k23 鎌倉観光

1.動 機 
 2002年3月3日、JR格安切符週末フリー切符を使って、大甕駅から鎌倉駅まで日帰り旅行、鎌倉の街をたっぷり楽しんできました。ただ、カメラがフイルム不足、デジカメが電池切れで、残っている写真が少ないのが残念です。

2.データ
a)山域:太平山(159)、源氏山(93)、天柱峰(97)
b)撮影日:2002年3月3日(日)
大甕駅5:30=(常磐線:フレッシュひたち)=上野=東京=(横須賀線)=鎌倉駅9:00---建長寺---10:00半僧坊10:15---太平山---天園10:45---11:20瑞泉寺11:35---(登り直して)---十二所---12:00朝夷奈切通し(昼食)12:40---朝夷奈---鎌倉霊園=(バス)=鎌倉駅=(江ノ電)=長谷駅---光徳院(鎌倉大仏)14:15---大仏切通し14:30---銭洗弁天---源氏山---天柱峰---浄智寺---東慶寺---北鎌倉駅(ラーメン)16:20=東京駅=秋葉原駅---アメ横---上野駅=(常磐線)=大甕駅
(鎌倉MAP)

3.山行記録
 JR週末フリー切符¥5,500で鎌倉まで日帰り旅行をする計画を立て、2002年3月3日日曜日超早起きして大甕駅まで歩き、朝5時30分発のフレッシュひたち号で上野駅に向かい、東京駅から横須賀線で鎌倉駅に9時到着した。
 先ずは建長寺にお参りしたが、残っているのはこの半僧坊の写真一枚だけ。
 半僧坊は境内の最奥、勝上ケンにある。建長寺の鎮守で、半僧坊大権現をまつる。明治23年(1890)建長寺235世霄貫道師が静岡県の奥山方広寺から勧請した。周辺の復興された天狗像に守られ、その偉容は霊験あらたかでお参りやハイキングの人も多い。
(建長寺半僧坊)
 半増坊から少し登ったところに大きな岩があり、古い岩で、沢山ある凹凸が人の顔のようにも見え、十体の王様が彫られたのかとも思えたが、ここに祀られている十王様は、ちゃんと座している3体の十王様だけらしい。
 天園ハイキングコース脇の高みにある凝灰石の大岩。表面に冥界の十王像が3体刻まれていますが、かろうじて仏像であることがわかるほどの風化が進んでいます。
展望は、一直線に伸びる若宮大路と相模湾が望め絶景ポイントです。

