H62.箱根信州ドライブ(1)
1.動 機
10月の紅葉の時期の1週間、箱根から信州へと観光地を走り回るドライブ旅行を計画し、車のナビにコースを入れて所要時間をチェックしながら、下記添付の計画票を作成した。出発当日に台風10号が九州に上陸し、日本縦断するとの予報になって日立でも雨が降ってきたが、宿の宿泊費を前払いしてあるので相談の上出発することになった、と和子の日記にある。幸い台風の影響は大したことなく、経過通りに観光地を走り回って楽しむことができた。今回は前半の箱根の観光地を紹介し、信州ドライブは続編に分割して報告することにしました。
2.データ
a)山域:箱根、信州
b)登山日:
17日(土):日立=河口湖 18日(日):河口湖=元箱根=仙石原(泊) 19日(月):仙石原=芦ノ湖=箱根峠=仙石原(泊) 20日(火):仙石原=精進湖=昇仙峡=天女山=清里(泊) 21日(水):清里=美し森= 小諸=軽井沢(泊) 22日(木):軽井沢=奥志賀(泊) 23日(金):奥志賀=戸隠(泊) 24日(土):戸隠=木崎湖(泊) 23日(金):木崎湖=日立(緑字は次報回し)
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(箱根信州ドライブ計画表) |
3.山行記録
10月17日(土)
雨のなか8時50分我が家を出発、日立南ICから常磐道に乗り、三郷JCTで首都高速、中央道へと乗り継いで河口湖ICに11時に到着した。河口湖駅前のほうとう不動で昼食を頂いて一休み、落ち着いて観光へ出発。
先ずは河口湖畔にある河口湖美術館に入ったら、「包むこころふろしき展」が行われていた。郡山の京子先生から、ふろしきの包み方を教わり、明治大正からの木綿麻収集、沖縄の紅型、からむし織など見学した。
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(河口湖美術館) |
美術間を出ると激しい風雨、駐車場まで傘をさしても濡れてしまい、河口湖北岸のサニーデビリッジに入って一安心。夜間は風雨が強かったが、
10月18日(日)
台風10号は朝までに日本海に抜け、8時に朝食をとるころには雨はやみ、太陽も顔を出していた。9時15分ホテルを出て、湖畔で記念撮影。
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(河口湖畔サニーデビレッジ) |
河口大橋を渡って、南岸にある河口湖ミューズ館に入って常設の与勇輝の創作人形を眺め回って楽しんだ。
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(河口湖ミューズ館・与勇輝常設館) |
河口湖から南下して山中湖に着いた頃はまだ日ざしはあったが、湖を一周しているうちに雨となり記念写真なし。仙石原について箱根ガラスの森美術館に立ち寄って、美しい外庭を楽しみ、
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(箱根ガラスの森) |
中に入って丁度会館2周年記念で行っていた、ヴェネチアングラスの特別展を鑑賞した。
芦ノ湖南岸まで出て、元箱根から権現坂に入ると「箱根旧街道」の看板が立っていた。ここから先、箱根の嶮の旧街道が続いている。
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(箱根旧街道入口) |
箱根旧街道に続いてすぐに石畳の道、雨に濡れた石畳は滑りやすくて苦労した様子。
箱根旧街道は江戸時代の箱根越えの道で、通称「箱根ハ里」で知られる天下の難所でした。この急坂の多い山道は江戸時代初期、幕府の官道として整備されましたが、すねまでつかる泥道のため当時では近代的な石畳道を完成させました。そして今なお残る石畳には、往時の旅人の苦悩と喜びが偲ばれます。(国指定史跡)
元箱根に戻って湖岸側の杉並木を歩いてみた。曾木の巨木が密に立ち並び、暗く感じるところさえあった。
元箱根から恩賜箱根公園まで約500m続く、箱根旧街道の杉並木。
1618年(元和4)、幕命によって川越城主・松平正綱が植林したと伝えられています。400本を越える樹齢400年近くの杉が連なり、夏の強い日差しや冬の寒風から旅人を守っていました。なかには幹回り4mの大木もあります。
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(石畳) | (杉並木) |
旧街道の途中では、成形されない原石の形のままの「権現坂」標石や、手入れされていない「史跡箱根旧街道」の四角い標石など歴史を感じさせるものがあった。
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(権現坂標石) | (史跡箱根旧街道標石) |
明治初めまであった、女性に特に厳しかったという「箱根御関所」もあった。今は和子も気軽に通してもらえる。
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(箱根御関所) | (箱根御関所資料館) |
この日も仙石原のともわ莊に宿泊。
10月19日(月)
朝起きて朝食前に仙石原をお散歩。
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(朝食前の仙石原湿原) |
