H02.奥穂高岳
(二人で登った百名山2座目)

1.動 機
 燧ヶ岳尾瀬ヶ原ハイキングのあと、石塚君初子さんのお二人は目出度くゴールインしたが、不器用な私と和子の方は一向に進展しない。業を煮やした石塚ご夫妻は、今度は奥穂高登山を計画してくれた。前と同じく計画は一切石塚君任せ、こちらはまたついて歩くだけと思っていたら、直前になって「急に仕事が入って俺たちは行けなくなった。宿の予約など全部できているから二人で行ってこい」とこともなげ。やむなく(?)二人で出かけることになった。よっぽど嬉しかったのか、ツーショットの写真がいっぱい残っていた。

2.データ
a)山域:奥穂高岳(3190m)
b)登山日:1967/07/28(金)〜08/01(火)
c)日程:
7/28(金),29(土):日立駅発=上野駅=新宿=松本=新島々=9:30上高地----13:00横尾山荘(泊)
7/30(日):横尾山荘6:00----本谷橋----涸沢----奥穂高山荘----奥穂高岳----18:00徳沢ロッジ(泊)
7/31(月):徳沢ロッジ----上高地----大正池=新島々=松本=湯の原温泉20:00(泊)
8/01(火):松本駅発=新宿駅=上野駅=日立駅
d)同行者:和子
e)地形図:1/25000 「穂高岳」
(上高地−奥穂高岳の歩行ルート:想像して作成したもの)

(上高地−奥穂高岳の歩行ルート高低差)


3.山行記録
1日目:アクセス
 日立駅で待ち合わせして、石塚君が作ってくれた行程表に従って常磐線と山手線で新宿へ、中央線の夜行列車で松本駅へ夜明け前に到着した。朝食をとって松本電鉄の電車に乗って新島々へ、ここから1時間以上もバスに揺られて上高地に入った。狭いバスに隣り合って座って、時々触れる異性の感触が嬉しいような恥ずかしいような。

2日目:上高地から横尾まで
 バスが上高地に入って絵ハガキを見るような大正池と穂高連峰の眺めを期待したが、あいにく何時降り出すか分からないような空模様だった。大正池などを眺めるのは帰りにすることにして、バスセンタでバスを降りて、雨が降らないうちにと、河童橋だけ寄り道してすぐに横尾山荘に向かった。
 途中、徳沢で昼食をとって横尾山荘に午後1時に到着、部屋に入って一休み。雨は降っていないので外に出て見たが、ガスがこもって山並みは見えない。しばらく梓川の河原や横尾大橋あたりを散歩して部屋に入り、石塚君任せでほとんど勉強していなかったので、ガイドブックと地形図を見ながら明日の登山道を勉強した。高低差1500mの上り下りでザイテングラードという難所もありそうだが何とかなるのだろう。
(横尾山荘)
(横尾の河原)

3日目:横尾から奥穂登頂して徳沢まで
 朝目覚めると空は明るい。外に出ると聳え立つ屏風岩の岩壁に朝日が当たって美しい。朝食をいただいて6時に歩き始めた。
 梓川を渡って横尾谷沿いの緩やかな登山道を歩いていったが、だんだんと迫ってくる屏風岩の大岩壁を何度も見上げたのが強い印象として残っている。
(今日は上天気)
(屏風岩)

 平坦な道を歩いて本谷橋を渡ると急登になった。急登を頑張って涸沢に入り源流点まで来ると展望が広がって、残雪の向こうのにずいぶん高いところに奥穂高が聳えていたいたのが印象的だった。
 ここからさらに続く急登を頑張ってテント場を左下に見ながら右の斜面を登っていった。  
(涸沢源流)
(涸沢テント村)

 更に登っていくと一面岩がごつごつしたところに出た。ザイテングラードらしい。ガイドブックには大変な難所と書いてあったが、休み休みゆっくりと登っていたらいつの間にか登り切っていた。
(ザイテングラード)
(お休み)

 鞍部の穂高山荘のテラスで一休みしてから奥穂山頂への岩場を登った。ここもあまり苦労した記憶がない。3190mの山頂に登り切ったが、ガスが出てきて展望は利かなかったようで、近くのジャンダルムの写真だけが残っている。アルバムにジャンダルムと注記してあるので、当時ジャンダルムの名前を認識していたようだ。7年前に水戸アルパインクラブで超難コースジャンダルム縦走の計画があると聞いたのがジャンダルムを認識した最初だと思っていたのだが。
(奥穂高山頂)
(ジャンダルム)

 山頂で記念写真を撮ってから往路を辿って徳沢ロッジまで下った。到着したのは夕方6時、朝歩き始めて12時間、それでもあまり疲れはてたという記憶は残っていない。若いので元気だったのだろう。
 
4日目:徳沢から上高地へ
 翌日の徳沢園の朝はまた朝日で迎えた。上高地が楽しめそうだ。
(徳沢ロッジ)
(翌朝徳沢から)

 1時間歩いて明神に到着、奥穂神社奥宮にお参りして明神池に立ち寄った。静かな池が印象的だった。左岸に戻って下流に向かい、河童橋を渡ってウエストン碑を見て、下流の田代橋を渡って左岸に戻った。梓川と河童橋、穂高連峰の景色が絵葉書を見るようだった。
(ウエストン碑)
(河童橋と明神ヶ岳)

 田代の湿原帯に入り田代池まで入り込んでから大正池へ向かった。並ぶ美しい大正池に枯れ木が立ち並ぶ様は異様で、その向こうの焼岳を引き立たせていた。
(田代池)
(大正池と焼岳)

上高地の観光に満足して、大正池バス停からバスに乗り、松本電鉄と乗り継いで松本まで出た。ここからタクシで石塚君が予約してくれていた湯の原温泉の宿に入った。珍しいほろほろ鳥の鍋が食卓にでていたのを覚えている。

5日目:帰路

 翌朝、帰る前に松本城に立ち寄った。天守閣の狭い階段を登ったのは記憶にあるので、北アルプスの展望も楽しんだことだろう。
 今なら高速バスで帰るところだろうが、中央線、山手線、常磐線を乗り継いで一日がかりで日立まで帰ってきた。道中、奥穂高や上高地の思い出を話し合いながら帰ったのだろうが、何を話したのかは覚えてはいない。
 
 







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