J16 2001年9月の山歩き(3) 日隠山
1.動 機
2001年9/23(日) 日隠山601今回の同期会の山歩きは和子は体調悪く欠場、下山夫妻と小林Kさんと私の4人の日隠山山行だった。日隠山は福島県大熊町にある601mの山だが、「福島県の山」や「茨城県と近県の山」にも載っていない。リーダの下山さんが、どこからこんな山を見つけ出したか分からないが、眺めも良く道標などしっかりしていて、標高差500mの山歩きを面白く楽しむことができた。 2.登山日、山域 我家6:55=7:40湯の岳PA集合8:05=坂下ダム9:10ー9:32坂上の道ー参詣清水ー10:34展望台ー11:20日隠山山頂(昼食)12:10ー12:45ロマンの広場13:10ー14:00坂下ダム14:10=17:10我家
3.山行記録
和子の体調悪く今回不参加、私一人で7時前に我家を出発、常磐道に乗って湯の岳PA に40分で到着、下山夫妻と小林Kさんと合流、常磐道と県道35を走って坂下ダムPに1時間で到着した。坂下ダム湖畔には大きな日隠山登山道案内板が立っていて、出発前の記念写真。案内板には山頂まで1時間半〜2時間とあった。 案内板に従って、日隠山に向かってふれあいの道を歩いていくと「坂の上の道(旧会津街道)」の道標があり、「昔は”鉄の径””塩の径”として、ここを人々が行きかっていたと言われています。 大熊町観光協会」との説明が付いていた。
参詣清水 ここの清水は、板付観音を御参りする人々が禊の水として使用していたことから「参詣清水」と呼ばれており、かっては、ここから行き交う人馬がのどを潤したところともいわれています。また、もう一つの話では、昔、高貴な婦人が旅の最中、ここの清水を飲んだところ急に産気づいたことから「産気清水」の名がついたという言い伝えもありますが、清水は今も昔も絶えることなくこんこんと湧き出ています。 大熊町観光協会
昼食会が終わって、山頂からトラロープたよりに少し下ったところに天狗岩があった。天狗岩の説明板には、 昔からの言い伝えによると、この日陰山は山嶽信仰の場として、かっては修験者達が修業していたところといわれています。 旅人が、ここを通りかかり、異様な出立ちで岩から岩へと飛び移る修験者の姿を、天狗が宙を舞っているように見えたことから、天狗岩の名が付いたと伝えられています。 大熊町観光協会
2011年3月11日の東日本大地震と大津波で大きな被害を受け、廃炉のやむなきに至り、後処理の難しさと作業のもたつきやデータ隠しなどから、反原発の炎の火付け役になった形になったが、当時は1971年3月26日の1号機稼働後30年、首都圏の産業成長の支え役を担っていた時代で、原発がまだ華やかな時代だった。 南・茨城県側の展望も広く、目立って見えているのは屹兎屋山辺りか?
板付観音にまつわる物語によると、「昔、坂上田村麻呂が大滝根山に住む悪路王という悪者を討伐するため毛戸に向かって進んでいた。そして、ここに差し掛かると、何かに驚いた田村麻呂の馬が脚を踏み外し、崖を滑り落ちて悲し気な声で嘶いて死んでしまった。 ーーそれからというもの、馬を引いてここを通ると、遥か谷底から悲しげな馬の嘶きが聞こえて来て、馬が吸い込まれるように崖から転び落ちて死んでしまうので、観世音をまつって馬の霊を祈ったのだとーー 大熊町観光協会
今回は花を探し回るようなことはしなかったので、野の花の写真の枚数はそれほど多くはありませんが、アイウエオ順に並べました。
次は、9月28日夕方風神山に登った時の秋の花、9月30日に歩いた奥久慈縦走路の時間記録を報告します。 |