J63 西山の里6月の花

1.動 機 
 今回は、昔の山歩きの話を書く予定だせたが、父の日の祝いに18日に水戸の娘が孫と一緒に日立来てくれたので、今回はこの話を報告ます。近くのお寿司屋さんでちらし寿司やにぎり寿司で楽しい会食。昼食後、アジサイの花を見たいねという話になり、どこに行こうかと相談、私の体力で楽しめそうな常陸太田の西山の里を歩くことになった。アジサイの花はまだ咲き始めというところだったが、ハナショウブが満開で迎えてくれた。ゆっくり歩きながら、花の写真をいっぱい撮ったので、ほんの一部を紹介します。

2.登山日、山域
 2022年6/18(土)常陸太田西山の里

3 山行記録
 水戸の娘が父の日のお祝いにと前日に電話で打ち合わせ、私の好みを聞いてから日立多賀駅近くのお寿司屋さんの予約をとってくれていた。昼前に孫を連れて我が家に到着し、しばらく歓談してから、お寿司屋さんへ直行。メニューを見て、私は食べやすそうなちらし寿司を注文、和子と孫は同じちらし寿司、娘だけ握り寿司を注文、和室の個室で揃って美味しく頂戴した。
(ちらし寿司)
(にぎり寿司)
 食後、アジサイを見に行くことになり、行先に奥日立きららの里が候補にあがったが去年ドライブしたばかり、常陸太田の西山の里に行ってみることにした。
(西山の里案内図)
 西山の里入口の桃源の駐車場に車を入れると、目の前に梅の実の様な実が鈴なりになった木がありパチリ。梅の木に鈴なりの実は見たことないし、葉の形も違いそう。何のいう木なのでしょう。
 ヤマアジサイの写真も残っている。
(この実なんの実?)
(ヤマアジサイ)
 お土産屋桃源の中を通って出たところに池を渡る橋があり、私は右側の池を群れて泳いでいる緋鯉や真鯉を眺めながら渡った。
 橋を渡って左に曲がって池を振り返ると、橋の上から餌を撒いている家族がいて、その下には鯉が渦巻くように群れているのが見えていた。
(桃源前の池の鯉@)
(桃源前の池の鯉A)
 鯉の池から先を眺めると、木橋の先に、紺色のハナショウブの池と茶色の休憩舎の屋根が見えていた。
(桃源前の池の鯉B)
 先の木橋を渡っていくと、池からは小さな噴水が噴き出していて、その先にハナショウブ園が続き、その先には休憩舎も見えていた。
(噴水とハナショウブ園)
 ハナショウブ園のすぐそばまで行くと、ハナショウブの花を一輪一輪綺麗に眺められるようになった。
(ハナショウブ園@)
 ハナショウブ園から桃源振り返って見ると、古めかしい建物とハナショウブの派手やかな色合いとの対比はいい眺めになっていた。
(ハナショウブ園A)
 この先もハナショウブ園で撮った写真がいっぱい残っています。娘も写真をしっかり撮ってくれていました。
(ハナショウブ園B)
(ハナショウブ園C)
(ハナショウブ園D)
(ハナショウブ園E)
(ハナショウブ園F)
(ハナショウブ園G)
(ハナショウブ園H)
 アジサイはまだ咲き始めたばかりだったが、色々なアジサイの花がありました。
(アジサイ@)
(アジサイA)
 ゆっくり歩きながらせっせとシャッタを押しました。
(アジサイB)
(アジサイC)
(アジサイD)
(アジサイE)
(アジサイF)
(アジサイG)
(アジサイH)
(アジサイI)
(アジサイJ)
(アジサイK)
(アジサイL)
(アジサイM)
(アジサイN)
(アジサイO)
(アジサイP)
(アジサイQ)
(アジサイR)
(アジサイS)
(アジサイ21)
 梅園の中に小さな梅の木があり、その前に「光圀公没後三百年記念」の立札が立っていた。
 難波梅(なにわうめ) 光圀公が一番好んだ梅です。 贈 佐野浅夫 平成十二年四月二十二日
(アジサイ22)
(光圀公没後三百年記念)
 蓮の葉が一面に浮いている蓮池があったが、残念ながら花はまだやっと蕾が出たところでで目立たなかった。もう少しすると綺麗に咲くのでしょう。
(蓮池)
(蓮池のアップ)
 ドクダミの群落があり、白い花を咲かせていた。家の庭にあると嫌な植物だが、こんなところにあるとシャッタを押したくなる。
(ドクダミの群落)
(溝の中のドクダミ)
 西山の里の奥に西山荘管理事務所があり、その前の小さな池の周りにもアジサイが植えてあって、私一人でシャッタを押しながら一回りした。
(西山荘管理事務所前の池@)
(西山荘管理事務所前の池A)
(西山荘管理事務所前の池B)
(西山荘管理事務所前の池C)
(西山荘管理事務所前の池D事務所前から)
 管理事務所の中に入ると、水戸黄門についての説明板があったので、杖と印籠についての説明を載せておきます。
(黄門さまの杖と印籠)
 管理事務所から奥は入場料が必要、歩かないで済んで助かりました。
(ここより先有料)
 管理事務所からは山際の道を歩いて引き返しましたが、途中、ハナショウブ園が綺麗に見えるところがあったパチリ、パチリ。
(ハナショウブ園I)
(ハナショウブ園J)
 森の中に白い花が咲いていてシャッタを押したが、拡大しても焦点が合っていなくて何の花だか判別がつきません。シャッタを押すときに拡大しないといけませんでした。
(茂みの中に白い花写真拡大)
 その先に小さな田圃があって、その前に「御前田(ごぜんだ)」の説明板が立っていた。
 元禄三年(1690年)水戸徳川家二代光圀公(義公・1626〜1700)は家督を三代網條公(粛公1656〜1718)に譲り、同四年(1691)に完成間もない西山御殿に移り棲まれました。
 隠居された光圀公は御前田で自ら家臣と共に米作りに汗を流されました。
 この御前田は、光圀公が自ら耕された水田(約5000u、約1500坪)の一部で、一領民となられた光圀公は、太田奉行所に十三俵(約780s)を納めました。
 現在、この御前田で収穫したお米は公益財団法人 徳川ミュージアムが企画する「子供達の食育プログラム」で地域の子供たちの給食に提供されています。
            所有・管理 公益財団法人徳川ミュージアム 2019,10
(御前田)

