H53.1998年北海道ドライブ(2) 1.動 機
夏休み8日間を目いっぱい使っての北海道ドライブ旅行の残り、最終日の行程を報告します。 2.データ a)山域:北海道 下記計画図の破線の部分、行程表の当該部分を切り取って拡大して付けました。
15日(土):日立=大洗〜(フェリー) 16日:〜苫小牧=富良野=天人峡温泉(泊) 17日:天人峡=美瑛=層雲峡=然別湖=十勝(泊) 18日:十勝=阿寒湖=摩周湖=屈斜路湖=美幌峠=網走(泊) 19日:網走=斜里=知床峠=羅臼=野付半島=鶴居(泊) 20日:鶴居=釧路=十勝=襟裳岬=静内 21日:静内=支笏湖=洞爺湖=室蘭=登別温泉=苫小牧〜(フェリー) 〜 22日大洗=日立
8月21日 前夜は静内温泉にある静内町町民保養センタに宿泊して、翌朝目覚めると天気が良さそうなので早起きし、朝食前のドライブに出かけた。
サラブレッド銀座とは? 北海道の日高地方の新冠町にある、世間を賑わし、テレビや新聞で話題となった栄光の歴史を刻んだかつての名馬たちが、第一線を離れ、その血統を残しつつ静かに過ごしている競走馬のふるさとで、数多くの牧場が点在することからそう呼ばれる。 国道235号線を折れて、山間部に向かう県道沿いの約8kmの道の周辺には、多くの牧場や競走馬関連の施設が建ち並んでおり、石碑が建つサラブレッド銀座駐車公園の展望台からは、のどかで牧歌的な競走馬のふるさとの姿を一望できる。ちなみにこの県道209号線は、サラブレッド銀座通りと言う。
二十間道路は馬の町として知られる新ひだか町にある道路で、道道111号とほぼ平行に目名から家畜改良センター新冠牧場まで延びています。新冠牧場の前身である御料牧場を視察する皇族の行啓道路として明治36年に造成された歴史ある道。「日本さくら名所100選」、「日本の道100選」に選定、北海道遺産にも登録。 静内川を渡ると、河口近くの高台に展望抜群の真歌公園があり、アイヌの酋長を記念して立てられたシャクシャイン記念像が立っていた。 シャクシャインは全道のアイヌを率い、和人と戦ったアイヌ民族の英雄シャク シャイン。銅像の建つ新ひだか町の真歌公園は、そのシャクシャ インが1669年、「寛文九年蝦夷の戦い」で最後の砦とした場所。蝦夷の戦いとは、交易時の不平等に怒りを募らせたアイヌの長シャクシャインが、全道 のアイヌに呼びかけ一斉に蜂起した争い。 一旦、宿に戻って朝食を頂いて再出発、
サラブレッド銀座を通り過ぎ、苫小牧も通り過ぎて一気に支笏湖湖畔まで走り通した。早速湖畔で記念写真、バックに恵庭岳や風不死岳を入れて。
苔の洞門は、1739年の樽前山の噴火活動によって生じた溶結凝灰岩が、土石流によって次第に浸食されることで作られた回廊状の涸れた峡谷です。 高さは約10m、エビゴケやエゾチョウチンゴケをはじめ80種以上のコケが密生している姿は幻想的で美しく、2014年8月には「日本の貴重なコケの森」(日本蘚苔類学会)に選定されるなど学術的にも貴重です。 下流の第1洞門(延長約420m)と第2洞門(延長約600m)があります。
左側は地元特産品の販売を行っている「森林せせらぎ館」、右側がレストランのある「フォーレスト276」だった。中にある男女トイレの入口の間に自動演奏のピアノが置いてあり「一億円のトイレ」として有名。
地球岬は、語源はアイヌ語の「ポロ・チケプ」(親である・断崖)に由来していて、正式にはチキウ岬と書くらしい。
右の写真には名前がないが、私の眼には小さい目を持ったゴリラの顔のように見える。
地獄谷は活火山「倶多楽」の西麓にあり、大湯沼や日和山とともに後カルデラ火山の「登別火山」を構成している。地獄谷の直径は約450 m、面積は約11 haあり、高温の噴気・熱水活動が続き登別温泉の源泉になっている。支笏洞爺国立公園の「特別保護地区」に指定されている。
倶多楽湖 環境省の2001年度公共用水域水質測定結果で水質の湖沼部門で全国1位!! 支笏洞爺国立公園特別区域にある周囲約8qの円いカルデラ湖。 摩周湖に次いで透明度の高い美しい湖です。 【名前の由来】虎杖浜の・湖「クッタルシ・トー」の意味が有力 【誕生】約4万年前、クッタラ火山の山頂部の陥没によりできたカルデラ湖の説が有力 【湖面積】4.7平方キロメートル 国内19位 【湖容積】0.491立方キロメートル 国内7位 【湖の標高】257メートル 国内8位 【水深】最大147メートル・平均104.5メートル 国内4位 【水質】COD=0.7mg 全国1位 【透明度】28.3メートル 国内2位 【肢節量】1.05 国内1位 (※「肢節量」とは丸に近い度合い)
朝起きて朝食を頂き、テレビで高校野球決勝戦を見たり風呂に入ったりしている間に19時に大洗港到着、車と一緒に降りて、まっすぐ走って20時に日立に帰着した。大満足の北海道ドライブでした。 次は、98年10月に行った箱根信州ドライブの様子を報告する予定です。 |