H52.1998年北海道ドライブ(1)
(フェリーサンフラワー号)


1.動 機 
 北海道にはあまり行ったことがないので、夏休み8日間を目いっぱい使って格安旅行をすることを思い立った。夏休みの初日に大洗港を出港、最終日に苫小牧港に帰港するフェリー(サンフラワー号)の往復割引券を購入して前後の時間を決定、間の6日間に地図上にマークした行ってみたい観光地を繋いでみた。北海道の観光案内書を調べて、便利な宿泊所を選び、ルート近くの名所を追加して考えたコース図と時間割を付けます。ほとんど全部の地点の写真が残っているので、計画通りにドライブができたようです。仕事も忙しく残業の明け暮れしていた時代に、よくもこんな緻密な検討ができたものだ、と自分ながらに感心した次第です。文字は今と変わらず下手糞で読みにくいが----。写真に惹かれている間に掲載する枚数もどんどん増え、ソフトのメモリーの限界を越え、最終日だけ次報に回すことになりました。

2.データ
a)山域:北海道 
(北海道観光の計画図)
b)登山日:
 15日(土):日立=大洗〜(フェリー) 16日:〜苫小牧=富良野=天人峡温泉(泊) 17日:天人峡=美瑛=層雲峡=然別湖=十勝(泊) 18日:十勝=阿寒湖=摩周湖=屈斜路湖=美幌峠=網走(泊) 19日:網走=斜里=知床峠=羅臼=野付半島=鶴居(泊) 20日:鶴居=釧路=十勝=襟裳岬=静内 21日:静内=支笏湖=洞爺湖=室蘭=登別温泉=苫小牧〜(フェリー)〜大洗=日立
(北海道ドライブ予算表)
3.山行記録
8月15日
 朝食をとって我家を9時発車、大洗港に着いてブルーハイウエーのサンフラワーさつま号に乗船手続きして車で乗船、10時45分出港、船室は1等B、お茶道具やテレビあり、畳部屋もある4人部屋を2人で占有。昼食は持参のアンパンなどで済ませ、夕食は船のカフェテリアで海を眺めながら満腹。展望浴室でゆったり入浴。

8月16日
 苫小牧港に5時半入港、残念ながら雨模様、下船してすぐ近くのウトナイ湖に向かうも雨のため湖に出られず、周りをドライブしただけで、次の日高町門別にある日高ケンタッキーファームに向かう。
 ケンタッキーファームにはレストランもあって牛乳、チーズで美味しい朝食を頂戴、広い牧草地や厩を見て回った。
(日高ケンタッキーファーム)
(お馬さん怖くなかった)
 次は平取町のアイヌ資料館、先ずは萱野茂二風谷民俗資料館に入って館内のアイヌ民具などを見学、近くの茅葺の古民家部落を見て回り、
(二風谷民俗資料館)
(古民家部落)
 町立二風谷アイヌ文化博物館に入ってみた。
(二風谷アイヌ文化博物館)
 こちらの館内は撮影OKのところがあったようで、何枚か写真が残っていた。
 資料をゆっくり見て回ってから、次の予定になっている狩勝峠はこの御天気では展望は利かないだろうと割愛、占冠村村立自然公園赤岩青巌峡に向かって北上した。
(アイヌの祭事に使われた飾り物)
 鵡川を渡る赤い橋があり、ここが赤岩青巌峡の絶好の眺望点、鵡川は連なる岩の間を流れる川、多くの岩の中には赤や青など色を帯びた物があちこちにありいい眺めだった。
 赤岩青巌峡:鵡川が作り出した奇勝で、赤や青などの色をした岩が川のところどころで見られる。ローソク岩が見える赤岩橋付近の眺めがいい。
(占冠村赤岩橋)
(赤岩橋からの赤岩青巌峡)
 次に貼ってあるパノラマ写真には、手前に花園があり、その向こうに広いパッチワークの高原が広がっている。アルバムには深山峠の名前が付いている。ここで展望を楽しみながら団子やポテト、アイスでの昼食をとった。北海道ならではの雄大な風景を楽しみながらの昼食、美味しかったことでしょう。
(深山峠からの展望)
 次は横道にそれて拓真館に立ち寄っている。拓真館には有名風景写真家の写真が展示されているとのことなので、写真好きの私が勉強のために見学したのだろう。
(フォトギャラリー拓真館)
 次はテレビの人気ドラマ「北の国から」の舞台になった富良野の麓郷部落。部落を見渡す麓郷展望台に上がって、展望図を見ながらドラマに想いをはせた。
(麓郷展望台)
 部落に下って麓郷の森まで移動して五郎の家などドラマの舞台になったところを見て回った。五郎の石の家には立ち寄らかったのか、残念ながら写真がない。

