Ja3.2002年1月の山歩き(2)助川山

1.動 機 
 1月14日、2002年3回目の山歩きは奥久慈の山にしようと思っていたが、その日は二人とも朝寝坊、奥久慈は無理として、日立の裏山・助川山(328.3)に登ることにした。

2.登山日、山域
 2002年1/14(月)助川山

3.山行記録:
 この時の山行記は同期の山歩き仲間の会報に「夫婦ふたりの「茨城と近県の山」完登記」のなかで既に報告済で、文章はそのままで写真を追加することにしました。

 1991年3月7日の山林火災跡地を公園として整備。
「体験を通して楽しく学ぶ自然教育の場」として親しまれることをねらいにネイチャートレール(自然遊歩道)が12コース整備されている。
高鈴ハイキングコース、助川城跡公園にも通じている。

助川山市民の森は、1991年3月7日に山林火災が起きた場所です。
火災後、森は自然の力で回復し、今では四季を通じて私たちを楽しませてくれます。
山頂は360度の展望ができ、西は高鈴山、北は福島、南は鹿島灘、天気が良ければ銚子まで望めます。

 マップは日立市物産協会HPで、助川山の12の遊歩道を示したネイチャートレイルマップを見つけた。その一部を切り取って横向きにして一部を切り取り、本報に出てくる道標に出てくる地点に赤線を引き、写真に写っている地点に写真と共通の番号を入れました。こうすることによって、やっと私の歩いたコースがはっきりと分かりました。

自宅10:25=11:10出会いの広場@−11:35ひねり沢B−12:10助川山山頂F(昼食)12:40−12:47おおみねの丘ー12:52馬力神ー12:57おむすび池I−13:23百体観音J13:30−13:45おむすび池I13:50−14:20出会いの広場@=自宅
(助川山自然遊歩道マップ:日立市物産協会HP)

 我家を10時25分に出発して、11時10分助川山の登山口の出会いの広場@には11時10分に到着、出会いの広場@には「助川山・市民の森」と彫った大きな岩があった。
@(助川山登山口:市民の森)10:53

 出会いの広場@から登っていくと分岐点Aがあり、「ひねり沢← →スギの沢」直角方向「であいの広場」の道標が立っていた。
 ひねり沢Bにはおむすび池Iと渓谷の森との分岐標識が立っていた。
A(ひねり沢分岐)11:10
B(ひねり沢)11:30
 ひねり沢Bにはもう一つの道標が立っていて、「おむすびの池0.8km← →くぬぎ広場0.8km」直角方向に「どんぐりの森ー山頂0.9km」となっていた。B地点からおむすび池Iまで0.8kmは距離が合わない。Gの地点に立つべき道標のように思える。くぬぎ広場の場所も分からない。
次の曲がりくねった先にD地点での道標は「山の神団地1.6km← →助川山頂0.5km」直角方向「ひねり沢0.4km」を示している。馬頭観世音の先に山の神団地がある。
C(ひねり沢)11:38
D(索道の下)11:49
 地点Dは索道のすぐ下で、「架空索道について」の説明板が立っていた。日立セメント(株)が、原料の石灰石を大平田鉱山から山根にある貯鉱場まで山間を4kmも空中運搬しているものとのこと。
D(日立セメントの架空索道について)11:51
 索道の下を通って着いたE’の分岐点には「助川城跡へ」「山の神団地へ」「高鈴山へ」の道標が立っていた。
 「助川城跡へ」に従って歩ていくと(ピクニック広場)の古い表示板が立っていて、その前にも道標Eが立っていて、「ピクニックっ広場0.3km← →助川山頂0.2km」「石の池← →ひねり沢0.7km」となっていた。
E’(どんぐり森)11:51
E(ピクニック広場)11:56
 ピクニック広場から助川山をぐるりと巻いて、30分ほどで12時10分山頂Fに登りついた。昼食をとって360度の大展望を楽しんだ。
F(助川山頂からの展望:南方向、高台団地群)12:36
F(助川山頂からの展望:日立市街)
F(助川山頂からの展望:北東方向)
 展望を楽しんでから助川山Fから下って、おむすび池I方向に歩いておおみねの丘Gに着くと次の道標「助川山頂0.65km← →おむすび池0.65km」が立っていた。
G(おおみねの丘)12:47
 おおみねの丘Gから少し歩くと馬力神Hの石碑が祀られていた。
H(馬力神)12:52
 近くに立っていた説明板には「この通りは昔、会瀬や小木津能美で捕れた魚や塩を、高鈴山を通って里美や大子などの山間部の村へ運ぶのに使われていました。」とあるが、「馬力神ってナニ?」の下の説明文がボケて読めないので、NETの説明文を転記しておきます。
 馬頭観音で検索すると、昔馬で物資を運ぶため貴重な馬が亡くなったとき、供養のために建てられたものとあります。
H(馬力神)12:53
 馬力神Hから更に歩いておむすび池Iに着くと、「出会いの広場← →助川山」直角方向「ひねり沢」道標が立っていた。前出の物産協会HP案内図の一番左にある交差点、これから行く百体観音は助川山自然遊歩道の区域外なので道標には表示されていない。案内図にも「至百体観音」、道は点線表示になっている。
I(おむすび池)12:57
 分岐まで少し引き返して、おむすび池から30分歩いてJ百体観音に到着、数え切れないほどの観音石像が建ち並び、「金山百体観音」の説明板が立っていた。
J(金山百体観音)13:23
J(金山百体観音)13:24
 百体観音一体一体拝顔してから引き返し、おむすび池の休憩舎でお茶を飲みながら一休み。ベンチに立てかけてある和子の趣味、蔦細工の材料の束が見えている。こんなに大量な荷物を私が運搬役をしていたのだろうか。元気だった時代もあったのだ。
I(おむすび池)13:48
 帰りは案内図の下のコースをとり、色々な方向から助川山の写真を撮りながら歩いて帰った。
(助川山)13:56
(助川山)13:57
 案内図の[3]夕陽スポット地点で撮った写真、夕陽ならぬ昼の太陽の光が写り込んでいる。
(夕陽スポット)13:59
(助川山)
 案内図の[2]、すぎの沢分岐で撮った写真。和子は背中に背負った蔦の束の他に、更に追加して取り込んだ蔦を左手に抱えている。
I(すぎの沢分岐)14:05
 くぬぎ平辺りで撮った助川山の写真には、日立セメント索道が写り込んでいい風景になっている。
(日立セメント索道と助川山)
 14時20分出会いの広場に辿り着いて、車に乗って我家に向かった。いい景色を楽しんで、和子の収穫も多くていい山歩きでした。
 この報告Ja3はすぐにアップできるだろうと思って、15日に庭の花の写真を撮っておいたが、Ja3に集中できず長引いて、そのうち19日には娘と三人で海浜公園にお出かけした。少々遅くなりましたが、次はこの2件を一緒に報告します。


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