H72.退職記念旅行
(鬼怒川・猪苗代・那須・日光)

1.動 機 
 1999年5月28日に60歳で定年退職し、6月18日に祝賀会が予定されたので、その翌週に退職記念の旅行に出かけることを計画した。行き先は宿泊所を安く泊まれる鬼怒川、那須、日光、猪苗代の日立健保保養所と決めて、宿泊所近くの面白そうな観光地を探し出し、それらを見て回る時間を計算して、鬼怒川2泊=猪苗代=那須2泊=日光2泊と7泊8日にした。お天気もまずまずで、仕事のことを考えることなく自由な身になった初めての夫婦二人の旅行を満喫した。


2.データ
a)山域:佐野、鬼怒川、猪苗代、那須、日光 
b)登山日:
 6月23日(水):日立=佐野=葛生=今市=鬼怒川三石山荘(泊) 24日(木):鬼怒川=栗山=背戸合峡=川俣湖=川俣温泉=平家の杉=蛇王の滝=川俣ダム=大笹牧場=六方沢橋=キスゲ平=霧降の滝=三石山荘(泊) 25日(金):三三石山荘=川俣温泉=田島=喜多方=猪苗代山荘(泊) 26日(土):猪苗代山荘=檜原湖=三湖パラダイス=沼尻温泉=白糸の滝=中ノ沢温泉=達沢不動滝=那須明雲荘(泊) 27日(日):那須明雲荘=友愛の森=明雲荘(泊) 28日(月):明雲荘=沼原湿原=乙女の滝=深山湖=塩原もみじ大吊り橋=回顧橋=留春の滝=鬼怒川=今市=日光=中禅寺湖=わらく荘(泊) 29日(火):わらく荘=立木観音=中禅寺湖=半月展望台=竜頭の滝=戦場ヶ原=小田代ヶ原=湯の滝=湯ノ湖=光徳沢=光徳牧場=金谷ホテル(泊) 30日(水):金谷ホテル=日光=今市=日立


(退職記念旅行の宿泊所と観光地)
3.山行記録
6月23日(水)
 色々所要を済ませて、我が家を9時半出発、日立南ICから水戸ICまで高速、その先は佐野まで一路R50を走った。昼食に佐野ラーメンを頂いてから栗田美術館に入った。
    栗田美術館(KURITA MUSEUM)は、江戸時代に肥前鍋島藩で生産された伊萬里、柿右衛門、鍋島を所蔵する、世界屈指の陶磁美術館です。 三万坪の豊かな自然に囲まれた広大な敷地には、格調高い建築物が点在し、世界の人々を魅了した名陶が常時展示されています。
(佐野市栗田美術館)
 有田焼や鍋島の陶器コレクション
(佐野市栗田美術館)
 栗田美術館の敷地は広くて、園内には世界陶磁館もあってインカコレクションも楽しんだ。また園内には、夥しい石仏が整然と並べられているところがあり「寿光院の石仏」の名がついていた。
(世界陶磁館)
(寿光院石仏)
 佐野厄除け大師にも立ち寄った。
(佐野厄除け大師)
 栃木は、関東の三大厄除け大師「佐野厄除け大師」にやってきました。 佐野駅からフラットな道を歩くこと10分強、山門に到着です。山門くぐってすぐ右に金ピカの鐘楼があります。正面には、銅鐘と書かれた普通の鐘がありました。その銅鐘まで約30mほど歩いて、右側に更に約30m程、歩くと本堂があります。
 山門を潜って正面には立派な2階建ての鐘楼には普通の鐘が釣られていたが、横には金ぴかの鐘が釣られていた。
(銅鐘楼)
(金鐘楼)
 この後、R293で葛生、今市、鬼怒川と走って三石山荘に宿泊した。

6月24日(木)
  朝食後、9時半宿を出発、鬼怒川温泉からひたすら鬼怒川沿いを走行し、五十里ダム手前の川治温泉で東に曲がり、栗山村を通り過ぎて更に鬼怒川沿いを走っていくと、高い断崖が迫ってくるし、断崖の下には綺麗な渓流が見えてきて、まさに絶景旅!