(テレビドラマ「北の国から」)の撮影場所:麓郷の森・五郎の家
 美瑛の北から東に折れて、大雪山の懐深くにある天人峡温泉のホテル敷島荘に入った。ホテルの上には柱状節理が立ち並び、向かいには細く高い見返りの岩が聳えていた。(写真は翌朝撮ったもの)
(天人峡温泉敷島荘)
(天人峡見返りの岩)
8月17日
 朝早く起きて窓を開けると陽が射しており、前日とは打って変わっての好天気。朝食前に天人峡の遊歩道を遡って二つの名瀑羽衣の滝と敷島の滝を見に1時間のハイキング。
(国立公園天人峡)
(天人峡)
羽衣の滝:天女のお話”羽衣伝説”が伝えられる、天人峡温泉にある落差270mの滝。その優雅さは天女の羽衣思わせ、日本の滝百選にも選ばれています。
敷島の滝:羽衣の滝の上流にある幅60mの滝、豪快な水しぶきを上げて忠別川に注ぐ荒々しい姿は大自然の象徴ともいえます。
(天人峡羽衣の滝)
 ホテルで朝食を頂いて出発、美瑛の街に引き返し、さらに通り越して丘陵地帯に入った。
 道路わきに立っていたケンとメリーの木の名がついているまっすぐ伸びたポプラの木の脇に立って記念写真。昭和1972年日産自動車の「愛のスカイライン」ケンとメリーのCMに採用されて以来、この名がついて有名になったとのこと。

(丘のまち美瑛)
(ケンとメリーの木)
 その先の丘の上に1本のまるっこい樫の大木が立っていて、これがセブンスターの木だった。1976年タバコのパッケージに使われたことからこの名がついたとのこと。
(セブンスターの木)
 セブンスターの木の先にコスモスの花畑があり、その先にパッチワークの丘が見えていた。いい景色を拝借して記念写真。
(コスモスの花畑の向こうにパッチワークの丘)
 パッチワークの丘の近くまで移動して、ここでも一枚パチリ。
(パッチワークの丘)
 その後も美瑛の丘のパノラマロードを少し走って展望を楽しんだ。

(パノラマロード)
 次は旭川の街を通り越して、東雲の氷の美術館アイスパビリオンに立ち寄って、氷の洞窟の中を歩き回ったりして、−20℃体験済の証明書を頂いた。
(アイスパビリオン)
層雲峡
 次は今日のハイライト・層雲峡、柱状節理の断崖が石狩川沿いに24qも続く素晴らしい渓谷。昔は渓谷沿いに車道があったらしいが、今は殆どトンネルで繋がれていてトンネル近くの旧道が遊歩道として使われている。
 層雲峡の断崖を流れ落ちる滝はたくさんあるようだったが、銀河の滝、流星の滝二つの滝が最も美しいと有名なので見にいくことにした。トンネル前で旧道に入ると間もなく駐車場があり、二つの滝の頭の部分が見えていた。近くの売店裏の急な階段を登っていくと展望台があり、2本の滝が絶壁・不動岩を挟んで左右を流れ落ちる姿を眺めることができた。
銀河の滝・流星の滝:いくつもの滝がある層雲峡のなかでもひときわ目立つ2つの滝。銀河の滝は、落差120mを水が白糸のように幾筋にも分かれ流れ下る、繊細な趣。一方、流星の滝は落差90mを水しぶきを上げながら勢いよく石狩川に流れ落ちる豪快な滝。
(銀河の滝)
(流星の滝)
 新道に戻ってトンネルに入り、3km近い長いトンネルを抜けたところで旧道に入り、小函の駐車場に入って小函に向かって両岸の断崖を見上げながら歩いていった。しかし、少し歩くと通行止めの柵があり「この先小函遊歩道は通行止め」の表示があった。柵の上からこの先の柱状節理の断崖の写真を撮っただけで引き返した。
小函:高さ200mの柱状節理の断崖が続く小函は、層雲峡観光のハイライト。羽衣岩や姫岩などの奇岩が見られる。
(小箱への通行止め柵)
(柵越えに一枚)
 少し引き返したところで振り返って、断崖のてっぺん迄一枚の写真に入るところで記念写真を撮りあった。
(柱状節理の絶壁全景)
 小函の駐車場から新道に戻り、も一つトンネルを通過したところに大函の駐車場があり、ここから大函を眺めに歩いた。ここの柱状節理は小函よりも幅が広いらしい。
大函・大函は、屏風のような幅広い柱状節理の岩が、壮大な景観をつくりだしている。
(大函)
 国道に戻って石狩川沿いを遡って大雪湖を通過し、更に上ったところに三国峠展望台があった。北海道の国道で一番高い峠、大雪山などが見える絶景が広がっていた。
(三国峠)
 三国峠から下って糠平湖から細い山道パールスカイラインをくねくねと走って然別湖に着いた。然別湖は山に囲まれていて、神秘的な雰囲気を醸しだしていた。
(然別湖畔)
 然別湖畔沿いをくねくねと走った少し先に小さな駒止湖があり、その先の道沿いに千畳くずれの看板があり、おびただしい数の大きな岩が折り重なっていた。
 その下にどこで撮ったのか、一匹のキタキツネが人に近寄っている写真が貼ってあった。
(千畳くずれ)
(キタキツネ)
 その先には扇ヶ原展望台があり、山道を下って鹿追町で国道に入り、過ぎたところの国道の路側に美蔓パノラマパークがあった。
(扇ヶ原展望台)
(美蔓パノラマパーク)
 扇ヶ原展望台からは、眼下に十勝平野が広がっていた。残念ながら遠くは霞んでいて、北海道の広大さを実感することはできなかったかも。
(扇ヶ原展望台から)
 美蔓パノラマパークからは、十勝川の向こうに畑作地帯と十勝平野の広い農村風景が広がり、その後に雄大な日高山脈を見ることができる。
(美蔓パノラマパークから)

