H121.スペイン満喫10日間の旅(8日目)

1.動 機 
 スペイン旅行の8日目の朝は、トレド散策後ホテルを出て、丘の上に目立って見えているアルカサル、街中の高い塔が聳えているトレド大聖堂(カテードラル)を見学し、世界的に有名な象嵌細工の店ダマスキナードを見物してお土産物を買い込んでから、マドリードに移動してプラド美術館で有名な美術品を鑑賞して、子豚の丸焼きでさよならデイナーが行われた。最終日9日目はソフィア王妃芸術センターと王宮を見学して、マドリード空港からアルステルダム経由、翌日成田に到着無事帰国した。

2.データ
a)山域:トレド、マドリード
b)登山日:2000年4月22日、23日
c)行程:4月22日 トレドホテル10:00=アルカサル=カテドラル=12:15ダマスキナード12:45=15:30マドリード・プラド美術館17:40=ポテイン=ホテル 4月23日:ホテル9:40=10:15ソフィア王妃芸術センター11:25=宮殿=15:40マドリード空港16:20=18:40アムステルダム空港20:00=4月24日13:47成田空港到着

3.山行記録
8日目:4月22日(土)
トレド
 朝食前に街に出て、迷路のように入り組んだトレドの街を一回りした。かと思ったが、写真では早朝にしては随分人通りが多い。前日の夕食前に案内されたのかもしれない。
(朝のトレドの街)
 朝食後10時にホテルをバスで出て、トレドの街の丘の上に立つアルカサルの前の通りまで上がった。バスはアルカサル前の駐車場まで上がることができず、通りの路側で駐車して、見学者はここで降ろされた。歩いて近くまで上がって説明を受けたが、大きな建物の全景を撮るには、この通りからが丁度よかった。四つの角に塔が立つ正方形の建物は、地図上で計ると一辺70mもありそうだ。
    街の中央にある丘の上にそびえる巨大な建物がアルカサル。古代ローマ時代、ウマイヤ朝、中世カスティーリャ王国の時代に要塞としても機能した宮殿で、現在は軍事博物館となっています。スペイン王国の繁栄を物語る多数のコレクションが展示されています。
 1936年のスペイン内戦ではフランコの反乱軍が立てこもり、共和国軍による砲撃でほぼ全壊激戦地となり破壊され、1961年に軍事博物館として開館したとの情報もある。新しい建物に見えるわけだ。
(アルカサル)
 次はアルカサルのすぐ下の街中にあるトレド大聖堂に案内された。現在は増築されて全長120mで幅が59mとのことだが、我家が行った2000年当時はアルカサルの方が大きい印象だった。
 中でも高さ90mもある鐘楼はトレドの街から目立って見えていた。下は4角形、その上に8角形に塔が重なった構造になっている。
    ローマ時代に城塞都市として築かれたトレドの繁栄を象徴するトレド大聖堂。大司教座のあるトレドにふさわしい大聖堂を建設することを旨として、フェルナンド3世の命により1226年に着工し1493年に完成した、スペインゴシック様式最高傑作ともいわれる大聖堂です。
    トレド大聖堂は4つの側廊と22の礼拝堂からなり、スペインで一番の規模を誇っています。その後、増築を繰り返し、オリジナルの部分は少なくなっていますが、高い芸術性を維持しています。また、エル・グレコの息子である建築家のホルヘ・マヌエルも塔の一部を建築したといわれています。

(カテドラルの鐘楼)
(トレド大聖堂=カテドラルの俯瞰図)
 大聖堂の左に鐘楼が立ち、右には立つのは礼拝堂、真ん中が入口。建て直されたアルカサルに比べて、全体に細かい彫刻の装飾が残っていて歴史を感じさせていた。
 入口をアップで撮った写真には、その細かい装飾が綺麗に写っているでしょ。
(カテドラル)
(カテドラルの入口)
 アルカサル、カテドラルとトレドの代表的建造物を見学してから、下町の象嵌工房に案内された。大小のお皿や花瓶、腕輪など金銀の装飾品が数多く並んでいた。我家の居間の壁には、ここで記念に買った銀の大皿が2枚飾ってある。当時はこんな高級品を買う元気があったのだと感心する。
    トレドで創られる金銀細工の工芸品は、ダマスキナードと呼ばれています。その名称は、世界古代文明の一つチグリス・ユーフラテス川の流域に位置し、イスラム文化の中で最高の装飾工芸を育んだダマスカス (現 シリア)の地名から − ダマス物 −として呼ばれ継がれたことに由来します。ダマスカスの地から発祥した工芸技術は、東は中国へと渡り、西はスペインへと広がっていきました。実際、その技術は、紀元前のギリシャ人にも知られており、ホーマーの ”イリアダ”という作品にも既に述べられています。
    金銀を巧みな技術で象嵌加工した装飾品は、世界文化遺産の地、トレドで大輪の花を咲かせ、貴重で価値ある工芸品となりました。
    8世紀から15世紀にイスラムの文化、思想、宗教の影響を強く受けたトレドの中にあって、特に技術継承を受け、そこで創作され成長したのが、アクセサリー・家具・ペーパーナイフ・甲冑・剣・額絵・皿・水差し・花瓶などへの象嵌細工でした。
    トレドの城門の装飾・室内の壁面・家具調度品などに見られるように、優れた技術が今でも生かされており、工芸家の手によってその技術はよって現在も脈々と伝承されています。ダマスキナードの工芸品はトレドを訪れる人々の驚嘆を誘っております。
(ダマスキナードの工芸品)

