S77.2005年の山・鳥海山

1.動 機
鳥海山はずいぶん前から登りたいと思い続けていたが、なかなか果たせないでいた。鳥海山の外輪山の一つ文殊岳が標高2005mであり、2005年の今年こそ登るべき山として鳥海山登山を計画した。ルートは、湯の台口の鳥海山高原ライン終点から歩き始めて河原宿を経て伏拝岳に登り、ここから文殊岳まで往復してから最高峰鳥海山(新山)に登る。下りは、千蛇谷を下って扇子森の手前で鳥海湖に曲がり、鳥海湖から千畳ケ原を横切って河原宿に登り返して高原ライン終点に戻ってくる回遊ルートとした。このルートは、6年前に下山夫妻が一日で回っているが、我家にはきつすぎそうなので、山頂に一泊して2日に分けて歩くことにした。計画を62会の山仲間にメールを流したところ、大矢さんが同行してもらえることになり、賑やかな楽しい登山になった。
(周回路を歩きました)

本文中のアンダーラインのついた花の名前をクリックすると、写真が飛び出します。見たあとは、[戻る]をクリックすると本文に戻ります。

2.データ
a)山域:文殊岳(2005m)、伏拝岳(2130m)、行者岳(2159m)、新山(2236m)
b)登山日:07/28(木)曇りのち晴、29(金)曇
c)コースタイム: 
7月28日: 
森山4:10 = 4:25山の上バス停 = 4:35日立北IC = 6:05吾妻PA 6:40 = 9:05酒田IC = 10:05鳥海高原ライン終点駐車場 10:30 ---- 10:50滝の小屋 10:55 ----12:15河原宿 12:40 ----12:55大雪渓 ---- 13:50小雪渓 ---- 15:10伏拝岳 15:15 ---- 15:35文殊岳 15:40 ---- 16:00 伏拝岳 16:05 ---- 16:40御室小屋 17:00 ---- 17:20新山 17:25 ---- 17:45御室小屋 
7月29日: 
御室小屋 6:30 ---- 7:55千蛇谷雪渓下端 ---- 8:20七五三掛8:25 ---- 8:50八丁坂 ---- 9:20鳥海湖9:35 ---- 10:00万助分岐 ---- 10:15千畳ケ原10:30 ---- 11:15月山森 ---- 12:00河原宿 12:20 ---- 13:10滝の小屋 ---- 13:25鳥海高原ライン終点駐車場13:45 = 14:10鳥海荘14:55 = 15:45 酒田IC = 17:50国見SA(夕食)18:10 = 20:10日立北IC = 20:35青葉台= 21:00自宅
d)同行者:大矢、、和子
e)地形図:1/25000 「湯の台(北西)」「鳥海山(南西)」

