資産税を納めた足て大甕の街中を散策し、綺麗な花が咲いている家を見かけた」とあるので、他家の牡丹の花のようだ。
6月14日:大塚土ハーブハーモニーガーデン・牛久大仏・牛久アケイディア・シャトーカミヤ 今回は茨城南部の水海道から牛久と走り回るロングドライブだった。 1)大塚土ハーブハーモニーガーデン R6を南下、日立南ICから常磐高速道に乗り、つくばJCTを過ぎて二つ目の谷和原ICで高速を下り、県道58号を西走、守谷市、鬼怒川、常総市で県道252号に分かれた先の大塚土町にハーブハーモニーガーデンがあった。 入口で記念写真。
私が同行した証拠写真もありました。
次は牛久大仏。R245から途中R6に曲がって南下、阿見の辺りで曲がって牛久大仏の駐車場に入った。 牛久大仏は浄土真宗の広い浄土庭園(牛久浄苑)の中に立っていて、庭園の中に入るとその余りの大きさに圧倒される。台座含めて全高120mあって世界最大、ギネスブックにも載っているという。エレベータで85mの胸元まで登って4方を見渡すことができるという。
茨城県は親鸞聖人が20年間も布教に努めた地で、アケイディアとは理想郷という意味で牛久浄苑全体がそれらしい。グーグルの地図を見ると、今は半分以上が東本願寺の墓地になっているようだ。
牛久大仏を拝顔して牛久浄苑を出て、牛久市内を西に走ってJR常磐線近くの牛久シャトーカミヤに立ち寄った。写真の玄関上のローマ字を見ると「シャトウ岡宮」と読める。これで検索してどこにあるのか判らず苦労したすえ、辿り着いたのが牛久シャトウ、当時は「シャトーカミヤ」だった。 ウィキペディアには 牛久シャトーは、オエノンホールディングス株式会社が所有している茨城県牛久市のワイン醸造場である。 1903年に神谷伝兵衛が「牛久醸造場」の名で創業した。フランス種のブドウとボルドーの高級ワイン製造法を取り入れた日本初の本格的なワイン醸造場であり、2008年6月に旧事務室、旧醗酵室、旧貯蔵庫の3棟が国の重要文化財に指定されている。産経ニュースによると、年間の来場者は約40万人である。旧称は「シャトーカミヤ」だが、公式Twitterで2017年9月1日に「牛久シャトー」へ改名すると発表した。
1903年9月に「牛久醸造場」が完成した。これにより、神谷葡萄園および牛久醸造場はブドウの栽培からワインの醸造、貯蔵、瓶詰出荷までの一貫した製造工程を有する日本初の本格的なワイン醸造施設となった。 左の写真にある、工場内の歴史を書いた画が展示してある部屋と大きな樽群のある工場内を見ていると、ここで美味しいワインを何種類か試飲させてもらい、お土産にワインを買いこんで帰ったことを思い出した。
7月○○日:風神山の風車 ある日気が付くと、裏山風神山の中腹あたりに大きな風車が回っているのに気が付いて、気になって近くまで登ってみた。日立研究所の上に日立エネルギー研究所があり、その裏の柵の中に風車が建っていた。風力発電の開発確認実験のための設備で、現役社員だったので中に入らせてもらって記念写真。
8月6日:葛野川揚水発電所 何のために出張したのか不明だが、山梨県大月市奥にある東京電力葛野川発電所の建設中の写真が残っている。 葛野川揚水発電所は、葛野川ダムを下池とし、西の小金沢山を挟んで9km離れた甲州市の上日川ダムを上ダムとして、水を上げ下げして昼間発電、深夜揚水を繰り返して電力系統の電力調整用に使われる発電所。ダム水位は714mあり世界最高、ポンプ水車3台での認可出力120万KWの巨大発電所です。2014年にもう一台が運転を始めると、出力160万kWで日本最大容量の揚水発電所になる。ウィキペディアには
一方、上池を形成するのは山地をはさんで西側を流れる富士川水系日川に建設した上日川ダム(大菩薩湖)であり、異なる水系間で水を往来させることで揚水発電所としては世界有数の落差714mを確保。3台の水車発電機によって最大120万kWの電力を発生する。また、葛野川ダム直下には河川維持放流水を利用して発電する土室川発電所があり、下流域の河川環境保全のため選択取水設備によりダム湖水の中でも水温が高く、また濁りの少ない表層部分の水を放流している。 山梨県南部、富士五湖として有名な山中湖より流れ出る相模川水系では、1907年に東京電力の前身でもある旧東京電燈が駒橋発電所を運転させたのを始めとして古くから電源開発が進められ、城山発電所(神奈川県営)のような揚水発電も早期から行われてきた。東京電力は大月市で相模川に合流する葛野川において同社第8番目となる揚水発電所建設に向け1989年に葛野川水力調査所を設置。1991年7月開催の第118回電源開発調整審議会において付議決定されたことを受け、1993年1月に葛野川発電所建設工事を着工した。 1998年月に湛水を開始し、1999年12月3日より葛野川発電所1号機の営業運転開始をもって完成とされた。続いて2000年6月8日に2号機が運転開始。2014年6月9日には可変速揚水発電システムを備える4号機が運転を開始した。残る3号機の運転開始は2024年度以降の予定である。
