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(ホテルのレストラン)8:43 | (朝食)8:52 |
10時過ぎホテルの車で武家屋敷の駐車場まで送ってもらって、娘の車に乗車。
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(ホテルから)10:09 | (武家屋敷の駐車場)10:12 |
駐車場から武家屋敷を外から眺めながら10時15分発車、鶴ヶ城への道を進み、国道64交差点で右折した。
国道64を進んでいくと、右手に博士山が見えて来てシャッタ。
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(鶴ヶ城交差点で国道64へ)10:20 | (国道64の交差点)10:27 |
すぐその先で国道121に合流すると、右手の田圃地の先を流れる阿賀野川の向こうに小さな双頭山が目立って見えて来て思わずシャッタ。地理院地図を調べると、左の高い方が標高408.6の向羽黒山、右の低い方は344.0の羽黒山。
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(R121から向羽黒山408.6)10:29 |
少し進むと、向羽黒山の左遥か向こうに雪を頂いた会津の連山が見えてきた。自分は運転しないらくちんドライブ、写真の枚数が増える。
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(1分先での向羽黒山)10:30 |
山並みを楽しみながら進んでいくと、有名な温泉街・芦ノ牧温泉街が見えてきた。高層の高級そうな温泉ホテルが並んでいた。
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(R121阿賀野川橋の上から芦ノ牧温泉街)10:42 |
蛇行する阿賀川を渡る橋を渡ったところに芦ノ牧温泉街への分岐道があったが、車はそちらには向かわず、まっすぐ進んで芦ノ牧トンネルに入っていった。
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(R121芦ノ牧トンネル入口・温泉分岐)10:42 |
芦ノ牧トンネルを抜けて阿賀川沿いをどんどん南下、大川ダムや小野城跡、湯野上温泉などを過ぎると、左手に阿賀川を渡る大きな橋の欄干が見えてきた。塔のへつり橋と呼ばれている。
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(塔のへつり橋)10:53 |
更に南下して下郷町に入たところの交差点で、向かいに見える山は那須連山で、斎藤山1278,黒滝股山1406、三倉山1888などか。
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(R121下郷交差点から那須連山)11:04 |
R289に曲がって東走していくと、車窓に那須の山々がつぎつぎに見えるようになった。三本槍1917、大峠、流石山、大倉山1792、三倉山1888
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(R289曲がって0.5km)11:04 |
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(R289入って1km)11:05 |
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(大松川の松合橋)11:07 |
道の駅下郷に立ち寄って一休み、お土産物を買い込み、裏の小山に登ってみると「ここからの展望」という表記で、回りに見える山並みを描いた展望図があり、その一つ一つの山頂に山の名前が付記された親切な山名板だった。
この裏山には「標高861.41m」の標石が埋まっていて、三角点かと思って国土地理院のマップを開いて見たが記載なく、表記の通り単なる福島県測量設計業協会からの寄贈品で、国土地理院の公認ではないらしい。
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(裏山からの展望図:クリックで拡大します。)11:20 | (道の駅下郷裏山の三角点?)11:20 |
裏山からの展望は確かに良く、四方を撮った展望写真を表示します。展望図から山名を推定しました。
東方には摺ケ沢山1535,斎藤山1278,小手沢山1519
南方には恵羅窪山1429,城郭朝日山1448
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(裏山から東方展望A)11:20 | (裏山から南東方展望B)11:21 |
南方には城郭朝日山1448、家老山1059
西方には高倉山1307,横山1378,神籠ケ岳1376