 十勝川沿いにある十勝川温泉のかんぽの宿に宿泊した。かんぽの宿はよく使う全国あちこちの観光地にある宿で、今も会員になっている。
(十勝川温泉に宿泊)

8月18日
 十勝川温泉の宿を出て、すぐ裏の十勝が丘公園に上がると、公園のシンボル、直径18mもの巨大な花時計ハナックがあり、それが気にったようで何枚もの写真が残っている。
(花時計・パルック)
 十勝川温泉を出て北上、阿寒湖の手前にある小さな静かな湖オンネトーに立ち寄った。静かな湖面の向こうに雌阿寒岳1499mと阿寒富士1476mが並んで見えていた。
オンネトー:深い木立に囲まれた日本3大秘湖の1つ。季節や天気などによって、湖の色が濃いコバルトブルーやエメラルドグリーンに変わり、別名を五色沼とも呼ばれます。
(オンネトー・五色沼:バックに雄阿寒岳と阿寒富士)
 すぐ先に阿寒湖畔展望台があり、眼下に阿寒湖全体が見え、右肩に雄阿寒岳1371mが見えていた。
阿寒湖:国の天然記念物・マリモが生育することで知られるカルデラ湖。雄阿寒岳と周囲の木々を映すブルーの湖面が美しい。
(阿寒湖畔展望台)
 阿寒湖の畔に出て、湖畔を少しお散歩した。
(阿寒湖)
 まりも展示観察センタは阿寒湖温泉の対岸近くにあるチュウルイ島という小さい島にあり、阿寒湖でしか育たないという阿寒名物マリモを、館内の水槽で育てているという。展示観察センタを見学するため、阿寒湖温泉の外れにある、まりもの里桟橋から観光船に乗った。
 観光船に乗ると雌阿寒岳や雄阿寒岳が見えていた。
(阿寒湖遊覧船)
(遊覧船から雌阿寒岳)
 湖畔近くにある小島に立木が茂っているところもいい景色になっていた。
(遊覧船から雄阿寒岳)
(湖畔の小島)
 チュウルイ島に着いて、マリモ展示観察センターに入ってマリモについて勉強した。
マリモ展示観察センター:阿寒湖に浮かぶチュウルイ島にあるマリモ展示館。固定の水の動きを再現した特殊な水槽で、水流に揺られながら成長するマリモを観察できる。
 阿寒湖の湖底に静かに眠るマリモは、鮮やかな緑色が美しい球状藻。野球ボールの大きさになるまで150年かかるといわれているが、水の動きや湖底の地盤の固さなど、一定の条件がそろわなければ、美しい球状にはならない。そのため、阿寒湖でも一部にしか生息せず、成長サイクルについては今だなぞに包まれている。
(マリモ展示観察センタ前)
(マリモ水槽)
 島から阿寒湖温泉に戻って、アイヌの民芸品店が立ち並ぶアイヌコタンに立ち寄って、シナノ木の彫刻を記念に買い込んだ。
アイヌコタン:木彫品などを販売するアイヌの民芸品店が、賑やかに軒を連ねる。劇場アイヌチセでは、伝統的なアイヌ古式舞踊や創作ユーカラ劇などが見られる。