朝食後宿を出て、再び仙石原で陽が射してきたところで
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(陽が射す中での仙石原湿原) |
桃源台に下ってロープウエーで大涌谷へ。ロープウエーの窓から芦ノ湖や富士山の写真を撮った。
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(仙石原から芦ノ湖) | (仙石原からの富士山) |
ロープウエー駅から湯気が噴き出す大涌谷を展望できた。
大湧谷に向かう手前にあるくろたまご館で大涌谷名物くろたまごを賞味した。画も言えない顔つきで味わっているが、感想文は残っていない。
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(大湧谷駅から) | (黒たまご) |
大湧谷の遊歩道を歩いて、あちこちから噴気を噴き出す谷をバックにした記念写真に迫力あり。
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(大湧谷) |
富士山の全景を見ることができ、手前にロープウエーの箱の連なりを入れたパノラマ写真を撮っている。
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(大湧谷から富士山) |
ロープウエーで桃源台駅まで下り、今度は海賊船に乗って芦ノ湖を元箱根迄往復して、ゆったりと芦ノ湖の景色を堪能した。
箱根園からロープウエーに乗って駒ヶ岳山頂まで登った。霞み加減だったようだが、富士山や芦ノ湖の写真が残っている。
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(駒ヶ岳山頂から富士山) | (駒ヶ岳山頂から芦ノ湖) |
見方によっては霞み加減の富士山のパノラマ写真もなかなか味があるようにも見える。
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(駒ヶ岳山頂から富士山) |
今度は芦ノ湖周りのドライブコースを走って芦ノ湖一周。先ずは湖南の椿ラインを登って大観山から芦ノ湖・富士山を展望。
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(大観山から富士山) |
椿ラインを下って箱根峠で一休み、後の山は駒ヶ岳か。
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(箱根峠から) |
次いで湖西の芦ノ湖スカイラインに入って杓子峠へ。富士山はやはり霞んでいた。
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(杓子峠) |
ここからの富士山の霞み具合もいい具合かも。
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(芦ノ湖スカイライン杓子峠からの富士山) |
その先北の三国峠。 更に北に走って箱根スカイラインへ向かった。
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(三国峠) | (箱根スカイライン) |
その箱根スカイラインの箱根芦ノ湖展望公園からの芦ノ湖や駒ヶ岳の眺めがいい。
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(箱根スカイラインから芦ノ湖) |
箱根芦ノ湖展望公園を出て箱根スカイラインの終点まで走り、分岐右手のトンネルを潜って県道736へ入って行くと長尾峠。
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(箱根芦ノ湖展望公園) | (長尾峠から) |
長尾峠からは正面に駒ヶ岳がどっしり、手前に広々とした箱根カントリークラブのコース全体が見えており、芦ノ湖は右端にちょとだけ。
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(長尾峠から駒ヶ岳と芦ノ湖:手前は箱根カントリークラブ) |
大湧谷に戻って昨夜と同じともわ莊に宿泊。
10月20日(火)
大涌谷の宿を出て、富士山を眺めながら富士五湖有料道路をロングドライブし、河口湖から西に曲がって西湖近くの鳴沢村から紅葉台に登ったら、残念! お目当ての富士山は完全に雲の中だった。
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(紅葉台) |
気を取り直して、次の昇仙峡に向かってまたロングドライブ。甲府市を通り過ぎて荒川沿いの山道を登って行って昇仙峡入口の駐車場に車を入れた。馬車も通る道をウオーキング。
大きな岩が転がる昇仙峡と両岸に聳え立つ大岩壁を眺めながら、しょっちゅうシャッタータイムを取りながら歩いていった。
(馬車も通る)
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(昇仙峡の巨石碧) | (昇仙峡の巨岩碧) |
途中には大岩が重なり合ってできた隙間を抜ける石門があった。写真を見ても今にも崩れ落ちそう、さぞ怖い想いをして通ったことだろう。
