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(高鈴ゴルフ場からスタート)10:22 | (高鈴山との分岐標@)10:40 |
途中に蔦だか高木だか分からない赤っぽい葉だか花だかをつけた木があり、綺麗なので写真に残してあるが、今見るとなんという木だか見当がつかない。
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(白木山山頂から八溝山方向の展望)10:56 |
道標から20分ほど歩いたところに、また「高鈴山← →風神山・真弓山」の道標が立っていた。
その先で撮った写真には、八方に広がる細長い葉の真ん中に赤い実を付けた木があった。これはミヤマシキミの実で、有毒成分が含まれていて三大毒木の一つらしい。
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(また高鈴山分岐標A)11:14 | (ミヤマシキミ)11:35 |
歩き始めて1時間40分、丁度12時ごろ採石場の脇に着くと、また高鈴山← →風神山・真弓山」の道標が立っていた。
真弓神社への山道で見つけた赤い実の木、この実は下にぶら下がっていて、スマホで検索するとカラタチバナの実。
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(またまた高鈴山分岐標B)12:00採石場 | (カラタチバナ)12:13 |
この時には採石場の写真を撮っていないが、この前の年2001年2月27日に真弓神社にお参りした時には2枚の写真を撮っている。
I94.2001年2月の山歩き(2)
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(採石場)2001/02/27 |
採石場から尾根道を下って真弓神社について、本殿にお参りして記念の写真を撮っている。脇には「慶祝皇孫殿下御誕生」の旗が垂れている。
この立派な真弓神社について、常陸太田市の広報には、
真弓神社は大同二年(807)の創立で、御祭神は大己貴命(おおなむちのむこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)。坂上田村麻呂、大伴乙麻呂が北征の日に八所権現を斎祀。堀河天皇在位中の寛治年間(1087-1094)に、源義家がこの神に戦勝祈願し、陸奥を平定して凱旋のおり、弓八張を奉納したことから、真弓八所権現と呼ぶようになった。(天明2年罹災古記を失う)
以来、武門の神として崇敬をあつめ、佐竹氏が社殿を造営。また水戸藩主徳川光圀公は山王大権現の称号を贈り、真弓山が水戸城の鬼門にあたるので、神徳を崇敬して二十余村の大鎮守とし、春季大例祭には歴代の水戸藩主は御連枝(分家)の殿様を代参させたといわれている。明治元年十二月に社号を真弓神社と改め、農業、漁業関係者に深い崇敬層をもっている。
縁起 徳川斎昭公弘道館記碑を作る時、当山の大理石を使用する事にしたが真弓山の「大理石」は「お留山」であった
烈公は、和歌「武士の引立様と曵く石を真弓の神のいかで惜まむ」「我が国の道をひろむる石なれば真弓の神の祟りあるまじ」の二首を白扇に書し、大前に祈願した。
天明3年宮司宅地内に分社(里宮)を創建。明治元年12月社号を真弓神社とする。昭和19年東久邇宮盛厚殿下御参拝
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(真弓神社本殿)12:16 |
真弓神社の境内にはどんぐりのような実を付けたキヅタの茂みがあった。
キヅタは日本原産の植物で、沖縄から北海道の南部まで広く分布しています。 森林、野山に自生するほか、植栽にも取り入れられています。 基本は樹木や壁を支えに伸び上がりますが、日照が確保できれば地表も這い、環境を選ばない丈夫な植物です。
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(キヅタの実)12:18 | (キヅタの木)12:19 |
真弓神社で昼食をとってから引き返し、途中、和子の趣味の材料蔦を採集してゴルフ場Pに戻り、我家には16時ごろ帰ってきた。
3.2 西明寺〜高館山
1月12日には遠路栃木県まで出かけて、益子焼共販センターの駐車場に車を置いて、獨鈷山西明寺・高館山から益子の森自然公園へと歩いて一回りした。
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(益子駅2.9km← →西明寺0.6km)11:24 | (地蔵院← →西明寺)11:33 |
西明寺の本堂へと続く石段、対の石灯篭も凝った造り、名刹を思わせる。左の石柱に西明寺、右の石柱には山号の獨鈷山とある。
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(獨鈷山西明寺)11:40 |
石段を登っていくと、左右の茂みにシイの古木が聳えていた。
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(西明寺参道のシイの巨木)11:44 |
本堂前まで登ると、「西明寺における文化財について」と題する益子町教育委員会の説明板が立っていた。
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(西明寺における文化財について)11:46 |
本堂前から振り返ると、楼門、三重塔、鐘楼堂の取り合わせが歴史を感じさせていた。
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(西明寺の楼門と三重塔と鐘楼堂)11:47 |
境内にある焔魔堂の中におられる閻魔様の写真も撮っているが、この閻魔様は日本で唯一笑ってる閻魔様だとのこと。この写真では怒っていらっしゃるようにも見えるが。
