H84.中国地方・四国・中部地方ドライブ(1)

1.動 機 
 今回は、1999年11月3日に横浜で高等学校の同期会、11月6日に広島県の三原で久井中学校の同期会が行われるとの案内が来て、ついでに四国と途中の中部地方を観光ドライブしてこようと11泊12日の二人旅を計画した。例によって写真が多いので、横浜、浜名湖、三原から、しらなみ街道までの@〜Dを第(1)報とし、四国地方のD〜Gを第(2)報、帰りのH〜Kを第(3)報と分割して報告します。

2.データ
a)山域:b)登山日:(地図の観光地にNoを打ったので、計画表にもNoを付けた)
中国地方・四国・中部地方ドライブ観光地点

3.山行記録
@11月3日(水)
 9時半我が家を出発、日立南ICから常磐道に乗り、三郷から首都高に入り、大黒ふ頭、ベイブリッジ、本牧埠頭、山下公園で高速を下り、パークホテルの駐車場に車を置いて中華街で昼食をとった。
 私が一人で綱島の世羅高在京生同期会に出かけた後、和子は一人で山下公園、元町、中華街を散策したとのことだが、私がいないと写真の枚数は少ない。。

(中華街)
(マリンタワー)



(氷川丸)
 私の綱島での世羅高在京生同期会については写真が一枚も見つからない。毎年11月3日に行われるのだ恒例になっていて、4年前1995年の同期会の写真を見つけ出した。日記では1999年は男性10名女性5名とあり、1名少ないだけなので参加者はほぼ同じメンバーだったと思われる。
(世羅高等学校在京同期会メンバー(1995年のもの))

A11月4日(木)
 横浜パークホテルを7時40分発、東名高速に乗り途中富士川SAで休憩して浜松西ICで高速を降り、舘山寺ロープウエーに乗ると、浜名湖の小さな凹み内浦の上を通って大草山山頂に着いた。
(舘山寺ロープウエー)
 山頂には展望台があり、そこで撮った記念写真があるが、南アルプスが見えたのかどうか写真は残っていない。
(大草山山頂)
 大草山の山頂からの展望写真の手前に写っているのが浜名湖で、その向こうの市街越えに見えるのは太平洋だと思って見ていたが、その向こうにも陸地が見えているので一寸おかしい。地図を調べて見直してみると、手前の広い湖面は内浦で、街の向こうに見えるのが浜名湖、太平洋は霞んでこの写真には写っていないようだ。
(浜名湖展望写真)
舘山寺聖観音の大きな菩薩像の写真は、舘山寺ロープウエーで登った大草山の上に立っているのだと思っていたら、観音寺はロープウエー下駅近くにある小高い丘の上に建っている古刹らしく、大草山をロープウエーで下ってからお参りしたようだ。上の展望写真の右端のビルの右にあり、この写真からはちょっとだけ外れていて残念。
御本尊
福一万願虚空蔵菩薩:無限の知識と慈悲をもち、知恵と福徳を授けてくれる仏さま。丑と寅年の守り本尊:虚空とは妨げるものが無く無限の空間を意味する仏教語
鎮守
秋葉三尺坊大権現:火を操る力をもつ火伏せの神さま
(舘山寺聖観音)
(観山寺)
 舘山寺弁天島線の車道を浜名湖ガーデンパークまで走って、浜名湖大橋を撮った写真が格好いい。
(ガーデンパークからの浜名湖大橋)
(浜名湖大橋)
 浜名湖大橋を渡って弁天島から新居町に入ったところに、新居関所があった。
 新居関所(今切関所)は慶長5年(1600)徳川家康により創設されました。幕府は江戸を守るため全国に53ヶ所の関所を設け、「入鉄砲と出女」に対し厳しく取り締まりをしました。特に新居関所は約100年間、幕府直轄として最高の警備体制が敷かれていました。鉄砲など武器の通行ではもちろんのこと、当関所に限っては江戸へ向かう女性(「入り女」)にも「手形」が必要で、不備が見つかれば通ることはできませんでした。
 当関所は江戸時代中期に、自然災害で2度の移転を強いられました。現在に残る建物(「面番所」)は、嘉永7年(1854)の地震でそれまでの建物が倒壊したあと、安政5年(1858)までに再建されたものです。明治2年(1869)に関所は廃止されましたが、明治〜昭和にかけて学校や町役場として使われ、当時の建物が日本で唯一そのまま残る関所としての歴史的価値が高く評価され、大正10年(1921)国の「史蹟」に、昭和30年(1955)には改めて国から「特別史跡」に指定されました。
 箱根の関所と同格の東海道53次の重要な関所で、歌川広重の「東海道五十三次・荒井(新居)」にも描かれるだけあって、外から見ただけで見に来た甲斐があった。
(新居関所)