3.記 録 
7月28日
日立南部の我家を4時過ぎに出発してR6を北上する。日中は混雑するR6もこの時間は空いていて快適、待ち合わせ時間より早く着いて、バス停まで出てもらっていた大矢さんをピックアップする。日立北ICから高速に乗り、常磐道、磐越道、東北道も空いていて快適にドライブして、吾妻PAで朝食休憩。PAの外のベンチで吾妻山を眺めながら、用意してきた朝弁当を頂く。ここから運転を大矢さんにバトンタッチ、上手な運転に気持ちよくなりうとうとする。山形道に入って寒河江SAでトイレ休憩して、また運転を代わる。月山が雲の中に隠れていて、今日のお天気を心配させた。途中月山ICと湯殿山ICの間が自動車専用の一般道になるが無料になっただけであまり変わりがない。
(空も晴れ渡ってきました)
酒田ICで降りて酒田市内をR7で抜け、八幡町から湯の台温泉への道に入った。鳥海高原ラインで1200mまで上るが、終点まで完全舗装で道幅も6m以上の広い立派な道が続いた。登るに従って雲は晴れてきて、鳥海山が青空の中に頭を出し、いつ姿を隠すか分からないので路側に駐車してパチリやった。終点の広い駐車場に着くと、平日にかかわらず20台くらいの先客があり、バスも停まっていて、人気の山を実感させた。
身支度を整えて、10時30分に駐車場入口の登山口から歩き始めた。大矢さんにトップのペースメーカをお願いする。滝の小屋までの道は広い石畳になっている。丈夫な橋を渡って滝の小屋に着き、裏のトイレを使わせてもらって再スタート。すぐ先の横堂への分岐を河原宿への指標に従って沢沿いを進み、白いカラマツソウシシウド、黄色いミヤマキンポウゲなどを楽しみながら雪渓の残った沢を渡り渡りしながら登った。沢筋から外れてトラバース道に入って歩いていくと、滝の小屋で一緒になった10人ほどのグループとまた出会った。「分岐を横堂方向に歩いたが、沢もなくて歩きやすかった」という。帰りはこっちを歩いてみよう。
ここからは八丁坂、結構な勾配があり、道も大きな自然石ででこぼこしており、足場を選びながら登っていくので疲れる。太陽も射し始めて暑くなり、とめどなく汗が噴出してきた。それでもたくさんの高山植物の花が増えてきたので、適当に休みながら写真を撮ったりしながらゆっくり登っていった。黄色いトウゲブキコガネギク、青いハクサンシャジンハクサンフウロハッコウダシオガマ、目立たないホツツジなどいっぱい咲いている。ところどころにクルマユリが鮮やかな赤色で彩を添えている。九十九折の曲がり角で、下を振り返ると一面のお花畑が広がって疲れを吹き飛ばしてくれた。この時間にもう下ってくる人に結構出会った。河原宿のお花畑を散歩してくる人もいるようだ。 河原宿に着くと、目の前に鳥海山(伏拝岳?)が真っ青な空をバックに聳えており、大雪渓や小雪渓がその緑一色の斜面を飾っていた。こんな絶景に出会えたのは今年初めて、なんとも言えず幸せな気分になる。立派な小屋が立っていて、登る人下る人で小屋前は結構な繁盛だった。前の川の流れが水場だと言う。ペットボトルの水を入れ替えると、切れるように冷たくて美味しかった。丁度12時になったので、小屋前の広場で昼弁当を広げた。絶景を見ながらの弁当は美味い!
(大雪渓の登り)
食後、歩き始めると、ミヤマキンポウゲやミヤマキンバイチングルマやハクサンイチゲが目に付きだす。大雪渓に入って登りはじめる。面倒なのでアイゼンをつけないで歩いたが、時々ずるずるとして、少し反省気味だった。途中からロープの指示に従って脇道に出たが、山道はやはり大石の出っ張った歩きにくい道、雪渓を歩き続けた方が楽そうだった。それでも、道の脇には、イワブクロ、タテヤマリンドウアオノツガザクラウゴアザミ、タニマスミレなど賑やかで、マルバシモツケの大群落にも出会えて、「雪渓を歩いたらこれは見ることが出来なかったね」と強がりを言いながら歩いた。
小雪渓もアイゼンなしで登って、終点が展望台のようになっていたので大休止する。雪渓の向こうに、朝は雲の中に隠れていた月山や蔵王の山々が見渡せて気分が良かった。ここから伏拝岳までは今日一番の急登のアザミ坂になり、あえぎあえぎ登った。大矢さん一人平気な顔で登っていく。毎日のテニスでの鍛錬の賜物のようだ。こちらは、コバイケイソウハクサンシャクナゲの群落が現れるごとに、写真を撮る名目で休みながらやっとの思いで後に続いた。
伏拝岳 に着いたのはもう15時を過ぎており、山頂御室小屋の予約を電話で取った時に、「16時30分までには到着してほしい」と言われており、思惑よりも遅れ気味だったが、展望も良くてお花が綺麗だったのだから仕方がない。遅くなっても、皆さんに宣言して出かけてきたので2005年の文殊岳には行かないわけにはいかない。週間百名山によれば片道10分となっている。ザックをデポして、目の前に目だって見えるピークがそれだろうと見当をつけて歩き始めた。
(2005m の文殊岳)
この道もお花がいっぱいだったが、帰りに見ることにして素通りし、10分弱でくだんのピークに着いた。新山や七高山、文殊岳の山並みが迫力あるが、ナビを覗いてみるとまだ行程の半分しか来ていない。標高もまだ2050m以上ある。ずっと先に見える木柱との中間あたりまで下りるようだ。和子はここでリタイアし、ゆっくりお花の写真を撮りながら伏拝岳の戻ると言う。大矢さんと二人で急な崖を下って、絶壁の縁にできた登山道をナビの現在位置を確認しながら進んでいった。地形図上での文殊岳の位置は(北緯39°05’45”東経140°02’14”)である。それらしいピークもないところで、前後1”(30m)をうろうろ探してみたが、地点を示す石柱を見つけることは出来なかった。丁度登ってきた男性に証拠写真(?)を撮っていただいて引き返した。帰りに、ヤマハハコアオヤギソウネバリノギランハクサンチドリなどの写真を撮るのは忘れなかった。往復45分の寄り道になった。