(アイヌコタンの街並み)
 阿寒湖温泉から少し走っていくと、雄阿寒岳の反対側にある二つの湖ペンケトーとパンケトーを眺めることができる双湖台が路側にあった。ここからではペンケトーが大きく見え、パンケトーは山に隠れてわずかしか見えないが、地図を見るとパンケトーの方が何倍も大きい。
双湖台阿寒湖畔と弟子屈町を結ぶ阿寒横断道路(国道241号)の途中にある展望台。、駐車場から展望スペースに上がり深い森を見下ろすと、深い森の中に見えるのが、「ペンケトー」と「パンケトー」と呼ばれる青く澄んだ水を湛える小さな湖です。ちなみにこの二つの湖、もともとは阿寒湖とつながり「古阿寒湖」という一つの大きな湖でした。「古阿寒湖」の中央から雄阿寒岳が噴出して今の形になったのが今から約15万年前の事。今でも小さな小川でこの「ペンケトー」「パンケトー」「阿寒湖」はつながっており、手前に見える北海道の形に似た姿をしているのが「ペンケトー(アイヌ語で上(流)の湖)」、その奥にひっそりと見えるのが「パンケトー(アイヌ語で下(流)の湖)」です。
(双湖台)
(パンケトーとペンケトー)
 双湖台の次はJR釧路本線を東に越えて霧の摩周湖。
摩周湖:世界でも有数の透明度を誇るカルデラ湖。白いベールのような霧と湖面にポツンと浮かぶ小島が神秘的な雰囲気を漂わせている。
(摩周湖)
 摩周湖から引き返して北西に向かい隣の屈斜路湖の沿岸を走って美幌峠で一休み、すぐ下に屈斜路湖が大きく見えていた。残念ながらすぐ近くの摩周湖も写っておらず、反対側にある大雪山などの山の写真も残っていないのでおそらく遠くて見えていなかったのだろう。
美幌峠:屈斜路湖や摩周湖、大雪山、サロマ湖まで見渡すことができ、360度の大パノラマが広がる絶好のビューポイントです。
(美幌峠から屈斜路湖)
 美幌峠にはクマやエゾシカ、キタキツネの剥製を置いて記念写真を撮る有料コーナもあった。
(美幌峠の動物達)
 美幌峠から北のオホーツク海に向かって海寄りの網走に向かい、途中、オホーツク公園から網走湖を展望した。
網走湖は周囲39.2kmの海跡湖で、オホーツク海とは網走川で結ばれている。4月下旬からは湖畔にミズバショウが咲き乱れるほか、アオサギなどの野鳥を見ることもできる。
(網走湖)
 その先のオホーツク流氷館に入って、オホーツク海の実物の流氷を見てー14℃を体感し、アザラシやクリオネなどを見ることができた。。
(オホーツク流氷館)
(アザラシ君と仲良し)

 網走湖近くまで下ると博物館網走監獄にも入ってみた。実際の網走監獄の建物を使った過酷な生々しい獄中生活を見ることができた。この日はかんぽの宿網走で宿泊した。
(網走監獄博物館)

