我家を10時25分に出発して、11時10分助川山の登山口の出会いの広場@には11時10分に到着、出会いの広場@には「助川山・市民の森」と彫った大きな岩があった。
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@(助川山登山口:市民の森)10:53 |
出会いの広場@から登っていくと分岐点Aがあり、「ひねり沢← →スギの沢」直角方向「であいの広場」の道標が立っていた。
ひねり沢Bにはおむすび池Iと渓谷の森との分岐標識が立っていた。
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A(ひねり沢分岐)11:10 | B(ひねり沢)11:30 |
ひねり沢Bにはもう一つの道標が立っていて、「おむすびの池0.8km← →くぬぎ広場0.8km」直角方向に「どんぐりの森ー山頂0.9km」となっていた。B地点からおむすび池Iまで0.8kmは距離が合わない。Gの地点に立つべき道標のように思える。くぬぎ広場の場所も分からない。
次の曲がりくねった先にD地点での道標は「山の神団地1.6km← →助川山頂0.5km」直角方向「ひねり沢0.4km」を示している。馬頭観世音の先に山の神団地がある。
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C(ひねり沢)11:38 | D(索道の下)11:49 |
地点Dは索道のすぐ下で、「架空索道について」の説明板が立っていた。日立セメント(株)が、原料の石灰石を大平田鉱山から山根にある貯鉱場まで山間を4kmも空中運搬しているものとのこと。
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G(おおみねの丘)12:47 |
おおみねの丘Gから少し歩くと馬力神Hの石碑が祀られていた。
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H(馬力神)12:52 |
近くに立っていた説明板には「この通りは昔、会瀬や小木津能美で捕れた魚や塩を、高鈴山を通って里美や大子などの山間部の村へ運ぶのに使われていました。」とあるが、「馬力神ってナニ?」の下の説明文がボケて読めないので、NETの説明文を転記しておきます。
馬頭観音で検索すると、昔馬で物資を運ぶため貴重な馬が亡くなったとき、供養のために建てられたものとあります。
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H(馬力神)12:53 |
馬力神Hから更に歩いておむすび池Iに着くと、「出会いの広場← →助川山」直角方向「ひねり沢」道標が立っていた。前出の物産協会HP案内図の一番左にある交差点、これから行く百体観音は助川山自然遊歩道の区域外なので道標には表示されていない。案内図にも「至百体観音」、道は点線表示になっている。