I13.2000年9月の山歩き 1.動 機 前回の2000年8月の山歩きに続いて、9月の山歩きを報告します。9月末に出かけた那須連山の山歩きは、分けて次報に報告ます。 2.データ a)山域、b)登山日:9/9陰陽山、9/10仏具山、9/15富谷観音、9/18浅房山-御嶽山-雨引山、9/20栄蔵室-和尚山、9/22仏頂山-高峯 3.山行記録: 陰陽山09/09 和子の友達に紹介してもらった常陸太田市山方の観光ブドウ園でブドウ狩りし、収穫してブドウを親戚筋への宅配依頼してから、山方の陰陽山に向かった。陰陽山の陰陽神社は黄門さんとの縁が深く、いくつもの言い伝えがあります。 水戸 徳川二代藩主、徳川光圀公(義公)が寛文元年 (1661)に領内御廻村の時、一里ほど南の上大賀村念仏塚から陰陽山の大岩を遥かに望見したとき戌亥(北西) の方から径一尺ほどの金色の玉が飛んできて義公の十間ほど前に落ちて消えた。
義公は庄屋に戊亥の方の岩山を案内させ、この陰陽山に 登り親しく御覧になられ非常に感動され、この石をそれまで呼ばれた夫婦岩を改名し陰陽石と名づけられて、二石並んでいる石の大きさを測らせ、東側の小ぶりの石(高さ10m横23m厚さ 2.5m)を陰石、西側の大きい石(高さ8.8m横 5.6m厚さ1.9m)を陽石と名づけられた。(陰陽神社/茨城県神社庁) 陰陽山森林公園の中にある陰陽神社は,水戸藩第2代藩主の徳川光圀が山頂の2つの大きな岩を見て感動し陰陽石と名付け,鳥居に自ら「陰陽山」の額を書いて石に刻ざませ社殿を造営したもので,現在も家庭円満の神として信仰を集めています。 園内にはヤマザクラやツツジ,サツキ,アジサイなどが四季折々に咲き誇こり,森林浴を楽しみながら散策すれば気分もリフレッシュします。 (茨城県生涯学習体験情報) 森林公園に車を停めて陰陽山山頂にある陰陽神社にお参りした。陰陽神社の御神徳は 夫婦和合と子授かりとのこと。二つ目はもう十分だったが---。
仏具山09/10 8月に登って空振りだった長沢湿原のミソハギを期待して再挑戦した。 9時に我が家を出て高速道を走って、登山口に10時到着、12時15分山頂に登り着いた。晴れていて山頂からの展望は良く、存分に楽しんで12時35分下山。
富谷観音09/15
浅房山 09/18 天気予報良好と聞いて、9時50分笠間に向けて発車、11時20分浅房山201mに登り、登山道途中や山頂でワラビ採りを楽しんだ。
雨引山は、標高409mで筑波山系の北端に位置し、地質は花崗岩を主体に形成されています。
植生は、アカマツやスギを中心に植栽されていますが、部分的にクヌギ、コナラなどの二次林も残っており、その林内にはヤマザクラが群生しています。林床にはヤマツツジ類の花木が多く生育して、四季の変化を楽しむことができます。 また、雨引観音の近辺には、本県を植物分布の北限とする暖地性のスダジイが群落を形成しているのも貴重です。 自然を大切にしましょう。 環境庁茨城県
栄蔵室09/20 7時15分我家を発車、7時50分中郷SA下山夫婦、小林夫婦と6人集合して発車、北茨城IC出口で再集合、箱滝(猿ヶ城渓谷入口)と千猿橋とで下山先生から説明があり、栄蔵室登山口に着いて、9時10分に歩き始めた。
この山行で共に夫人同行した下山さん、小林さんはともに日立に1962年に入社した山仲間で、62会と称して、山歩きやゴルフなど遊びを共にしていた仲間です。 下山さんは今でも元気に山歩きしていて、その様子はHP「山で遊ぼう」に詳述されています。 小林さんは面白い川柳をせっせと読んでいて、東行小師紀行を発刊し続けています。
栄蔵室山については
栄蔵室山は、標高882mに一等三角点を持ち、筑波山の標高877mを越えて、茨城単独での最も高い山頂である。北に安達太良連峰、西に那須連峰、日光連山を望み、南西には晩秋になると、日本最高峰の富士山も確認することができる。 関東地方の北部は、常緑広葉樹林の北限であり、又落葉樹林の南限である。 北茨城市北西部に広がるブナの自然林は、その規模、面積は勿論、年間を通じて美しく変容する景観と共に、関東随一である。 ひがしにほんの植生から見るブナ林は、中間温帯林として、太平洋ではこの標高600m〜700mの高原状の台地にのみ飛び地的に広がる特異な地帯を形成しており、学術的にも注目されている地帯である。
11時半に栄蔵室から下山を始め、途中でヤマブドウを味わいながら下って登山口に12時40分着。
仏頂山-高峯山 09/22
一時荒廃しましたが鎌倉時代に当地の領主である笠間家初代時朝が建長寺(神奈川県鎌倉市)の住職大拙和尚を招いて中興開山し歴代笠間家の菩提寺としました。天正18年(1590)の小田原の役で18代当主笠間綱家は主家である宇都宮家に逆らい参陣しなかった為、北条家が滅亡後、宇都宮家によって滅ぼされましたが楞厳寺は廃寺を免れたようです。 境内には山門や観音堂などの古建築や苔むした参道、庭園など古寺の雰囲気が残され寺宝も数多く所有しています。山号:仏頂山。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:大日如来像。 現在の楞厳寺山門は室町時代中期に建てられた四脚門で切妻、茅葺、間口3.7m、奥行3.8m、「竟堅門」の扁額が掲げられ、扉や壁が無く組物や意匠など当時の禅宗様式を伝える貴重なものとして大正6年(1917)に国指定重要文化財に指定されています。 旧本尊の木造千手観音立像は建長4年(1252)に笠間時朝の寄進によって制作されたもので桧材の寄木造、玉眼嵌入、像高208cm歴史的背景や容姿などから笠間六体仏(石寺弥勒堂弥勒菩薩立像、楞厳寺千手観音立像、岩谷寺薬師如来立像のみが現存)の1つに数えられ大正9年(1920)に国指定重要文化財に指定されています。 楞厳寺境内には笠間氏累代の墓所があり歴史を感じる苔むした墓碑が複数基立並び、中世領主の墓域として貴重な事から昭和53年(1978)に笠間市指定史跡に指定されています。又、楞厳寺境内を含む裏山一帯が片庭ヒメハルゼミ発生地(太平洋側の分布北限)として大変貴重な事から昭和9年(1934)に国指定天然記念物に指定されています。
五大力堂
五大力堂は平安時代、平将門の乱の際、俵藤汰藤原秀郷が霊像5体を安置して将門討伐を祈ったが、討伐後は将門の善心を知り霊を慰めたたと言われています。国を守護する大力のある【金剛吼】【龍王吼】【無畏十力吼】【雷電吼】【無量力吼】の五大力像は檜財の寄木造りとなっている。
次は2000年9月28日、29日の那須連山一泊登山の様子を報告します。 |