伏拝岳から行者岳へは緩やかな尾根道、イワブクロイワギキョウが現れる。チョウカイアザミも高く伸びた先に頭を垂れていた。行者岳の先で、落石注意の看板が有る御室小屋への分かれ道に入った。はしごに取り付くところで、初めてチョウカイフスマに出会った。白い清楚な姿が気持ちよかった。はしごを下ると、大石が重なった道ともいえないところを一旦下り、石から石へと辿りながら御室小屋に登りついた。
4時40分に受付に6000円ずつ払って一泊二食で申し込む。夕食、朝食ともに2回目の5時50分からだった。部屋の指定された半畳ほどの場所に、上下一枚ずつの毛布を敷いて寝床の準備は完了。夕食まで時間が50分有り、明日の天気が怪しいので、今日のうちに最高峰の新山に登ってくることにする。
(新山は岩だらけ)
左側の直登ルートで登った。ストックを持って登っていたら、邪魔になるから置いていったほうが良いと小屋の人に注意された。途中に置いて登ったが、登山道はない。大きな石の重なりを一つずつクリアしながら登っていく。一つでも崩れると大変なことになると少し怖い感じがするが、石のかみ合わせはしっかりしていた。目の前のピークに近付いたのでやっと新山かと思ったら、山頂はまだその先、一旦下って天切通し岩という巨岩の間を通って隣のピークが2236mの新山山頂だった。
岩にしがみ付きながら登った山頂からは、まさに360°の展望、日本海の沿岸線、粟島、飛島、男鹿半島の寒風山、朝日岳、月山、葉山、蔵王などの眺望を楽しむことができた。特に外輪山の絶壁の連なりが強烈な印象を与えた。狭い山頂で証拠写真を取り合っていたら、一人の男性が登ってきた。これ幸いと三人そろいの証拠写真のシャッタを押していただく。男性は、今朝、雨の中を月山に登って、バスで鳥海山の麓まで来て登ってきたと言う。同年代と思われるが凄い人がいるものだ。
(鳥海山山頂)
下りは右の雪渓を通るルートを取った。岩の部分が少なくてそれだけ楽だった。往復45分、ごつごつした岩にしがみ付いての登りが結構気疲れするピークハントでした。下って早速ビールで乾杯!
下ってきて小屋の人に教えてもらったのだが、影鳥海は夕方でも山頂に登っていれば反対側に見えるのだった。明日の天気が怪しいだけに、惜しいことをしたものだ。これを見ていれば、日立に帰ってから皆に吹聴できたのにと思っても既に後の祭りだった。
夕食はご飯に汁、おかずが袋物をパックの皿に並べかえた4品で全部。ナムル丼にして頂戴する。食堂内は禁煙、禁酒のことで、小屋でカップ酒を買ってきた人たちも一時預かりと言って取り上げられていた。
夕食後、綺麗な落日を期待したが、西の空に雲が現れてきて夕陽を隠してしまった。それでも三脚を構えてじっと待つ人があり、隣に立って講釈を拝聴する。「こんなときでも、日没数分後に空が真っ赤に燃えることがあるのよ。諦めてはチャンスを逃がす。」一緒に空を睨んでいたが、空はついに燃えることはなかった。
平日なので部屋の込み具合は大したこともなく、いびきも聞こえてこなくて、大矢さんボッカのアルコールのお陰で朝までゆっくり眠ることが出来た。我家は袋のシーツを持参したので良かったが、大矢さんは上下一枚ずつの毛布では寒くて、夜中何度も目がさめたらしい。
7月29日
早くから早立ちの人がたてる荷造りのレジ袋の音がガサゴソしていたが、朝4時ころ部屋の照明がついて起床する。身支度をして外に出てみたが、視界は100m程度、日の出や影鳥海は関係なさそうなので、部屋に戻って食事までの時間つぶしに苦労した。
(2日目の下り始めは霧の中でした)
6時30分に出発して千蛇谷に向かう。深い霧の中を石の重なりの道を下っていく。イワベンケイやアキノキリンソウ、アオノツガザクラなど大きな群落を作っていて、湯の台口側よりも花は多いようだが、霧に霞んで残念だ。途中から雪渓に下りて下ったが、ロープにしたがって再び山道に戻った。しばらく歩くと雪渓に下りる道と尾根に登る道の分岐になった。雪渓に下りることにし、勾配が急なのでアイゼンを着けた。雪渓には落石が散らばっていて少々気持ち悪かったが、アイゼンを着けると快調に歩ける。いつの間にか登山道が交差する点を通り過ぎていて雪渓の下端まで下りた。先は急坂、両脇は崖、思案して登山道があると思った右尾根に上がってみるがその先はまた崖だった。やむなく雪渓を登り返してみようと思ったところで、向かいの左斜面に人影が見えた。文殊岳からの道かと思って崖をよじ登ってみたら、千蛇谷の正規の登山道だった。我々は登山道が雪渓を横切っているのを無視して通り過ぎたのだった。ナビも思い違いをして見ると違った画面に見え、危ないところであった。
文殊岳からの道の交差点までダイモンジソウを見ながら急坂を登って、七五三掛まではしごを使ったりしながら急降下した。七五三掛から八丁坂の万助分岐までは、見事なお花畑が続いた。コバイケイソウ、ニッコウキスゲハクサンイチゲの大群落、ヒナザクラやイワブクロ、シロバナトウウチソウなどの群落もあって飽きさせない。多くの登山者に追い越されたり交差したりしながら、八丁坂までは賑やかな登山道を下っていった。御浜小屋を通る吹浦口ルートは人気のコースのようである。
八丁坂で万助道方向(鳥海湖方向)に曲がると急に人気がなくなった。静かななだらかな道を、濃霧の中をウサギギクやニッコウキスゲを愛でながら歩いていくと、今日八丁坂から河原宿までの間で出会う初めてで最後の御夫婦に出会った。御浜小屋から鳥海湖を回ってきたとのこと。鳥海湖の上に立ち寄って展望したが、周りに雪渓が残っていて、晴天ならば青い空を写してさぞかし美しい風景になるだろなと思われた。
(鳥海湖)