8月19日
 朝宿を出て、現在の網走監獄前を通ってオホーツク海海岸と涛沸湖とで記念写真、小清水原生花園は素通りした。
(オホーツク海)
(網走国定公園涛沸湖)
 斜里町を過ぎて知床半島に入り、オシンコシンの滝に立ち寄った。糸のように細い筋になってでこぼこ岩の間をジグザグに流れ落ちる幅広い滝の姿は綺麗だった。
オシンコシンの滝:20mほどの高さから流れ落ちる優美な滝で、2筋に別れていることから「双美の滝」とも呼ばれます。
(オシンコシンの滝入口)
(オシンコシンの滝)
 ウトロ港まで行くと、岬の先に大きな岩オロンコ岩と三角岩があった。港の全景はこの先、フレぺの滝近くまで行ったとき、振り返って撮った遠景です。
(ウトロ港全景)
(オロンコ岩と三角岩)
 三角岩に近づいてみると、岩のの表面は全面縞状に割れていて今にも崩れそう、波打ち際の平面でも同じようだった。
(三角岩)
 知床自然センターの駐車場に車を入れて、フレぺの滝へと長い遊歩道を歩いていった。海岸断崖の上まで歩くと「フレぺの滝遊歩道」の標識が立っていた。
 フレぺの滝遊歩道:片道1キロの遊歩道は、林と草原の中をぬけて海岸断崖の上に出ます。終点の観察テラスからは険しい知床の海岸景観や海に落ちるフレペの滝(別名・乙女の涙)、海鳥類の観察が楽しめます。冬も歩くスキーで行くことができます。
(遊歩道分岐)
(フレぺの滝遊歩道標識)
 高い断崖が向き合う深い入江になっていて、その奥の岩碧の途中から筋をなして流れ落ちるフレぺの滝があった。
フレぺの滝:高さ約100mの切り立った断崖の途中から山々から流れてきた地下水が染み出し、海へと直接流れ落ちる滝です。年間を通して水量が少なく、しとしとと流れ落ちる様子から別名乙女の涙とも呼ばれています。
(断崖入江)
(フレぺの滝)

 次の知床五湖は、知床岬を更に先に行ったところにあった。遊歩道を歩いて一湖から五湖まで歩いてみた。
知床五湖、北海道斜里町にある湖(秘湖、沼)である。五湖とあり、一湖から五湖までの名前がついている。ただし、湿地帯にあるため融雪期には数が増える。
知床八景の一つに数えられる観光地として、一湖を見下ろす展望台や湖を巡る遊歩道が整備されている。知床連山や原生林を水面に映す素晴らしい風景は、訪れる観光客の心をとらえて放さない。
(知床五湖案内板)
(知床五湖)
 どこからでも知床連山が見えていたが、一番大きな二湖の湖岸で休んだ時の写真です。
(知床連山)
 知床五湖から知床自然センターまで引き返し、知床岬を横断する国道を走っていくと知床峠があり、展望台もあったが、残念ながら立ち込める霧で視界ゼロ。
 くねくね道を下って羅臼の海岸まで走るとしおかぜ公園があった。
(知床峠)
(しおかぜ公園)
 しおかぜ公園からは眼下に広い羅臼港見えていて、その向こう根室海峡の向こう一面に国後島が見えるらしいが、今日は真っ白。
(羅臼港)
 羅臼から標津まで南下して、中標津まで山手に入って高台の開陽台に立ち寄った。
開陽台:中標津町市街地から車でおよそ15分。中標津町のランドマークとも言われる「開陽台」は、標高270mの台地にあります。そこからあたりを見渡すと、「緑のじゅうたん」とも表現されるような牧草地帯が一面に広がります。まさに「北海道に来た!」と実感することができるでしょう。
 夜になると、上空には無数の星が散りばめられ、「宇宙にはこんなにたくさんの星があるのか」と思ってしまうほどの幻想的な風景が広がります。
 開陽台には幸せの鐘があって、これからの幸せを誓いあって鐘を打ち鳴らした。
(開陽台)
(幸せの鐘)
 「地球が丸く見える」との看板があり、展望台に上がって360度の大展望を楽しんだ。霞加減で海までは見えなかったが、360度緑のじゅうたんが広がっていて大満足な展望だった。
 開陽台からの展望を楽しんでから、宿泊地の中標津のグリーンパーク鶴居に向かい、温泉宿で汗を流した。
(開陽台展望台からの展望)