 新居関所から湖畔沿いを少し北に上がったところに本興寺があった。
 開山は永徳3年(1383年)、国指定重要文化財の本堂は、天竺・唐・和三様式の建造物で、室町期の遺構をとどめています。
(本興寺)
 日本庭園があり、小堀遠州の作庭とも言われる。この遠州流庭園は大書院や久世家の奥書院に映えている。
 本堂近くにある歌碑 「水の音 ただにひとつぞ 聞こえける そのほかはなにも 申すことなし」 北原白秋
(本興寺のお庭)
 大書院には谷文晁の四季山水の障壁画、襖絵15面があり、奥書院は江戸初期の奥方の住まいを現代に伝えています。
(本興寺の室内)
 本興寺を出て、日立浜名湖荘に入ってゆっくり静養。
(日立浜名湖荘)

B11月5日(金)
 三日目は浜名湖莊を8時30分出発、三ケ日ICから東名、名神、中国、山陽と高速を繋いで倉敷ICまで走った。途中、多賀SAと三木SAで休憩したので倉敷ICを下りたのは14時過ぎ、予約していた園田旅館に駐車させてもらってすぐ近くの倉敷美観地区を歩きまわった。
 倉敷川沿いに古い商家や蔵屋敷が立ち並んで、並木との調和もよく落ち着いた風情があった。中には洋館づくりの建物もあって変化もある町並みだった。
(倉敷の古い家並み@)
(倉敷の古い家並みA)
(倉敷の古い家並みB)
(倉敷の古い家並みC)
(倉敷川の川面)
 倉敷美観地区の一角に、広い敷地を持つ大原美術館があり入ってみた。
 ギリシャ神殿風の正門の前でロダンの銅像2体と一緒に記念写真を撮っている。
(大原美術館本館入口のロダン像)
 アルバムには大原美術館の境内図も入っていた。美術館のスケールの大きさが良くわかる。
(大原美術館)
 工芸館では棟方志功の版画、芹沢_介の染め物を見て、
(工芸館)
 奥の分館前まで入ると、広場に「歩く人」と「横たわる母と子」の彫像があった。「歩く人」は頭がなくても男の人と分かるが、「横たわる母と子」の方はこの写真では母親の頭がどれで、子供がどどこにいるのか、実物を見ないと分からない。
(歩く人)
(横たわる母と子)
 この日はそのまま園田旅館に泊まった。

C11月6日(土)
 園田旅館を8時15分発、倉敷ICから高速に乗り三原久井ICを9時15分におりた。少し時間にゆとりありと、途中、ふるさとの名刹仏通寺に寄り道した。
佛通寺(ぶっつうじ)は、広島県三原市にある寺院で、臨済宗佛通寺派の本山。山号は御許山。本尊は釈迦如来。中国三十三観音霊場第十二番札所、山陽花の寺二十四か寺第二十一番札所。
(仏通寺)
 紅葉の名所でもあるらしく、境内全体で撮った綺麗な紅葉の写真がいっぱい残っている。


(仏通寺の紅葉)
 久井について先ず分家で川本家のお墓のお守をして頂いている十四男さん宅に挨拶に伺った。お隣のうちの敷地も買い取ったとのことで、庭が随分広くなっていた。手入れも行き届いていて綺麗だった。
(十四男さん宅の庭)
 あちこちに分散していた川本家のお墓が一か所に集められ綺麗になっていた。頭が下がった。
(川本家の墓地)

