I105 2001年5月の山歩き(1)
三鈷室山・矢祭山ー桧山・日立国際大道芸祭・水戸森林公園

1.動 機 
 5月1日に和子が腰痛を起こして山歩き不可になり、2日の山菜採りの同期会、5日の矢祭山のヤマツツジ狩りと桧山登山は私一人で出かけ、12日の日立国際大道芸祭と14日の水戸森林公園で足慣らしをした。

2.登山日、山域
 2001年5月2日(水)三鈷室山、5月5日(土)矢祭山ー桧山、5月12日(土)日立国際大道芸祭、5月14日(月)水戸森林公園

3.山行記録
3.1 5月2日(水)三鈷室山
 日立入社同期会の山仲間に下山先生から「三鈷室山の山菜採り」の呼びかけがきた。和子は義母の介護で参加できず、私一人で集合場所の里美道の駅まで走って駐車場に入ると、集まったのは下山さんご夫婦と啓ちゃんだけだった。下山車1台に4人乗って三鈷室の山道に入って行き止まりに駐車した。ここが三鈷室山の北登山口で、下山先生の案内で中ルートを2時間ぐるぐると歩き回って山菜採りを楽しんだ。
 収穫はタラノメ、コシアブラ、ウドなどどっさりあり、半分を山分けし、残り半分を北登山口の駐車場で天ぷらやみそ汁にして、春の香り一杯の美味しい昼食会を楽しみました。
    我家8:15=8:55里美道の駅=9:45三鈷室北入口〜中ルート(山菜採り)〜三鈷室北入口(昼食)=里美道の駅(解散)=我家
(山菜採りメンバー)
(収穫物整理)
(収穫物:タラノメ・コシアブラ・ウド)

3.2 5月5日(土)矢祭山ー桧山
 和子の腰痛まだ調子悪く、「茨城と近県の山No.37矢祭山に桧山」には私一人で登ってくることにした。
    我家9:20=10:50矢祭山駅ー矢祭山公園11:10ー友情の森公園ー石段ー11:45夢想の滝分岐ー林道ー12:00登山口ー12:30桧山山頂(昼食)12:45ー13:05林道ー13:15友情の森公園分岐ー東屋ー夢想滝ー14:00もみじ橋ー14:15駐車場=竜神峡(赤岩展望台)=我家
(矢祭山ー桧山コースマップ)

 我家を9時20分に出発、R293とR349を繋いで矢祭町まで北上し、1時間半で矢祭山の駅前の駐車場に着いた。先ずは駅裏の矢祭山公園に登ってみると、公園のヤマツツジは今や真っ盛り、絶好の日に来たもんだ。
(矢祭山のヤマツツジ)
 矢祭公園の上部からは赤いあゆつり橋が綺麗に見えていた。
(あゆのつり橋)
 矢祭山公園から赤い橋を渡って、ヤマツツジが続く道を北上し、新夢想橋で久慈川の対岸に渡った。、
(赤い橋)
(ヤマツツジの壁)
 対岸の部落にはこいのぼりが列をなして飾ってあった。矢祭山の岩山をバックに、赤いヤマツツジを前景に、いい眺めになっていた。
(矢祭山山麓とこいのぼり)
(ヤマツツジとこいのぼり)
(矢祭山大だるま岩とこいのぼり)
 友情の森公園まで登っていくと、行く手の登山道の先に桧山の山容が見えていた。
(桧山)
 少し歩くと「ひやまとざんどう」の標識が立っていて「頂上まで1500m」となっていた。
 友情の森から1時間ほど頑張ると桧山山頂に到着、眼下にその間を久慈川の曲がりくねった流れが通っている矢祭町の家並みが見えていた。
(桧山山頂まで1500m)
(桧山山頂から久慈川沿いの矢祭町)
 桧山山頂の三角点での記念写真は、たまたま山頂にいた人にシャッタを押していただいた。
(桧山山頂)
 山頂でおにぎりを食べて、友情の森公園から登って来た道を下り、分岐点で夢想滝の方に分かれて下った。足元にはタンポポやキジムシロなど黄色い可愛い花が咲いていた。
(タンポポ)
(キジムシロ)
 下った突当りの265mピークの近くに東屋のある展望台があり、そこからは真正面に矢祭山が見えていた。久慈川沿いのJR矢祭山駅や商店街と、その上の山腹のあちこちにゴツゴツとした岩とが、何となく調和しているように見える。
(展望台から向かいに矢祭山)
 展望台から少し下ると、矢祭山の一つのシンボル・夢想滝まえに到着。夢想滝は細い滝だが、黒っぽい岩壁を飛沫を飛ばしながら流れ下る姿はなかなか見ごたえがあった。
(夢想滝)
 夢想滝を出て川岸まで下ると、あゆのつり橋が綺麗に見えていた。橋の左右を別々に撮った写真がアルバムにあったものを、パノラマ合成してみたら見事につながった。
(あゆつり橋)
 あゆつり橋を渡って矢祭山駅に戻り、もう一度矢祭山公園に上がって、赤いヤマツツジの遊歩道を楽しんだ。
(夢想滝入口のヤマツツジ)
(ヤマツツジ)
 駐車場に戻って日立への帰途時間にゆとりがあったので、県道33号を南下、常陸太田の天下野から入った山道の終端に駐車して10分ほど登って、赤岩展望台から1000匹ものこいのぼりが棚引く龍神大吊り橋の眺めを楽しんだ。
(赤岩展望台から龍神大吊り橋)
 展望台への道には、チゴユリやジシバリの可愛い花を見ることもできた。
(チゴユリ)
(ジシバリ)

