I103 2001年4月の山歩き(2)
高鈴山・花園山渓

1.動 機 
 今回は4月後半の、22日高鈴山、23日花園山渓、26日二ツ箭山、29日竜神峡を報告する予定だったが、二ツ箭山は福島県の山、竜神峡は孫二人に大吊り橋のこいのぼりを見に行っただけ、今回は高鈴山と花園山渓だけになりました。二回とも和子は日鉱記念病院に入院中の義母の付き添いで、私一人の山歩きになり休みがてらに撮った花の写真が多くなりました。

2.登山日、山域
 2001年4月22日(日)高鈴山、23日(月)花園山渓

3.山行記録
3.1 4/22(日) 風神山ー高鈴山ー御岩神社
 和子は所要あり日中外出、私一人留守番はつまらない。風神山から高鈴山、御岩神社へと縦走することにして、和子の外出前の車で、日研下の日立市水道浄水場まで送ってもらった。
    我家=浄水場8:50〜9:20風の広場9:25〜10:30真弓神社分岐〜11:20直角分岐〜11:40高鈴ゴルフ場〜12:15ゴルフ場正門〜13:20高鈴山頂(昼食)13:40〜14:30賀比礼神社〜14:50御岩神社=(バス)=日立駅=(バス)=水木駅〜我家
 浄水場から8:50日研脇を通って来る山道に入って風神山へと登って行った。道の脇にはいろいろな野の花が咲いていて、一つ一つ丁寧にシャッタを押しながら登って行った。撮影時刻が記録されていないので、どの辺りで撮ったのかは分からないが、撮影順に並べてみました。花の名前はどうやって調べたのか、アルバムに書いてありました。
(スミレ)
(ミミガタテンナンショウ)
(クサイチゴ)
(タンポポ)
(ケマン)
(クサイチゴ)
 野兎もいたようで写真が撮ってある。広場のようなので、9:20に着いた風神山の風の広場かも。
(ノウサギ)
(ナノハナ)
(スミレ)
(キブシ)
(コキンバイ)
(チゴユリ)
(ニリンソウ)
(コキンバイ)
(クサイチゴ)
(スミレ)
(シャガ)
(ヤマブキ)
(コキンバイ)
(ミヤマキシミ)
(ヤマブキ)
 真弓神社分岐を通り過ぎ、高鈴ゴルフ場より手前で石灰鉱山からの高鈴山登山道に合流する直角分岐点を11:20通過。
(直角分岐点)
(アオキ)
(スミレ)
(タンポポ)
(オオイヌフグリ)
(ヒメオドリコソウ)
(ナナカマド)
(ヒメオドリコソウ)
(ハコベ)
(ラショウモンカズラ)
(ケマン)
(スミレ)
 このヤマザクラは高鈴ゴルフ場脇に咲いていたもの?11:40。ここから先、歩いた距離に比べて花の写真の枚数が急に減っている。
(ヤマザクラ)
 ゴルフ場を過ぎて高鈴山に向かうところに「←日立高鈴ゴルフ倶楽部」の看板が立っていて、上り坂になり、途中にはユキヤナギの植え込みが綺麗な白い花を咲かせていた。
(高鈴ゴルフ場)
(ユキヤナギ)
 高鈴山山頂623m三角点の写真、ここで13:20から13:40迄昼食をとった。
 高鈴山からは奥日立入四間の御岩神社に下るコースを取り、492m御岩山の手前の御嶽神社にお参りしました。
(高鈴山山頂)
(御嶽神社)
 ツツジの花のように見えるが、左の写真は結構大きな木に見える。
(ツツジ?)
(ツツジ)
 御岩山からイワウチワの花を見ながら下って、御岩神社の奥宮である賀毘禮神宮にお参り。
(イワカガミ)
(賀毘禮神宮)
 そこから表参道を下って御岩神社里宮にお参りした。
 御岩神社、賀毘禮神宮については「ひたち風」の中の「ひたち風自慢」に下記説明があります。
「賀毘禮の高峰」は、現在の御岩山の古称であり、奈良時代に編纂された常陸国風土記の久慈郡薩都の里の条にも記述が残っていることから、古代より人々の信仰の聖地であったことがうかがえます。
その条には、「薩都(常陸太田市里野宮)からみて、東の大きな山を『賀毘禮の高峰』と呼んでいる」とあります。「この地に立速日男命(たちはやひおのみこと)という神が降り立ったが、村人が大小便を行ったことにお怒りになり、村に災いや病をもたらした。村人はありのままを天皇(すめらみこと)に伝えたところ、天皇は片岡の大連(おおむらじ)を派遣した。片岡の大連はこの神を敬い祀り、『どうかここを避けて、高い山の清浄なところに鎮まってください』と祈ったところ、立速日男命は聞き入れて、賀毘禮の峰に登った」という話が伝えられています。
御岩山が、その長い歴史の中で最も興隆した時代は江戸時代であり、1630(寛永7)年、水戸藩初代藩主徳川頼房が御岩山を含め周辺地域に出羽三山を分霊するなど、水戸藩の篤い守護を受け、国峰と位置付けられました。
この時代は、多くの山伏たちが御岩山に入峰※し修験道が栄え、当時の入四間町は門前町として賑わいました。
現在、御岩山のふもとにある御岩神社は、古代信仰や神仏混淆を色濃く残す神社として、独自の文化・信仰を伝えています。
近年は全国有数のパワースポットとして注目が集まっており、多くの参拝客で賑わっています。
※「入峰」とは修験者が修行のために山岳の霊場などに入ること。
表参道を登った先に見えてくるのが「賀毘禮神宮」。水戸黄門として知られる水戸藩第2代藩主徳川光圀は、「大日本史」を編纂するにあたり、ここで「筆初めの儀」を執り行い、特にこの社を信仰したといいます。
(御岩神社)
 里宮参道の石段脇には、何本もあるシャクナゲの株が華やかな花を咲かせていた。
(シャクナゲ)
(シャクナゲ)
(シャクナゲ)
 石段下から、楼門、三本杉、社務所を通って県道36号のバス停に出るまでに撮った、シラネアオイ、ヤマザクラ、ショウジョウバカマ、ヤマブキ、ミズバショウの花の写真が残っている。
(シラネアオイ)
(ヤマザクラ)
(ショウジョウバカマ)
(ヤマブキ)
(ミズバショウ)
(ミズバショウ)
 日立駅行きのバスに乗って終点で降りて、日立市図書館で小説を借り出し、大甕駅行きのバスの乗って我家に帰りました。この日のバスに乗るまでの合計歩数は30020歩だったとある。お元気でした。
 