(背戸合峡)
 更に鬼怒川沿いを上っていくと背戸合峡に近づいたようで、両脇の山が崖を露わにしてきて、くねくね道を登った峠には「日本観光百選/背戸合峡/見晴峠標高1040m」の表示板が立っていた。
    鬼怒川の上流に位置する瀬戸合峡は、凝灰岩が浸食されることによって生まれた峡谷で、深度100mにも及ぶ切り立った岸壁が約2kmにわたり広がっています。
    県道23号線の旧道は、眼下に瀬戸合峡を見ながら縫うように走っています。
    峡谷内にある川俣ダム正面の岸壁に架けられた吊橋「渡らっしゃい吊橋」からの眺望は絶景で、断崖を真近に感じることができます。
    紅葉の名所としても知られ「とちぎの景勝100選」に選ばれています。
(瀬戸合峡)
 見晴峠から少し下りながら車道を走ると川俣ダムに到着。川俣ダムは高さ100m以上あるコンクリートアーチ式ダムで迫力ある。このダムにある発電所には日立から水車を納入していて、私が日立に入社して水力実験所に配属になった時、最初に模型水車での性能確認試験を実施した水車なので記憶に強く残っています。
    越流型アーチ式ダムとしての先駆け、鬼怒川改修工事の一環として計画され、昭和41年に完成した鬼怒川の最も上流に位置するダムです。洪水による下流河川のはんらんを防ぐための洪水調節、農業用水の供給、発電のためにつくられた、アーチ式コンクリートダムです。
    水車は落差107m、最大出力29700kWの高落差フランシス水車です。
    ダムサイトは、瀬戸合峡と呼ばれる奥鬼怒の景勝地であり、新緑・紅葉の季節の景観は素晴らしく、多くの観光客でにぎわっています。
(川俣ダム)
 川俣ダムに着いて、堰堤上から来た方向を眺めると、そそり立つ断崖に懸かる「渡らっしゃいつり橋」が見える。ダム建設のための連絡通路として工事用に建設されたものを、ダム完成後、観光用として整備仕直された吊橋とのこと。この吊橋の上からの眺めは素晴らしそうだが、遊歩道を上り下りしてたっぷり歩かなければならないので、時間的に無理だった。渓谷の向こうに見えている大きな山は多分女峰山。
(川俣ダムから渡らっしゃい吊橋と女峰山)
 川俣湖畔を上流側に走ると川俣大橋が見えてくる。
 これを渡って鬼怒川沿いを上っていくと川俣温泉のところの分岐で、山王林道に向かって鬼怒川を渡る噴泉橋があった。
(川俣大橋)
(噴泉橋)
 噴泉橋に上がって渓流を覗くと、上流側の河原には温泉ホテルの外風呂が見えていた。
 下流側、ダム側の斜面から時々間欠泉が噴き出すのが見えるのがここの名所。和子の日記では、45分ぐらい待ってやっと噴き出してきたとのこと。
(川俣温泉間欠泉)
(川俣温泉間欠泉)
 川俣温泉からは鬼怒川沿いの来た道を引き返した。川俣ダム、背戸合峡をを通り過ぎて栗山村に入ると、鬼怒川の川向こうの崖を流れ下る蛇王の滝が見えた。木立が邪魔して一部しか見えないが、全体が見えれば綺麗な滝のようだ。
 下から見れば綺麗に見えるかもと期待して、苦労して崖路を下って河原に下りてみたが、見えたのは滝の下の部分だけ、残念でした。
(蛇王の滝@車道から)
(蛇王の滝A河原から)
 蛇王の滝から少し下ると、川向こうの開運の湯の入口に大きな杉の木が立っていた。近付いてみて、その大きさに圧倒された。記念に撮った写真を見ると、「とちぎ名木百選/平家杉/平成元年6月15日 栃木県」の立て札が立っており、その脇には説明板も立っている。
    ●栗山村指定文化財 天然記念物 平家杉
    ▲樹高約30m
    ▲枝張り 東西約20m南北約20m
    ▲根廻り10m
    ▲目通し7m
    ▲樹齢600年以上(推定)
    伝承
    此の地に逃れた平家の落人が、昔日の栄華を偲び、一門の運命を占って此の杉を植えたという。杉は年々生長したが平家の世は還らず、杉の実が落ちても子杉が生えないので、一名「子無し杉」ともいう。
