H104.スペイン満喫10日間の旅(3,4日目)

1.動 機 
 スペイン旅行の3日目、バルセロナを出発して370km車走してバレンシアに昼過ぎ到着、パエリアの昼食をとって旧市街を歩いて案内してもらった。半日の観光だったが、バレンシアは歴史ある街なので、写真がたくさん残っている。しかし、アルバムにはほとんど説明がなく、日記にも詳細な記載ない。20年も前の話なので記憶もおぼろ、netで似たような写真を見つけ出して思い出し、説明を転写しました。翌朝にはすぐ次のグラナダへ移動です。

2.データ
a)山域:バレンシア
b)登山日:2000年4月17日

3.山行記録
4月17日(月)
 バルセロナホテルアルファを8時30分バレンシアに向かってバス発車、出発時は空に厚い雲が出ていたが、
(バルセロナ出発時は曇天)
 南下するにしたがって晴れ渡ってスペインの山々が綺麗に見えてきた。
(バレンシアへ)
 途中のクラゴナダライブインで展望を楽しみながら20分休憩、
(途中のドライブインにて)
 バルセロナから370kmを走って、13時30分にバレンシアに到着した。計算すると時速80km/hrで走ったことになる。日本のバスでは考えられない車速になる。
 バレンシアの街の駐車場でバスを降りて歩いてレストランへ。
(バレンシアの街)
 スペイン料理のレストランに入って、スペイン料理を御馳走になり、ワインで乾杯。
 テーブルの並んだ室内で、大きな鍋でスペイン料理の代表格のパエリアを作るところを実演して見せ、いい匂いと一緒にアツアツのパエリアを小皿に分けてみんなに供された。美味しく頂戴した。
(バレンシアで昼食)
(スペイン料理:パエリア)
 バスはバレンシア駅の駐車場に入り、後は徒歩で旧市街観光。
(バレンシア駅前から市内見学始まり)
 駅前には大きな円形の建物があり、バレンシア闘牛場だとのこと。世界で2番目に大きな闘牛場だそうです。闘牛を見るためだけに、こんな大きな4階建ての建物が埋まるほどの観客が集まるとは、さすが闘牛の国スペインだけのことはある。スペインの各都市にこんな闘牛場があるとのこと。
(闘牛場)
 記憶に残っている広場だが、名前が分からない。向かいの塔のある建物は、ORIENTE SA SEGROSの文字板がついているので銀行か保険会社かと思われる。
 バレンシアの絹や油などの商品取引所として機能していたというラロンハの建物群の中に、屋上に旗がひらめく角張った古びたビルがあり、絹の商品取引所とのことだった。
 15世紀後半に建てられたラ・ロンハという絹の商品取引所で、1996年にはユネスコの世界遺産に登録されました。取引所というよりはお城っぽい造りで、1482年に建設が始まり、すべて完成したのは1548年になります。
(ORIENTE SA SEGROS)
(ラロンハ絹の商品取引所)
 バレンシアの中央市場にも案内された。市民が買い物に来る市場に、こんな大きな荘厳な雰囲気の建物を立てるのは、バレンシアの歴史的雰囲気を守るためだろうか。
バレンシアの人々の台所と言える中央市場はヨーロッパの中でも最大規模を誇る市場。バレンシア観光の代表的なモデルコースの1スポットにあげられます。海の幸や山の幸などの生鮮食品をはじめ、パンや菓子、香辛料、さらにはパエリア鍋などの巨大な台所用品まで、膨大な量を取り揃えています。

(中央市場前)
(バレンシア中央市場)
 中央市場の中には案内されたようで、食器類を売っている店頭の写真が残っている。スペイン料理店で使っていたような大きなパエリア金属の鍋も売っていたが、多くは陶器の食器類だった。スペインは陶芸の街でもあるとのことだった。
(バレンシアは陶芸の街)
 次はバレンシアのシンボル、セラーノスの塔とロス サントス フアネス教会に案内された。
 セラーノスの塔はバレンシアの旧市街を囲んでいた城壁の塔で、かつては町の入口だった歴史的建造物。現在は町の重要文化財として保護されバレンシアの名所になっています。1392年から1398年に建設されたゴシック様式の傑作で、一時は監獄として使われていた歴史もあります。
 ロス サントス フアネス教会は、別名、サンファンデルメルカード教会とも呼ばれています。2つのペディメントがとても印象的聖堂です。時計台の天辺には、福音書記者(エヴァンゲリオン)聖ヨハネが、鷲で表されています。鷲は鳥の中で、唯一太陽を直視できるのだと信じられた故です。神の深い神秘を、だれよりも見つめていたので、ヨハネ福音書を書くヨハネの図像には、鷲が描かれことが多々あります。

