S82.針ノ木岳・蓮華岳

1.動 機
針ノ木岳・蓮華岳が水戸アルパインの8月例会として計画された。山は日本二百名山・三百名山に入っており、登山道の針ノ木雪渓も日本三大雪渓の一つらしいが、北アルプスに疎い我家はその名前も知らない存在だった。とにかく我家にとって未踏峰なので大喜び、ルートの厳しさも何も考えないで参加申し込みした。ルートは、バスで前夜茨城を出発し、早朝から大町市の標高1400mの扇沢から針ノ木雪渓を登り、2550mの針ノ木峠から2821mの針ノ木岳まで往復してから針ノ木小屋に宿泊。翌朝、2799mの蓮華岳まで往復してから扇沢に下り、その日のうちに茨城に帰ってきました。参加者は合計24名(男10、女14)、平均年齢61才、いつもの顔なじみが揃って賑やかで和やかな山行でありました。

2.データ
a)山域:針ノ木岳(2821m)、蓮華岳(2799m)
b)登山日: 2005/08/20(土)晴れ時々曇り、21(日)晴れ後曇り
c)コースタイム: 
8月19日:計算センタ前バス停20:10 = 21:05水戸駅 = 21:30水戸IC = 22:20守谷SA 22:35 =
8月20日: = 0:05談合坂SA 0:25 = 4:00扇沢駐車場(朝食) 5:05 ---- 6:30大沢小屋 6:40 ----7:40雪渓 8:10 ---- 10:40針ノ木小屋(昼食)11:40 ---- 13:00針ノ木岳 13:20 ---- 14:10針ノ木小屋(泊)
8月21日:針ノ木小屋 4:35 ---- 5:40蓮華岳5:55 ---- 6:50針ノ木小屋(朝食)8:00 ---- 9:45雪渓10:20 ---- 11:15大沢小屋 11:30 ---- 12:40扇沢駐車場12:50 = 13:10薬師の湯14:10 = 14:55 豊科IC = 16:00双葉SA16:10 = 20:00守谷SA(夕食)20:30= 21:15水戸IC = 20:35水戸駅= 22:15計算センタ前バス停  
d)同行者:水戸アルパイン22名(男9、女13)、和子
e)地形図:1/25000 「黒部湖(北東)(南東)」

3.記 録 
8月19日(金)
いつものバス停に10分前に着いてバスを待つ。定刻20時を5分過ぎてもバスが来ないので、電鉄担当者に電話している間にやっとバスが到着した。今回の時間割に無理があったのか、続くバス停でもどんどん遅れが増してきて、最終の内原では25分の遅れになった。たった一人で待っていた人の心細さが思いやられた。
21時半に水戸ICで高速に乗り、守谷と談合坂で休憩したが、バスがゆったりで、この先は扇沢駅の駐車場に着くまで良く眠った。
8月20日(土)
扇沢の駐車場は広く、朝4時ではまだがらんとしている。トイレを使い朝食をとっている間に空が明るんできた。空は晴れており、大きな駅舎の裏手の山がくっきりと見えてきた。天気予報で、雨が降らなければラッキーだ、程度に思っていたので、皆で大喜び。
(登山道入口)
扇沢駅舎の左、車道の左に登山道入口があり、5時過ぎに歩き始めた。車道を何度か横切りながら登山道の入口までくると、はるか彼方に大きな山肌が立ちはだかり、雪渓が見える。朝日を受けて美しい。
テンニンソウやヒメシャジンを愛でながら、鳴沢の流れや赤沢の涸れ沢を渡り1時間20分歩いて大沢小屋に着く。小屋前では髭面の老人(?)が出迎えてくれる。このルートを開発した百瀬慎太郎のお孫さんだという。百瀬慎太郎の歌を書いた記念碑があった。
小屋から登って、すぐに沢筋を高巻く登山道へ急坂を登る。雪渓が残っていれば沢筋の雪渓を楽に歩けるのだろう。それでも高みに上がると針ノ木の稜線、沢の向かいに見事な滝が見え、ギボウシやミヤマウツボグサが花盛りだった。
(針ノ木雪渓)
大きな石がごろごろした登山道を登ってから沢に下り、沢を丸太の橋で渡ると、やっと雪渓の上を歩けるようになった。トップはアイゼンを付けず、どんどんみんなを引っ張っていく。私は折角持ってきたのだからとアイゼンを付けた。
すぐにはまた雪渓やせ細り、夏道を歩くことになり、石交じりの道なのでアイゼンでは気持ちが悪い。アイゼンをはずして手に持って歩く。再び雪渓になったので喜んでアイゼンを付けた。
          雪渓はまだまだ伸びているが、やせて薄くなっているところがあるのだろう、赤ペンキで夏道に誘っている。ここから暫く岩登りのような高巻が続いた。それでも、トリカブト、クルマユリ、ミソガワソウ、ママコナの花が救いになった。
雪渓が本当に消えているあたりで沢におり、暫くは歩きやすかったが、すぐにとんでもない急坂になった。ガレた急坂にジグザクに道をきってあり、黙々と登る。花はたくさん咲いており、ヤマハハコ、タカネツメクサ、ダイモンジソウ、シラネキンバイ、オオレイジンソウ、エゾシオガマ、ヨツバシオガマ、ウサギギク、タテヤマリンドウなど色とりどりだった。
(針ノ木小屋からの展望)