8月11日:鷲子山上神社・吉田八幡神社 世の中は平日、私は夏季休暇、空いている時を狙ったか、近隣の観光地にドライブに出かけた。 1)鷲子山上神社 一路R293を走って常陸太田、常陸大宮を過ぎて栃木県との県境美和村まで走り、緒川を渡って鷲子山林道を進んで鷲子山上神社の駐車場に車を停めた。 社務所前に鷲子山上神社略記の看板があった。写真の写りが悪くて文字が読めないので、転記する。 ●鷲子山上神社略記
御祭神 天日鷲命(あめのひわしのみこと) 相殿 大己貴命(おおなむちのみこと)少彦名命(すくなひこなのみこと) 鷲子山は、栃木茨城の両県にまたがる海抜500mの深山で、老杉巨木が生い繁り貴重な植物があり、数多い鳥獣の住む霊山であって、四季おりおりの景観が美しく、眺望の広大なところであります。神社は大同2年(807)土地の人、宝珠上人により創建されたもので、産業の神天日鷲命を勧請して製紙と殖産の守護神として鎮め奉り、後に大己貴命(大黒様)と少彦名命(恵比寿様)を併せ祀りました。社殿はもと現在のお本宮の地、朝日嶽にありましたが、後に今の地に移りました。現在の御本殿は天文21年(1552)に建設されその後、度々修復を加えたものであります。 例大祭 4月17日・7月16日 御縁日 旧暦10月16日・17日 昔からの御祭礼日で古式による有名な夜祭りが行われます。 創建以来あらたかなる御神威と民衆の厚い信仰により大いに栄え、鎌倉幕府は社殿修理料を献じ、徳川幕府は御朱印地20石を寄進し、除地・免税地100石を附する等、多くの人々の尊信するところでありました。当今は亦多くの信者と共に四季の風光を求めて、遠方よりの参詣が絶えません。御参拝の各位は日本に残されている、数少ない深山の霊気を吸い、心願をこめて参詣されると共に、社殿建造物と自然の保護に御協力下さいますよう願うものであります。 平成14年11月吉日 鷲子山上神社社務所 参道前に立つと石段の上に、太い注連縄で飾られた赤い大鳥居が立っていた。参道から本殿まで丁度県境の上にあって、左が栃木県右が茨城県、栃木茨城両県で県文化財に指定されているとのこと。何とも珍しい神社!
その奥には周り全体が彫物で飾られた本殿が建っていた。 NETにも、天明8年(1788)2月建立されたもので、三間社流造、銅板茸、向拝の頭貫は二頭の竜の丸彫、柱も彫刻を施し装飾豊かな建築である。とある。
2)吉田八幡神社 美和村迄を引き返して、R293が直角に曲がる鷲子交差点の近くにある吉田八幡神社にも立ち寄った。境内は杉の大木に覆われていて、中でも拝殿前の参道両脇の二本の巨木が特に目を惹き、幹には注連縄が巻かれ「茨城百景天然記念物・三浦杉」のの標識が立っていた。NETには 茨城県指定天然記念物の「三浦杉」
この杉は、久寿2年(1155年)相模国三浦大介義明が、下野国・那須野に金毛九尾の悪狐退治に行く途中、この神社に参拝し「我冥護により能く悪狐を獲ば此の杉天にそびゆくべし」と植えられた杉だと伝えられています。はじめは鎌倉杉といわれましたが、この話を聞いた徳川光圀が「三浦杉」と命名しました。 【樹齢】約850年【樹高】58m【幹周】約10m
8月12日:大子のやな・奥久慈茶の里公園 次の日は昼近くなってから久慈川上流の大子まで出かけ、やなと茶の里公園を散歩した。 1)大子のやな R6で南下、R293で西走して久慈川を渡ったところでR118久慈川に沿って北上、袋田温泉を過ぎたところの対岸に観光やなが見えていた。R461の橋で久慈川を渡り、もう一度曲がって久慈川の支流押川を渡ったところに「奥久慈だいご観光やな」があった。早速、アユの塩焼きををほおばり、地ビールを飲みながらうどんとこんにゃくの田楽を食べ、やなの上に乗ったりして遊びました。奥久慈だいご観光やな「やな」とは、 川の流れをX字型にせき止めて竹で編んだ簾を設け、アユやウナギを捕獲する仕掛けのこと。古くから続く伝統的な漁法で、大子町の中心を流れる久慈川には県内で唯一、レジャー用の観光やなが設けられています。
やなの近くでは、アユの友釣りを楽しんでいる釣り師の姿も数人見えていました。
観光やなから次の奥久慈茶の里公園へは、久慈川を渡ったR461に戻って押川沿いを西走していくと、上岡小学校の先で押川から初原川が分かれ、この初原川に沿って北上する県道205(須賀川大子線)走って辿り着いた。奥久慈茶の里公園についてNETには 茨城県久慈郡の大子町では、奥久慈茶と呼ばれる香り高く味の深いお茶が作られています。
