H12.筑波山(茨城県の山完登の途上)

1.動 機
 ヤマケイ分県登山ガイド「茨城県の山」1993年版に54座の山が載っていて、定年退職直後これらの山を全部踏破しようと決めてせっせと登っていた。(参照:茨城県の山登山記録) 退職の年、筑波山には2000年4月に吾国山と抱き合わせ、11月に椎尾山と抱き合わせで登っている。これらの山にはその後も何度も登っていて、この「夫婦二人の山歩き」にも記録を残してあるが、2000年初登山の時の記録を改めてまとめてみた。記録記憶が十分ではなくて記事は簡単なものにならざるを得ず、後日の登山時の記録の方が読みやすそうだ。

2.データ
a)山域:椎尾山(256m)、筑波男体山(870m)、吾国山(518m)、筑波女体山(877m)
b)登山日:2000/04/12(水)晴、2000/11/22(水)曇一時晴
c)コースタイム:
4月12日:日立自宅 9:15 = 道祖神峠 ---- 吾国山---- 道祖神峠 = 裏筑波YH跡 ---- 自然研究路 ---- 男体山 ---- 裏筑波YH跡 = 下館観音院 = 日立自宅
11月22日:日立自宅 7:50 = 10:00 薬王院 10:15 ---- 三界万霊位入口 ---- 10:35 椎尾山---- 林道---- 薬王院 11:10 = 11:30 筑波山第4P ---- 11:50 筑波山神社 ---- 12:50 弁慶茶屋 ---- 13:00 高天原 13:20 ---- 14:00 女体山14:20 ---- 14:30 御幸が原 14:40 ---- 16:00 ケーブル下駅 ---- 16:25 筑波山第4P 16:35 = 日立自宅
(筑波山登山コース:「筑波山・登山コースの概要説明」から借用)

d)同行者:和子
e)地形図:「筑波山」「加波山」

3.山行記録
(2000年4月12日) 
 吾国山と筑波山とを一日で簡単にピークハントすることにした。吾国山には道祖神峠まで車で入って往復した。洗心館の中を通って山頂へはすぐ、その先にカタクリ保護地まで下って、可愛いカタクリの花に感激したことを覚えている。
(洗心館)
(カタクリ)

 道祖神峠からフルーツラインを通って裏筑波キャンプ場へ向かい、YH跡の駐車場へ入った。筑波山への登山道は明確で、回りにカタクリ、キクザキイチゲ、スミレが満開で綺麗だったと日記にはあるが写真は残っていない。
 御幸が原まで登って自然研究路を回って立身石に立ち寄り、男体山の山頂まで登りついて記念写真を撮って下山している。
(立身石)
(筑波男体山)

 下山後、新聞記事に出ていた下館の観音院の枝垂桜を眺めに足を延ばしている。ドライブも好きだったようである。

(下館観音院)

(2000年11月22日)
 茨城県の山踏破も終わりに近づいて、椎尾山なるあまり知られていない山が残っていた。筑波山の男体山には4月に登ったが、それより高い女体山に登っていなかったので、近くのこの椎尾山と一緒に登ることにした。
 筑紫湖から薬王院の駐車場に朝10時に入って、まずは782年最仙上人が開山したと伝えられる薬王院にお参りした。荘厳な山門に本殿、すっくと立った三重塔、美しい庭園、樹齢400年のスダジイ樹叢と一回りした。椎尾山はこの薬王院の裏にある256mの山だが、ガイドブックにも登山道は明記されていない。このガイドブックは椎尾山はこの椎尾山薬王院のお寺そのものを指している節もある。峰寺山、閑居山も同じことだった。とにかく地形図を睨みながら藪を漕いだりして・256mらしき小高いところを探り当てた。もちろん三角点標石はなく山名板も見当たらなかったが、ピークで写真だけ撮って駐車場へ戻った。
(薬王院)
(椎尾山山頂)

 薬王院から県道に出て筑波山神社手前の駐車場に11:30に車を入れた。筑波山神社にお参りしてから弁慶茶屋への道を登り、弁慶茶屋の先に高天原という岩棚があったのでその上で遅めの弁当を広げた。
(筑波山神社)
(岩の中を登って)

 女体山までの登り道には、弁慶の七戻や出船入船、大黒岩、北斗岩、大仏岩などの奇岩が続いて目を楽しませてくれた。
(弁慶の七曲り)
(大仏岩)

 分岐から女体山に登って、岩頭の上から展望を楽しんだ。御幸が原の向こうに男体山が「こっちにもおいで」と呼んでいるみたいだが、今回はご遠慮しよう。
(筑波女体山)
(男体山を望む)

 登山道に戻ってガマ石におまじないの投げ石をして御幸が原へ登っていくと、紅葉した木々が綺麗だった。
 御幸が原でお土産屋をのぞいたり展望を楽しんだりしてから、ケーブルカー沿いの道を歩いて下った。途中の写真は一枚も残っていない。
(御幸が原の紅葉)
(ケーブル沿いを下る)




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