H81.北海道西南部観光ドライブ(1)

1.動 機 
 8月のパナマ出張が無事終わり、何度か近場の出張もしながら諸々資料ファイルを整理して9月20日をもって完全退職、会社のことは考えないでいい自由な身になった。早速、10月初めには北海道西部の観光名所を巡る7日間のドライブ旅行に出かけた。写真も多く、まとめに時間がかかったので2部に分け、今回は前半の3日間を報告します。

2.データ
a)山域:札幌、小樽、積丹、函館、洞爺湖、支笏湖 
b)登山日:
1999年10月4日(月):日立=福島空港=千歳空港=藻岩山=札幌=小樽、
10月5日(火):小樽=オコッペ洞窟=黄金岬=マッカ岬==積丹岬・島武島海岸=神威岬=岩内=小樽=朝里川温泉
10月6日(水):朝里川温泉=朝里川ダム=定山渓ダム=豊平峡渓谷=ふきだし公園=ニセコ高原=ニセコ=洞爺湖=昭和新山=有珠山=カンポ洞爺
10月7日(木):カンポ洞爺=駒ヶ岳=きじひき高原=大沼=日暮山=カンポ大沼
10月8日(金):カンポ大沼=トラピスト修道院=白神岬=松前藩屋敷=江差=ペンション函館村
10月9日(土):函館村=日浦海岸=恵山=鹿部間欠泉=駒ヶ岳四景=支笏湖国民休暇村
10月10日(日):支笏湖国民休暇村=オコタンペ湖=千歳空港=福島空港=日立、
(北海道西南部)

3.山行記録
10月4日(月)
 朝7時前に出発して高速に乗り、福島空港に車を置いて9時30分発の飛行機に乗って千歳空港へ、レンタカーを借りて11時30分ドライブに出発。
 先ずはカーナビを頼りに札幌の裏山藻岩山展望台まで上がって札幌の全景を展望した。
(藻岩山展望台)
 札幌市の市街に下って駐車場に車を置いて、名物の時計台や赤レンガの北海道旧庁舎を見て、北大構内に入ってポポら並木やクラーク卿の胸像を見て回った。
(時計台)
(北大ポプラ並木)
(赤レンガ・北海道旧本庁舎)
(クラーク胸像)
 駐車場に戻ってレンタカーで小樽に向かい、17時40分に予約してあった宿や越前屋に入った。夕食前に小樽市街散策に出かけた。
(小樽夜景)
(小樽オルゴール堂)