8月20日
 温泉宿中標津から山越して太平洋岸の釧路近く迄南下して釧路湿原に入ったのだが、今日は生憎朝から小雨模様、散歩はダメ、視界も利かなかった。
釧路湿原は釧路川とその支流を抱く日本最大の湿原で、その広さは東京の都心がすっぽりと入ってしまうほど。湿原の中を釧路川が大きく蛇行しながら流れており、湖の東側には塘路湖、シラルトロ沼、達古武湖、エオルト沼、ポン沼、サルルン沼が並ぶ。湿原の中にも小さな湖沼が点在するほか、泥炭層の小さな穴に水がたまって底なし沼状になった「やちまなこ」(谷地眼)が各所にある。
(釧路湿原国立公園)
(釧路湿原:視界なし)
 釧路から太平洋岸沿いを南下して広尾の町に着くと、そこからは海際の断崖沿いの道になり、二つのトンネルを抜けた先で、道路わきに落差20mほどのきれいな滝が流れ落ちているのに気が付いた。滝の前が細長い広場になっていて、フンベの滝という名板が立っていた。水量は多いが、フレペの滝と同じく、岩盤から浸みだしている水が流れ落ちている滝だった。
フンベの滝:フンベとはアイヌ語で鯨の事を言うそうです。この地で鯨が打ち上げられた事からその名前が付いたようです。川の水が段差で落ちる滝ではなく、崖の砂礫層から滲み出た水が集まって出来る滝(潜流瀑)。近寄ると大小さまざま、そこかしこから水が滲みだしているのがわかる。
 フンベの滝の広場からは襟裳岬の突端が綺麗に見えていた!と思ったが思い違いでした。
(フンベの滝)
(襟裳岬を望む?)
 その先、幾つもの長いトンネルを抜けると襟裳町に入り、道沿いにあった望洋台からは荒海と断崖絶壁の素晴らしい展望が開けていた。
 望洋台には「黄金道路」の石碑が立っていて、黄金のように素晴らしい展望がある道路という意味の名前かと思ったが、
 黄金道路:えりも町から広尾町へと続く黄金道路は、断崖を切り開き、長い年月をかけて開通した国道。名前の由来は開通にかかった費用が、黄金を敷き詰められるほど莫大になったことによるものです。その莫大な費用を象徴するかのように、道路トンネルとしては道内最長(全長4,941m)となる「えりも黄金トンネル」をはじめとした数々のトンネルがあり、トンネルの切れ目からは、断崖絶壁の海岸線の見事な景観を見ることができます。
(望洋台から)
(黄金道路)

 追分峠に向かう黄金道路から分かれて襟裳岬近くに、百人浜展望台があり上ってみると、長く湾曲する砂浜の奥は緑の草原になっていた。この砂浜が百人浜で、色々謂れがるようだった。
百人浜:苫小牧市の南東方面に位置する全長約15kmの砂浜海岸。えりも岬のすぐ近くです。とても見晴らしの良い海岸ですが、その名前は悲しい歴史から名付けられました。江戸時代に南部藩の船が難破し、100人の乗組員が飢餓や溺死によりこの浜で亡くなったそう。
 えりも岬はかつて、カシワやミズナラ・シラカバなどを主とする広葉樹の原生林で覆われていました。 しかし、明治以降、燃料としての木々の伐採や、牛・馬・綿羊の放牧などによって,原生林は切り開かれ、えりも岬特有の強風にさらされ、大地は砂漠化してしまいました。そんな状況を脱するため、昭和28年、浦河営林署「えりも治山事業所」が開設され、本格的なえりも岬の緑化事業がスタートしました。開始された緑化事業は、やはりえりも岬の強風によって困難を呈したが、様々な試行錯誤を経て、50年近く経った現在、ここが砂漠だったとは信じられないほど豊かに緑化してきました。百人浜の展望搭に登ると緑化事業地が一望できます。
(百人浜展望台からの眺め)
 やっと北海道の南端・襟裳岬に着いて、どこまでも延びる岩礁群を眺めることができた。
襟裳岬:北海道の背骨と呼ばれる日高山脈が次第に標高を下げ、そのまま太平洋に沈んでいく、壮大な大自然のドラマを実感できるのが襟裳岬。
  長年に渡って荒波に洗われているにもかかわらず、遠く2キロメートル沖まで岩礁地帯等が続く光景は感動的。
海面下に没してさらに6キロメートルも続くというから驚きです。
 平成22年8月に、アイヌ民族の精神的・聖地的に重要な場所であるとして、国指定の名勝ピリカ・ノカに指定されました。
(襟裳岬)
(襟裳岬から先に延びる岩礁群)
 この日は静内温泉で宿をとり、次の日、苫小牧を通り過ぎて、支笏湖、洞爺湖と回ってから苫小牧に引き返してフェリーに乗って、北海道ドライブは終わりになるのだが、一寸ソフトの容量をオーバしてきたので続編にします。
 北海道の事を楽しみながら色々調べている間に2週間以上経ってしまいました。次は早くしたいと思っています。


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