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(裏山から南展望C)11:21 | (裏山から西方展望D)11:21 |
北方には目明し山1161,立岩山、博士山
北東方向には那須沢山1045,舟鼻山1234
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(裏山から北方展望)11:21 | (裏山から北東展望)11:21 |
道の駅下郷には「下郷町人気のスポット」のパンフレットがあって、面白そうな名所が3ヶ所写真で紹介されていたが、寄り道なしに殺生石に向かった。
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(下郷道の駅の案内板)11:27 |
R289の長がーいトンネルを幾つか抜け、ねころんば広場に先で県道290に右折、つつじ吊り橋の先で県道17で那須温泉鹿の湯に入り殺生石の駐車場に入った。
駐車所には「殺生石と白面金毛九匹の狐伝説」が立っていて、
石の香や 夏草青く 露あつし 芭蕉
飛ぶものは 雲ばかりなり 石の上 麻父
あわれさや いしも枕に 夏の虫 桃隣
などと、殺生石に関する名句を含めた説明を書き綴った説明板が立っていた。
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(殺生石と白面金毛九匹の狐伝説) |
駐車場から殺生石に向かうとすぐに湯川にかかる「いでゆ橋」があり、この橋の上から殺生石賽の河原の全体像が見えていた。歩きやすそうな板敷の遊歩道が造られているので、一番奥まで歩いていってみよう。
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(湯川のいでゆ橋の上から)12:16 |
賽の河原の分かれ道のところで、賽の河原の全体像写真。
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(殺生石・賽の河原)12:17 |
分岐した遊歩道はその先でまた合流する。休憩所があるその辺りで仲良し夫婦ツウショット。
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(殺生石・遊歩道合流点) |
殺生石には変わった形をした謂れにある石があった。
盲蛇石
昔、五左ェ門(奥の細道で松尾芭蕉、曾良が宿泊した湯宿主も五左ェ門だった事から代々世襲していたのでしょうか?)という湯守が、晩秋に山仕事を終え殺生石があり殺生河原と呼ばれたこの地で一匹の大蛇に出会いました。大蛇は盲目でうずくまっていたので、五左ェ門は"この様子ではとても冬は越せないだろう"と思い、ススキと落ちていた小枝で小屋を作り大蛇の住まいとしました。春になって五左ェ門が小屋を覗きましたが、すでに大蛇の姿がなく、かわりに辺り一面、湯の花で埋め尽くされていました。神の使いである蛇を助けた事で湯の花の作り方を伝授されたと感じた村人達は、蛇の首に似たこの石を"盲蛇石"と名付け信仰の対象となったそうです。
教伝地獄(千体地蔵)
文保2年(1318)頃、奥州白河五箇村にあった蓮華寺に"教傅"という手の付けられない悪童が預けられたそうです。教傅は行いが改善されぬまま大人になり、28歳になると住職となり実母と寺で住むようになりました。元亨元年(1336)の時、教傅は友人達を連れ添って那須温泉に遊興しようとした朝、旅支度が出来ていない事に腹を立て、母親の出した朝食を足蹴にしてしまいます。教傅は那須温泉に着き殺生石を見学に来たところ、急に雷鳴が轟き、地割れから溶岩が流れ出し、友人達は逃げましたが、教傅は金縛りにあったように硬直し飲み込こまれてしまいました。誰しも教傅の悪行、親不幸に天罰が下ったと悟り、後の享保5年(1720)に地蔵を建立し、親不孝のいましめとし信仰の対象としました。現在も荒涼とした風景は地獄を思わせ、当初は1体だった地蔵尊像も何時しか千体地蔵と呼ばれる程数多くの石仏が奉納、寄進されました。
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(殺生石・盲蛇石)12:18 | ((殺生石・教伝地獄)12:21 |
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(殺生石・千体地蔵)12:20 | (殺生石・展望台(恋人の聖地)1.0kmの道標)12:24 |
玉藻前曦袂(たまものまえあさひのたもと)
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(殺生石・玉藻前曦袂)12:24 | (殺生石・二つに割れた)12:26 |
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(殺生石:千体地蔵付近) | (殺生石:二つに割れた巨石の前で) |
殺生石板敷遊歩道の先の山道に温泉神社の鳥居が立っていた。温泉神社本体の写真は残っていなく、この先で神社にお参りしたのかどうか?