霧が晴れて、鳥海山山頂近くまで見えそうになってきた。眺めの良いこの地点でもう一度鳥海山頂を見てみたいと、しばらく粘ってみたが、一つの雲が流れると次の雲が大きく成長してくる、を繰り返して、ついに山頂を見ることは出来なかった。
新しく整備した丸太の階段を降りると小さな雪渓に遮られた。小さいが少々勾配が急で、雪の苦手な和子は嘆いていた。これを降りて続きの階段を下りると沢沿いの道になった。縁の踏み跡や沢の中の石を踏みながら歩くと、万助道の分岐になった。万助道は沢の続きの中を歩いていくようだ。河原宿への道はここから左に登って小さなアップダウンを繰り返しながら、いくつもの沢を渡っていく。次の二の滝分岐付近から月山森の登りまでは、千畳ケ原の素晴らしい湿原が広がる。大部分に木道も整備されており歩きやすい。イワイチョウが大群落を作っており、ヒナザクラやニッコウキスゲの群落もあり、オオバキスミレベニバナイチゴ、キンコウカ、ショウジョウバカマなどもお目見えした。池塘には頭を隠した鳥海山が影を落としていたが、晴れた日に青空と鳥海山が映ったところをカメラに写したいものだ。パンなど食べながらゆっくりと休憩した。
次の月山森への登りは、地形図を見て、急ではあるが高度差僅か100mほどなので多寡をくくっていたのだが、登り口に着いて驚いた。登山道を登るものと思っていたら、大きな石が累々と重なった沢を攀じ登るらしい。急勾配の直登である。昨日の新山の登りよりも落差が高い分きつそうだ。大矢さんは口では嘆きながらもすいすいと登っていくが、和子は久しぶりの大きなリュックを背負っての苦行に喘いでおり、大矢さんに水をあけられる。30分苦しんで、案内板の立った登山道に出たときは、心底ほっとした。指導標にこの坂を「幸治郎沢」と書いてあった。
(幸治郎沢の辛い登り)

