H36.丹沢山

1.動 機
 秦野駅からバスでヤビツ峠に入り、ニノ塔、三ノ塔から塔ノ岳に登って一泊、二日目丹沢山から蛭ケ岳、檜洞丸と登って西丹沢に下るという1泊2日の縦走計画だった。二日目の天気が悪くなって蛭ケ岳から最短距離の東野に下りることになった。2年後の2005年5月に当初計画のコースを同期会の仲間と歩いて、丹沢山の山行記はこのHPにもアップ済みだったが、丹沢山に始めて登った記録も残しておきたくてこれを書くことにした。

2.データ
a)山域:塔ノ岳(1491m)、丹沢山(1567m)、蛭ヶ岳(1673m)
b)登山日:2003/2/23(日)晴後曇、24日(月)曇
c)コースタイム:
1日目:大甕駅5:48 = 7:25日暮里駅7:30 = 7:50新宿駅8:10 =(小田急)= 9:10秦野駅9:20 =(バス)= 10:05ヤビツ峠10:15 ---- 10:35富士見山荘 ---- 11:45ニノ塔(昼食)12:15 ---- 12:35三ノ塔12:40 ---- 13:45行者ヶ岳 ---- 14:15書策小屋14:20 ---- 14:35新大日 ---- 14:45木ノ又大日 ---- 15:15塔ノ岳(尊仏山荘泊)
2日目:塔ノ岳6:05 ---- 6:50竜ヶ馬場 ---- 7:10丹沢山7:20 ---- 7:55不動ノ峰8:00 ---- 8:15棚沢の頭 ---- 8:45鬼ヶ岩 ---- 9:10蛭ヶ岳9:30 ---- 10:25地蔵平 ---- 11:00姫次(昼食)11:35 ---- 11:45八丁坂ノ頭 ---- 13:10青根登山口 ---- 13:25青根 ---- 14:05東野(入浴、食事)15:30 = 15:45藤野温泉15:50 = 16:10藤野駅16:40 = 18:25上野駅19:00 = 20:25大甕駅
(ヤビツ峠から青根へ)
(ヤビツ峠から青根への標高差)

d)同行者:和子
e)地形図:1/25000 「大山」

3.山行記録
(一日目)
 大甕駅で上野行き一番電車に乗り、日暮里で下りて山手線で新宿に向かい、小田急線急行に乗って秦野に向かう。秦野に近付くとだんだんと大山が大きく見えてきて、新婚旅行にこの山に登ったことなど珍しく話が弾む。予定していたヤビツ峠行きの最終便のバスに間に合い、ヤビツ峠を10時15分に歩き始めた。
 ヤビツ峠から左に大きな大山を見上げながら富士見山荘まで県道70号線を歩いていった。
(ヤビツ峠からスタート)
(県道から大山)

 富士見山荘脇には三ノ塔1時間30分、塔の岳3時間20分の道標があり、すぐ先に塔の岳への登山口があり、行者ヶ岳登山道崩落危険注意の立札が立っていた。
 二ノ塔まではひたすらの登り、初めは樹林の中で展望はなかったが、二ノ塔が近づくにつれて視界が開け、大山や岳ノ台、伊勢原秦野の市街が一望できるようになった。小休止を繰り返して1時間登って二ノ塔(1140m)に着いた。二ノ塔山頂からは三ノ塔を間近に見ることができ、ベンチがあって展望を楽しみながら弁当を広げた。
(富士見小屋から登山道)
(ニノ峠)

(二ノ塔から大山・秦野市街・岳ノ台

 二ノ岳でゆっくり休んでから三ノ塔に向かって歩き始めた。三ノ塔は大きく立ちはだかって遠く見えていたが、一旦下って登り返したら20分ほどで登りついた。
 山頂からの展望はさらに良くなり、行く手に烏尾山・行者ヶ岳・新大日・塔ケ岳と続く表尾根が伸びていて気持ちがいい。条件が良ければ富士山や金時山・箱根の外輪山などが見えるらしいが、欲を言えばきりがない。
(三ノ塔)
(三ノ塔からの塔ノ岳への表縦走路)

 三ノ塔で展望を満喫した後、憂鬱になるほど長い急坂を下り、少し登り返すと烏尾山。
 その先には行者岳への急登が待っていて、鎖が張られた岩場には行列が出来ていた。
(烏尾山へ下り)
(行者ヶ岳へ)

 鎖場を登りきると、ガレた急斜面に木造の立派なトラバース道が出来ていた。登山口にあった行者ヶ岳の危険表示を思い出しながら、取り付けられた鎖に捉まって一列渋滞で進んでいくと、向かいでは下山するグループがじっと待っていた。
 行者岳から書策小屋を過ぎると、目の前に新大日の山頂が立ちはだかってくる。
(人工登山道)
(新大日へ)

