房総半島

H93.房総半島ドライブ

1.動 機 
 2000年の1月になって孫のお守などで忙しく家の中ばかり、そろそろどこかに出かけようと相談、冬でも日立よりずっと暖かそうな外房総に2泊3日のドライブ旅行に出かけることにした。

2.データ
a)山域:b)登山日:(地図の観光地に、訪問日ごとに色違いのアンダーラインを引きました。)
(房州ドライブ観光地点)



3.山行記録
 房総ドライブの前に、1999年のうちに紅葉狩りに出かけた時の写真を一枚づつ載せておきます。
 11月19日に毎年何回も出かける紅葉の名所花園渓谷。朝から四国ドライブのアルバム整理をしていたが、天気がいいのにもったいないねと、日立北部に住んでいた義母と一緒に花園神社に出かけた。人出も少なく楽しい昼食をとって素晴らしい紅葉を楽しんだ。浄蓮寺渓谷にも行ったが、途中で通行止めで引き返しました。
 11月21日には笠間の陶器市に出かけ、その後岩間の愛宕山の山頂にある愛宕神社にお参りした。山頂近くまで車で行けるが、麓から歩いて登って紅葉も楽しんだ。
(花園渓谷1999/11/19)
(愛宕神社1999/11/21)

2月7日(月)
 朝食後テレビの朝連続ドラマを見て、9時15分我が家を出発した。鹿島、銚子と海岸沿いの国道を走って君ヶ浜に11時半到着。広い太平洋の大展望が広がり、犬吠灯台も見えていた。
君ケ浜は、犬吠埼に隣接した約1キロの海岸線で、白砂青松と豪快な太平洋が眺望できる地であり、別名「関東舞子」の愛称で文人墨客に愛され、若者や家族連れなどの憩いの場となっています。
犬吠埼君ケ浜海岸が平成8年7月、「日本の渚・百選」に選ばれました。
(君ヶ浜から太平洋)
(君ヶ浜から犬吠埼灯台)
 犬吠埼灯台を経て、銚子市の73.6mの愛宕山の山頂にある高さ16m「地球の丸く見える丘展望館」の屋上に上がって360°の大展望を楽しんだ。 
(地球の丸く見える丘展望館)
 地球が丸く見えた写真の一例です。犬吠埼灯台を挟んで、左に君ヶ浜、右に長崎鼻までの酉明浦が写っていますが、つなぎ目が尖って丸くなっていません。
(地球の丸く見える丘展望館からのパノラマ)
 次は地球の丸く見える丘から、銚子の南海岸にある屏風ヶ浦に向かった。屏風ヶ浦サーフパークの駐車場に車を入れて海岸に下りると、屏風ヶ浦の高い断崖絶壁が見えてきた。
(屏風ヶ浦)
 屏風のような断崖絶壁を見あげながら海岸沿いのコンクリートの遊歩道を1km位歩いてみたが、断崖はまだまだどこまでも続いていた。
(どこまでも続く断崖屏風ヶ浦)
 長い屏風ヶ浦の断崖も刑部岬でお終い、その先は一面九十九里浜の砂浜になった。蓮沼海岸や片貝海岸などの砂浜を楽しみながら、60kmも続く九十九里有料道路を走っていった。
(九十九里が浜:順光)
(九十九里が浜:逆光)
 九十九里有料道路から外房黒潮ラインに入って少し走ると大原町の海側に大原公園があり、その入口に大乗寺という茅葺の古いお寺があった。重要文化財になっているとのこと。
大聖寺は、大原港にほど近い太平洋を望む高台にあり、古くから「波切り不動」と呼ばれ、特に、漁業関係者の信仰を集めている天台宗寺院で、関東三十六不動霊場の第三十五番札所になっている。伝説によれば、宝治2年(1248)、地元の漁師の妻が海藻を獲っているとき海中で不動明王像を発見し、安置したのが不動堂のはじまりといわれ、正面3間、側面3間で、屋根は茅葺の寄棟造である。軒は二重繁垂木、正面中央は桟唐戸、両脇及び側面は舞良戸と板壁になっている。組物についた拳鼻、頭貫の木鼻、簔束、板蟇股などは禅宗様を主とした和様との折衷様式を示す。建立年代を示す正確な資料はないが、禅宗の影響を受けた素朴で力強い姿の様式から見て、室町時代のものと推定される。
(大聖寺不動堂)
 大原から更に南下したところに御宿の街があり、清水川を過ぎたところが広い海水浴場になっていた。その中に王子様とお姫様を乗せて歩くらくだの像があり、手前には三日月の形をした石に月の砂漠の歌詞を彫った月の砂漠記念碑が立っていた。懐かしい童謡を思い出させてくれた。
月の砂漠を はるばると 旅のらくだが ゆきました
金と銀との くらおいて 二つならんで ゆきました
金のくらには 銀のかめ 銀のくらには 金のかめ
二つのかめは それぞれに ひもでむすんで ありました
先のくらには 王子さま あとのくらには お姫さま
乗った二人は おそろいの 白い上衣を 着てました
広い砂漠を ひとすじに 二人はどこへ ゆくのでしょう
おぼろにけぶる 月の夜を 対のらくだは とぼとぼと
砂丘をこえて ゆきました だまってこえて ゆきました
(御宿海岸)
(月の砂漠公園)
 らくだの近くには記念写真を撮るように「月の砂漠」と掘り込んだ小さな石板が置いてあり、これを入れて記念写真を撮った。右と左、二人の位置が逆の方が良かったか?
(さきの鞍には王子様 あとの鞍にはお姫様)
 月の砂漠から少し北に引き返して、海沿いの崖の上にたつ保養所波月荘に入った。