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(石門) |
一番目立って美しい大岩壁には覚円峰という名前が付いていた。この上で覚円禅師が修業されたとのこと。
日本一の渓谷美、昇仙峡の中でもこの覚円峰は美しさと威厳に満ちたその風貌は見る人を圧倒します。昇仙峡が中国のミニ泰山と言われるゆえんです。
その昔、僧侶覚円が畳が数畳敷ける広さの頂上で修行したことが、その名に由来します。
一番奥には仙娥滝という高さ30mの滝があった。
滝の名である「仙娥」とは、中国神話に登場する月に行った女性嫦娥のこと。
富士川水系の荒川上流にある、山梨県を代表する景勝地の一つ昇仙峡の最奥部に位置する。 この滝は地殻変動による断層によって生じ、花崗岩の岩肌を削りながら落下している滝で落差は30m
甲斐市に下って中央高速を北上、小淵沢ICから八ヶ岳高原ラインを走っていき、天女山の駐車場に入った。
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(八ヶ岳中信高原案内図) | (天女山) |
今がちょうど紅葉の最盛期、
天女山から八ヶ岳高原ラインに戻って更に北上すると、川俣渓谷の紅葉が赤く染まっていてとても綺麗だった。川俣川を渡る東沢大橋が赤く塗られていて、渓谷の紅葉と絶好の調和していたので橋の上で途中下車、紅葉の接近写真(交通違反だったかも)。
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(東沢大橋の上から川俣渓谷) |
橋を渡ったところに東大橋展望台の広い駐車場があり車を入れた。駐車場には「八ヶ岳川俣景観保存地区」の説明板が立っていた。残念ながら文面は読み切れない。
展望台に出てみると、川俣渓谷地獄谷の紅葉とこれを渡る東沢大橋の絶好の展望場所になっていた。川俣渓谷の上に八ヶ岳の主峰赤岳を期待したが、残念雲の中だった。
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(八ヶ岳川俣景観保存地区) | (東沢大橋と川俣渓谷) |
八ヶ岳高原ラインをも少し行ったところに美し森交差点があり、ここから分かれて観光案内所の駐車場に車を入れて、階段の登山道を登って美し森山頂に着いた。八ヶ岳連峰の展望図もあるのに、山は全く見えていない。
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(美し森山頂) | (八ヶ岳展望図) |
八ヶ岳高原ラインから大泉清里ラインに分かれて少し南下したところに、今日の宿泊所の清泉寮があった。入口にはこの寮の創設者ポールラッシュ博士の像が立っていた。
清泉寮は、現在ではロッジ、コテージ、レストラン、キャンプ場などを有する宿泊・研修施設であるが、建設当初の1938年(昭和13年)は、清里開拓の父と呼ばれるポール・ラッシュが指導したKEEP(Kiyosato Educational Experiment Project:清里教育実験計画)の一環としての日米協会青年活動によるキリスト教研修の中心施設であった。当時まだ貧しかった山梨県のこの地に大きな可能性をもたらし、キリスト教信者のみならず多くの人をひきつけた。清泉寮という名称は、1937年秋に現地を視察した立教大学の高松孝治教授司祭により名付けられた。高松は、「キャンプは清里駅から上っていくが、地番は大泉村に入っている。それなら両方を取って清泉寮としたらどうか」と提案したという。
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(清泉寮) |
名物のソフトクリームをなめながら、広い清泉寮ジャージー牧場などを眺めながら散歩した。
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(清泉寮ジャージー牧場) |
今日の長いドライブに満足し、清泉寮の美味しい夕食を頂いてゆっくりお休み。
10月21日(水)
朝6時朝食前に清泉寮を出て、美し森展望台に再度上ってみた。今朝は近くに八ヶ岳連峰の山々が綺麗に見えていた。
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(美し森@) |
その南には南アルプス。
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(美し森A) |
和子が小さく写っているここ美しの森の階段方向には富士山が見える方向だがーーー。
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(美し森B) |
東沢大橋展望台に上がってみると、今朝は赤岳が見えていた。。
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(東沢大橋と八ヶ岳) |
嬉しくなって記念写真も撮った。
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(東沢大橋展望台) |
これから朝食をとって清泉寮を出発して、信州に向かいます。
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