H82.北海道西南部観光ドライブ(2)

1.動 機 
 今回は、1999年10月初めの北海道西南部の観光名所を巡る7日間のドライブ旅行の後半戦、北海道南端部を巡った4日間を報告します。

2.データ
a)山域:洞爺湖、大沼、白神岬、江差、函館、日浦海岸、支笏湖 
b)登山日:
1999年10月4日(月):日立=福島空港=千歳空港=藻岩山=札幌=小樽、
10月5日(火):小樽=オコッペ洞窟=黄金岬=マッカ岬==積丹岬・島武島海岸=神威岬=岩内=小樽=朝里川温泉
10月6日(水):朝里川温泉=朝里川ダム=定山渓ダム=豊平峡渓谷=ふきだし公園=ニセコ高原=ニセコ=洞爺湖=昭和新山=有珠山=カンポ洞爺
10月7日(木):カンポ洞爺=駒ヶ岳=きじひき高原=大沼=日暮山=カンポ大沼
10月8日(金):カンポ大沼=トラピスト修道院=白神岬=松前藩屋敷=江差=ペンション函館村
10月9日(土):函館村=日浦海岸=恵山=鹿部間欠泉=駒ヶ岳四景=支笏湖国民休暇村
10月10日(日):支笏湖国民休暇村=オコタンペ湖=千歳空港=福島空港=日立
(北海道西南部)

3.山行記録
10月7日(木)
 カンポ洞爺湖を朝8時半に出発して長万部ICまで高速に乗り、内浦湾沿いの国道で駒ヶ岳近くの鳥崎川まで走り、鳥崎渓谷の奥まで車で入った。鳥崎渓谷の道沿いには崖が続き、この断崖も鳥崎渓谷八景の一つになっていた。(和子の日記に「長万部ICで高速を下りた。」とあるのは誤記かと思ったが、調べてみると、1999年には高速は長万部迄しか開通していなかったようだ。)
 ダムサイトに駐車場に車を停めて少し奥に入ると、八景の最奥部の上大滝があった。
(鳥崎渓谷 屏風崖)
 鳥崎渓谷を出てから南下して行くと、本日の見物駒ヶ岳が見えてきた。何枚もシャッタを押した。
(駒ヶ岳が見えてきた)
 駒ヶ岳に上る積りで車道を登山道に向かって走ったが、「火山噴火のため登山禁止」の立て札があり、車道も通行止めの柵がしてあり、やむなく引き返した。
(駒ヶ岳へ)
(登山禁止)
 南下して大沼を過ぎたところから枝道に入って、きじひき高原管理棟で入園許可をもらって入場、展望台に上がって大沼、小沼、駒ヶ岳、函館山と素晴らしい眺めを楽しみながら、手持ちの食料で昼食をとった。 
 遠くに浮かぶように見える山は函館山。
(きじひき高原展望台@函館山)
 駒ヶ岳は残念ながら殆ど雲に隠されていた。
(きじひき高原展望台A駒ヶ岳)
 駒ヶ岳の右には、隠れ気味にじゅんさい沼・一番向こうに大沼・その手前に小沼の三つの沼が見えていた。

(きじひき高原展望台B駒ヶ岳・じゅんさい沼・大沼・小沼)
 その更に右にはなだらかな横津岳が見えていた。なだらかで目立たないが、標高は1167mあって、1131mの駒ヶ岳よりも高い。
(きじひき高原展望台C横津岳)
 15時過ぎに一旦カンポ大沼に入ってから、日暮山、大沼辺りを見て回った。

(日暮山から)
(日暮山)
(大沼国定公園@)
(大沼国定公園A)
(大沼国定公園B)
(大沼国定公園C)
(大沼国定公園D)
(大沼国定公園E)
(大沼国定公園F)
 20時頃函館山へと出かけ、ロープウエーで21時20分山頂へ。100万ドルの函館の夜景を10分間眺めてカンポ大沼に帰った。次の日函館に泊まる予定だったのに、どうしてこの夜はるばる出かけたのか、天気予報で明日はお天気が悪かったのかも。
(函館山)
(函館山展望台)
(100万ドルの夜景)
(100万ドルの夜景)