ここからは月山森を巻きながら、チングルマの群落が多いなだらかな登り道を歩いて河原宿に到着した。途中、イワショウブミヤマハンショウツル、コウジオウレンにも出会えた。河原宿小屋前の冷たい流れの水をいっぱい飲んで、おやつを口に入れて元気を回復させた。河原宿のトイレはチップ制だが清潔で気持ちが良かった。
河原宿からはお花畑の中の下り道、登るとき下から見たよりも視界が広い分、ずいぶんと綺麗に見える。大矢さんと和子は快調に飛ばすので、わき見をしていると石の段差を踏み外しそうで危ない。坂がだんだんと急になってくると、石の段差を降りるのが響いて、私の膝痛の古傷が蒸し返しそうになってきた。「少しペースを落としてくれ」と悲鳴を上げてしまった。少しペースが落ちると、お花畑を眺める余裕も出てきて嬉しい。
(河原宿からの下りはお花畑)

途中の分岐で、横堂への道に入ってみたが、歩くには楽チンだが、黄色や白のニガナ以外に目立ったお花もなくて退屈な道だった。滝の小屋からの整備された石畳の道も、河原宿からの下りで疲れた私の膝にはびんびんとこたえた。やはり土の道が一番いい。
駐車場に着いたのは13時25分、御室小屋を6時30分に出発してから7時間たっていた。6時間あれば十分と見込んでいたのだが甘かった。下山御夫妻は、我々の二日分を一日で歩いたのだ。我家は大矢さんに引っ張られて、二日でやっと歩き通せたが、彼我の力量差を思い知らされた山行でもありました。
とは言え、歩いた回遊ルートは鳥海山のスケールの大きさを存分に味わえる変化のあるルートで、展望、お花を心行くまで満喫し、今年一番の山行になりました。駐車場に降りて、土地の山好きの人と話したとき、「このルートは面白いんだが、少々辛くなるので歩く人はめったにいない。あなた方も相当な山好きなんでしょうな」と言われた。さらに、「土地の人を連れて時々このルートを一日で歩く。実力を審査して合格者だけをつれて歩くが、あの幸治郎沢に出会うと、みんなへばってしまうね。」
途中、湯の台温泉の鳥海荘で汗を流し、酒田ICから高速に乗った。料金所がすでに上り下りに分かれていて、うっかり下り料金所に入ってしまってバックするはめになった。後の車にバックしてもらったが、この車も上り料金所に入っていった。
国見SAで夕食を取り、ここから大矢さんに運転してもらって、20時半過ぎに大矢宅に着き、我家に丁度21時に無事到着した。



戻る

inserted by FC2 system