3.2 5月12日(土)日立国際大道芸祭
 久しぶりの上天気、午後、久しぶりの二人連れでのお出かけ。日立駅前のシビックセンタ広場(日立新都市広場)で行われた日立国際大道芸を楽しんできた。
(日立新都市広場側壁の滝)
 三人の女性がブランコに乗って、離れたり繋がったり、青空の下で見事な演技。などなど、絶妙な面白い演技が繰り広げられていて、面白い見物を楽しむことができました。
(三人ブランコ)
(丸棒の上でバランス運動)
(帽子を蹴上げ回転)
(可愛いお姉ちゃん)
(独楽を高かーく投げ上げ)
(鳩が出てきたよ)
(風船で何作ろうか)
(???)

3.3 5月14日(月) 水戸森林公園
 今日は和子の足慣らしに水戸森林公園ハイキング。
 その前に常北町役場に立ち寄って、商工課の事務局長さんから町の説明をして頂き、外に出て役場前の樹齢400年のスダジイの木の説明もしていただいた。樹高11.5m、幹回り4.28m
(常北町役場のスダジイと局長さん)
 局長から説明のあった小松寺にお参りした。
 小松寺についてNETに次の様な城里町の説明を見つけたが、当時の在所は東茨城郡常北町だった。
 小松寺は、城里町上入野にある真言宗智山派の寺で茨城県の名刹であり、城里町の観光名所です。
 治承4年(1180年)に平貞能がこの地に平重盛を埋葬し、天台宗の寺として建立されました。真言宗の寺となったのは、嘉慶元年(1387年)に大掾頼幹が宥尊を招いてからです。木造浮彫如意輪観音像は国指定重要文化財、伝内大臣平重盛墳墓は茨城県指定文化財史跡、唐門・観音堂・鉈彫り観音像は城里町指定文化財となっています。
 ※平重盛は、平清盛の嫡男(正室の子)で保元・平治の乱で若き武将として父・清盛を助けて相次いで戦功を上げ、最終的には左近衛大将、正二位内大臣にまで出世しています。小松寺の名は、平重盛が六波羅小松第に居を構えていたことから、小松殿ないし小松内大臣とも呼ばれていたことに由来します。
 境内には、しだれ桜の古木があり、城里町の歴史観光スポット、しだれ桜の季節観光名所です。
(白雲山小松寺)

(小松寺の境内と裏山)
 小松寺から少し南下して水戸森林公園に入って歩いたのですが、残っている写真は怪獣広場での一枚だけでした。怪獣の背中がすべり台になっています。
(怪獣広場のプラテオサウルス)

 次は5月後半の部、九大山岳部OB会の袈裟丸山、同期会の釈迦が岳の様子を紹介します。



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