H03.乗鞍岳
(家族旅行のついで)

1.動 機
 前報の燧ヶ岳(1965)、奥穂高(1968)で結ばれた夫婦は1969年の新婚旅行も丹沢大山と三原山に登るほどの山への気の入れようだったが、結婚後、すぐに仕事が忙しくなってきて山歩きは長い間休眠状態になった。子供が歩けるようになってからは時々茨城の渓谷や低山歩きに出かけることはあったが、高い山には縁遠い生活をしていた。長女が小学校最高学年になった夏休み、思い立って高山の雰囲気を味あわせてみようと、思い出の上高地と楽ちん登山の乗鞍岳に出かけることにした。(夫婦二人の百名山として乗鞍岳の山行記を書こうと思って記録写真を探したが見つからず困っていると、長女が保管しているアルバムを探し出してくれて、年賀のついでに届けてくれた)

2.データ
a)山域:乗鞍岳(3026m)
b)登山日:1980/07/31(木)〜08/03(日)
c)日程:
7/31(木):大甕駅発=上野駅=新宿駅=松本駅=上高地(泊)
8/01(金):上高地散策=平湯温泉----平湯温泉散策(泊)
8/02(土):平湯温泉=畳平----乗鞍岳----畳平=松本(泊)
8/03(日):松本散策----松本駅=大甕駅
d)同行者:長女(11)、長男(8)、和子
e)地形図:1/25000 「乗鞍岳」


3.山行記録

1日目:上高地まで
(あずさ号)

 計画書に従って予定のJR特急の指定席は全部抑えて出発したが、あいにくの嵐まじりの悪天候、大甕駅に着くと風に弱い常磐線は「しばらく運休」となっていた。遅れた日立号で上野に出て新宿に着いたら、何とかあずさ号の最終便に間に合って、松本電鉄の電車とバスを乗り継いで無事その日のうちに上高地に到着することができて、予約していた上高地温泉ホテルに宿泊することができた。
 
 





2日目:上高地を散歩して
 翌朝は早くから歩き始め、近くのウエストン碑を皮切りに、明神池、河童橋、大正池と上高地の主だったところを12年前を思い出しながら歩きまわった。二人とも面白そうにはしゃぎながらついて歩いていた。
(案内板)
(ウエストン碑)


(明神池)
(明神橋)

(河童橋)
(大正池)

 ゆっくりと上高地のお散歩をしてから定期バスで川湯温泉に向かい、予約していた湯本館に入った。夕食前に近くの平湯大滝に出かけて雄大な滝を眺めた。

(民俗資料館)
(平湯大滝)


3日目:乗鞍岳登山
 3日目はバス停近くの民俗資料館の合掌造りの民家を見学してから、乗鞍岳へのバスに乗った。バスは平湯峠を越え乗鞍スカイラインを走って1時間ほどで登山口の畳平に到着した。畳平はすでに標高2700mあり、高山の雰囲気十分、気持ちのいい空気を吸いながら剣ヶ峰に向かった。お気軽登山でナップザックにお八つと水だけが入った空身の登山である。
  始めは肩の小屋まで広くて平らな道、肩の小屋から少し山道らしくなったが、ふたりとも元気に歩いていく。道沿いにはたくさんの高山植物が花を開いていて、いちいち説明しゆっくり眺めながら登って行った記憶がある。
(畳平と鶴ヶ池)
(剣ヶ峰近し)

 花には几帳面に名札が立ててあり、写真に残っているものだけでも、ヨツバシオガマ、ウサギギク、アキノキリンソウ、タテヤマリンドウ、イワカガミ、コバイケイソウ、ミヤマダイコンソウ、チゴユリ、チングルマ、ミヤマキンバイ、モミジカラマツ、ハクサンイチゲ、シナノオトギリ、マイヅルソウ、ヒメアカバナ、ウメバチソウ、ヒメクワガタ、オンタデ、イワツメクサ、今でもすぐには名前を言えない花もあったようだ。
(ヨツバシオガマ)
(ウサギギク)

 山頂についてお宮の周りでおやつを食べながら一休み。今なら三角点や山名標柱の前で証拠写真を撮るところだが、休んでいる写真しか残っていない。
(山頂のお宮)
(権現池)

 山頂の神社にお参りしてすぐに下山、また花を愛でながらゆっくりと下った。畳平からバスで新島々まで下り、松本電鉄の電車で松本に出て桃仙園という宿屋に泊った。

4,5日目:帰途
 最終日は松本の市内見物、松本城に入って天守閣まで登ったが、天守閣では得意げに北アルプスの山々の説明をしたことだろう。

(松本城)
(天守閣)

 松本城を出てから市内見物をしたようで、なまこ壁や牛つなぎ石の写真などが残っている。
(なまこ壁)
(牛つなぎ石)

 午前中、ゆっくりと松本市の市内見物をしてからJRを乗り継いで夜遅くに日立に帰ってきた。おぼろげな記憶しか残っていない家族旅行である。





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