 急坂を登って新大日に登っていくと、山頂には標高1340mと書いた山頂標識と小屋やベンチがあった。富士山も見えるらしいが、かすかに相模湾が見えるだけでそのまま通過した。
 尾根筋を歩いていくと次のピークには2階建ての木の又小屋があり、そばのベンチで休んでいると、立派な角を持った大きな鹿が近寄ってきて、和子の方が恐がって逃げている。近くには数匹の雌鹿もせっせと草を食んでいた。。
(新大日山頂)
(木の又小屋)

(人を恐れない牡鹿さん)
(食事に夢中な雌鹿さん)

 木の又小屋まで来ると塔ノ岳はすぐだった。15時15分に山頂に着くと、北の方向には明日向かう丹沢山から蛭ヶ岳にかけての山並みが夕日を受けて綺麗に輝きだした。明日の山歩きが楽しみになった。
 1491mの山頂標柱の前で記念写真を撮ってから、尊仏小屋に宿泊手続きをした。夫婦者は一つの布団に二人で寝るように割り当てられたが、隣の布団のご夫婦がキャンセルになって、結局一人ひとつ布団に寝ることが出来てラッキーでした。
(蛭ヶ岳・不動ノ峰・丹沢山)
(塔の岳山頂)

 そのうち西の空の雲の隙間から太陽の光線が数条の束になって降り注ぐようになり、まるで光のカーテンのようで綺麗だった。
 一日中、期待していた富士山を眺められないで来たのだが、日没近くなってから富士山近くの雲が晴れてきて、綺麗な夕焼富士を見ることが出来た。
(光のカーテン)
(日没と富士山)(夜景)

 日が落ちると、横浜から秦野までの街の明かりが輝きだして百万ドルの夜景になった。
百万ドルの夜景

(二日目)
 いいお天気を期待していたが、朝目覚めると外は一面の霧の世界だった。雨が降り出すかもしれないので早めに出ようと、朝食を頂いて弁当を受け取って6時過ぎに歩き始めたが、雨は降っていないが何も見えない。
(暗いうちに出発)
(霧のなかを行く)

 塔ノ岳から丹沢山までに日高と竜ノ馬場と称する二つのピークがあり、処々で丸太階段はあるが大きな上り下りはなくもくもくと歩いた。丹沢山の山頂について展望もないので「日本百名山 丹澤山」の天然木の立派な山名板の前で記念写真を撮ってしばらく休んだだけで次に向かった。
 丹沢山からの急な坂道を下っていくと、周りのピラカンサ(?)の赤い実には水玉が出来ていてとても綺麗だった。
(丹沢山)
(濃い霧に濡れた)

 丹沢山から100m下ってから不動ノ峰への登り返しは結構きつかった。不動ノ峰(1614m)は、丹沢山中では蛭ケ岳に次ぐ高さを持つ。
 次のピークには鬼ケ岩という尖った一対の大岩が立っており、そのトップからは長い急斜度の岩場になっており、岩の角や鎖に掴まりながら慎重に下った。
(不動ノ峰)
(鬼ノ岩からの下り)

 鎖場を下ってブナの林を登り返して蛭ケ岳に登りついて、目出度く丹沢山系の最高峰での証拠写真を撮ることができた。
 これから檜洞丸に登って下る予定だが、相変わらずの霧で展望はないので、あとは出来るだけ楽に安全に下ってしまいたい。蛭ヶ岳山荘に入って相談に乗ってもらい、青根への下りを薦められ、バスの発車時刻を教えていただいた。このコースは八丁坂ノ頭の分岐までは東海自然歩道として良く整備された道で、分岐から青根までも急坂下りだが道ははっきりしているという。
 山頂から長い長い木の階段を下って雑木林の緩やかな道を歩いていくと地蔵平の道標があった。
(蛭ヶ岳山頂)
(雑木林)

 地蔵平から狭い尾根道を歩き少し階段を登っていくと平らな山頂部になり、姫次という案内板が立っていた。姫次は休憩所になっていて、テーブルやベンチがあった。ゆっくりと弁当を開いて次に向かった。
(地蔵平)
(姫次)

 カラマツ林の中を進むとすぐに・1433の地点で自然歩道最高点の説明版が立っていてベンチがあった。そこからなだらかにハイキング道を10分も下っていくと青根への分岐標があり、小さく八丁坂ノ頭の書き足しがしてあった。
(カラマツ林)
(青根分岐:八丁坂ノ頭)

 分岐からは急な尾根道を飽きるほど歩かされ、1時間半も下って青根登山口に飛び出した。道標に東野バス停方向が示してあり、少し行くと舗装された林道になり、1時間歩いて東野の街に出た。
 時間があったので食堂に入って暖かいラーメンを食べ、バスに乗って藤野温泉に向かった。藤野温泉からは近くの紅葉真っ盛りで綺麗な山の上に蛭ヶ岳も見えていた。
(青根登山口)
(東野から振り返る)

 藤野駅で中央線に乗って上野に向かい、常磐線に乗り換えて大甕駅に20時25分に無事帰りついた。お天気が悪くて展望なく、檜洞丸のピークを踏むことはできなかったが、結構充実感のある山旅でした。


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