 御前田の先に不老沢跡の案内板があり、晏如庵の立札のところからの階段道を登って行った。、
(不老沢跡)
(晏如庵)
 その上には不老池という大きな池があった。
(不老池)
 不老池の右側に直進方向「社団法人茨城県緑化推進機構実施 大洗ゴルフクラブ寄贈」、左池沿いの道に「助さん住居跡」の立札が立っていた。和子と娘は助さん住居跡に向かったが、孫は直進方向に登って行った。私は池の前に座って待っていると、孫がすぐに引き返してきて「車道に出ちゃった」と云いながら、二人の後を追っかけて行った。
(助さん住居跡へ)
 私が不老池を眺めながら待っていると、10分ほどで3人揃って戻ってきた。娘は助さん住居跡の立て札を証拠写真に撮っていた。
 助さんの住居跡には、私も元気だった2017年9月に歩いています。(E91.常陸太田ぶどう園と桃源庭園
(助さん住居跡案内板)
 不老池から桃源駐車場に戻り、途中、スーパで買物して我家に帰りついた。
 西山の里にはD87.常陸太田ヘルスロード220E91.常陸太田ぶどう園と桃源庭園F41.辰ノ口のさくら堤と西山公園の桜Y71.茨城初夏の花巡りなど数回歩きに行っています。また昔の話2001年11月の山歩きに戻って、11/11の熊野山、11/17奥竜神、の山行記を書く予定です。


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