 十四男さん宅で、土地の料理屋に注文したちらし寿司で昼食を一緒にとり、12時半から私一人稲荷神社での久井中学校同期会のお参りに参加した。
久井稲生神社
938年に創建された伏見稲荷大社の分霊としては最も古い神社と伝えられ,1557年,戦国大名の毛利元就によって本殿が造営され、3年後の1560年に,元就の三男小早川隆景によって社殿が造営されました。 三原城主であった小早川隆景は,1585年に「紙本墨書大般若教」を奉納し,その後,これらの経巻は,県の重要文化財の指定を受け,今日まで大切に保管されています。 毎年2月には,「御福開祭・はだか祭り」,7月には,「ぎおん祭のおどり」(県指定無形民俗文化財),10月には,「御当(おとう)」(国記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に指定)が開催されることでも知られています。
 久しぶりに顔合わせした仲間、話が弾んでお参りの後に記念写真をとるため集合するのも大騒ぎだった。この夜行われる、みはらし温泉での同窓会に参加した仲間の多くがこのお参りにも参加していた。
(稲荷神社にお参り)

 お参りの後、いったん解散、私は和子を私の母校少し山奥にある世羅高等学校に案内した。世羅高は駅伝の伝統校で、全国大会で第1回大会、第2回大会と連続優勝、その後も毎年のように広島県代表になって出場し、全国優勝も何回もしている。懐かしい世羅高に行くと「必勝がんばれ世羅高」の垂れ幕がかかっていた。
(必勝頑張れ!世羅高等学校)
 そのあと三原市に下り、駅前のステーションホテルに下ろして、私は同窓会が行われるみはらし温泉の魚三昧に向かった。
(三原市に下ってみはらし温泉魚三昧で同窓会)
 夫々チェックインして部屋に入って歓談等自由行動、時間になって宴会場に集まった。私の部屋は温泉に入ったので、私は部屋着で参加、正装で参加の仲間が多い中で目立っていたかもしれない。
(みはらし温泉魚三昧で宴会)
 翌朝、みはらし温泉魚三昧の前で記念写真を撮って同窓会は解散になった。写真を見ると、この年は還暦の年だった。1999年のアルバムを見直して書いてきたこのHPには還暦の(か)の字も出てこなかった。
(還暦同窓会全員集合)

D11月7日(日)
 7日朝、集合写真を撮ってからステーションホテルに泊まった和子を乗せ、次の尾道に向かった。尾道と言えば千光寺、千光寺にお参りして千光寺山の観光コースを歩いた。

(尾道)
(千光寺)
 展望台の下には尾道の街が広がり、その向こうに細い尾道水道の向こうに向島が見え、向島の左端には長い新尾道大橋や巨大な日立造船の工場が見える。天気が良ければその向こうに四国も見えるのだが。
(千光寺展望台)
 千光寺には巨岩奇岩が多いが、本堂の裏にある大きな岩が三枚重なった三重岩が目を惹いた。
 文学の小径という登り道があり、道沿いには尾道を訪れた文人たちの歌碑などを見ることができた。

(徳富蘇峰歌碑)
(三重岩)
(林芙美子放浪記)
 千光寺観光をしてから、四国に渡るのに船を使わないで、しまなみ街道を走って渡った。しまなみ海道は尾道ー向島ー因島ー生口島ー大三島ー伯方島ー大島ー今治市と6つの島を橋で繋いだ高速道。
 しまなみ海道1999年の春に開通したばかり、広島空港が宣伝している「飛んでGOドライブ」が、今政府が進めている「GoToトラベル」に語感が似ている。政府が真似したの!?
 因島大橋は因島ICで降りて、因島大橋記念公園から
(因島大橋@)
 多々良大橋は生口島南ICで降りて、瀬戸田の浜道から、
(因島大橋A)
(多々良大橋)
 最後の来島大橋は大島南ICで降りて、亀老山展望台からパチリとやった。
(来島大橋)
(来島海峡大橋展望デッキ)
(亀老山展望台)
 大島にある亀老山展望台に登るのは来島大橋を眺めるのだけが目的でなく、瀬戸内海の島々の眺めや、四国本土の石鎚山を見る楽しみもあるようだ。
(亀老山展望台)
 来島大橋を渡ると四国に入るので、5日目の途中ですが(1)部は終わりにします。次(2)部は松山から4日間、四国各地の観光名所を走り回って高松の五色台に泊まるまでのを報告します。


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