H01.燧ヶ岳
(出会いの百名山)

1.動 機
 燧ヶ岳は二人揃って登った百名山の一座目の山ではあるが、なにしろ二人がまだお互いの顔も知らなかった50年近くも前の話、文字の記録は何も残っていないし記憶も定かではない。アルバムの写真を手掛かりに二人の出会いの思い出を書いてみる。
 入社して独身寮に入った私は、退勤後には卓球、休日にはテニスや山登りなどと色気のない毎日を送っていた。その仲間の一人石塚君が近くの高等看護学校(高看)学生の石川(後に石塚)初子さんと仲良しになり、そのお二人が会社の夏休みに合わせて、燧ヶ岳と尾瀬ヶ原とを組み合わせたハイキングにそれぞれの友人、私と和子を連れ出して引き合わせることを計画した。誘いを受けて嫌はなく、お邪魔虫の気兼ねは外に置いて喜んで同行させて貰うことにした。

2.データ
a)山域:燧ヶ岳(2346m)
b)登山日:1965/07/30(水)〜08/03(日)
c)日程:
7/30(月):日立駅発=上野駅=沼田駅=大清水登山口----三平峠----長蔵小屋(泊)
7/31(火):長蔵小屋----燧ヶ岳----弥四郎小屋(泊)
8/01(水):弥四郎小屋----三条の滝----弥四郎小屋----尾瀬ヶ原----尾瀬ロッジ(泊)
8/02(水):尾瀬ロッジ----鳩待峠=戸倉=    (泊)
8/02(水):    =鷹巣山----六つ石山----奥多摩駅=大甕駅
d)同行者:石塚君、石川さん、和子
e)地形図:1/25000 「燧ヶ岳」「尾瀬ヶ原」「至仏山」「三平峠」
(燧ヶ岳・尾瀬ヶ原の歩行ルート)


3.山行記録

1日目:尾瀬沼まで
 計画はお二人にお任せで、当日早朝に日立駅で顔合わせして電車に乗った。ボックス席に座っていろいろな話をしながら上野に向かったが、何を話したかは今や覚えてはいない。ウキウキ気分でいたことだけは確かだ。上野から何度か乗り換えして上越線の沼田駅に昼前に到着、大清水へのバスに乗り換えた。
 大清水からは長い砂利林道歩きのあと、急坂や木階段のある急な登山道に苦戦した後、三平峠で大休止。ここからは、下りの楽な道でスタートから2時間、尾瀬沼到着。湖畔の長蔵小屋に投宿。世間は平日なので宿は空いていて相部屋にはならなくて済んだ。
 残っているmapでは尾瀬沼にボートを漕ぎ出したような絵になっているが、こんな楽しそうなことが写真にも記憶にも残っていない。日没の写真が残っていた。(私はあまり覚えていないのだが、和子と石塚君との記憶では私が初子さんのカメラを持ち歩いていてどこかで置き忘れたことがあったらしい。その所為かもしれない。)
(三平峠で一休み)
(尾瀬沼の夕日)


2日目:尾瀬沼から燧ヶ岳登頂、見晴まで
 翌朝は早くから歩き始め、長英新道を頑張って燧ヶ岳に登った。ずいぶんと嬉しかったようでミノブチ岳、俎ー、芝安ーそれぞれで写真を撮ってあった。
(長蔵小屋からスタート)
(燧ヶ岳)

 山頂からは見晴新道を下って見晴の弥四郎小屋に投宿した。

3日目:三条の湯と尾瀬ヶ原散策
 3日目は尾瀬ヶ原散策前に三条の滝を眺めに行くことになった。昨日、一昨日のきつい山道とは違って、今日は気持ちのいいお散歩道だ。宿にザックを置いて空身で三条の滝と平滑の滝を眺めてきた。
(ランランララーン)
(三条の滝)

 弥四郎小屋に引き返してからザックを担ぎ、今度は尾瀬ヶ原のど真ん中を歩くお散歩だ。尾瀬ヶ原にはその年の6月に寮仲間と出かけてミズバショウを眺めたが、今回はニッコウキスゲの花盛りだった。池塘の浮島やコウホネの花など眺めながら至仏山の麓の尾瀬ロッジまでゆっくりと歩いて投宿した。この小屋は男女雑魚寝で朝方、女性が足を広げて眠ってて!ときめきながら見た覚えがあるとのこと。
(池塘と浮島)
(ニッコウキスゲと至仏山)


4,5日目:帰途
 帰りは鳩待峠まで登って専用バスに乗って戸倉まで出てバスを乗り換えて沼田に出た。その日の日立に帰るのは無理だったようで、アルバムに残っていたJR切符の8月3日の日付からはどこかで一泊してから帰ってきたらしい。今は昔のお話です。




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