H107.スペイン満喫10日間の旅(7日目)

1.動 機 
 スペイン旅行の7日目、セビリアを8時30分に出発、東に120km離れたコルドバまで走ってローマ橋、メスキータ、花の小径など市内見物し、更にデスペニャペロス自然公園を通って270km走ってラマンチャのコンスエグラでドンキホーテや風車の丘を観光、70km走ってトレドに到着して軽い市内観光をしてやっとホテルに入った。この日のバスの走行距離合計460km、日本の観光バスでは信じられない強行軍だったが、世界的に有名な観光地も見ることができて楽しい一日だった。

2.データ
a)山域:コルドバ、ラマンチャ、トレド
b)登山日:2000年4月21日

3.山行記録
7日目:4月21日(金)
コルドバ
 8時30分セビリアのホテル発、120km走ってバスはコルドバの街に入った。駐車場からは街道に進んでくる馬車があって、タイミングのいいシャッタを押してもらった。
 そこからはローマ橋と、その向こうにメスキータが見えていた。
(コルドバの馬車)
(メスキータ・ローマ橋 )
 少しローマ橋に近付いて撮った写真を合成してパノラマにすると、グアルダル川の川面が広く見え、メスキータローマ橋に加えて右端にカラオーラの塔が写っている。
メスキータ は、スペインに現存する唯一の大モスクである。後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン1世は、グワダルキビール川の流れが変わるコルドバの小高い丘にメスキータの建設を始める。ここは紀元2世紀、戦勝祈願を行ったローマ神殿があったという伝説があり、西ゴート王国時代には聖ビセンテ教会があった神聖な場所であった。
ローマ橋は1世紀、ローマ帝国の植民地だった時代のコルドバに、都市建設をする過程で架けられた橋です。
戦争による破壊や修復が繰り返され、イスラム教支配下で防衛のために造られた要塞カラオーラの塔が左岸に建っています(現在は博物館)。
アラブ語で大きな川を意味するグァダルギビール川を跨ぐ橋は全長230m、16のアーチがあり、アーチの間の橋脚からは頑丈そうな控え壁が川に迫り出した、まさに古代のスタイルです。
橋の上から旧市街方向を眺めると、メスキータを初めとする同系色の建物群のメイン入口Puerta del Puente(橋の門/城門)が正面に構えています。
カラオーラの塔は12世紀末、ムワッヒド朝によって、ローマ橋を守るためにグアダルキビール川の左岸に建てられた。この塔はかつて二つの塔とその間にかかるアーチ状の門を有した。
その後、1369年にカスティーリャ王エンリケ2世によってキリスト教徒の手に渡った。三つ目の塔が現存する塔に加えられ、二つの円柱状の塔が両者を繋ぐように設置された。1931年には国家の歴史的建造物に指定された。
 左手前にある屋根の壊れた建物は、グーグルマップにはモリノ・デ・サンアントニオとあり、造船所や製粉所になっていたらしい。今のnetには屋根が綺麗に修復されている写真が出てくる。
(コルドバのグアルダル川とローマ橋)
 ローマ橋を渡ってメスキータの建物を間近に見ると、その広大さに圧倒された。
メスキータは、コルドバの旧ユダヤ人街付近にあり、観光地の中心です。敷地も大きく、見逃すことなんてなかなかないでしょうが、わかりやすい目印はこのミナレット。ミナレットとは、イスラム教建築の鐘楼で、礼拝の時刻を伝える役割を持ちます。角柱形や円筒形などもありますが、このような尖塔形が最も一般的です。
ミナレットを目印に訪れると、塀の中に「オレンジの中庭」と呼ばれる庭園空間が広がり、その先にあるシュロの門からメスキータ内部を見学することが出来ます。
 メスキータにはこちら側からは入れないので、メスキータの左脇の道に向かった。その道に入る曲がり角のグアルダル川の岸辺の小公園に守護聖人ラファエル像の細い塔が立っていた。
ラファエルはコルドバの守護聖人。13世紀に流行ったペストから街を救ったことを記念して建てられたそうです。プエンテ門の近くにあり、早朝散歩していて見つけました。8世紀のフランス人彫刻家ミゲール・ベデルディギエルの作品。