マドリード
 トレドから60kmばかり北に走ってスペインの首都マドリードに移動した。マドリードの街の通りは広く、両側に並ぶ建物は新しい造りに見えた。それでも、中にはベランダの上や手すりを古風な彫刻で飾っている建物も見られます。
(マドリードの市街)
 左の銅像の写真はアルバムの美術館のページに貼ってあるのだが、NETでは見つからずだれの像だか分からない。どこかの公園で撮ったものと思われるが、偉そうな人の像に見えるので載せておきました。
 プラド美術館には長い行列ができていて、長い待ち時間だった。その上小雨が降り始めていて、並んでいる人達は傘をさしたり大変だった。我々ツアー参加者は、幹事さんが団体を代表して並んでくれて、バスの中で待っていればよかった。
(公園の銅像)
(行列のプラド美術館)
 プラド美術館は館内の展示品だけではなく、建物自体も眺める価値がありそうな格好いいビルでイング、全体像を写真に撮っておいた。
    メインとなるビリャヌエバ館の建物は、1785年にカルロス3世が自然科学に関する博物館を作るため、フアン・デ・ビジャヌエバ(英語版)に設計させたものである。しかし、博物館として使われることはなく、カルロス3世の孫のフェルナンド7世が妻マリア・イサベルの進言を受け、美術館とした。
    コレクションの基礎はフェリペ2世とフェリペ4世が築き、1819年11月19日に「王立美術館」と称して開館した[2]。1868年の革命後には「プラド美術館」と改称され、現在は文化省所管の国立美術館となっており、ディエゴ・ベラスケス、フランシスコ・デ・ゴヤなどのスペイン絵画に加え、フランドルやイタリアなどの外国絵画も多く所蔵している[3]。これは、スペイン王室のコレクションにフランドル絵画が多数加えられた16世紀から17世紀にかけ、フランドルがスペイン王室の領土であった(ネーデルラント17州、南ネーデルラントを参照)ことが背景にある(例えば、ルーベンスが仕えたのは、ハプスブルク家のネーデルラント総督であったスペイン王女イサベル)。
    ビリャヌエバ館の東側には、2007年にホセ・ラファエル・モネオの設計によるヘロニモス館が増築されており、主に企画展示に使用されている。ビリャヌエバ館は2階・1階・0階・−1階の4フロア、ヘロニモス館は2階・1階・0階で構成され、両館は0階で連絡している。
(プラド美術館前で順番を待つ)
 館内では意外なことに撮影が許されていたようで、有名な絵画を何枚も撮っていた。

(ブレダ之開城:ベラスケス)
(聖三位一体:エルグレコ)
(裸のマハ:ゴヤ)
 次はスペイン広場に移動、セルバンテスの記念碑の前で記念写真を撮った。後ろに見える大きなビルは、MAP で見るとホテルリウとなっているが、この大きなビル全体が一つのホテルとはちょっと信じがたい。
    スペイン広場は、マドリードのセントロにある広場。グラン・ビアの西、王宮の北に位置し、人気のある観光スポットとなっている。「ドンキホーテとサンチョ・パンサの像」などセルバンテスを記念した像がいくつも建てられている。
    ミゲル・デ・セルバンテス像は、1835年に建立。王家や宗教関連の人物以外でマドリードに設置された最初の像。
(スペイン広場セルバンテスの記念碑の前)
 上の写真にも、セルバンテスの記念碑の前にドンキホーテとサンチョ・パンサの像が小さく見えているが、この像をメインにして、正面と横とからシャッタを押した。後の記念碑にセルバンテスが座っている姿も見えている。
(ドンキホーテとサンチョ・パンサの像)
 ホテルに入って一休みして、夕食は、ヘミングウエイも常連だったという老舗ボテインに出かけてサヨナラデイナーが行われた。名物の子豚の丸焼きも供された。
(ポテインにてさよならデイナー)

8日目:4月23日(日)
マドリード/帰国
 最終日の朝は、先ずソフィア王妃芸術センターに案内されたが、ピカソやダリなどの近代美術作品がいろいろと展示されていたが、どれを見ても私には理解不能でした。
    ソフィア王妃芸術センター は、スペインのマドリードにある美術館。フアン・カルロス1世の王妃ソフィアにちなんで名付けられた。20世紀の近現代美術を中心に展示されている。
(ソフィア王妃芸術センタ)
(芸術センタの説明文)
(ソフィア王妃芸術センターの作品)
 最後はマドリード王宮見学だった。
    マドリード王宮は、スペイン・マドリードにある宮殿。オリエンテ宮殿とも呼ばれる、スペイン王の王宮である。実際には国王や王族は住んでおらず、彼らは郊外にあるマドリード王宮より小さなサルスエラ宮殿に好んで暮らす。しかし、マドリード王宮は未だに国の行事に使用されている。宮殿はスペイン政府の所有で、外局の国家遺産局が管理している。
    王宮は、マドリード中心部の西部バイレン通りにある、150m四方の建物の中に2700を超える部屋があるとても広い宮殿です。東はマンサナーレス川で、マドリード地下鉄オペラ駅が最寄りである。宮殿は、公的行事で使用される時を除き、一般公開されている。
(マドリード王宮)
 王宮の周りには庭園があり、王宮を違う角度からも眺められ、噴水があったり、いろいろな記念像が見られました。

(チャペル)
(王宮庭園)
 マドリード王宮の中にも案内されたが、どこも息を飲むほどの豪華さでした。
(王宮の室内)
(王宮の壁画)
(王宮の天井)
 王宮見学が終わってバスでマドリード空港まで移動、運転手さんご苦労さまでした。マドリード空港を16時20分に離陸し、アムステルダム空港経由、成田空港に翌日午後1時45分着陸、参加者33名全員無事帰国できました。
 次は2000年7月からの国内登山の記録を報告します。
 

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