10月5日(火)
 朝食前に小樽運河と船見坂をお散歩した。小樽運河について
 小樽港は北海道開拓の玄関口として発展してきました。当時は、大きな船を沖に泊め、はしけ(台船)を使って荷揚げしていましたが、取り扱う荷量が多くなり、運搬作業を効率的に行う必要が出てきました。艀が接岸できる距離を長くするために、海面を埋め立てることによってできたのが「小樽運河」です。大正12年に完成しましたが、戦後になると港の埠頭岸壁の整備により、その使命は終わりました。
 昭和61年、運河は一部を埋立てられて幅の半分が道路となり、散策路や街園が整備された現在の姿に生まれ変わりました。散策路には63基のガス灯が設置され、運河沿いの石造倉庫群は当時の姿のままでレストランなどに再利用されています。
 運河の全長は1140mで、幅は道道臨港線に沿った部分は20m、北部(北運河)は当初のまま40mとなっています。
(小樽運河)
 次の船見坂について
 こう配15%を超える船見坂は、小樽でも屈指の急な坂です。市民は腰をかがめながら坂を登ります。
 明治37年、函館本線が全線開通しましたが、この年、稲穂町で大火が発生し、この大火により2000戸以上の家屋が焼失し、火は坂のすぐ近くまで迫りました。この火事がきっかけとなって駅前中央通りと龍宮通りとの中間に防火帯として、もう一本の道路を開削することになり、その結果誕生したのが船見坂でした。
 坂の上から振り返れば、その名のとおり小樽港に停泊する船を眼下に見ることができます。ここからの眺めは、小樽を舞台としたテレビや映画などに必ずといって良いほど取り上げられています。
(船見坂)
 朝食を頂いてから積丹半島の海岸巡りに出発、先ずは小樽の海岸、オタモイ海岸に立ち寄った。断崖絶壁の連続、素晴らしい眺めだった。
(オタモイ海岸)
 オタモイから海岸沿いの国道を走って隣の余市町内に入ったところにフゴッペ洞窟があった。岩山の前にカラス張りの案内所があり、洞窟にはこの建物を通って入るようになっていた。洞窟に入ると中は真っ暗、案内者の照らす明かりで、何とか人の形らしき模様を認めることができた。
世界的にも貴重な遺跡であるフゴッペ洞窟。5000年前の縄文海進による波浪侵食によってえぐられてできた海食洞で、続縄文時代後半に彫られたと推測される岩面刻画のほか、土器や骨角器、炉跡などもあります。
(フゴッペ洞窟)余市東
(洞窟内部の人型絵)
 余市の街中を通り過ぎた白岩町のトンネルの手前の海岸の浅瀬に、二つの岩・夫婦岩(えびす岩と大黒岩)が並んでいた。えびす岩は岩の上から下にかけて細くなり、海面すれすれのところは見ていて心配になるほどの細さ、手前に向かい合って立つ不動岩はどっしりと座り込んで安定感あり、上には小さな鳥居も立っていた。えびす岩が女房でこれを守るガッチリとした岩が旦那の不動岩、二つ合わせて夫婦岩と呼ばれる。
(えびす岩と大黒岩)
 夫婦岩の先の岬を通り過ぎると、沖に細く高く聳えるろうそく岩が見えていた。
積丹半島の海岸部分は断崖が連続し、その沿岸部には奇岩があちらこちら見られるが、このローソク岩も、そのような奇岩の1つに数えられる。海面から45メートルを超える高さでそそり立つ細長い特徴的な姿を持つ。岩質はハイアロクラスタイトと考えられている。岩の上には神社が存在する。その形状から、「天を指している」とも喩えられる。また人々の目を引いたことから、積丹半島(または、この岩が存在する自治体である余市町)のシンボル的な存在となっており、そして、観光資源の1つともなっている。昔はもっと太く、丸い岩だったものが、1940年8月2日の積丹半島沖地震の際に発生した津波のため半分に割れ現在の大きさになった。津波によって現在の形になる前は、この岩を「カムイ・イカシ」(男神)として崇め、女性が岩へ上がると不漁になると信じられていたので、そのような行為は禁じられていた。また、かつては、岩の周辺は千石場所と呼ばれニシンの良好な漁場であった。
(ローソク岩)
 ろうそく岩を見てからまた二つ長いトンネルを通ったところにセタカムイ道路防災祈念広場があり、振り返ると、断崖に隠れるように、沖に向かって立ち上がって犬が吠えているような形の岩が見えていた。