      昭和50年3月20日 栗山村教育委員会
(平家杉)
 栗山村から日光線に曲がって南下、霧降高原大笹牧場に向かった。牧場に着いたときは霧で霞んで辺りは何も見えなかったが、大笹牧場の大看板と一面に咲いているニッコウキスゲの記念写真は何とか写っていた。
(霧の大笹牧場)
(ニッコウキスゲ)
 霧の中を少し散策してお土産屋で休んでいる間に、すっきり晴れてきた。ソフトクリームを舐めながら、放牧牛の群れが草を食んでいる牧場らしい眺めを楽しむことができた。
(大笹牧場)
(放牧牛)
 大笹牧場から日光方向に曲がって六法沢橋に向かった。写真がないので、この天気では筑波山は見ることができなかったのだろう。
    霧降高原と大笹牧場を結ぶ霧降高原道路のほぼ中央に位置する六方沢には、長さ320メートルの六方沢橋があります。
    標高1434mにあるこの橋からは、栗山ダムや今市の風景、筑波山などを望むことができ、早起きすれば関東平野から昇る日の出を見ることもできます。
    また、近くには登山道やハイキングコースが整備されており、春は新緑、夏は避暑、秋は紅葉狩り、冬はスキーと一年を通して楽しむことができ、休日には車で訪れる観光客で賑わいます。
    六方沢橋の前後に駐車場があるので、そこから歩くのが便利です。
(六方沢橋)
 六法沢橋から少し南下すると霧降高原の駐車場に到着。キスゲ平の草原にはニッコウキスゲが一面に咲いていて見事だった。リフトが運転されていて、ニッコウキスゲを楽ちんで楽しむことができた。
    霧降高原
    ニッコウキスゲをはじめとする高山植物の宝庫
    霧降高原は赤薙山(あかなぎさん)斜面に広がる標高約1200mの高原地帯。
    高山植物の宝庫で、ニッコウキスゲの群生地として知られており、6月下旬〜7月中旬には約26万株のニッコウキスゲが見ごろを迎え、黄色い花が一面に咲き誇ります。
    群生地のキスゲ平はハイキングコースが整備されているので気軽に散策も楽しめます。
(霧降高原リフト)
 高原から遠方を望むことはできなかったが、近くの山々が雲海に浮かぶ風景は墨絵のような味のある風情だった。
(霧降高原から)
 霧降高原から日光の町近くまで下ってくると、今度は「栃木の景勝百選 霧降の滝」があった。この滝は下から上までほぼ見えていて、いい眺めだった。
(霧降の滝)
 日光に出て今市を回って鬼怒川の三石山荘に戻った。一日、見ごたえのある観光地を走り回っての連泊、気持ちのいい宿になった。

6月25日(金) 
 三日目は川治温泉、田島を通って磐梯山の西麓喜多方迄一気に移動、ラーメン屋で昼食をとってから、鞍座敷美術館に入った。竹久夢二の作品をはじめとする日本画や書、陶磁器等を展示されていてゆっくり鑑賞。
(喜多方蔵屋敷美術館)
 蔵造りの会津うるし美術館博物館にも入ってみた。
(会津うるし美術博物館)
 中には多くの漆塗りの名品の数々が展示されており、漆塗りの天井から鴨居まで総漆塗りの部屋で漆塗りの家具にも囲まれてお茶の接待を受けた。
(うるし美術博物館内)
 16時半に猪苗代山荘に入って、入浴、夕食、部屋に戻って田島で買ってきたサクランボを1ケース食べてしまった。サクランボが美味しかったのか、日記に書いてあった。

6月26日(土) 
 猪苗代湖を望む高台にある山荘、対岸の山並みは雲の中だった。
(山荘から猪苗代湖)
 9時過ぎに山荘を出て、ゴールドラインへ。山湖台から猪苗代湖を展望。
 遠くの山々は霞んでいたが、すぐ上の磐梯山だけは全容を眺めることができた。
(山湖台から猪苗代湖)
(ゴールドラインから磐梯山横面)
 ゴールドラインをもう少し進むと、滑滝展望所があった。磐梯山を入れて撮った写真には滑滝が写っていない?
