I115 2001年6月の山歩き(2)
矢大臣山ー鬼ヶ城山、太平山ー晃石山ー馬不入山

1.動 機 
 6月後半は前半に続いて県外の山となり、18日は福島県の矢大臣山と鬼ヶ城山、28日は栃木県の太平山から晃石山、馬不入山へとの縦走だった。このうち、矢大臣山は「茨城県と近県の山」にも「分県登山ガイド」にも出ていない。鬼ヶ城山の隣だからついでに登ったのだろうが、名物らしい長持石の存在を何で知ったのかわからない。

2.登山日、山域
 2001年6/18(月)矢大臣山ー鬼ヶ城山・6/28(木)太平山ー晃石山ー馬不入山

3.山行記録
3.1 6/18(月)矢大臣山ー鬼ヶ城山
 朝8時20分に我家を発車、日立南ICで常磐道に乗って北上、いわきJCTで磐越道に乗換えて小野ICで高速を下りた。小野新町を通過して田村市に入り、県道145をいわき市との境界線近くまで走って、9時50分に小白井部落の路側に駐車した。
 HP「福島の山々」には矢大臣山について
  矢大臣山 (964.8m)
いわき市と小野町の境界に位置し、いわき市で最も標高の高い山。阿武隈高原中部県立自然公園となっいる。山頂までは2時間近くかかるが、急登が比較的少なく登山道沿いには山野草が多いので退屈せず楽しみながら登れる。この矢大臣山や東隣の鬼ヶ城山は蝶の種類の豊富な山としても有名。ヒメシジミなどの環境庁準絶滅危惧種に指定される蝶なども見られる。近くには湯沢温泉があり、宿泊はもちろん温泉だけの利用もできるので時間が許せば立ち寄りたい。
    我家8:20=日立南IC=小野IC=9:50小白井登山口9:55ー10:45矢大臣山山頂11:20ー11:35長持石11:40ー11:52矢大臣山山頂ー小白井登山口12:45=13:00いわきの里鬼ヶ城P(昼食)13:10ー14:00鬼ヶ城山西峰山頂14:05ー14:15鬼ヶ城山東峰山頂14:20ー14:45鬼ヶ城P15:00=(一般道)=田尻メヒコ(夕食)=我家着
(高柴山・五十人山赤ライン

矢大臣山
 小白井の駐車場所の南には高圧線の鉄塔が立つ小さな山があって、これから登りたい矢大臣山は見えなかった。
(小白井の鉄塔のある山)
 小山に登ると、通信鉄塔が立ち並ぶ矢大臣山の山頂が目の前に広がった。
(矢大臣山)
 矢大臣山の頂迄登ると、古びた石(?)の祠が祀ってあった。麓の人が大事にお守りしているようで、周りを竹と縄で飾ってあった。
(山頂の祠)
 矢大臣山には展望台が立っていて、四方の山を見渡すことができた。すっきり晴れていれば海まで見通すことも出来たのだろうが少々霞加減の景色だった。
(矢大臣山頂上展望台から西方蓬田岳〜日影山)
(バックは北方大滝根山〜高塚山〜手倉山)
(北方大滝根山、高塚山〜東方鬼ヶ城方面)
(南西方蓬田岳〜西方一盃山〜北西高柴山方面)
 展望台からの眺めを楽しんでから、長持石を見に少し南側の下ってみた。森の中に高さ3mもありそうな大きな岩が一つだけポツンと立っていて、脇に壊れかけた説明板が立っていた。
        名所 長持石
    むかし、夜明け前に長持を山頂にあげると陸奥の富士山になると告げられた老夫婦が、大きな長持をかつぎあげここまで来たとき、一番鶏が鳴き突然長持が割れて石になったと伝えられます。
              小野町観光協会
(長持石)
 長持ち石を眺めてすぐに山頂に引き返し、小白井部落迄下って車に乗って県道145を東走、県道36との交差点で南の県道359に曲がった。県道359は山の中の道で、途中に公園「いわきの里鬼ヶ城」への入口があった。公園に入って広い駐車場に車を停め、公園の中のレストランで昼食をとってから鬼ヶ城山に登り始めた。