積丹半島を周回する国道229号線を余市町から古平町へ入ってすぐの海岸に「セタカムイの岩」が佇んでいる.アイヌの伝説では,漁から戻ることの無かった若者の飼い犬の化身とされる.海に向かっておすわりをして主人をまっているのだろうか.この悲しい伝説は「セタカムイ道路防災記念公園」に建てられた看板に記されている.「セタ・カムイ」とは「犬の神様」という意味のアイヌ語である.なお防災公園から先は立入禁止となっている.
(セタカムイ岩)
 セタカムイからまた海岸沿いを走っていくと美国という変わった名前の街があり、その漁港の西側が黄金岬だった。入口の門を潜って黄金岬展望台に上がると、すぐ先のビヤノ岬、更に続く積丹半島の断崖絶壁が見えていた。
美国港の先から海へ突き出した黄金岬へは遊歩道(410m)が整備され、3カ所の入り口から展望台を目指すことができます。展望台からは、青く澄んだ日本海と断崖絶壁が続く海岸線、さらに美国の街並みも見渡せます。
(黄金岬入口)
(黄金岬)
(黄金岬からの展望)
 積丹半島の最先端のまで県道を走っていくと荒野にぽつんと立つ灯台が見えてきた。この灯台が、積丹半島最北端に位置する灯台だった。
積丹半島の先端部、東西に海岸線が続いていますが、島武意海岸の東、少しだけ出っ張った場所が出岬です。積丹岬周辺の半島先端部には西側からルシ岬、積丹岬、出岬、ピリカ岬、マッカ岬という5つの岬がありますが灯台が建つのは、実はこの出岬のみ。 標高的にもピリカ岬(138.3m)に次ぐ、134mのピークの脇に建っています。
(積丹出岬灯台)
 駐車場に車を置いて遊歩道を歩いて積丹出岬灯台までいくと、眼下に展望台があった。展望台の先の海際には白い岩肌になった出島が綺麗に見えた。
(眼下に積丹出岬灯台展望台:)
 展望台まで下ってみると、上の写真の看板は積丹岬自然遊歩道案内図だった。
島武意海岸
「日本の渚百選」のひとつである島武意海岸は、断崖絶壁が続くなか唯一波打ち際まで下りられるスポットです。暗いトンネルを抜け、いきなり眼下に現れる鮮やかな海は衝撃的です。
地名はアイヌ語の「シュマ・ムイ」(岩の入り江)に由来する。積丹岬の突端から1kmほど東側に位置し、断崖絶壁に囲まれながらわずかな浜辺を有する。展望台までは歩行者が通行可能なトンネルを経由する。展望台からは階段で浜辺まで降りる。
 島武意海岸の遊歩道を写真に納めながら歩いた。 
(島武意海岸遊歩道@)
(島武意海岸遊歩道A)
(島武意海岸遊歩道B)
(島武意海岸遊歩道C)
(島武意海岸遊歩道D)
(島武意海岸遊歩道E)
 積丹半島の先端の積丹岬の反対側の神威岬に向かい、駐車場に入ると、こちら側の海岸も断崖絶壁だった。これが神威岬西岸の全体像。
 立て看板の神威岬の図の付け根左寄りに駐車場があり、何かの動物の頭をもじったみたいな絵が描かれていた。これがせいほくに伸びだしている神威岬の忠実な地図だった。
ムイとはアイヌの人々の言葉で神を表します。このカムイ(神威)という名が付けられている岬が、北海道積丹郡の突端にある「神威岬」。80メートルの海蝕崖が日本海に向かって伸びています。
(神威岬駐車場)
(神威岬)
 神威岬には入口門があり、ここから整備された遊歩道が下っていた。この門は昔は女人禁制だったらしいが、今はOK,二人で歩くことができた。
かつて神威岬は女人禁制の場所でした。神威岬には、この歴史を表す門が残っています。また、この岬は日本海最大の難所としても知られた場所です
岬の突端へは、駐車場から歩いて約20分。「チャレンカの小道」という散策路を通って行きます。ややアップダウンのある道なので、ソールの丈夫なアウトドアシューズで訪れるのがおすすめ
(神威岬入口:昔は女人禁制)
(神威岬へチャレンカの小道)
 「積丹半島先端神威岬の約10km南に鉞型に突き出し位置するジュウボウ岬の付け根付近一帯は、海岸を形成する奇岩が地の果てを思わせる荒涼とした霊場」という西の河原(さいのかはら)という名所がありますが、二人で仲良く並んで写真を撮っているのは、そこへ行くための駐車場脇の海岸です。西の河原へ行くには、ここから海岸沿いを歩いて道なき岩場を乗り越えなければならないので、今回のスケジュールでは無理。
 一緒に「シシャモナイ滝」の写真を載せたが、この滝はジュウボウ岬の向こうにあって、海に直接落ちる滝で、船から出ないと見ることができない。これは案内書の写真。