(滑滝展望所)
 和子の左に写っている谷間を拡大すると、左下の写真になりました。小さな滝が見えています。多分、滑滝。
 ゴールドラインで裏磐梯迄走ると磐梯山を裏から眺める展望台があった。爆裂火口の端から端までが、頭の部分だけを近くの山の上に覗かせている面白い光景。
(滑滝)
(裏磐梯)
 檜原湖湖畔で遊覧船を眺めて(乗らないで)記念写真。
 磐梯山噴火記念館の3Dワールドで、1888年の磐梯山の噴火の様子を大きなスクリーンで3D映像でながめ、空中に舞う巨石・すさまじい泥流。噴火を余地した動物たちの逃げまどう様子を体感させられた。
    円筒大スクリーンは、高さ4.5メートル長さ42メートル。超大画面空間に繰り広げられる立体映像の世界。音響効果も臨場感あふれる大迫力です。3Dにプラス1Dでより迫力ある映像を体験できます。 
(檜原湖遊覧船)
(磐梯山噴火記念館からの磐梯山)
 裏磐梯の名所五色沼には何度も行ったことがあるのでパス、裏磐梯から小野川湖沿いの磐梯吾妻レークラインを走っていく。峠道の脇に「涼風峠」と涼しそうな名前の標柱が立っていて、眼下には小野川湖の湖面が広がっていた。
 さらにレークラインを走っていくと「三湖パラダイス」の標柱が立っていた。
(涼風峠から小野川湖)
(三湖パラダイスから小野川湖と檜原湖)
 三湖パラダイスのすぐ下には大きく小野川湖が見え、その向こうには木立に遮られながらも広い檜原湖が見えていた。その向こうの山は八森山1150m?
 反対側には三つ目の湖秋元湖が見え、その後ろの双耳峰は櫛が峰1636・磐梯山1816。
(三湖パラダイスから小野川湖と檜原湖)
(三湖パラダイスから秋元湖、櫛が峰・磐梯山)
 レークラインを気持ちよく走っていくと、中津川渓谷に突当った。橋の上から中津川渓谷を眺めると、鬱蒼とした木々が茂る急な山肌に挟まれた谷筋がどこまでも続いていい眺め、その向こうに見える山は白布山1220.