8日
 朝起きた時は雨が降っていたが、8時半にカンポ大沼(大沼簡易保険保養センター)を出るころには晴れ渡ってきた。今日はトラピスト修道院―白神岬ー松前城ー松前藩屋敷ー昼食にしんそば松前そばー江差へ出かける予定。
(カンポ大沼)
トラピスト修道院
内部正面には、頑丈な鉄柵と左右の出入扉が設置されていて、院内には立入りできない。
 鉄柵にはラテン語と日本語の飾り文字が取り付けられていて格調を高めている。
 MONASTERIUM BEATA MARIA VIRGINIS DE PHARO
 灯台の聖母トラピスト修道院
− 修道院の創立 −
 1891年4月17日 函館教区発足 A. ベルリオズ初代司教(日本に帰化し、岡田普理衛と名乗る。)
 新修道院は、 付近の葛登志灯台 に因み、「灯台の聖母修道院」と命名され、創立当時は、石だらけの荒野で痩せた土地での農地開拓であったがスシス助修士が開通後まもないシベリア鉄道を使い、オランダからホルスタイン種5頭を連れて帰院したのが道南の酪農の始まり。
1920年(大正9) 初代修院長・岡田普理衛は三木露風の講師就任を要請し、露風は5月末に、なか夫人を同伴して着任した。本館下の当別教会に並ぶ土地に露風宅があり、「赤とんぼ」や「野ばら」は当別で書かれた。
1974年(昭和49) シトー会の伝統を生かし、新典礼に即応した新聖堂が落成した。
1968年(昭和43)「ミサ」がラテン語から日本語に変更された。
(灯台の聖母トラピスト大修道院本館)
(トラピスト修道院正門)

(トラピスト修道院正門)
(トラピスト修道院への杉とポプラの並木)
 次は渡島半島の西南端の白神岬
松前町にある北海道最南端の岬で、本州最北端の大間崎(下北半島)から15kmほど南に位置しています。対岸の津軽半島最北端の竜飛崎からは19.2kmで、晴れていれば本州を眺望します。国内で見ることができる野鳥500種類のうちセンダイムシクイ、メジロ、マヒワなど300種類を観察する渡り鳥の聖域で、松前矢越道立自然公園に指定。
 標柱には「北海道最南端」の標柱が立っていた。
(白神岬:標柱には北海道最南端)
 命がけの参勤交代
 北海道の南端である白神岬と、本州の北端である龍飛岬との間には津軽海峡が横たわっていますが白神岬と龍飛岬の間には、流れの速い潮があり、船乗りの難所になっていました。
参勤交代で松前藩主が、荒海を越えて無事に津軽に到着すると、狼煙(のろし)で松前に知らせが届き、藩士は登城して藩主の無事を祝ったほど。まさに命がけの参勤交代だったのです。
 右の写真は左の写真の白っぽい案内図を撮ったもので、北海道が下、普通の地図とは南北が逆になっています。
(白神岬)
(津軽海峡・南北逆向きです)
松前城
我が国で最後に築城された日本式城郭
松前家初代藩主・松前慶広がこの地に築城したのは、1606年のことです。その後の火災や修築などを経て、1849年7月10日、17世藩主・松前崇広は外国船の出没に備え津軽海峡の警備強化を図るため、幕府から築城を命ぜられ、城主大名になりました。5年がかりで福山館(ふくやまだて)の修築を重ね、1854年に松前城は完成しました。当時は新しい城を造ることが全国的に禁止されていたため、松前城の築城は極めて異例なことでした。
海からの攻撃に備える松前城
松前城は本丸・二の丸・三の丸からなり、本丸東南隅には三層の天守が築かれました。三の丸には海に向けて7基の砲台が置かれ、城外にも9砲台25門の大砲が配備されていたことから、海からの攻撃への備えを重視していたことが分かります。城を持つということは、松前藩にとっては名誉なことでしたが、その築城費15万両は後の藩財政にとって重い負担となりました。
天守内部は資料館に当時の町並み、藩政時代の鎧や衣服などが展示
松前城は1941年に国宝に指定され、戊辰の役や開拓使の取り壊し、太平洋戦争にもかろうじて残った松前福山城天守閣でしたが、1949年6月5日未明に松前町役場から出火した飛び火により焼失してしまいます。現在の天守閣は、町民の切なる願いと、全国からの善意により1961年に再建されたものです。現存する本丸御門は、国の重要文化財に指定されています。