 鎌倉の北外周のなぞる天園ハイキングコースのなかほど、鎌倉の街を不自然なほどまっすぐに見下ろす場所に十王岩があります。
 風化が進んでいるものの3体の仏像(如意輪観音・血盆地蔵・閻魔大王)が彫られているこの岩は、夜毎不気味な音をたてていたことから「喚き十王」とも呼ばれてました。
 一方、岩の上に登ると、この場所が鶴岡八幡宮のちょうど真裏に位置するため、鶴岡八幡宮から海まで続く若宮大路がはっきり見えるとても不思議な場所です。このことからここは鎌倉防衛の戦略的な位置だったということもわかります。
(十王岩)
 次にある展望写真は十王岩の上から眺めた、鎌倉市市街と由比ガ浜の風景です。
(十王岩から鎌倉市・由比ガ浜の眺め)
 可愛いリスに写真とハナニラの写真、何処で撮ったのか撮影時間も不明で分からない。クリハラリスはNETには明月院で撮った写真が紹介されているが、我家は明月院には立ち寄っていない。
(クリハラリス)
(ハナニラ)
 建長時半増坊から大平山、天園、瑞泉寺、十二所、朝夷奈切通しと見て歩き、朝夷奈で昼食をとって鎌倉霊園からバスで鎌倉駅に戻って江ノ電に乗り、長谷駅から10分足らずの光徳院で鎌倉名物・鎌倉大仏にお参りした。
 鎌倉大仏は像高約11m(台座を含めると13.35m)、顔の長さだけで2.35mもあり全体の重さは121tとなっています。ちなみに境内には大仏様のサイズに合わせたサイズの草鞋が展示されており、この草鞋の長さは1.8mで大仏様の耳の長さとほぼ同じになっています。
 また螺髪と呼ばれる渦状の髪の毛。これは大仏様の特徴のひとつですが、鎌倉の大仏様には656個の螺髪があります。ちなみに奈良の大仏様の螺髪は996個です。
 その昔大仏様を覆っていた大仏殿。大仏殿の大きさはよく分かってはいないのですが、周囲に残っている当時の礎石の大きさから高さ40mを越える建物であったと推測されており大仏様自体の大きさが高さ13mほどなのでかなりゆとりを持たせた豪華な建物だったようです。
(鎌倉大仏:光徳院)
 県道32を光徳院の先に進むと、階段道を登っていく大仏ハイキングコースと、銭洗弁財天・源氏山公園への分岐道の道標が立っていた。
源氏山公園・銭洗弁財天と大仏ハイキングコースの分岐点標識
 先ずは大仏切通まで歩いて引き返し、銭洗弁財天へ。弁財天からも由比ガ浜が見えていたらしい。
(弁財天からら由比ガ浜)14:32
 銭洗弁財天・宇賀福神社の一番奥に岩屋の洞窟があり、上に「奉納 銭洗弁財天」の額が取付けてあった。
(銭洗弁財天の岩窟)
 銭洗場でリュックを背負った和子が千円札を洗っている。銭洗いは硬貨を洗うものだと思っていたが、夏目漱石の千円札が洗われている。
 ざると杓子で心をこめて金運アップ
 源頼朝(みなもとのよりとも)が夢でお告げを受けて創建し、北条時頼が銭を洗って一族繁栄を祈った神社。その水でお金を洗うと倍になると言われる「銭洗水」。そのご利益にあやかろうと常に人が絶えません。
 洗ったお金が2倍になるということなら、硬貨では効果少ないので、お札を洗いたくなりますね。
(銭洗弁財天)
 銭洗弁財天から源氏山公園を通ってから、アップダウンのハイキングコースの先まで歩くと、左上の小高い所に「天柱峰」の石碑がたっていました。
 ここ浄智寺背後の天柱峰(標高97メートル)は、中国元の高僧で浄妙寺・浄智寺を経て、京都南禅寺・鎌倉建長寺の住持ともなった竺仙梵僊が名付けました。
 「天柱」とは「世を支える道義」という意味。
 竺仙梵僊は、ここからの景色を愛し、麓を終焉の地と定めて塔所「楞伽院」(りょうがいん)を構えて、詩文集「天柱集」を著した。
 天柱峰山頂の「天柱峰碑」は昭和16年の建立。
(天柱峰)
 天柱峰からしばらく歩いて浄智寺にお参り、途中、綺麗な花の写真を撮っている。
(シデコブシ)
(ウンナンオウバイ)
最後は駆け込み寺として有名な東慶寺。
 封建時代は女性の側から離婚できなかった時代です。東慶寺に駆け込めば離縁できる女人救済の寺として、明治に至るまでの600年にわたり、「縁切りの寺法」を引き継いできたお寺です。明治4年(1871年)の廃仏毀釈により縁切りの寺法は廃止となり、尼寺の歴史も明治35年(1902)に幕を閉じました。
 東慶寺墓苑の行き止まりの所に向陵塚がありました。
 世にエリートを輩出した第一高等学校のOBたちが昔の寮生活を通じて互いに切磋琢磨した時代を懐かしみ昭和52年にこの碑を建立したよしです。二本の白線は当時の一高の帽子の象徴で古き良き時代の名残です。
 由来板に「我等がここに向陵塚を建立したのはその昔向陵の地に寢食を共にして学を修め友情を温めた第一高等学校同窓生の魂の落着き所として永く後世に殘そうとするものであります」などと記されている。
向陵塚
向陵塚の由来碑
 東慶寺にはロウバイやウメ、セイヨウキンバイソウ、ボケなど色々な花が咲いていました。今は花のお寺としても有名らしいです。
(東慶寺のロウバイ)
 おひなまつりの日に、毎年、鎌倉の東慶寺さんで、式楽茶会が開かれ、そちらに参加させて頂いております。
(東慶寺での式楽茶会)
(セイヨウキンバイソウ)
(ボケ)
 北鎌倉駅でラーメンを食べて横須賀線で東京駅に戻り、山手線秋葉原駅で降りてアメ横で買物して、上野駅から常磐線に乗って大甕駅に帰り着きました。
 次は最近始めた「ひたちモバイルスタンプラリー」の事を紹介します。



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