H06.富士山
(一度は登れ、2度と登るな)

1.動 機
 一年前の四阿山登山で痛めた膝の痛みも何とか和らいで、春からヤマケイ茨城の山完登を目指してせっせと茨城の低山歩きをしていたが、低山歩きだけではアクセントにかける。思い立って初めてツアー八甲田・秋田駒に参加したが、その後に富士山登山の案内が来た。それまでは「富士山は見る山で登る山ではない」との話が頭にあったのだが、「富士山には二度登るもんじゃないが、一度は登るべし」のうたい文句が利いた。山歩きを始めるなら富士山には登っておこうと話を決め、個人で登るのは大変そうだからツアーで連れて行って貰えば楽ちんだよなと早速申込みした。

2.データ
a)山域:富士山(3,720m)
b)登山日:2000/07/31(木)〜08/01(日)
c)日程:
5:00起床−5:35出発−5:40バス乗車−6:15勝田駅6:25−6:40ツアー会社−7:00水戸IC(バス乗換)7:05−7:50守谷SA8:05−9:35石川SA10:05−10:40大月JCT−11:10スバルライン料金所−11:45五合目(昼食)13:15−13:50六合目−14:45七号目−16:00富士一館(夕食・仮眠)23:45−4:30山頂5:20−9:00五合目10:00−10:45河口湖12:40−13:30石川PA13:45−15:25守谷SA15:45−16:00計算センタ前BS−16:05自宅

d)同行者:和子
e)地形図:1/25000 「富士山」

3.山行記録
朝早く乗り場の大甕駅へ歩いている途中で5時35分ツアーのバスに拾われた。勝田駅、ツアー会社とに寄って参加者を拾ってから水戸ICで高速に乗り、添乗員の説明を聞いて支給の朝食を頂きながら一路常磐道、首都高、中央道を走って富士スバルラインを登って標高2,300mの五合目登山口に12時前に到着した。
 レストハウスで昼食を食べてから、案内の老ガイドさんを紹介された。ここからは若い添乗員からこのガイドさんに一切を任された形だった。「急いで歩くと頭が痛くなる。小股でゆっくりゆっくり歩け。私より先には決して出るな。」と釘を刺される。今思えば高山病へのご注意だったのだが、当時はまだ高山病の知識はなく、なんと覇気のないガイドさんが付いたものだとがっかりしたのを覚えている。
 出発前に小御嶽神社前で安全登山のお祈りをし、身支度をして13時15分に歩き始めた。五合目から六合目は、まず足慣らし。始めなだらかな下り、緩やかな歩きやすい広い車道のような道が続き、ガイドさんのペースが遅くてもどかしい気がしながら歩いて行った。標高2,390mの六合目に到着したのは35分後、ゆっくり歩いても標準タイムだったらしい。ここで一休み。
(五合目から歩き始め)
(六合目で一休み)

 六合目からは山頂が見えるようになり、砂礫の中のジグザグ道を登ることになる。山側には落石よけの防護壁があり、砂礫帯には地味だがフジイタドリの花が咲いていて、その上に7合目あたりに並んだ山小屋が見えていた。
 はじめは砂礫だった道が、七合目あたりからは火山礫の道になって歩きにくくなった。七合目から数軒目の富士一館が我々の仮眠所だった。到着したのはまだ16時、5合目から歩き始めて2時間45分、随分早い到着だった。もっと高いところの小屋に泊ればいいのに、パンフには8合目山小屋泊となっていたのにと恨み言。
 添乗員さんとガイドさんとから今後の予定の連絡があり、ここで休憩、夕食、仮眠をとって、頂上でご来光を拝むために深夜0時前に出発するとのこと。
(六合目で一休み)
(七合目半の富士一館)

 17時45分からの夕食前に小屋の外に出て景色を眺めた。上には八合目の山小屋に向かう集団が見え、下には曇り加減で山並みは見えなかったが山中湖が見えていた。
 食後、山小屋の人から「影富士が見えるよ」との知らせあり、外に出てみると山裾の向こうだったが、綺麗な影富士が見えていた。写真はもう少し移動したところでとればよかった。
 夜が更けると空は満天の星空になり、星座の教室が開かれた。北斗七星やオリオン座がきれいに見えていた。
(見上げると八合目)
(影富士(山裾に沿って))

