I93.シンガポール旅行(3) 1.動 機 シンガポール旅行の4日目は、チャイナタウンまで歩き、スリマリアマン寺院観光、骨董品街を物色、 2.データ a)山域:シンガポール、マレーシア b)登山日:2001年2月16日〜20日 2月16日:我家を昼前出発、成田空港からシンガポール空港に夜到着、ホテルへ。 2月17日:植物園、蘭園、マーライオン、ヒンズー教寺院、回教徒寺院、ナイトサファリ等。 2月18日:午前中マレーシア(ジョホールパール)、午後セントーサ島 2月19日:チャイナタウン、地下鉄、セントアンドリュース大寺院、リバーサイド夜景、20時30空港 2月20日:朝7時成田着
3.山行記録 3日目2月18日(日)続 前報でのシンガポール本島に戻ってからの写真は、トライショウ(人力車)に乗っている写真だけでお終いなっているが、アルバムの次のページにラッフルズホテルなど多くに写真があるのを見落としていたので追加します。 本島に戻ってシンガポール海峡近くのタンジョンバガー通りを通って、
4日目 2月19日(月) チャイナタウン・スリマリアマン寺院、地下鉄一周、セントアンドリュース教会、リバーサイドの夜景
シンガポール最古のヒンズー教寺院は、食べ物や買い物などで魅力的な街チャイナタウンにあるスリ・マリアマン寺院です。ペナン州から来た政府の役人であり、シンガポールで最初の建築会社を設立したナライナ・ピレイよって、1827年に建てられました。同寺院は、南インドのドラヴィダ寺院建築をほうふつとさせるもので、ゴープラム(上に向かって積み上げられた屋根)は、6段に重なった彫刻で飾られています。
シンガポールにある英国国教会の大聖堂。東南アジアで最古の英国国教会の教会。地下鉄シティーホール駅近くにある。1836年にシンガポールの建国者スタンフォード・ラッフルズ卿の指示により建設された。白い尖塔を持つゴシック様式の現在の大聖堂は1856〜1863年にかけて再建されたもの。夜間にはライトアップされ、幻想的な佇まいをみせている。◇正式名称は「St. Andrew's Cathedral」。
シビック・ディストリクトによれば、 セント・アンドリュー大聖堂の貫禄ある塔と尖塔を見過ごすことはまずありません。何と言っても、ここはシンガポール最大の大聖堂であり、最古の英国教会です。 二度の落雷 1856年に公共事業部門の上級技師兼部長だったロナルド・マックファーソン大佐が設計した、英国ゴシック様式の建造物は、1852年に1度ならず2度も落雷で倒壊した元の礼拝堂を建て替えたものです。 初期の教会建物の建設資金を調達したのは、スコットランド人商人たちでした。この教会に、スコットランドの守護聖人にちなんだ名前が付けられたのは、そのためです。大聖堂の建設には、訓練を受けたインド人囚人労働者も携わりました。 第二次世界大戦中の1942年、シンガポール陥落直前の空襲が頻繁な時期には、大聖堂は救急病院として利用されました。礼拝が再開されたのは、日本が降伏した後の1945年のことです。 追想 1973年にナショナル・モニュメントに指定された大聖堂と境内には、多数の記念碑や献辞が置かれています。 その中の一つ、アプスのステンドグラス窓は、シンガポール建国の父であるスタンフォード・ラッフルズ卿、2代目シンガポール理事官の英国人ジョン・クローファード、海峡植民地総督ウィリアム・バターワース少将に捧げられたものです。また、1915年にシンガポールで起こったインド兵の反乱の犠牲者を追悼する銘板もここにあります。 中に入って礼拝堂も見せていただいた。正面のステンドグラスの窓については前記。
5日目2月20日(火) 帰国 朝7時に無事成田空港に着陸し、帰国手続きをして解散、駐車場の車に迎えに来てもらって、マイカーで10時に無事我が家に帰り着いた。充実した旅でした。 次は2001年2月後半の茨城県山歩き・竪破山、真弓山を報告します。 |