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(焔魔堂)11:50 | (閻魔王)11:51 |
境内には囲いで守られた高野槇の大木が立っていて、栃木名木百選の立札が立っていた。
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(西明寺本堂)11:50 | (栃木名木百選 高野槇)11:53 |
本堂の軒下には天女様が雲間を泳いでいる古い彫刻がぐるりと飾ってあり、
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(本堂軒下の彫刻)11:54 |
パノラマ合成したらしい写真がある。
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(本堂軒下の彫刻の合成パノラマ)11:54 |
西明寺からふれあいの道に下りると、「権現平← →益子駅」権現平300mの案内板が立っていた。
その少し先には「西明寺← →権現平」西明寺300m、権現平100mの案内板。
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(権現平← →益子駅)12:00 | (西明寺← →権現平)12:05 |
次は高館山展望台の写真。高館山展望台は権現平のすぐ上にある展望台。
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(高館山展望台)12:37 |
次の写真は西明寺城跡(高館城跡)の説明板、標高301.8mの高館山にある城跡。
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(西明寺城跡説明板)12:47 |
高館山からはうっすらと赤城連山の長七郎山・駒ヶ岳・黒檜山が見えていた。
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(高館城址から赤城連山)12:52 |
高館山には三角点標石があり、記念写真を撮っている。
高館山を下りて益子の森に向かい、その途中に関東ふれあいの道「益子の森← →西明寺」の案内板が立っていた。西明寺から1km、益子の森まで0.8kmとある。
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(高館山山頂301.8m)12:56 | (益子の森← →西明寺)13:08 |
益子の森まで歩いて始めに撮った写真はあじさい橋。随分古びた吊橋に見える。
長さ46mの吊橋で、橋下の高さは最高約12mあります。周りの斜面や沢沿いには、あじさい、こぶしなどがみられます。
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(あじさい橋)13:15 |
あじさい橋を渡って益子の森に入り、最高地点に立つ展望塔に登って展望を楽しんだ、
益子の森の最高地点(標高190m)にある高さ20m展望塔です。 益子町内の美しい田園風景はもちろん、日光連山や高原山、那須連山なども見渡すことができます。
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(益子の森)13:46 | (益子の森展望塔)13:24 |
眼前には先に登った高館山が眼前に見えていた。高館山からこの展望台の写真は撮っていないのは、高館山は展望が良くなかったのかも。
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(展望塔から高館山)13:28 |
展望塔の上からは、ぐるり雨巻山、足尾山、鶏足山、花香月山、芳賀富士、八溝山、那須、高原山、日光男体山、日光白根山、足尾山塊、安蘇山塊、そして関東平野の北の端にあたる宇都宮方面の町並みなどが一望です。
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(展望塔から@)13:28 |
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(展望塔からA)13:29 |
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271.66m(展望塔からB芳賀富士(大平山))13:29 |
益子の森公園には「益子の森周辺の鳥」の案内板があった。ここにはいろいろな野鳥がやってくるらしい。
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(大山祗神社)13:42 |
色々な鳥が見分けられるように、拡大しておきます。
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(大山祗神社)13:42 |
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(大山祗神社)13:42 |
益子の森を西端迄下ると、大きな池・須田の池があって、多くの水鳥が泳いでいた。
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(須田ケ池公園@)14:11 |
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(須田ケ池公園A)14:10 |
15時に共販センタ―に帰り着き、骨董の店に入ってお茶をご馳走になり、湯呑茶碗や佃煮を買い、益子の山の説明を色々と聞いて帰途についた。
次は1月14日に歩いた、我家の裏山助川山に登った時の記録を報告します。