 小屋は噂に聞いていた通りに大混雑で、カレーライスの夕食も時間を指定されてそそくさと済ませる。
 一つの布団に二人づつ寝るよう指示されたが、狭いながらもなんとか寝る真似は出来た。

 23時に起こされて23時45分に再出発。暗い火山礫のがたがた道をヘッドランプを付けて行列を作って歩いて行った。他のグループも一斉に歩き始めたので、前にも後ろにも長ーい行列ができていた。
 八合目元祖室に到着して一休み、看板にあった標高3,250mはそれまでに登った人生最高地点でした。

(ヘッドランプを付けて)
(八合目)

 八合目から道はさらに険しくなり、須走口登山道と合流する本八合目を抜けると頂上まであと少しのはず。でもここからまだ最後の難関が残っていた。9合目あたりで和子が「頭が痛い。吐き気がする。」と訴えだした。これは典型的な高山病の症状で、頑張り屋の和子は何とか乗り越えて歩き通したが、初めての体験なのでその時には何が起こったのか分からなかった。
 急勾配の火山礫を登って狛犬の間を抜けるとやっと頂上の鳥居が見えてきた。ここを登り切ると頂上で、富士山頂上浅間大社奥宮の碑がお出迎えを受けた。吉田ルートの山頂、標高3,720mだった。
(畳平と鶴ヶ池)
(富士山頂上浅間大社奥宮)

 登り切った4時30分にはまだ暗かったが、すぐに明るくなり始めて東の空に日が昇り始めた。大勢の登山者が一斉にスゴーイ!きれい!と声を上げた。
 昇ってきた太陽は周囲の景色をあっという間に一変させて、後ろの富士山測候所をきらきらと照らし出した。
(日の出)
(朝日を受けて)

 ご来光を拝んでから、4時50分から5時10分まで山頂の山小屋で朝食をいただく。
 食事が終わってガイドさんから意外な発言。「ここが標高3720mの富士山頂です。皆さん富士山に登られました。おめでとう!。剣ヶ峰にこれから登るのは無理なので、ここから下ります。」と。「みんな元気だから剣ヶ峰に登っても大丈夫だろう」と添乗員に異議を訴えたが「決定権はガイドさん」と言って聞き入れてくれない。六号目での集合時間を指定されて、各自のペースで下ることになった。
(山頂のお宮)
(雲海)

 追加の写真を撮って、5時20分にみんなしぶしぶ下山開始。登山道と下山道が別で、下山道はブルドーザーが通る道で、最初はざれた道をずるーずるーと気持ちよく滑るように下って行ったが、途中からかたい部分がところどころ出るようになって足が引っかかってバランスが崩れる。私は何度か転んでストックを折ってしまい、これを見ていた外人さんに「Dangerous! You slipped down three times,I looked!"と言われてしまった。
 単調なジグザグ下りの連続だったが、途中、須走口分岐のところには添乗員が先に下りていて、道を間違えないように案内していた。
(単調なジグザグ下り)

 下りは大展望を目の前にしながら歩くので気持ちがいい。朝のうちは遠くの山並みまで見えていて、南アルプス、八ヶ岳、甲武信岳など見えてうれしかった。 
(下山途中からの展望)

 六合目に到着してからは見覚えのある道を下って五合目に9時に到着し、ガイドさんと一緒の記念写真を撮ったり、レストハウスでお土産を買ったりして、10時にバスは発車した。
 途中、河口湖湖畔の見晴らし亭に2時間立ち寄って汗を流して昼食をとり、往路を走って日立に帰ってきたのはまだ明るい夕方4時だった。お鉢回りを止めたのはガイドさんの私的事情があったのだろう。

(河口湖湖畔)
(ガイドさんと記念撮影)

 富士山には2度と登るまいと思っていたが、こんな山行記を書いてしまったら、百名山完登を公言した手前、3,776mの剣ヶ峰に登りにいかなければならないだろうかな。寄る年波で体力が低下する前にトライするためには、腰椎骨折の治療後のリハビリを急がなければならない。





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