I93.シンガポール旅行(3)

1.動 機 
 シンガポール旅行の4日目は、チャイナタウンまで歩き、スリマリアマン寺院観光、骨董品街を物色、

2.データ
a)山域:シンガポール、マレーシア
b)登山日:2001年2月16日〜20日
 2月16日:我家を昼前出発、成田空港からシンガポール空港に夜到着、ホテルへ。
 2月17日:植物園、蘭園、マーライオン、ヒンズー教寺院、回教徒寺院、ナイトサファリ等。
 2月18日:午前中マレーシア(ジョホールパール)、午後セントーサ島
 2月19日:チャイナタウン、地下鉄、セントアンドリュース大寺院、リバーサイド夜景、20時30空港
 2月20日:朝7時成田着
(シンガポール全図)

3.山行記録
3日目2月18日(日)続
 前報でのシンガポール本島に戻ってからの写真は、トライショウ(人力車)に乗っている写真だけでお終いなっているが、アルバムの次のページにラッフルズホテルなど多くに写真があるのを見落としていたので追加します。
 本島に戻ってシンガポール海峡近くのタンジョンバガー通りを通って、
(本島に戻ってタンジョンバガー通り)
 ラッフルズホテルに入ってシンガポール最高級ホテルの雰囲気を味わった。ラッフルズホテルについての説明は前報にあります。
(ラッフルズホテル正面
(ラッフルズホテル一階)
 トライショーの写真も追加が2枚ありました。
(トライショウ)
そのあと、ニュートンサーカスという休憩所で南洋フルーツを味わい、ジュースを頂きました。ドリアン、スターフルーツ、マンゴー、マンゴスチン、バナナなど多くのフルーツがありました。
(ニュートンサーカスで南洋フルーツ)
 日本人経営のホテルニューオータニで四川料理を頂いて、21時頃ラッフルズホテルに戻って、4日コースの仲間を見送りました。(3日目の今夜出発して日本に着くのは4日目なので4日コースになる、私達は5日コース)
(ニューオータニ)
(ニューオータニで豪華夕食)


4日目 2月19日(月) チャイナタウン・スリマリアマン寺院、地下鉄一周、セントアンドリュース教会、リバーサイドの夜景
(シンガポール観光)
 4日目はシンガポール滞在最終日、スーツケースを纏めてフロントに預け、先ずはチャイナタウンまでお散歩。途中、広い2本の通りを一本で渡る長い高架橋が見物だった。
(アッパークロスストリートとハブロックロードを渡る高架橋)
 チャイナタウンに着いて一番の見どころスリ・マリアマン寺院を見学。
     シンガポール最古のヒンズー教寺院は、食べ物や買い物などで魅力的な街チャイナタウンにあるスリ・マリアマン寺院です。ペナン州から来た政府の役人であり、シンガポールで最初の建築会社を設立したナライナ・ピレイよって、1827年に建てられました。同寺院は、南インドのドラヴィダ寺院建築をほうふつとさせるもので、ゴープラム(上に向かって積み上げられた屋根)は、6段に重なった彫刻で飾られています。
 スリ・マリアマン寺院の門前で和子をいれた写真を撮って寺院内に入った。日記では「門番さんのご好意で写真を撮った。」とあるので、この場所は撮影を禁止されていたらしい。内部も撮影が制限されていたのか、残っているのは寺院の一番奥にある女神がぐるりと座っているドームだけだった。
(スリマリアマン寺院の入口門)
(スリマリアマン寺院奥のドーム)
 チャイナタウンのショッピングゾーンで骨董品や子供へのお土産あさり。
(ショッピングゾーン)
 チャイナタウン南部のタンジョンパガー駅で地下鉄に乗り、シティーホール駅で乗換えて、オーチャード駅まで北上した。オーチャード駅近くのレストランで昼食をとって、「ペラナカンプレイスを探して東のサマセット駅に向かってオーチャードロードを歩いたが見つからず、大統領官邸まで歩いて引き返した。」とあるが、今のMAPにはペラナカンプレイスの名前は載っていない。
(オーチャードロード)
 大統領官邸の南側入口門・イスタナメインゲートの写真があるが、ゲートを通って官邸を見ることはしなかったようだ。
(イスタナ(大統領官邸)メインゲイト)
 オーチャード駅まで引き返して地下鉄に乗り、シティーホール駅まで左回りでシンガポールを一周した。1時間20分かかったとある。
(シンガポールの地下鉄路線図)
(シンガポールの地下鉄路線図)
 地下鉄車内での記念写真。左は地下だが、右は地上走行中に見える。
(地下鉄車内)
 地下鉄はしばしば地上に出て高架を走るので、一周する間にシンガポール各地の観光をすることができた。

