S13.常陸太田の松倉山
(藪漕ぎ、陽だまりハイク、ナビ検証)

1.動 機
お天気が良さそうなので近くの山に足慣らしに出かけようと、常陸太田の松倉山を歩くことにした。この山はグランドスラムCCの裏山で、下山先生が三角点探訪で去年登っており、なかなか良い山だと言っていたのを思い出したのだ。ここのところ執心のナビについては、2日前に同期会ハイクで県民の森を歩いた時には松林の中でも正常に作動していたので、今回は杉の植林での作動も確認したかった。登りは藪漕ぎと植林の急登歩きで苦労したが、下りは手入れされた登山道を歩く陽だまりハイクになって快適だった。山頂近くでは日光から奥久慈の山までの素晴らしい展望を楽しめた。

2.データ
a)山域:松倉山(304m)
b)登山日:2005/01/22(土)晴
c)コースタイム: 
スポーツ広場11:05 ---- 11:25 林道 ---- 12:05 標石12:10 ---- 12:55 T分岐 ---- 13:10 松倉山13:40 ---- 14:20 林道---- 14:40 ハイキング道登山口 ---- 15:10 鳥居 ---- 15:30スポーツ広場
d)同行者:和子
e)地形図:1/25000「常陸太田(北西)」

3.記 録 
スポーツ広場に着くと、今日は土曜日でもあり広い運動場には人がいっぱいで、駐車場は満車、福島ナンバーのバスも路上に3台停まっていた。評判の広場のようだった。
路上駐車して広場入口のところから破線の道を登っていった。途中から沢筋の道が消えたが、ままよと林道まで急斜面を強引に登った。林道からは筑波山や加波山などの山波が見えていてシャッタを押す。植林のルートを歩きたくて林道を北に歩き、破線の道を見つけて入り込んだ。

この道は、幅は広いが伐採された笹や雑木がなぎ倒されたままになっていて歩きにくく、植林の中を道と平行に歩いていった。この道も途中で消えてしまい、手入れされていない植林は藪も生えていて歩きにくくなったが、かまわず藪を漕ぎながら直登していった。たどり着いたピークには公共の字のある立派な標石があった。途中にピークがあるとは予想していなかったので、もう破線の分岐点近くまで来たかと驚いたが、周りの山の様子はやはり地形図とは随分と違っている。上空が少し開けたところに移動してナビでも場所を確認すると、まだ分岐点までの半分も来ていない。ここから分岐点までは稜線付近に踏み跡らしきものが続いていて、あまり悩まないで登っていった。
東西に通る破線の道は立派な道だった。右に折れて10分ほど歩くと、材木を積んだ広場についた。東から車道が上がってきており、西からはハイキングルートの道が来ていた。ここから松倉山山頂までは、方向を定めて道とは関係なく手入れの良い林の中を直進した。山頂には三角点があるだけで、山名を示す名板も何もなかった。展望もなかったが、ゆっくりオヤツを食べ、三等三角点の前で証拠写真を撮って下山にかかった。

山頂から登山道に下りると、眼前に大展望が待っていた。左から足尾の山、日光連山、高原山、と続き、塩原那須は雲の中に隠れていたが、奥久慈男体山から三鈷室山あたりまでぐるりと見渡せた。

下りは白羽町への破線の道に入ったが、この道は登山者も多いのか歩きやすくて、登りとは雲泥の差だった。沢を渡ったりして林道に下り、北に向かって20分林道を歩いてハイキングルートの登り口についた。ここからスポーツ広場に下る道を探して右往左往してみたが見つからなかった。もう藪漕ぎはしたくなかったので、少し戻って飯場小屋のところから下っていった。途中、スポーツ広場方向に明確な分岐があったので辿ってみたが沢のところで怪しくなり引き返した。
舗装道まで下りた時、右上に立派な道と階段を見つけ、林道からこんな道があったのかとびっくりして、丁度出合った鎌を持った土地のご夫婦に聞いてみた。これはお宮(天志良波神社)の参道であることを教わり、ついでに歩いたルートを説明したら、「ご苦労さんだったねえ。皆さん真ん中の道の往復だよ。」と呆れられ、「広場のところは、先日死体遺棄事件のあったところだが、知っていたの?」と念押しされた。常陸太田の事件のことは知ってはいたが、まさかこんなところでと驚いた。知らぬが仏、知っていたらうちの奥様は絶対に付いては来なかった。
あとは、歩いた山並みを右に見ながら車道を歩いてスポーツ広場まで帰った。
地形図に示した赤線が実際に歩いたルート、□印付きの黒線がナビの軌跡だが、杉林のなかでも何とか使えそうに見えた。



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