鬼ヶ城山
 鬼ヶ城山には東峰と西峰とがあり、作られたコースは登山口のいわきの里鬼ヶ城の駐車場から歩いて二つの峰をぐるりと回るようになっている。東峰を先に登る左回りは東峰まで急坂が続いてきつく、西峰を先に登る右回りが登りが楽で一般コースになっているらしい。我家ももちろん右回りコースを選んだ。
坂道を登って
(鬼ヶ城山ハイキングマップ)
 HP「福島の山々」には鬼ヶ城山について
        鬼ヶ城山 (887.3m)
    いわき市の北西部に位置する。矢大臣山(965m)に次ぐいわき市第二の高峰で、年間2万人以上の登山者が訪れる人気のある山。うつくしま百名山にも選定されている。鬼ヶ城山の名前から推測されるように、昔はこの山に鬼(朝廷の圧政に抵抗したといわれる大多鬼丸の一味)が住んでいたと言い伝えられているが、穏やかな山容からはとても想像がつかない。南麓は、いわき市営「いわきの里鬼ヶ城」として整備されている。宿泊施設やキャンプ場、バンガロー、野球場、テニスコートなどがあり家族連れで楽しめる。
 いわきに里鬼ヶ城の公園からは目の前に鬼ヶ城山連山が横たわって見えていた。
(いわきに里鬼ヶ城から鬼ヶ城山)
 公園の中に鬼ヶ城登山道の案内標識が立っていて登山口になっていた。
(鬼ヶ城山登山口)
 登山口からまっすぐ歩いて分岐点迄来ると、目の前に東峰の丸い山頂が見えていた。
(分岐点から東峰)
 左に折れてしばらく林道を歩いてから山道に入って尾根近くまで登ると展望が開け、羽山や万太郎山辺りが見えていた。
(眺望ポイントから羽山・万太郎山)
 尾根道はブナの巨木が立ち並ぶ道だったが、時には岩場もあったようだ。
(ブナの山道)
 西峰に登りつくと大岩の上に4つの石仏が祀ってあり、
(鬼ヶ城西峰:向こうに大滝根山
 その岩頭からは、北方に羽山、大滝根山、万太郎山などの山々が見えていた。
(西峰からの展望:羽山〜大滝根山〜万太郎山)
 一旦下って登り返した東峰には三等三角点標石が埋まっていた。
(鬼ヶ城山東峰三角点)
 近くの岩の上に「鬼ヶ城山山頂 標高八八七メートル」の標柱が立っていて記念写真。
(鬼ヶ城山東峰山頂標柱)
 鬼ヶ城のところに、下のような素晴らしい岩の写真が残っていて、何か名前の付いた大岩だと思われるが、NETで鬼ヶ城山を検索しても出てこない。
(大石)
 いわきに里鬼ヶ城の公園に下ってから我家迄の帰り道は、高速を使わずひたすら一般道を走って帰った。 
 今日も色々変わった野の花の写真を撮ることができた。
(ヤマボウシ)
(トリアシショウマ)
(クサタチバナ)
(アヤメ)
(アヤメ)
(キキョウ)
(フタリシズカ
(ハルジオン)
(ヤクシソウ)
(アカツメクサ)
(ウマノアシガタ)
(コゴメウツギ)
(ノリウツギ
(コゴメウツギ)
(コゴメウツギ)
(ジジバリ)
(ニシキウツギ)