(西の河原駐車場から奇岩の岬・ジュウボウ岬)
(西の河原駐車場の海岸と大天狗トンネル)
(シシャモナイの滝)
 西の河原で5日の観光はお終い、山中の道を走って小樽に帰り、市内の朝里川温泉のかんぽの宿小樽に泊まった。露天風呂などでゆっくり汗を流し、山の幸、海の幸の贅沢な夕食を頂いて、一日の疲れは吹き飛んだ。

10月6日(水)
 朝湯に入って朝食を頂いてから6日の観光ドライブに出発、道道1号線(小樽定山渓線)乗って温泉街を抜けると、大きなループ状になった道を一回りした。いい眺めなので通り過ぎて駐車場から上からパチリ。この先の人造湖オタルナイ湖を堰き止めた朝里ダムの高さまでを近距離で乗り上げるために造られ、その姿が美しいので小樽市都市景観賞も受賞したとのこと。
(かんぽの宿小樽)
(朝里スカイループ)
 道道1号を走ってどんどん山の中に入って、定山渓温泉から豊平峡温泉まで国道230号を走った。目的地は豊平峡ダム、豊平峡温泉から山道に入り、豊平峡ダム入口の駐車場に車をおいて、豊平峡園地まで電気自動車に乗った。ダム入口からは一般車乗り入れ禁止。
(豊平峡電気自動車乗車券)
(電気自動車)
 豊平峡園地で電気自動車を下りると、すぐ脇が豊平峡ダムでダム周りに聳える高い岩壁が印象的だ、はるばるやって来た甲斐があった。
豊平峡ダムは札幌市南区にある、豊平川の治水や水力発電を目的として1972年に完成した高さ102.5mのアーチ式コンクリートダム。ダム湖は定山湖と名付けられ、札幌ドーム約30杯分の水を貯められる。支笏洞爺国立公園内にあり、ダム入口からダムまでの約2kmの距離は、環境保護のために一般車両・バイク・自転車の乗り入れが通年禁止、徒歩か電気バスを利用する。ダム周辺は切り立った岩盤斜面に囲まれた景勝地となっており、ダムの豪快な観光放流と合わせて壮大な景観を形成している。
(豊平峡ダム園地から)
(豊平峡ダムの上のレストハウスから)
 ダム園地から遊歩道を上ったところにレストハウスがあり、その前のテラスからはアーチ式ダムと定山湖の眺めが良かった。
(レストハウスからアーチ式ダムと定山湖)
 レストハウスから更に遊歩道を登っていくと渓谷展望台があり、ここから眺める定山湖は一段と綺麗だった。
(レストハウスのテラス)
(渓谷展望台)
 豊平峡の景色を堪能して豊平峡温泉まで引き返し、ここから国道230号を更に山奥に向かい、国道の最高地点の中山峠に着いた。雲で頭が隠れていたが、羊蹄山が綺麗に見えるところだった。国道230号は道央と道南を結ぶ幹線道路で終点は洞爺湖迄つながっている。
(中山峠・峠の茶屋から尻別岳と羊蹄山)
 さらに230号を走って喜茂別町から国道276に分かれて、羊蹄山の麓に向かった。
(えぞ富士・羊蹄山)
 羊蹄山の麓には透き通った水を湛えたふきだし公園があった。ふきだし公園は日本名水百選にも認定されているところ。
(ふきだし公園)
 公園から階段遊歩道を登っていくと湧水口が見えてきた。羊蹄山に降った雨や雪が地中に沁み込んで濾過された水が、溶岩の境目から噴き出しているところ。
 夥しい湧水が噴き出して滝のように流れ出していて、脇にはその湧水を木製の樋に引いた取り水口があり、多くの人がボトルを持って水を取り込んでいた。美味しい水を求めて毎日やってくる土地の人も多いらしく、売店では水タンクも売っていた。
(ふきだし公園湧水口)
(湧水取水樋)
 230号を洞爺湖迄走り、湖南の有珠山に向かった。麓からも有珠山の大きなの噴火口を伺うことができた。麓の紅葉も綺麗だった。

(有珠山山麓)
 R230を走って洞爺湖近くまで下ったところに観湖台があり、洞爺湖全景が綺麗に見えていた。
(観湖台から洞爺湖)
 も少し先に行くと、湖からの急斜面の上に造られた展望台、眼前に広がる洞爺湖全体を綺麗に見渡すことができた。向かいに写っているのが多分有珠山だ。
(サイロ展望台)
 洞爺湖の反対側に回り込んで、昭和新山の部落からロープウエーに乗って有珠山の火口縁に上った。
(有珠山洞爺湖展望台)
(有珠山火口展望台:向こうは洞爺湖)

 ロープウエーを下りたところが「有珠山洞爺湖展望台」、目の前に噴石が積み重なった有珠山が見えていた。
(洞爺湖展望台から有珠山)
 反対側には洞爺湖が見下ろせ、中の島迄の半分が見えていた。
(洞爺湖展望台から)
 火口縁を回って火口原展望台まで歩くと、有珠山の火口原全体を見ることができた。今でも少し蒸気が上がっているところがあったが、怖さよりもその広大な火口が美しく見えた。洞爺湖をバックにして。
(有珠山火口展望台:向こうは洞爺湖)
 ロープウエーを下りて、洞爺湖湖畔のかんぽの宿洞爺に入った。夜9時ごろには宿の窓から洞爺湖ロングラン花火大会を眺めることができた。
(かんぽの宿洞爺)
(花火祭り)
 写真の整理は要領よくやり終えたのですが、本文作成に入って写真の順序や観光地点の情報調査などの作業に意識集中できず、仕上がりに時間がかかってしまいました。脳の老化現象でしょうか。後半の編集作業は速く進めたいと思いますが、その前に、気分転換、久しぶりに我が家の夏の庭の花を紹介します。



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