 レークラインをそのまま東に向かい、高森川沿いの国道に入って南下、沼尻駅跡のところから東に向かう母成グリーンラインに入ると、すぐに沼尻温泉への別れ道があり、温泉街から更に奥に入ったところに安達太良山登山口の駐車場があり、ここから歩いていったところに白糸の滝展望台がある。写真では広い断崖の間から一筋の細い滝が流れ落ちていて綺麗な滝、それでもこんな小さな滝の情報、よくも見つけだしたものだ。猪苗代観光協会のHPには次のような案内がある。
    安達太良山から押し出された溶岩が断崖を作り、硫黄高山の跡地から湧き出た温泉水が一筋の湯の滝になって流れ落ちているのがこの「白糸の滝」です。
(中津川渓谷と白布山)
(白糸の滝と安達太良山)
 母成グリーンラインに戻って西に向かうと、母成達沢不動滝の展望台があった。多くの山々が見えているが、アルバムに記載なし、どこの山だろう。
 上の写真の右半分は、下の写真のと同じ山並みに見える。多分、吾妻連峰だと思われる。
(母成グリーンライン展望台)
 次には綺麗な達沢不動滝の写真がたくさん貼ってある。グリーンラインから滝までの道はmapには記載なし、どこから入って行ったのか母成峠辺りかと思われるが定かでない。
    達沢不動滝について
    安達太良山系船明神山に源をもつ不動川にかかる名瀑で、滝元には不動尊を祀っています。
    岩肌に沿って水がスダレのように流れ落ちる勇壮な男滝と、その西側にひっそりとたたずむ優美な女滝が好対照を見せています。
    鬱蒼と繁る樹木に囲まれ、普段は荘厳な雰囲気が漂っていますが新緑と紅葉の時期には特に美しく、多くの見物客で賑わいます。
    中ノ沢温泉から車で約15分、さらに徒歩10分で行ける美しい滝ということで大変に人気があります。
(大成不動明王)
(達沢不動滝)
(男滝)
(女滝)
 達沢不動滝を最後に母成グリーンラインで磐梯熱海に出て、高速道で那須ICまで走って明雲荘に入った。日記によると3時半宿に到着、洗濯機と乾燥機を借りて洗濯したとある。この頃から小まめだったようだ。

6月27日(日)
 今日は休養日、宿も貸し切り状態。朝風呂入ってから朝食、10時過ぎに宿を出て那須の街に出かけ、友愛の森で那須フェアーを楽しんで昼食後ドライブして宿に帰ったとあるが、この日の写真はなし。

6月28日(月)
 朝目覚めた時は朝日が出て上天気だったが、朝風呂貰って朝食頂いて出発するころには雲が出てきた。
 先ずは那須高原から沼原駐車場に入って沼原湿原ハイキング。一面の湿地だが、コースには木道が敷かれていて歩きやすい。
(沼原湿原)
(沼原湿原遊歩道)
 沼原湿原は花の名所、ニッコウキスゲ、コバイケイソウ、レンゲツツジなど色とりどりの花達が出迎えてくれた。
(沼原湿原の可愛いい花々)
 沼原湿原から那珂川沿いの深山ダム湖に下った。このダムは沼原湿原にある沼ッ原池を上池にする沼原発電所の下池として造られたものと思っていたが、netによれば主目的は灌漑用ダムだったらしい。
    明治時代より那須疏水事業等、強力に灌漑整備を行い農地面積の拡張を図って来た那須地域の灌漑整備であるが、戦後の食糧増産促進を図る為農林省は「国営那須野ヶ原土地改良事業」を施工。その水源として那珂川にダムを建設する事とし、下流の板室ダム(重力式コンクリートダム、16.8m)と共に1968年より建設が開始され、1973年に完成した。
    一方、電源開発株式会社は那珂川上流部に揚水発電所の建設を同時期に計画していた。1969年「沼原発電所建設計画」を発表し深山ダムを下池に利用し、上池として沼ッ原(ぬまっぱら)調整池を建設し最大出力675,000kWの発電を行おうとした。沼ッ原調整池の地質は透水性の高い火山性堆積物であること、ダムから調整池までの最高揚程が500mを超えること(当時の最大揚程は200m台であった)など技術的な問題はあったが、前者は深山ダムと同じアスファルトフェイシングダムとしたこと、後者は新規に大容量フランシス型ポンプ水車を開発、導入したことで解決した。沼ッ原調整池は、深山ダム完成と同じ1973年に完成、発電所も稼動した。