3.2 4月23日(月)花園山渓
 今日も義母の付き添いをする和子を日鉱記念病院まで送り、私は病室まで同行してお見舞い、一人で車に戻って北茨城市に向かい、花園神社近くの花園渓谷駐車場に入った。この駐車場から歩き始め、下図の第一滝見橋から右に向かい、分岐から健脚コースを登って七つ滝、奥ノ院、月山、男体山、女体山と一周して花園神社に戻ってきた。
    我家=11:55日鉱記念病院=13:00花園神社P〜13:25七滝入口〜13:50奥ノ院〜14:10月山〜14:14男体山〜14:17女体山(昼食)〜14:40林道〜14:45七滝入口〜15:05花園神社P=亀谷地湿原=日鉱記念病院=我家
(花園山渓ウオーキングコース)
 駐車場から花園川沿いの砂利道を1760歩せっせと歩いて、第一滝見橋の手前の七ツ滝入口から右の道に入ると、その先の分岐で一般コースと健脚コースに分かれていた。残っている写真を見ると、滝を左岸から撮っているようなので健脚コースを登ったようだ。写真の下の滝の番号は記録がないので推測です。
 七ツ滝の落差は85m。名前の通り垂直に近い岩碧を七段になって清流が落ちている。そのうち4段目の滝壺は底知れぬ深さがあると云われ、16km離れた磯原海岸の亀井磯を経て竜宮城に通じているという伝説があった。山岳地の滝なのに、滝壺に海草が生えアワビが棲むのも、そのためと信じられていた。アワビを花園山の御神体とした時期もあり、この地方ではアワビを食べないという習慣があったという。
(七ツ滝見えてきた)
(四ノ滝)
(二ノ滝、三ノ滝)
(一ノ滝)
 滝を眺め岩場を登って、25分1160歩で奥の院に登りついた。
 霞加減だったが、奥の院頂上からは、近くの山々の展望が気持ちよく見えていた。
(奥の院)
(奥の院から)
 奥の院にはこの先の「月山男体山女体山」への道標は立っていて、その方向に進むと月山、男体山、女体山と続く小さなピークに夫々小さな祠が立っていた。
(月山男体山女体山道標)
(月山山頂)
(男体山山頂)
(男体山・女体山道標)
 女体山の祠は大きな岩の上に祀られていた。
(カタクリの花)
 女体山から先は特に見るものがなく、花の写真を撮りながら駐車場に戻った。
(ケマン)
(ツルキキョウ)
(ニリンソウ群落)
(ニリンソウ)
(ニリンソウ)
(ニリンソウ)
(ムラサキケマン)
(シャクナゲ)
 花園神社の境内にも入ってお参りをした。境内は回らなかったが、拝殿脇のヤマザクラの花が綺麗だった。
茨城県北茨木市の花園神社の縁起は、征夷大将軍だった坂上田村麻呂の創建とも、慈覚大師の開基とも伝えられていてはっきりしませんが、古くからある歴史ある神社です。祀られているのは文武の神様です。境内には、樹齢600年で「天狗マキ」とも呼ばれて親しまれるコウヤマキや、地上10m程のところで三股に分かれていることから「三本杉」と呼ばれる樹齢500年の大スギが立ち並び、どちらも県の天然記念物に指定されています。生い茂る木々の緑の中に、神社の仁王門、拝殿、本殿の朱色が映える様は荘厳で、本当に天狗がいてもおかしくないような神秘性を感じます。
(花園神社)
 神社入口にはドウゴクサバノオやミヤマキケマンの花が咲いていた。
(ドウゴクサバノオ)
(ミヤマキケマン)
 15:05駐車場に戻って8650歩、日立に帰る前にミズバショウを見たくて亀谷地湿原まで入ってみたが、まだ咲き始めたばかりだった。白い花に見えるのは花ではないと読んだ記憶がある。
(ミズバショウ園)
(ミズバショウの花)
 ミズバショウ園を出て北茨城ICから日立中央ICまで常磐道に乗って一路日鉱記念病院に向かい、和子を乗せて我家に帰った。
 次は4/26に久しぶりに夫婦二人で歩いた福島県二ツ箭山の岩場歩きの様子を報告します。



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