B2月8日(火)
 波月荘からの展望もよかったが、近くの展望台から眺める田尻海岸の断崖絶壁は、屏風ヶ浦の断崖を思い出させた。
 9時前に宿を出て、御宿の朝市での買い物を楽しみにしていたが今日はお休み、少し東の勝浦まで引き返して、勝浦朝市で新鮮な野菜や魚の干物などたっぷり買い込んだ。
(波月展望台からの田尻海岸)
(勝浦朝市)
 朝市会場から近くの八幡岬に移動して展望台から太平洋と勝浦海岸の展望を楽しんだ。展望台からは断崖の上にたつ勝浦灯台が見えていた。勝浦灯台は70mの断崖の上に立つ八角形の真っ白い灯台だった。
 岬の公園には女性の立像が立っていて、お万の方の伝説が書かれた説明版があった。
徳川家康の側室で徳川御三家のうち紀州(頼宣)、水戸(頼房)2児の母養珠夫人であったお万の方は、天正5年(1577年)勝浦城主正木頼忠の姫君として生まれました。
14歳の時、勝浦城が落城し、その際、幼い弟と母を連れて八幡岬の東側約40mの断崖に白い布を垂らして海に下り小船で館山方面へ逃れたという故事にちなみ、ここを「お万の布さらし」と呼び後世に伝えています。
(八幡岬展望台)
(お万の方の像)
 八幡岬の先端は三方断崖で、眼下の平らな岩盤は波に洗われていた。
(八幡岬の下)
 鴨川に戻って絶景ポイント「魚見塚展望台」に上がってみた。駐車場から階段を上ったところに女神像が立つ展望台があり、眼下に鴨川の町並みと太平洋を一望することができた。
かつて漁師たちが沖合に来る魚の群れを見張っていたことが「魚見塚」の名前の由来と言われています。
(魚貝塚展望台)
(魚貝塚展望台からの鴨川市街)
 右側には鴨川松島も俯瞰することができた。湾の中に幾つもの小さい島が浮いて見えるのが、日本三景の宮城県の松島に雰囲気が似ているかも。
鴨川松島は外房随一といわれる名勝で、大小七つの島々(荒島・弁天島・鵜島・雀島・波涛根島・猪貝島・海獺島)からなります。
水平線から昇る朝日をバックにした景色は素晴らしく、「新日本百景」の1つにも選ばれています。
(魚貝塚展望台からの鴨川松島)
 外房黒潮ラインの駐車場から太鼓橋を渡って道の駅鴨川オーシャンパークに渡り、ウオーキングギャラリーの写真展を見たり、土産物漁りしたり楽しんだ。
(鴨川オーシャンパーク)
 鴨川から外房フラワーラインを気持ちよく南下していくと、南房総市の丸山町にローズマリー公園があった。公園の中心に洒落たチャペルがあり、これを中心にして数多くの花畑があって、ハーブなど色々な花が咲いていた。
(ローズマリー公園@)
(ローズマリー公園A)
 更に外房フラワーラインを南下して南千倉に入ると、街の海岸沿いを走る県道の別れがあった。漁港沿いを走って行くと、随分沖まで岩礁が続く屏風岩が見えてきた。
屏風岩は、忽戸から川口にかけて南北に走る海岸線約1.3qにわたって屏風を立てたように続いている奇岩群です。はるかな昔、太平洋プレートで圧曲されて海面に姿をあらわした海底の地層は、更に長い年月をかけて波や風雨に洗われ続けます。凝灰岩の部分だけを残し現在の屏風岩の姿となりました。海岸に沿って続く岩肌に自然の偉大さを感じることができます。
(南千倉背戸海岸 屏風岩)
 屏風岩の南端近くにあった道の駅潮風王国でマアジ定食の昼食をとり、入口のお花畑で花摘みを楽しんだ。2月でも房総では花盛り、色々な花が咲いていた。
 潮風王国から少し南下すると、花つみ智花という花屋さんがあった。広い農園の区画ごとに色々な花が今が盛り咲いていて、綺麗な花を見ながら花摘みも楽しんだ。
千倉町の白間津、七浦地区は、黒潮の影響で、道の駅地区全域が真冬でも霜が降りない常春の地です。切り花の露地栽培が盛んで、菜の花・金魚草・キンセンカ・ストックなど、数多くの花が12月下旬から3月中旬にかけて開花します。道路を挟んで山側と海側の両方に広大な花畑が広がっているため、花の絨毯を敷きつめたような光景を見ることができます。
(花つみ智花@ キンギョソウ)
(花つみ智花A ストック)
(花つみ智花B ベジジウム)
(花つみ智花C キンセンカ)
 花つみ智花からは白浜野島崎もパスして、房総フラワーラインを一気に館山迄走った。フラワーラインの両側にはナノハナが満開に咲いていた。 
(ナノハナが咲く房総フラワーライン)
 房総半島の先端西岸に出て館山ファミリーパークに立ち寄って、広い園内を散歩した。ここにも広いお花畑があって、ポピーを50本摘み取って¥500.
(館山ファミリーパーク花畑)
(アドべンチャーコース)
 館山フラワーパークからそのまま房総フラワーラインを走って、房総半島の最西端の洲崎に立つ洲崎灯台に立ち寄った。小高い丘の上にある15mほどの小さな灯台、灯台には登れず周りの展望台で東京湾を展望した。とは言え、写真がないので、富士山はもちろん三浦半島も見えなかったのかも。
(洲崎灯台)
(洲崎灯台から)
 この日は、洲崎先から少し湾内に入って休暇村館山に泊まった。日記には「夜8時から海ほたるを見に行くと、微弱電流を流すと青い光を放つ」とある。