(松前城)
(松前藩冲之口奉行所)
 松前藩屋敷
松前の五月は江戸にもない」とうたわれた、藩政時代の松前。その姿を今に再現したのがテーマパーク「松前藩屋敷」です。
ここに再現された江戸時代の町並みは、全部で14棟あり、入館料は大人360円だった。


(松前藩屋敷入場券)
 藩屋敷に入って、松前藩で北前船で財を築いた近江屋に入って記念写真を撮ってもらった。
(藩屋敷の宿屋にて)
(松前藩屋敷に家並み)
(民芸品即売所)
 本来の自身番小屋は目明の勤務場所であったが、松前市街の自身番小屋は、火の見番所であった。
 したがって番所内には火の見番が居り、夜は拍子木を叩いて町内を「火の用心」ふれて歩き、火災を発見すると半鐘を叩いて、消防組員が町内に知らせまわった。小屋のなかには、龍吐水(腕用ポンプ)をはじめ刺子、馬穴、布馬穴、天水桶、鳶口、鋸、丸太、提灯等が備えられていた。海岸で風の強い松前では、一度出火すると消す方法がなく、延焼しそうな先の家を潰してしまう破壊消防が消火の方法であった。
(自身番小屋)
 松前町から日本海岸沿いを50kmほど北に走って、江差町の江差追分会館に入り、百畳敷もある広いホールで地元の全国大会優勝者や師匠等が唄う本場の江差追分を聞くことができた。
江差追分会館 
「江差追分」は北国の厳しい自然と生活の中から生まれた人間讃歌であり、先人から引き継いだ、この地方文化の華を正しく保存伝承するため、昭和57年に町民や追分愛好者の厚意によって「江差追分会館」が建設されました。

 江差の街中から出島(かもめ島)の江差海の駅の先に復元展示してある開陽丸を見学した。

(開陽丸をバックに記念写真)
 江差追分会館の近くには旧家横山家があり、中に入って豪商の気分を味わった。
横山家
横山家は初代から数えること200年が経過しています。初代は天明6年(1786年)現在地において漁業、商業、回船問屋を営んでいました。現在の建物は今から約160年前に建てられた家屋で、昭和38年に道の文化財指定を受けました。母屋と四番倉にはニシン漁全盛期のころに使用されていた生活用具などが陳列しており、当時の暮らし振りを今に仕える貴重な建物のひとつです。
(横山家の前:屋号は「いち・やま・ちょう」)
(横山家の部屋)
(背負い金庫)
(とび口と草履)
 江差から函館まで山の中の国道227を走ってペンション函館村に泊まった。部屋は必要最低限ですが、共有スペースでもゆっくりできますし、殆ど観光に外出するので、寝るには全く問題なしです。お風呂も小さい一般家庭用ですが貸し切りで使用できました。安い宿が少ない函館の中心部で、コスパの良い貴重な宿だと思いました。

9日
 翌朝「ペンション はこだて村」の前で記念写真。
(ペンション函館村)
 朝一番函館駅前の函館朝市に出かけて朝食をとった。

規 模  1万坪(3ヘクタール)
出店数  連合会に加盟している店舗(約150店舗)と加盟していない店舗(約100店舗)の約250店舗。加盟店では函館朝市の信用と秩序を保つ連合会推奨店看板(あさいっちゃんマーク)を掲げております。
特 色  蟹や鮭をはじめとした海産物や農園からの直売品など北海道ならではの鮮度の高い商品を販売。又、鮮度抜群の海鮮丼などが味わえる食堂もあり函館の代表的な名物エリアとなっている。

 朝食後、埠頭周りを歩いて、赤レンガ倉庫や函館山を眺めながら散歩した。
(金森赤レンガ倉庫)
(函館山)
 ペンションに戻って車で観光ドライブに出かけた。先ずは函館から東に向かい、渡島半島の東南端日浦岬観光。
日浦岬には安山岩の柱状節理の岩塊が広がっていて、岩塊の上の危うげなところに灯台が立っていたり、見所が多かった。
(日浦岬)