緑豊かな山々を背景に、園内では本格的な茶室での抹茶・煎茶体験や茶摘み・お茶の手もみ体験など、お茶に関する体験を楽しんでいただけます。 また、物産館やレストラン、くつろぎ広場・茶の里広場の外に晩年を大子町で人形づくりに情熱を燃やした和紙人形作家「山岡草」氏の作品を展示している和紙人形美術館が開館しています。 和子のたしなみの抹茶を頂戴して、広い茶畑をお散歩しました。
10月11日〜12日:五十里湖・只見・矢の原湿原・駒止湿原・羽鳥湖 紅葉の時期の10月の土日、日光の五十里湖、会津の只見、玉梨温泉に一泊、昭和村の矢の原湿原、駒止湿原と走り回り、帰りに塔のへつりで昼食、羽鳥湖に立ち寄って帰ってきた。 大宮から293〜R400とつないで塩原へ、源三窟に立ち寄り、日塩もみじラインの紅葉を堪能しながら白滝にも立ち寄り、鬼怒川沿いR121で五十里ダムへ
国土交通省関東地方整備局が管理する高さ112.0mの重力式コンクリートダムで、男鹿川及び合流先の鬼怒川、利根川の治水と栃木県営の水力発電を目的とし、同水系において最初に完成した多目的ダムである。ダムによって形成された人造湖は五十里湖と命名され、日光国立公園に指定されている。
早速温泉で気持ちよく汗を流して、囲炉裏の部屋でアユを焼きながらの豪華?夕食、美味しいビールを頂きながらゆっくり賞味させていただきました。
●矢 ノ 原 湿 原 春から夏にかけて群生する水芭蕉や水面に咲くヒツジグサなどの眺めも楽しめるほか、秋の紅葉が美しい高原の湿地帯。 280種にもなる植物が群生し、珍しいハッチョウトンボが棲息している村の天然記念物です。一周約40分の遊歩道があります。湿地帯を抜けてから、源平清水代官清水2カ所の銘水ポイントがあります。
●駒 止 湿 原 (国指定天然記念物) 国指定天然記念物に指定されている湿原はブナの原生林に囲まれ3ブロックからなります。春の水芭蕉に始まりワタスゲ、ニッコウキスゲの群落が見事です。
10月26日:四時川渓流・鹿角平観光牧場・江竜田の滝・矢祭山あゆのつり橋 10月末の日曜日、福島県南部のドライブに出かけた。 1)四時湖 R6を勿来まで北上しR289で西に向かうと大きなダム湖・四時湖についた。駐車場には大きな案内板が立っていた。
470kWの水力発電所もあるという。
R289をそのまま西走し、R349との交差点の少し先に鹿角平(かのつのだいら)観光牧場への分岐道があった。 ふくしま緑の百景に選定されている大草原の中に造られた鹿角平観光牧場内には、バーベキューハウスやバンガロー、天文台などが整備されていた。写真を撮っている脇では、ゴルフを楽しんでいるグループもあった。
R289に引き返し、渡良瀬川沿いをくねくねと走っていくと鮫川村に入り、左手の江竜田の滝への分岐道があり、、江竜田農村公園に入ると江竜田の滝遊歩道案内図があった。 渡良瀬川が綺麗な渓谷になっていて、大小さまざまな滝が連なり、これらを総称して江竜田の滝と呼ばれているのだった。遊歩道を下っていくと、主だったものが上流から青葉の滝、そうめんの滝、二見ヶ滝
4)矢祭山あゆのつり橋 R289を少し西に走って塙町に入り、R118に入って久慈川を南下、矢祭の街に入って久慈川を渡ると矢祭山公園と観光センタがあり、昼食をとってあゆのつり橋の通行券を買った。
「ふくしまの水三十選」にも選ばれた「夢想滝」名前の由来は、むかし弘法大師がこの地を通り、この滝のところで護摩壇をたき無念無想の境地を説き夢をかなえるということから「夢想滝」という名がつきました。
11月8日:里見村かかし祭り 午後、日立への所要のついでに県道36号線で本山越えをして、中里でR349に入って北上里見村の案山子祭りを見に行った。かかし祭りは7日までで既に終わっていたが、物産所前に少し残っていた。ほとんど人のいない広い会場で
11月9日:花貫渓谷〜竜神渓 今年の紅葉の最後、十王の花貫渓谷と里見の竜神峡を歩いてみることにした。 県道10号北上して高萩市に入り、5/2の高萩大心苑の別れのところからR461で山手に入ると花貫ダムがあった。 駐車場の近くも紅葉が綺麗。
「帰り道は県道33号で常陸太田の街中まで下りR293と合流して日立に向かった。」と書けば簡単だが、今回の記録を書き始める時は、運転をやめてもう3年、近くの観光地がどの辺だったか忘れてしまい、ドライブコースも分からない状態だった。とは言えコースを思い出すのが面白くなり、仕上げに時間がかかってしまい、表題に4月のNoを付けたのに5月にずれ込んでしまいました。 |