登りはじめて5時間半で針ノ木峠に到着、小屋は峠のすぐのところにあった。庭先から目の前に北アルプスの見事な展望が広がっていた。この庭先で、山々を展望しながら昼弁当を広げた。我家は北アルプスをあまり歩いていない。知っているのは表銀座と立山連峰ぐらいで、どの山がどの方向に見えるのかまるで分からない。リーダや下山先生に教えてもらう。
(針ノ木岳へ)
食事を終わって、リュックを山小屋に預けて、水と雨具だけをナップザックに詰めて針ノ木岳に向かった。最初暫くは急坂だったが、やがてなだらかな登山道になり、右に赤沢岳から爺ケ岳への稜線が見え、稜線に出ると左に烏帽子岳、赤牛岳、薬師岳の山々が見えていた。花もイワギキョウやチングルマなど色々目を楽しませてくれた。
針ノ木山頂に着くと、眼下に黒部湖が広がり、その上に憧れの剣岳、その左に立山連峰、さらに水晶岳あたりまでの峰々が連なって見えていた。鷲岳の山肌に緑に広がる五色ケ原がはっきりと見え、花がいっぱいでいいところだから行ったらいいと薦められる。どうやって行くのだろう。宿題が出来た。
(針ノ木岳山頂からの展望)

下りは、皆さんさっさと下っていったが、早く下っても勿体無いなと、下山先生とゆっくりお花畑に寄り道しながら下った。だが、だんだんと空模様が怪しくなってきて、あわてて早足で歩くことになった。
山小屋に着いて、庭先で缶ビールで喉を潤していると、50歳ぐらいのテント泊の人と話し込むことになった。「テントを担ぎながら歩いて、百名山も北や南や中央のアルプスの山々も全部登った。今はがつがつ登るのは止めて、山からは早めに下りて、こうやってゆっくりお酒を飲む時間がとても気に入っている。」などなど---- 。山小屋の案内図を借り出してきて、目の前の山々を指しながら、歩くルートを色々教えてくれる。「我々凡人は、親切な人が案内してくれるので、今日みたいに楽しく歩くことができる。」と話を向けると、「自分もそろそろボランテアをやってみようかと思っている。」とまんざらでもなさそうだった。
17時から夕食、煮魚やフライや野菜に煮付け、ご飯と味噌汁はお代わり自由、とても山小屋とは思えない御馳走を頂いた。明日は朝食前に、4時半から蓮華岳に登るとのこと。早く寝ようと19時ころから就寝にかかる。最初、一畳に2人の割り当てだったが、ほかの部屋が空いて二人移ったり、廊下で寝る人がいたりして、休日の北アルプスとしてはあまり窮屈でない寝相で寝ることが出来た。
8月21日(日)
朝3時半ころ起きだして準備にかかる。針ノ木小屋には三基のトイレ小屋があり、それぞれ、レンゲ、ハリ、槍見荘の名が付いている。槍見荘は低いところに窓が開いていて、しゃがみこむと(槍ケ岳が見える)ようになっているが、今回、槍は一日雲の中だった。残念!
予定通り4時半に山小屋を出て、針ノ木岳の反対方向の蓮華岳に向かう。針ノ木岳よりも厳しいとリーダはおっしゃったが、みんな良く寝て元気回復し、身軽な格好で快調に登っていった。登山道も、最初の急な登りは長くは続かず、すぐになだらかな道になった。蓮華岳左後の東の空が明らみ始め、赤く染まった空に浮かぶ蓮華岳に向かって歩くのは気持ちよかった。左手後方には、針ノ木岳、赤沢岳から爺ケ岳への稜線の上に剣や立山連峰がくっきりと見え、右手には北葛岳から烏帽子岳への稜線が朝日を受けて緑色に浮き上がり、一服の絵を見るようだった。
(朝日に向かって登る)
(北葛岳から烏帽子岳への稜線)

さらに登って振り返ると、針ノ木岳の右に虹がでていた。この時間、黒部湖の水蒸気が立ち昇り、朝日が当たって虹が出るのだとの解説があった。針ノ木の左には影が写って影針ノ木(影鳥海のもじり)となり、右手の七色の虹とに挟まれた針ノ木岳の珍しい光景が出現した。
ガレた登山道の脇には、少し遅いとは言えコマクサが可愛く咲いており、踏み込まないよう登山道は小石で囲ってあった。花はほかにも、イワギキョウ、キンポウゲ、タカネツメクサと色とりどりだったが、コマクサが一番多かった。
山頂の手前には若一王子神社奥宮の祠があった。この山から北アルプスの全山を眺めることが出来るので、北アルプスのお宮の総元締になっているとのこと。快晴なれば、360度の大展望が広がるのだろうが、今日はそこまではいかなかった。
全員での証拠写真を撮って小屋まで下り、7時からの朝食をとって8時から下山にかかった。登りでは辛かったガレ場の急坂も、下りは楽である。落石を起さないよう、ストックの付き場所にも気をつけながら下っていった。雪渓では、下りは危ないからとみんなアイゼンをつけて歩いた。途中の夏道もアイゼンを付けたまま歩いたが、石を踏むたびにガリガリ悲鳴のような音を出し、アイゼンが可愛そうだった。
途中、大沢小屋で休憩したが、小屋の裏手に流れ出ている水が冷たくて美味しかった。扇沢までさらに1時間の下り道。皆さん元気にゴールに向かって快調だが、私の膝はそろそろ限界に近く、舗装された車道を歩くときにはビンビン響いて、皆さんに付いて歩くのがやっとだった。
午後1時前に待っていたバスに乗り込み、大町の日帰り温泉「薬師の湯」で汗を流し、ビールを飲んで元気を取り戻し、豊科ICで高速道に乗り、守谷SAで夕食を食べて帰ってきた。小仏トンネルの手前で大渋滞に巻き込まれて、日立に帰ってきたのは夜10時を過ぎていた。



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