(メスキータの全景)
(守護聖人ラファエル像)
 左の写真は、メスキータの左沿いの道に入って振り返って撮った写真。左にメスキータの壁があり、右手に見える塔のある建物は、小さい礼拝堂と美しいステンドグラスの中庭のあるカソリック教会とのこと。道の向こうに見えているは守護聖人ラファエル像の塔です。
 右の写真が中庭に入ってから撮ったメスキータの鐘楼です。
世界遺産メスキータ大聖堂の続いての見どころは、ミナレット(尖塔)。オレンジ中庭に面した美しい塔は、コルドバの旧市街のどこからも見えるメスキータのシンボルタワーです。中庭には、アルマンソールの泉となずけられた水辺が設けられ、灼熱のコルドバで一服の清涼感を与える空間となっています。
イスラム教のモスクに必ず設置されるミナレットは、メスキータ大聖堂の北東に位置する免罪の門の脇に建っています。イスラムのミナレット(尖塔)がキリスト教の鐘楼に改造されました。
(メスキータ:守護聖人ラファエロ像)
(メスキータの鐘楼:中庭から)
 中庭からメスキータの建物の中に入りますが、参考にさせてもらった「michiikoのホームページにようこそ」から見つけ出したメスキータの平面図と、空から撮ったメスキータの全体写真を添付しておきます。
(メスキータの平面図)
(メスキータの鳥観図)
 メスキータの内部はただっ広く、その大部分は太い円い柱で支えられていて「円柱の森」とも呼ばれている
世界遺産メスキータ最大の見どころは、「円柱の森」と呼ばれるメスキータ内部です。かつては1000本以上の円柱が建てられていたそうで、広大な空間に現在は850本の円柱が建てられています。
メスキータが最初に建設されたもっとも古い部分は入口から入った西側部分で、このエリアは、アブデ・ラーマン1世によって建立されました。
そして、南西部に拡大された大聖堂と王室礼拝堂があるエリアが、848年アブデ・ラーマン2世によって拡大されたエリアです。マクスラとミラフーブがある南部エリアは、961年アルハカム2世、東側のエリアは987年に拡張されたエリアです。
メスキータが建てられた頃は、まだ大きな天井を支える仕組みがなかったので、1000本もの柱で支えたことから、この森が生まれました。
最初は、柱が1000本ありましたが、後にキリスト教会をメスキータ内部につくるために、150本の柱が取り払われました。
(円柱の森)
 左の写真はミフラーブの前での写真です。
ミフラーブはイスラム教徒が祈りを捧げるメッカの方向を示すくぼみです。馬蹄型アーチには金色のビザンチン・モザイクが施されており、周囲にはコーランの一節も刻まれています。柵で仕切られて近づけないようになっていましたが、メスキータの大きな見どころなのでたくさんの人が集まっていましたよ。
 右の写真は中央礼拝堂。
続いては、メスキータのちょうど中心付近にある中央礼拝堂(マヨール礼拝堂)にやってきました。中央礼拝堂は完成まで非常に長い年月が掛かったので、ゴシック、ルネサンス、バロックといった様々な建築様式が混在しています。祭壇には紅大理石が使われており、バロックの巨匠パロミーノの絵画が飾られています。
でも…
どこに行っても見られないものを破壊して、どこに行っても見られるものをつくった。ーと、「メスキータ」の改築を許可したカルロス1世が嘆いたように、アラブ風のメスキータ部分のほうが、圧倒的にインパクトがあります。
教会部分も…精緻でゴージャスなつくりですが、見慣れた感が強いので。
(「カルロス1世」は日の沈まない<Xペイン大帝国を築いた王さま。神聖ローマ皇帝カール5世と同一人物)
(メスキータのミフラープ)
メスキータの中央礼拝堂
 中央礼拝堂の向かい側に聖歌隊席があり、両側は彫刻の壁に囲まれいた。
(彫刻の壁に囲まれた聖歌隊席)
 左の写真は聖体顕示台です。
ミフラーブの隣にあるサンタテレサ礼拝堂は聖具室(宝物室)として利用されており、中央には金と銀の豪華な聖体顕示台が展示されています。聖体降福式(聖体賛美式)の際にはこれを持って司祭、修道士、信徒が行列になって街を練り歩きますが、かなり重そうです。

