S112.道海泣き尾根と展望の博士山

1.動 機
(山渓分県登山ガイドから)
博士山はその変わった山名が気になっていたが、道海泣き尾根という厳しい登りがあることだけを知っていた。今回、新車での車中泊実習のため会津に出かけ、近くの志津倉山と抱き合わせで登ってきた。登り下りはきつかったが、全山黄葉真っ盛りで美しく、山頂や途中の展望が申し分なく、気持ちの良い山行ができた。

2.データ
a)山域:博士山(1482m)、社峰(1442m)
b)登山日:2005/11/02(水)晴
c)コースタイム: 
せいざん荘7:40 = 8:25 登山口P8:45 ---- 9:55 しゃくなげ洞門 10:00 ---- 10:20 尾根分岐点 10:25 ---- 11:05 社峰 ---- 11:20博士山(昼食)12:30 ---- 12:45社峰13:00 ---- 13:30尾根分岐点 ---- 13:50近洞寺跡 ---- 14:50水場14:55 ---- 15:00林道 ---- 15:25登山口P 15:35 = 17:10田島道の駅17:20 = 19:20美和(夕食)19:50 = 20:30日立自宅  
d)同行者:和子
e)地形図:1/25000「博士山(北東)」、「博士山(南東)」

3.記 録 
(せいざん荘隣接の公園で朝食)
車中での寝心地がなかなか良くてぐっすり眠り、朝6時前に目覚めるともう空は明るんでいた。今日も絶好の快晴のようだ。夜間駐車していたせいざん荘の駐車場から、隣接の公園の駐車場に移動して準備を始めた。清潔な水洗トイレや頑丈なテーブルやベンチが完備されており、好都合だった。
バーナに火をつけ湯を沸かし、持参の焼米で雑炊を作って朝食にした。近くに地熱発電所があり、そこから立ち昇る蒸気が朝日に燃えて美しく、これを眺めながら美味しい朝ごはんをゆっくり食べた。佐藤の御飯を戻して昼弁当作って、後片付けをして出発できたのは7時40分だった。これでは旅館に泊まっても出発できる時刻である。もっと短時間に準備、後片付けができるように、要領を会得しないと車中泊のメリットが出てこない。宿題である。
車のナビで博士山の登山口を指定したが、大成沢から先の林道は案内してくれない。県道32号を南下して大成沢部落に着き、土地の人に尋ねて林道に入り登山口の駐車場に入ることが出来た。大きな駐車場が林道から別れて少し下がったところにあったが、その分岐点が広くなっていたのでここに駐車して身支度を始めた。タクシーが一台入ってきて単独行の男性が直ぐ先の登山道に入って行った。次いで軽トラがやってきて土地の御夫婦が私たちと一緒に歩き始めた。キノコ採りに来たとのことで、「ナメコが狙いだ」と言いながら途中のブナの倒木が見える斜面に分け入っていかれた。
やがて「最後の水場です」の立札を過ぎると急坂になった。名にし負う道海泣き尾根の始まりだ。だんだんと斜度を増し、ロープや鎖も張ってあり、どこまでも続く。志津倉山ほど難しい登りではないが、何しろ長い。「さあみなさん頑張りましょう」の看板に励まされてひたすら登っていって後ろを振り返ると、ふもとの紅葉の山や地熱発電所の煙の向こうに飯豊山が姿を現した。飯豊山が見えるとやはり嬉しい。元気を出してシャクナゲ洞門に着く。大きな石が二つ向き合いその上をシャクナゲの大木が横たわって門を作っており、近くにはシャクナゲの木が多かった。洞門まで1時間のきつい登りだったが、ここからはやっと傾斜が少しゆるくなって20分ほどで大きな檜のある尾根に出た。
(海道泣き尾根(1))
(海道泣き尾根(2))
(飯豊山遠望)

地形図では尾根に上がるところは金洞寺山のピークになっているが、それよりも博士山方向に大きく寄った峠状のところだった。そこからは緩やかな尾根歩き、目の前に博士山や社峰が見えた。北側が切れ落ちた崖になっており、この方向の展望が広くなった。ただ、志津倉山のようには下草の刈り払いがされていない。笹やツツジの枝がうるさく、捲り上げていた長袖シャツの袖を伸ばして歩いた。
緩やかな坂道を40分登ると手書きの山名板がぶらさがっている社峰の小広いピークに着いた。昨日の志津倉山がすぐそこに見え、その上に守門岳や浅草岳が見えて、これまた嬉しい。少し下って登り返すといよいよ博士山の山頂だった。セメントで補修した一等三角点が立っていた。北以外は潅木が少々うるさかったが、ほぼ360°の展望だった。那須岳の煙   や日光の山もよく見えていた。磐梯山や飯豊連峰を眺めながら今朝用意した弁当を食べた。 
(博士山山頂)
(山頂から磐梯山、右安達太良連峰、後吾妻連峰)

途中で追い越した単独行の男性が登ってきたところで、しゃれた山名板の前で証拠写真のシャッタを押していただいた。この人は埼玉から新幹線でやってきたとのこと、明日は志津倉山に登るとのことで情報交換した。写真は撮らず、あちこち向いてはノートに盛んにメモを書き付けていた。写真を撮り捲くるよりも印象は強く残りそうに思われた。
邪魔な潅木が減らないかなと思って、黄金沢コースの方に少し下ってみたが、どこまでも立ち木が続くので諦めて引き返した。
山頂で1時間ほど過ごして、別の単独行の男性と行き交って社峰まで引き返すと、山頂で意外な人の顔が待っていた。水戸アルパインの指導者の一人、Iさん御夫妻だった。お互いにびっくり、しばし呆然。6人の登山者の中で水戸アルパインの仲間が4人、まさに奇遇である。揃っての記念写真を撮った。今朝、常陸太田を出発してこられた由、道海泣き尾根を登ってこられた直後なのに、二人ともニコニコされている。70歳を越してまだまだ私達よりもお元気、あやかっていつまでも元気に山登りを楽しめればいいなと思う。
登りの分岐を過ぎるとすぐに近洞寺跡、このあたりからは檜、ブナなどの大木が目立つようになり、黄葉も美しい。
(夕日に映える黄葉)
(登山道にブナの倒木が)

(林道を駐車場に戻る)
やがて急坂の下りになったが、道海泣き尾根に決して負けない急坂だった。足を滑らさないように気をつけて下った。時々立ち止まっては、夕日に映える周りの黄葉を楽しみながらゆっくり下った。2人目に出会った男性が快調な足取りで追い越して言った。この人も車中泊して明日は志津倉に登るそうだ。ブナの倒木が目立つ。台風にでもやられたか、直径50cm以上もある大木があちこちで根こそぎ倒れており、その都度高巻いたり、低巻いたり大変だった。
やがて舗装準備中と思われる整地転圧された広い林道に出て、黄葉一色の周りの山を眺めながら25分歩いて駐車場に戻った。
帰りは急ぐこともないので、一般道で帰った。大成沢から県道32号で昭和村に出て、田島、塩原と走り、途中美和で夕食をとって夜8時半に我家に帰りついた。



戻る

inserted by FC2 system