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(殺生石・温泉神社の鳥居)12:28 |
板敷遊歩道の一番奥から殺生石を振り返って撮った写真。
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(殺生石・奥から入口に向かって)12:29 |
遊歩道が二股に分かれるところで、登りに歩いた反対側を下っていくと、湯の花採取場跡という見所がありました。
湯の花採取場跡
戦前までは同所の畑にカヤでできた屋根を掛け、地表にできた湯の花を採取していた。現在は当時の設備を再現したものが設置されている。
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(殺生石・湯の花名採取城跡説明板)12:33 |
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(殺生石・湯の花採取場跡)12:33 |
殺生石の駐車場から県道17那須街道を南下、県道266那須高原スカイラインを西走して、那珂川の支流沢名川にある乙女の滝の駐車場に着いた。駐車場には乙女の滝の説明板があり、
乙女の滝
乙女の滝は、白笹山から流れる沢名川にある幅約5メートル、落差約10数メートルの美しい滝で、季節や水量によっていろいろな表情を見ることができます。
滝の名前の由来にはいくつかの説がありますが、地元にはこんな昔話が残っています。
昔地元の若い釣り人が沢名川に行くと、滝の上に盲目の美しい乙女が現れました。この話が村人に伝わり、後にこの滝の名前になったと言われています。またこの乙女は、沢名川の上流にある沼ッ原湿原の子守石に伝わる昔話と関係があるようで、盲目になった蛇の化身であるという伝説があります。
他にも、滝のやさしく美しい流れが乙女の髪のように見えるという説や、滝壷に若い人魚が現れたという説などが伝えられています。
駐車場の隅にある、この看板から河川へ下りることができます。
駐車場から30メートル歩くと観瀑台があり、滝を上から眺めることができます。
さらに観瀑台から30メートルほど急な階段を下りると、河川のそばへ行くことができます。
乙女の滝展望台で記念写真を撮ってもらい、
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(乙女の滝説明板) | (乙女の滝展望台) |
もう一つ下って滝の落ち口まで下ってみた。滝壺近くまでごろごろ岩の連続だったので、この時は滝壺までは行かったかも。
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(乙女の滝)13:00 |
乙女の滝から二つの長い石段を登って駐車場に戻った。娘に励まされて頑張りました。
乙女の滝から県道を何本も繋いで東北道黒磯板室IC近くの那須ガーデンアウトレットで一休み。
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(滝から登って) | (アウトレットで一休み) |
那須ガーデンアウトレットは、地元生産物だけでなく、世界規模のブランド品を賄う大規模の140もの店舗が揃うアウトレットモール。一回り。
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(那須ガーデンアウトレット)14:34 |
更に15km南下して大田原市の蛇尾川緑地公園へ移動した。
蛇尾川緑地公園
大田原城址公園(龍城公園)は大田原市の中心、蛇尾川近くに位置する緑豊かな公園です。
大田原城は、天分14年(1545年)に大田原資清によって築城され、以来、明治4年(1871年)の廃藩置県までの326年間、大田原氏の居城だったといわれています。
本丸跡の周囲は土が盛られていて、その上が遊歩道になっていた。
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(蛇尾川緑地公園へ移動)15:17 | (蛇尾川緑地公園) 15:48 |
遊歩道には立ち並ぶ桜の木が丁度満開、綺麗に咲いているサクラの花を眺めながら一周しました
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(蛇尾川緑地公園のサクラ) | (バンザーイ) |
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(龍城公園のサクラ) | (龍城公園のサクラ) |
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(龍城公園)12:19 | (龍城公園)12:19 |
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(龍城公園のサクラ) | (龍城公園のサクラと看板) |
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(龍城公園のサクラ)16:05 |
蛇尾川緑地公園にはツバキの花も咲いていました。
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(ツバキの茂み)16:08 | (ツバキの茂み)16:08 |
龍城公園から15km南下して南平台温泉ホテルに到着、着替えして美味しい夕食を頂戴。私一人ビール大ジョッキを頂いたみたい。
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(南平台温泉ホテルの夕食)18:22 | (南平台温泉ホテルの夕食)18:22 |
食事の後、ホテルの離れの湯・観音湯に入りに出かけた。
ホテルの中には上皇様、上皇后さまがお泊りになった写真が飾ってあり、外には夜桜が庭からのライトアップを受けてすごく綺麗だった。
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(上皇上皇后ご宿泊)19:02 | (夜桜)19:02 |
ライトアップを受けて綺麗な庭石など眺めながら、観音の湯に入った。
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(別棟へ)19:03 | (観音の湯)19:03 |
ホテルの中には温泉観音が祀ってあり、その下のパイプから温泉湯が流れ出ていた。この温泉の湯は飲めるようで、隣りには水道水の栓もあり、脇に《飲泉の仕方》が記されていた。
温泉を飲用する際は、以下のルールをお守りください。
水道水(飲水)で3倍に希釈すること。
温泉飲用の1回の量は、3倍に希釈した温泉水で200mlまでとし、1日の量は600mlまでとすること。
部屋には「新型コロナウイルス感染症収束を祈る折り鶴」も飾られていた。
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(温泉観音)19:01 | (折り鶴)19:09 |
次は、ドライブ旅行の最終日の様子
k73 会津ー那須ドライブ(3)を報告します。