2月9日(水)
 朝起きると空は雲一つない好天気、富士山も見えていた。
(休暇村館山から:東京湾越えの富士山や三浦半島)
 朝食をとって朝市を見て9時に休暇村出発。
 館山の市内にはフェニックスの木を並木にしている通りがあり、南国らしい雰囲気のある町だった。

(休暇村館山)
(館山フェニックス通り)
 館山の北部にある崖の観音にお参りした。垂直な断崖絶壁に建てられた観音堂で、荒々しい岩肌を露わに残す崖に土台から屋根まで真っ赤に塗られた建物が惹きたてられて美しい観音堂だった。
(崖の観音・大福寺)
 入口から入って行くと、右上の崖に観音堂が見えてきた。崖と観音堂に、手前の手入れの行き届いた松の古木を入れて記念写真。
(入口からの崖の観音)
 観音堂の登り口まで来ると観音堂の上の崖がますますせせり出してきて迫力が出てきた。
(登り口からの崖の観音:左が展望台)
 急な階段を上っていくと 観音堂の手前に展望台があり、眼下に館山の市街の向こうに見える東京湾から相模湾と思われるが、陸地はどの辺りか見当がつかない。富士山が見えればハッキリするのだが残念。
(崖の観音からの展望)
 ここまで「房総フラワーライン」だった海岸沿いを走る道は、館山からは「内房なぎさライン」になった。次の大黒山展望台は内房なぎさラインを北上した鋸南町にあった。
 展望台のある大黒山は鋸南町の海岸にある標高75mほどのポッコリとした小さな山。麓の駐車場から急坂や不ぞろいな急階段を山頂まで登って展望台に上がった。
大黒山展望台は、勝山海岸上にそびえる大黒山の頂上に設けられた展望台です。城の形をしている展望塔からは、眼下に勝山漁港や町並みがみえます。望遠鏡では伝説の島・浮島と東京湾を行き交う様々な船を手に取るように眺められます。天気が良ければ富士山や伊豆七島も眺めることができます。素晴らしいすり鉢状の山です。
(大黒山)
(大黒山展望台)
 右から東京湾・浦賀水道に鋸山の山系が出っ張っていて、その向こうに見える低い陸地らしきものが三浦半島の浦賀辺りか?もう少し大きくはっきり見えてもよさそうなものを。
(大黒山展望台からの展望@)
 左手には勝山港と鬼ヶ崎、大きく見える島は浮島。相模灘の向こうの伊豆半島は全く見えない。お天気が良すぎて気温が上がって霞んでしまったようだ。
(大黒山展望台からの展望A)
 富津市から山の中の道に入って、鹿野山九十九谷公園に上った。
(九十九谷)
(九十九谷公園)
 公園には展望台があり、幾重にも重なる山並みが見えていた。これが多くの文人や画家が天下の奇観と絶賛した風景か。
(九十九谷展望台)
 木更津南ICから大栄、鉾田経由海岸通りへ。大洗辺りに来ると雪で畑一面真っ白。道路は雪の塊でビショビショ、ガソリンスタンドで洗車して帰宅した。
 次は茨城の山の早春の花を紹介します。


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