(セラーノの塔)
(聖ヨハネ教会)
 噴水の池に大小の彫像が並ぶ広場ビルゲン広場に案内されると、向こうに、カテドラル(サンタマリア大聖堂)とミゲルテの塔が見えていた。
 マリア様の名にちなんだこの広場はレイナ広場と比べて観光客は少なめで、地元の人の憩いの場といった感じです。緑地化されている華やかな通りと趣が異なり、こちらは石畳とユニークな彫刻の噴水が目印です。
 13世紀半ばから14世紀末、イスラム教のモスクの跡地に建てられたサンタマリア大聖堂。バレンシアのほぼ中心に位置し、向かいにあるレイナ広場と共にバレンシア名所観光の拠点となっています。最初の長い建設期間の後、17〜18世紀にかけても改修が行われているため、南側のパラウの門Puerta del Palauはロマネスク様式、北側の使徒の門Puerta de los Apostolesはゴシック様式、正面入口の主ファサードPuerta de los Hirrosはバロック様式になっていています。その様式の違いをぜひ観光で確認してみましょう。
 ミゲレテの塔はカテドラルの南西脇に立つ八角形のゴシック式の鐘楼で、カテドラルと共にバレンシアのランドマーク的存在です。高さ約63メートルを誇る塔は、1381年から1424年にかけ建築されました。巨大な石造りの鐘楼は観光客のみならず地元の人々に愛されており、鐘楼の正式名称はミゲレテの塔(バレンシアの方言でミカエルの意味)ですが、ミカレットの愛称で呼ばれています。
(ビルゲン広場からカテドラルとミゲレテの塔)
 カテドラルのビルゲン広場と反対側に回ると、何重にも重なった半円形の東門があった。東門の前にバレンシア司教の建物があり、その間がバレンシアのメインストリートのバルセリア通り、その向こうにミゲルテの塔が見えていた。
(カテドラル東入口)
(バルセリア通り:後ろミゲレテの塔)
 バレンシアの最後の写真は穴倉の空いた岩山の上に2階建ての建物が建っていて、入口には牛の彫像が立っている。手前にある木造の小屋には、DIPUTACIO DE VALENCIA の看板が貼ってあるので、これを検索してみると、少々理解し難い翻訳文が出てきた。
(Google による翻訳)建物は、21世紀の美しい古い宮殿で、バレンシア市の歴史的中心部、ゴシック様式のGeneralitatの隣、およびPlaza de la Virgenの隣に位置しています。 1階のOgivalゴシック様式の窓と広いスペースは、偉大な画家であるSorolla、Pinazo、Segrelles、HernandezPompo candinsky、Miroの絵画と彫刻の展示ホールで、Generalitat Valencianaが所有しています。バレンシアの宝物。
それは多くの仕事のための小さい部屋と狭い部屋であり、そして私の好みのために確かに悪い照明は、考えられていることのために、将来の展覧会のためにもう少し勉強しなければならないでしょう。
それは建物を訪れる価値があります、そして保存されているすべてのお金と高級アパートのためのソーラーが販売されていないとしても、このタイプの州の建物だけが保存できるので、私はあなたの訪問をお勧めします。
(テラ・マル TERRA MAR DIPUTACIO DE VALENCIA)
 この日はここ迄で駅に戻り、バスに乗ってホテルに入った。
4月18日(火)
 朝9時05分発でホテルを出発してグラナダに向かい、バレンシアにサヨナラした。
(バレンシアのホテル)
(バレンシアサヨナラ)
 バレンシアからグラナダ迄長い道中、美しい山々が続き、
(バレンシアからグラナダへ@)
(バレンシアからグラナダへA)
 プエルト・ルンブレラスでスパゲテイホロネーゼ+子牛煮込みを御馳走になって、更にグラナダまで270kmの車走、途中車窓からいい景色が見えて何枚もパノラマ写真を撮った。どの辺りで撮ったのか不明ですが、今でも思い出すようないい景色でした。
(バレンシアからグラナダへB)
(バレンシアからグラナダへC)
 一時海見えていたが、
(バレンシアからグラナダへD)
(バレンシアからグラナダへE)
 また山の中の道になりました。
(バレンシアからグラナダへF)
(バレンシアからグラナダへG)

(バレンシアからグラナダへH)
(バレンシアからグラナダへI)
 到着したグラナダは山間の街、記念に撮った写真には格好のいい山が写っている。
(グラナダ到着)
 グラナダのホテルに到着。観光は翌朝から。
(グラナダのホテル前)
 次はスペイン10日間の旅日記の5日目のバレンシアとマラガの観光報告です。


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