 岬のすぐ東で国道は長いトンネルになるが、海岸沿いに延びる県道函館恵山線に入った。県道にも短いトンネル日浦洞門があった。洞門の先には「三太郎泣かせ」の伝説がある奇岩も見られた。
(手掘りの日浦洞門)
 尻岸内川の手前でまた国道と交差し、ここからは海岸沿いをまた国道を走っていくと「なとわ・えさん」という道の駅があり、その海浜公園からの恵山の眺めがなかなか良かった。
((なとわ・えさん)展望台からの恵山の眺め)
 恵山町の街に近くなると、国道は恵山の手前で岬を避けて北の山の手に入り、恵山町へはまた県道、恵山の町中から曲がりくねった山道を登って行くことになった。登り切ったところに「恵山 展望台」があったが、初めに写真を撮ったこの展望台は、Google Map では「海峡展望台」となっているところで、眼下に津軽海峡が広がり、海峡の向こうに霞加減に見えているのは下北半島の恐山塊だろう。写真に写っている展望案内図にも津軽海峡の絵が描いてある。
(恵山展望台:海峡展望台)
 海峡展望台からも振り返れば恵山火口の頭を見ることができたが、更に進んだところに駐車場があり、ここから山靴に履き替えて遊歩道を歩いていくと、火口の縁まで出ることができたが、火口のあちこちから噴炎が上がっていて、山頂まで登るのは諦めて下山した。


(恵山展望台のブログ)
(恵山の火口)
 一旦恵山町に下って、国道に戻って内浦湾側に出て駒ヶ岳に向かって西走した。駒ヶ岳の近くまで走ると道の駅「しかべ間欠泉公園」の白壁の館風の建物があった。
 道の駅の内庭に入ると、間欠泉が丁度噴泉が噴き出しているところを見ることができた。
国内でも珍しい天然の間歇泉。噴出高は約15メートル!飛び出す湯温は103度!息を呑む脅威のミラクルショーをご覧いただけます。2018年11月1日にしかべ間歇泉は北海道遺産に認定されました。
(しかべ間欠泉)
 鹿部の間欠泉を見てから、駒ヶ岳の周りを走って長万部ICから高速に乗った。駒ヶ岳を眺めたのはこれが最後だった。
(駒ヶ岳見納め)
 鹿部町から駒ヶ岳をぐるりと回れば、「駒ヶ岳四景」を眺めることができたらしいが、時間なくて西側からの写真を撮って見納めにしたようだ。
 有珠山SAで休憩、苫小牧西ICで高速を下りて支笏湖畔国民休暇村で宿泊した。日記には「樽前山は火山活動が活発で登山自粛」とある。

10日
 朝起きるとお天気が良かったので、朝食前に支笏湖一周しようと出かけた。しかし、オコタンペ湖を通り過ぎたところのトンネル工事で一周できず、オコタンペ湖観光。
(支笏湖の展望:恵庭岳)
(風不死岳 )
(紋別岳)
 オコタンペ湖は、阿寒湖近くのオンネトー、然別湖近くの東雲湖と並び、北海道3大秘湖と称される神秘の湖です。
恵庭岳の西山麓にある周囲5km、最大深度21.1mのせきとめ湖で、鬱蒼と繁る原生林に抱かれ、天候や見る角度・時間によって、湖水の色がエメラルドグリーンやコバルトブルーなどに変化して見えます。
 オコタンペ湖周辺の森林は、針葉樹と落葉広葉樹が自生している針広混交林となっています。多様で原生的なこの天然林を保存するため、森林生態系保護地域(森林法)に指定されています。
 また、支笏洞爺国立公園の特別保護地区(自然公園法)にも指定されており、豊かな自然環境が保全されています。オコタンペ湖は道道78号側にある展望台から眺めることができます。
(オコタンペ湖展望台@)
(オコタンペ湖展望台A)
(オコタンペ湖展望台B)
 支笏湖国民休暇村に帰って朝食をとり、9時に出発して9時40分千歳空港へ到着。レンタカーを返して搭乗口に向かったが、車の中にカメラを忘れてパニック。次のバスで届けてもらって解決、11時20分千歳空港発、12時40分福島空港に到着、駐車場に預けていたマイカーを出して、途中昼食をとって、17時30分我が家に無事到着。お疲れさまでした。
(支笏湖国民休暇村)
 次は1999年11月3日から14日まで12日間、浜名湖から中国地方、四国とドライブに出かけた記録を報告する予定です。


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