 沼原発電所のポンプ水車は当時としてはとんでもない高落差高揚程のポンプ水車で、計画発表とともに水車メーカが受注競争にしのぎを削った。日立も電発との共同研究を受注するために、水車性能だけでなく、応力集中、振動、共振など、模型での実落差試験をしたり、日夜研究に没頭したことを思い出す。ポンプ水車の落差が高くなると、ダムの容積が小さくて済むことにある経済的メリットが大きく、沼原以降ポンプ水車は高落差が主流になっていった。、
 発電所名 沼原
発電所形式 ダム水路式(揚水式), 最大許可出力 675,000kW, 最大使用水量 172.5m3/s, 最大有効落差 478m
(深山湖)
(深山湖=沼原発電所下ダム)
 深山湖の展示館に入って見学してから、那珂川を下って那須温泉神社のところから那須高原スカイラインに入って行くと「日光国立公園 乙女の滝」があった。河原に下りて記念写真。
    乙女の滝は、白笹山から流れる沢名川にある幅約5メートル、落差約10数メートルの美しい滝で、季節や水量によっていろいろな表情を見ることができます。
    滝の名前の由来にはいくつかの説がありますが、地元にはこんな昔話が残っています。
    昔地元の若い釣り人が沢名川に行くと、滝の上に盲目の美しい乙女が現れました。この話が村人に伝わり、後にこの滝の名前になったと言われています。またこの乙女は、沢名川の上流にある沼ッ原湿原の子守石に伝わる昔話と関係があるようで、盲目になった蛇の化身であるという伝説があります。
    他にも、滝のやさしく美しい流れが乙女の髪のように見えるという説や、滝壷に若い人魚が現れたという説などが伝えられています。
    清らかな水ときれいな空気に包まれて心も体もリフレッシュしたい方にお勧めのポイントです。
    夏は、滝からの天然のミストシャワーにより快適に過ごせます。
(乙女の滝)
 乙女の滝から横断道路に出て塩原まで移動して山の手に入ると塩原ダムがあり、大きなダム湖の中ほどに「もみじ谷大吊り橋」が架かっていて、広い駐車場があった。
 この橋を渡るのは有料で、料金所を通ると「もみじ谷大吊り橋」の模型を前に置いて記念写真のシャッタを押してもらえたが、模型に書かれたもみじ谷大吊橋の文字が半分欠けていた。
    吊橋を囲む雄大な塩原渓谷は、訪れた人を春夏秋冬、四季折々の美しい景観で迎えてくれます。もみじ谷大吊橋は、全長320メートルで無補剛桁歩道吊橋としては、本州最大級の長さを誇ります。
    無補剛桁歩道吊橋とは、吊橋にはいろいろなタイプがありますが、通常の橋は吊橋に架かる荷重を支えるための補剛桁などが設けてあります。この吊橋は、補剛桁ではなく、ワイヤーロープを横に張ることにより吊橋の強度を高める構造になっている歩行者用の吊橋です。
    大吊橋を渡った対岸の広場には、「恋人の聖地シンボルモニュメント」として、オスとメスのクマタカの像が設置されています。
(もみじ谷大吊り橋駐車場)
(大吊り橋記念写真)
 大吊り橋を往復して車に戻って箒川沿いを上っていくとトンネルの手前に駐車場があり、「回顧(みかえり)の吊橋」の案内板があり、塩原渓谷遊歩道入口とも書いてあった。
 回顧の吊橋までは崖のような坂の遊歩道を下って行かなければならなかったが、吊橋の上からの箒川の渓谷はいい眺めだった。
(塩原渓谷回顧の吊橋)
 回顧の吊橋を渡って少し歩くと回顧の滝観瀑台があり、箒川の向こうに細い滝「回顧の滝」が見えていた。
(回顧の滝)