(ラッフルズシティ―コンペンション)
(地上を走る地下鉄からの眺め)
 シティーホール駅で地下鉄を降り、近くの聖アンドリュース大聖堂を見学した。
     シンガポールにある英国国教会の大聖堂。東南アジアで最古の英国国教会の教会。地下鉄シティーホール駅近くにある。1836年にシンガポールの建国者スタンフォード・ラッフルズ卿の指示により建設された。白い尖塔を持つゴシック様式の現在の大聖堂は1856〜1863年にかけて再建されたもの。夜間にはライトアップされ、幻想的な佇まいをみせている。◇正式名称は「St. Andrew's Cathedral」。

     シビック・ディストリクトによれば、
     セント・アンドリュー大聖堂の貫禄ある塔と尖塔を見過ごすことはまずありません。何と言っても、ここはシンガポール最大の大聖堂であり、最古の英国教会です。
    二度の落雷
     1856年に公共事業部門の上級技師兼部長だったロナルド・マックファーソン大佐が設計した、英国ゴシック様式の建造物は、1852年に1度ならず2度も落雷で倒壊した元の礼拝堂を建て替えたものです。
     初期の教会建物の建設資金を調達したのは、スコットランド人商人たちでした。この教会に、スコットランドの守護聖人にちなんだ名前が付けられたのは、そのためです。大聖堂の建設には、訓練を受けたインド人囚人労働者も携わりました。
     第二次世界大戦中の1942年、シンガポール陥落直前の空襲が頻繁な時期には、大聖堂は救急病院として利用されました。礼拝が再開されたのは、日本が降伏した後の1945年のことです。
    追想
     1973年にナショナル・モニュメントに指定された大聖堂と境内には、多数の記念碑や献辞が置かれています。
     その中の一つ、アプスのステンドグラス窓は、シンガポール建国の父であるスタンフォード・ラッフルズ卿、2代目シンガポール理事官の英国人ジョン・クローファード、海峡植民地総督ウィリアム・バターワース少将に捧げられたものです。また、1915年にシンガポールで起こったインド兵の反乱の犠牲者を追悼する銘板もここにあります。
 大聖堂の前で記念写真を撮ったが、高い尖塔も他の高層ビルに埋もれて迫力今一つ。
 中に入って礼拝堂も見せていただいた。正面のステンドグラスの窓については前記。
(セント・アンドリュース大聖堂前にて)
(セント・アンドリュース大聖堂内部)
 大聖堂を出て、ポートキー、クラークキーと歩いてポートキーで17時30分炒飯のテイータイム。リバーサイドで暗くなるのを待って夜景を眺めてからホテルに戻った。
(グランド コプソーン ウォーターフロントの夜景)

(リバーサイドで夕暮れを待つ)
 暗くなるにつれて河畔の建物の灯りが点き始め、川面に反射していい眺めになってきた。
(段々と日暮れてくる)
 移動しながらいろいろな角度から夜景を楽しんだ。
(リバーサイド絶景なり)
 シンガポールの夜景を心行くまで楽しみながらホテルに戻り、20時半出発して空港に向かい、空港で出国手続きをして23時30分フライト。
(最後のパノラマ:シンガポールさようなら)

5日目2月20日(火) 帰国
 朝7時に無事成田空港に着陸し、帰国手続きをして解散、駐車場の車に迎えに来てもらって、マイカーで10時に無事我が家に帰り着いた。充実した旅でした。 
 次は2001年2月後半の茨城県山歩き・竪破山、真弓山を報告します。


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