聖体顕示台が置かれている部屋の隣にも美しく装飾された部屋があり、右の写真のような様々なお宝が展示されていました。

(聖体顕示台)
(聖体顕示台の隣の部屋)
 メスキータを出てから少し下流の川岸に案内されると、そこには、大きな木製の水車が付いたモリノ・デ・ラ・アルボラフィアという朽ちかけた水車小屋があった。何か歴史がありそうな風情。
グァダルギビール川の両岸には、イスラム時代に多くの水車小屋があって、粉を挽いたり、アルカサルの庭園に水を汲み上げる役目を果たしていたようです。しかし、イサベル1世が水車のきしむ音を嫌ったので全て撤去されてしまい、現存する水車小屋は、後世に再建されたものでしたが、日本では逆立ちしてもお目にはかかれない代物です。
(水車小屋:モリノ・デ・ラ・アルボラフィア)
 メスキータの裏側には白壁の家並みが密集していて、家それぞれにベランダや白壁に可愛い花の咲く鉢を飾っている街があった。花の小径という旧市街で、通りの向こうに先ほど見学したメスキータの高い塔が見えるところもあった。
コルドバは、スペイン・アンダルシア地方にある街で、アンダルシア地方は美しい中庭のある家々が数多くあることで有名です。コルドバは、「パティオ(中庭)が美しいところ」といわれ、大変有名な観光スポットでもありますが、市民からも愛されている町でもあります。毎年5月の花がきれいに咲く時期に催される「パティオ・コンクール」では多くの観光客でにぎわいます。特に、メスキータ北部に位置する「ユダヤ人街」には「花の小径」とよばれるエリアがあり、観光客には大人気のスポットです。そのため、ユダヤ人街は「コルドバ歴史地区」として世界遺産に指定されております。花で有名なだけではなく、建物の壁はどれも真っ白で統一されているところに、よりいっそう花の街として人気の観光スポットといわれる理由があります。
コルドバは、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教の3つの宗教が共存している特殊な街で、街の建造物や文化などもこの3つの宗教が絶妙に交差しているという、独特の文化をもっております。
(ユダヤ人街の花の小径:奥にメスキータの鐘楼)
 通りを歩きながら撮った写真3枚を繋いで貼ってありました。
(ユダヤ人街の花の小径3景)
デスペニャペロス自然公園
 ゴルドバを出て、スペインを東西に走るシエラ・モレナ山脈を越えてラマンチャに向かった。山脈の山越えでは、なだらかな山並みやデスペニャペロス自然公園の岩場など変化があって面白く、何枚も写真を撮っていた。
(デスペニャペロス自然公園の岩場地域の手前)
(デスペニャペロス自然公園の岩場地域)
(デスペニャペロス自然公園の岩場地域を越えて)
ラマンチャ
 コルドバから270km走ってラマンチャに到着、ラマンチャはドン・キホーテの数々の冒険の舞台となった地方ということで世界的に知られていが、ラマンチャの街に入ると、ドン・キホーテが長い槍を持って天を仰いでいる像が、公園だけでなくレストランの前にも立っていた。
ラ・マンチャ地方(La Mancha)はスペインの中部に位置する歴史的地方の一つで、現在のカスティーリャ=ラ・マンチャ自治州のうち、アルバセテ県、シウダー・レアル県、クエンカ県及びトレド県の領域のかなりの部分に相当する。 面積は30,000km2以上 で、東西におよそ300km、南北およそ180kmで、イベリア半島の台地にある自然発生的に形成された地方で最も大きい広がりを持ち、中央台地(メセタ)のうちの南東部分、南メセタに位置する。
(ドンキホーテのラマンチャ)
 ラマンチャには有名なコンスエグラの風車の丘もある。風車の向こうにコンスエグラの城塞が見えているが、ここには入らなかったようで、大きな写真は残っていない。
(ラマンチャ・コンスエグラの風車)
 ラ・マンチャとはアラビア語で「乾いた土地」を意味しており、その名のとおり地域一帯には乾燥した大地が広がっている。このことは、風車の丘とコンスエグラの街とのパノラマ合成写真で確認できます。この写真で、風車が結構高い丘の上に並んでいることもよくわかります。
(ラマンチャ・コンスエグラの風車の丘)

トレド
 風車の街から更に70km走って、今日の宿泊地トレドにやっと到着した。朝セビリアのホテルを出発して総走行距離460km、運転手さんご苦労様でした。
 トレドの旧市街の下の道路からは、ずっと下にタホ川が見えていて、トレドが丘の上に発展したことが伺われた。向かいの丘の上にも長い城壁(?)と大寺院(?)が見えていた。
トレドはスペイン・カスティーリャ=ラ・マンチャ州のムニシピオ(基礎自治体)。カスティーリャ=ラ・マンチャ州の州都であり、トレド県(人口約60万人)の県都である。マドリードから南に71kmの距離で、タホ川に面する。
かつての西ゴート王国の首都であり、中世にはイスラム教・ユダヤ教・キリスト教の文化が交錯した地である。「町全体が博物館」と言われ、タホ川に囲まれた旧市街は世界遺産に登録されている。また、ルネサンス期のスペインを代表するギリシア人画家のエル・グレコが活躍した町としても有名。金銀細工の伝統工芸品「ダマスキナード」がある。
(トレドのタホ川)
 丘の上に上がっていって旧市街の全景楽しんでから、そのままトレドのホテルに入りました。
(トレドの市街)
 次は翌23日のトレドとマドリードの名所見物の写真を紹介する積りでしたが、先日2020/11/08に見物した里見かかし祭りを割り込みさせます。
 

inserted by FC2 system