 観瀑台の先にも遊歩道が伸びていたが、回顧の吊り橋を渡り返して急坂を登って駐車場に戻った。トンネル方向に進むと、トンネルの川側にも車道があり、箒川沿いを渓谷美を楽しみながら走っていくとトンネル道路と合流し、その先に留春の滝入口の駐車場があった。
 また急坂を下って行って短いつり橋を渡っていくと、滝をすぐ近くから眺めることができる「留春(りゅうしゅん)の滝」展望台があった。美しい滝だったが、落差15m、冬の3ヶ月間水が涸れ、晩春になって滝となっ たことからこの名が付いた。とのこと。

(留春の滝遊歩道)(留春の滝)
 駐車場に戻って箒川沿いの道をどんどん走っていき塩原温泉を過ぎると八幡神社があり、その境内に二本の巨大な杉「逆杉」が聳えていて、近くに行くと10mを超えるその太さに圧倒された。推定樹齢1500年、高さ40mあり、二本仲良く並んで立っていることから「夫婦杉」ともいわれるが、垂れや枝ぶりから「逆杉」の名が付いたとのこと。
 八幡神社の先で箒川沿いの道から分かれて日塩もみじラインをくねくねと走って南下すると、川治温泉高原に峠の茶屋白滝ドライブインの駐車場があった。駐車場から滝近くまで下りて「白滝」の看板を入れて記念写真。高さ15mほどで大きな滝ではないが、名前の通り白く見える綺麗な滝だった。滝壺の下の浅瀬が白い流れになっていて、車道の上から眺めると、白滝と連続した長い滝に見える、とのことだが写真がない。
(逆杉)(白滝)
 峠から日塩もみじラインをくねくねと下っていくと、今度は「太閤下ろしの滝」という一風変わった名前の滝があった。
    太閤秀吉がこの場所があまりの難所のため、馬から下りて通ったという説や、滝の美しさのあまり馬からという諸説が名の由来ともいわれています。
 二段になって流れ下る滝は水量も多く迫力あり、二つの滝壺が深緑色でいいコントラスト、見ごたえのある滝だった。
(太閤下ろしの滝)
 本日の観光はここまで、日塩もみじラインを下って鬼怒川沿いの道に出た頃から雨が降り出し、鬼怒川温泉、今市、日光、いろは坂と雨の中を走って、予約してあった中禅寺湖湖畔の「わらく荘」に泊まった。温泉は熱く、夕食は豪華だった。

6月29日(火)
 朝5時に目覚めて中禅寺湖眼下に眺めて6時に温泉入浴、朝食を頂いてわらく荘出発。
わらく荘(中禅寺湖)
 先ずは立木観世音を祀った中禅寺。境内の写真は残っていないので、時間なくて、立派な山門を眺めただけで次に向かった模様。
    中禅寺(ちゅうぜんじ)は、784年、日光開山「勝道上人」(しょうどうしょうにん)によって建立されましたお寺で、世界遺産「日光山輪王寺」(にっこうざんりんのうじ)の別院です。 御本尊「十一面千手観世音菩薩」(国重要文化財)は、勝道上人が中禅寺湖上に千手観音様をご覧になり、その姿を桂の立木に彫ったと伝えられています。観音様は、現在も地に根をはり、訪れる人々を穏やかな表情で迎えます。 また、坂東三十三観音霊場の第十八番札所として多くの巡礼の方たちもご参拝になります
(立木観音)
 湖の中禅寺湖スカイラインを上って中禅寺湖展望台に上がると、眼下に中禅寺湖が広がって素晴らしい眺め。
 更にスカイラインを上って終点の駐車場に車を停めて、600m歩いて半月山山頂の展望台にも登ってみたが、一面霧の世界!残念でした。写真も残っていません。
(中禅寺湖)
 スカイラインを下って中禅寺湖畔の北側に回って、金谷ホテルの先の湯川沿いの国道に入ると、二つの滝が並んで勢いよく流れ下っている「竜頭の滝」があった。
    竜頭ノ滝は奥日光三名瀑の一つとされる奥日光を代表する滝
    男体山の噴火によってできた溶岩の上を210メートルにわたって流れ落ち、幅10mほどの階段状の岩場を勢いよく流れる渓流爆です。
    滝つぼ近くが大きな岩によって二分され、その様子が竜の頭に似ていることからこの名がついたといわれています。(左右の滝の流れが竜のヒゲ)