3.2 6/28(木)太平山ー晃石山ー馬不入山
 「分県登山ガイド 栃木県の山」に出ている太平山の項には、大平山〜晃石山〜馬不入山と三山縦走のコースで説明されている。この道に沿って歩くことで出発した。
 我家を7時10分発車、日立南ICから常磐道に乗り、友部で北関東道に乗換えて笠間西ICで高速を下り、R50を延々2時間走って大平下駅の駐車場に車を入れて歩き始めた。
    我家発7:10=7:23日立南IC=7:52笠間西IC=大平下駅P9:51ー10:10登山口ー10:45謙信平10:50ー大平神社アジサイ坂ー11:15大明竹ー11:40大平山山頂12:05ー13:20ぐみの木峠ー12:45晃石山ー13:20桜峠13:25ー13:55馬不入山14:05ー14:45車道ー15:20岩舟駅=JR=大平下駅P=常陸太田スーパ=18:30森山着
(大平山登山コース)
 駅前から20分歩いて大平山登山口に着いた。客人神社の石段が登山口になっていた。
(大中寺と大平山登山口の分岐点馬)
 大平山遊覧道路まで上がったいくと県立自然公園があって謙信平という展望台があった。
 山頂付近の謙信平からは、関東平野が一望でき、天気が良い日には遠くスカイツリーや富士山まで望むこともでき、眼下に広がる雄大な景観も美しく、陸の松島と称されるほどです。
戦国時代の頃、関東平定を競い対立した越後の上杉謙信と、小田原の北条氏康は、当時の大中寺住職虎溪和尚(こけいおしょう)の斡旋により、永祿11年(1568)9月、大中寺において和議を結びました。そのあと、上杉謙信は太平山に登り、兵馬の訓練を行い太平山上から南の関東平野を見渡し、あまりの広さに目を見張ったという故事から謙信平の地名が生まれたといわれています。
(謙信平)
 謙信平の前は展望が開けていたが、残念ながら一面に霞が掛かっていて、富士山は望むべくもなかった。
(謙信平からの展望)
 その先に大平山神社の石段があり、その両側にアジサイの植え込みになっていて、まだ咲き始めで半分ぐらい新鮮な花を咲かせていた。
(大平山神社参道:アジサイ坂)
 多くの社殿が建ち並ぶ境内の一番奥に本殿がたっていた。屋根下は多くの奉納額で飾られて荘厳な雰囲気があり、その下に飾られた三つの巨大な鈴が目立っていた。
    関東の霊山より天下太平を祈り続けて1300年、諸願成就の神社
    人々の幸福を祈り続ける太平山神社は42社60余の神々をお祀りし、「全ての神々この山に有り全ての御神徳この山より始まる」とまで言われている。古来より、年間80数度の祭祀が奉仕され、万人の心を支え「祈願成就ならざることなし」と篤く信仰されてきており、現在でも、願いのままに諸祈願祈祷が日々行われ、個人・家庭・社会・国の基として参拝が絶えない。交通安全神社や足腰の神を祀る足尾神社は、特に参拝が多い神社である。また、太平山の桜とアジサイは関東一円に有名である。
(大平山神社本殿)
 神社まで石段続きの登りだったが、神社から大平山まではなだらかな登山道が続いた。富士浅間神社の裏に大平山の山頂標柱がたっていた。
(大平山)
 341mの太平山からは木立の向こうに、これから歩く晃石山419.1m、その左に馬不入山345.2mが見えていた。
(大平山からの展望:これから行く馬不入山、晃石山)
 大平山から晃石山までは途中にぐみの木峠を挟んで気持ちのいいハイキングコースが続いた。
(ぐみの木峠)
 次の晃石山は標高419.1mで本日の最高地点、記念撮影。標高に.1mと小数点が付いているのは三角点のある山のはずだが、三角点標石は見当たらない。
(晃石山:てるいしやま)
 晃石山からいくつかのピークを越えながら下っていくと、頑丈な手すりが付いた急坂が待っていた。転ばないよう足元に気を付けながら下って行った。
(手すり付きの遊歩道)
 長い坂を下りきったところに大きなヤマザクラの古木が立っており、その木に桜峠の看板が付いていた。昔は表東山道と裏東山道との連絡路として、また、岩舟や葛生方面への生活道路として重要な道だったとのこと。。
(櫻峠の山桜の古木)
 桜峠の近くに「関東ふれあいの道」の案内標識が立っていて、ここから峠を下って村桧神社まで5.2km、馬不入山1.3kmを越えて岩舟駅まで4.6kmがそのハイキング道らしい。マップで村檜神社の場所を検索すると東北道の西にあった。
(馬不入山への分岐)
 桜峠から一旦尾根道まで上がると多少のアップダウンを繰り返しながらゆっくり歩いて馬不入山の山頂345.2mに登り着いた。
(馬不入山)
 期待した馬不入山からの西側の展望も、全面霞で覆われていてやはり富士山か無理だった。
(馬不入山からの展望:残念)
 山上からの眺めは期待外れだったが、馬不入山から岩舟町の田園地帯に下りきって振り返った時の、馬不入山と晃石山の山容がいい眺めになっていた。
(岩舟から馬不入山と晃石山)
 ため池の水面越しに見る岩船山の岩壁も素晴らしい眺めだった。
(岩舟山)
 野の花の写真も多くなかったが、大平山登り口にあった大明竹が他には見られない珍しい植物だった。多くの竹を束ねた大きな束の付け根に付いていた名板の説明。
 沖縄九州方面にだけ自生
 大明竹(ダイミンチク)天正五年(一五七七)
 皆川五代目城主 玄照公が鉄砲の火縄〇〇をとるためうえたという。

(トウダイグサ)
(大明竹ダイミンチク)
(ナナフシ?)
(オカトラノオ)
(ホタルブクロ)
(ユキノシタ)
(ユキノシタ)
(シャリンバイ)
(アジサイ)
(ヤブカンゾウ)
(ノリウツギ)
 歩いて15時20分岩舟駅に着いて、隣駅の大平下駅まで電車に乗って、駐車場の車で一般道を走り、途中常陸太田のスーパで買い物をして18時30分我家に帰った。
 次は先日、11月26日に行ってみた花貫渓谷の紅葉の様子を報告します。


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