 その気で滝を正面から見ると、滝の間に大きな目が二つ、その前に長い顎が伸びだしているように見えますね。
(竜頭の滝)
 遊歩道を竜頭の滝の上に上がっていくと、段差のある岩場を白波を上げながら流れ下っており、これも長い滝に見える。
 竜頭の滝の下流側も、白波を上げながら中禅寺湖へと流れ下っている。
(上流の湯川)(下流の湯川)
 竜頭の滝の駐車場から国道日本ロマンチック街道を走って、赤沼駐車場に車を入れてハイキングはじまり。戦場ヶ原からは男体山が全部見えて気持ちよく歩いて行けた。
(戦場ヶ原から男体山)
 戦場ヶ原の遊歩道を歩いていくと倒木が多くて、なんとなく戦場らしい感じを醸し出しているように思えた。
 林の中にも遊歩道が整備され、要所には案内板も立っていて、戦場ヶ原から小田代ヶ原に向かうことができた。
(戦場ヶ原の倒木)(案内板)
 湯の川の上流部を渡ったり、林の中を歩いたり、
(戦場ヶ原から小田代ヶ原へ)
 小田代ヶ原に出ると広い草原、草原の向こうには間隔をあけて植えられた低木が見える。何の木でしょう。
(小田代ヶ原)
 草原の周りには植林されたような見事な林があり、その上に見えている山は?白根山?
(小田代ヶ原)
 戦場ヶ原に戻ると平原に立木が多く、小田代ヶ原のように草原とは言えない。それでもそれなりの雰囲気がある。
(戦場ヶ原)
 赤沼茶屋に戻ってカレーライスの昼食をとって駐車場に向かうと、一面にニッコウキスゲは咲いているところがあった。
(ニッコウキスゲ)
 またロマンチック街道を登っていくと湯ノ湖があり、その入口の岩碧を「湯の滝」が落ちていた。高さが高く、水量も多くて迫力のある滝だった。
    湯ノ湖の南端にある高さ70メートル、長さ110メートルの滝で、湯川をせき止めて湯ノ湖をつくった三岳溶岩流の岩壁を湖水が流れ落ちる。
    滝壺目の前に観爆台があり、迫力ある姿を眺めることができます。

(湯の滝)
 湯の滝からロマンチック街道を少し戻ると東に別れる山王林道があり、少し入ったところに光徳沼があり、その奥に光徳牧場があった。
    奥日光、戦場ヶ原の北側に位置する光徳牧場。その一角に光徳沼があります。沼というよりは川に近い様相で、逆川の流れが堰きとめられて沼を形成しています。 沼は絶えず透き通った水が流れ続けており、周囲の木々とともに美しい風景を創り上げています。
(光徳沼)
 約3万平方メートルの広大な牧場で乳牛を放牧しています。絞りたての牛乳や名物のアイスクリーム、ハンバーグやステーキなどのグルメもお楽しみいただけます。
(光徳牧場)
 最終日は会社の保養所ではなくて、日光の名門ホテル中禅寺金谷ホテルに泊まって退職記念旅行の締め括りにしました。

6月30日(水)
 和子の日記によれば、この日は朝から大雨、車に荷物を持ち込むにもびしょぬれ、観光の日でなくてよかった。いろは坂では前に3台の観光バスがいて、カーブ曲がるのにゆっくりゆっくり、大行列になった。日光でお土産あさりして、今市、宇都宮を走っている間に雨は止んできたので、宇都宮の平和仏舎利塔に立ち寄った。高さ20mもある白い塔で、中に金色のお釈迦様がが祀られていました。
 宇都宮で昼食をとり、笠間から日立南ICまで高速に乗って無事我が家に帰ってきました。とのこと。
(塔)
 今回は写真のデジタル化は早くできていたのですが、アップするのにずいぶん時間がかかってしまいました。観光地点があちこちに散らばっていて、余り知られていない所もあったりして、観光ポイントごとに場所やコースの確認に時間を取られました。楽しい旅を振り返ることができて、嬉しい旅日記編集でした。次は、1999年8月1日〜22日までのパナマの発電所出張記録を報告します。


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