S115.陣馬山から景信山へ

1.動 機
(陣馬山頂の白馬の像)
11月も半ばを過ぎると高い山は雪が舞ってきて、我家の範疇を越えてくる。どこに行こうかと年間計画を眺めてみると、11月には東京週末フリー切符を使っての東京近辺の富士山を眺める山が並んでいた。その中で一番歩きやすそうな陣馬山を選んだ。八王子駅からバスで陣馬高原下までバスに乗り、陣馬山−堂所山−景信山と縦走して小仏から高尾駅までバスに乗った。関東ふれあいの道では陣馬高原下から陣馬山に登り、小仏峠、高尾山を通って高尾駅まで歩く19kmのコースが選ばれている。歩いたのはこの半分だが、秋晴れの好天気に恵まれて、富士山の展望を存分に楽しんできた。    

2.データ
a)山域:陣馬山(857m)、堂所山(731m)、景信山(727m)
b)登山日:2005/11/19(土)晴
c)コースタイム: 
11月19日: 大甕駅5:48 = 7:37日暮里駅7:43 = 7:55東京駅8:11 = 9:07八王子駅9:12 = 10:00陣馬高原下10:20 ---- 10:40新ハイキングコース入口 ---- 11:30陣馬山12:35 ---- 13:05明王峠 13:10 ---- 13:30堂所山12:35 ----14:15景信山14:25 ---- 15:05小仏 ---- 15:35高尾駅15:40 = 16:47神田駅 = 16:55上野駅18:00= 19:23大甕駅
d)同行者:和子
e)地形図:1/25000「与瀬(北西、北東)」

3.記 録 
(常磐線車窓からの筑波山)
前夜東京週末フリー切符を買って、大甕駅から朝一番のフレッシュ日立6号に乗る。途中、車窓に朝日に映えた筑波山が綺麗に見え、「近くにこんないい山があるのに、どうしてわざわざ遠くまで出かけるのだ」と自問するが、やはりピークハントの楽しみは捨てられない。ゆっくり朝食のおにぎりを食べ、日暮里で乗り換えて東京駅に向かい、高尾行きホリデー特快に乗った。八王子に近付くと、七合目あたりまで雪化粧をした美しい富士山が見えてきて、陣馬山頂に行くまで雲に隠れないで待っていてくれと祈る。
電車は八王子駅に3分遅れで到着。もともとバスの発車時間までは8分しかゆとりがなかった。やばい、遅れると1時間待ちになる。バス停まで走ると、丁度陣馬高原下行き臨時急行バスが40人の乗客を乗せてやってきたので飛び乗った。田舎道に入ると道はだんだんと狭くなり、名勝夕焼け小焼けあたりからはすれ違いも困難な狭い道になったが、バス停は全部ノンストップで走るので、高原下には予定より10分早く着いた。
バス停でトイレを使い、サポータを取り付けたりとゆっくり身支度を整えていたら、次に到着した定期バスのお客さんよりも遅く最後の出発になった。部落の道は直ぐに和田峠と明王峠への二股にわかれ、大型車進入禁止の細い道になった。和田峠まで3.7kmの舗装道路歩きを覚悟して沢沿いに伸びる車道を歩き始めたが、20分歩いたところに「新ハイキングコース」の立札と案内図があり、左に登山道が分かれていた。右和田峠まで2.4km、左陣馬山まで1.9kmとある。休憩中の御夫人が「急登ですよ」と教えてくれたが、車道歩きはごめんと迷わず登山道に入った。きちんと手入れされた登山道で、しばらくは右上に車道のガードレールを見ながら進んだが、2度橋を渡ると植林の中の急登になった。熟年の男性グループが足を引き攣らせた同行者を慰めながら苦労していた。30分ばかり急登を頑張ると道の勾配が緩み、林相は雑木林になって綺麗に紅葉したカエデも目を楽しませるようになった。やがて和田峠からの道と合流すると直ぐに賑やかな話し声が聞こえてくるようになり、陣馬山の直下だった。
(紅葉も綺麗でした)
(大好きな富士山が見えました)

山頂に上がると真っ白な「白馬の像」が立っており、富士山も綺麗に見えていた。早速「白馬の像」の前で証拠写真を撮る。陣馬山の名前の由来は武田信玄の家臣が北条氏照の滝山城を攻めたときに陣を張ったことから「陣場山」と呼ばれ、後に観光会社が山頂に白馬の像を建て「陣馬高原」と名付けてから「陣馬山」となったとのことである。周りに三軒の茶屋があり、景色を眺めながら大勢の人が食事中だった。私達も富士山の眺めがよさそうな富士見茶屋のテーブルを借りて弁当を広げた。大山、丹沢から富士山、三ツ峠山辺りまでが目の前に広がり、登った山の品定めをしながらゆっくり食事をした。
(陣馬山頂からの南方展望)

食事を終わってから、場所を変えながら360°の展望を楽しんだ。三ツ峠山の手前に高川山、遠くに雪をかぶった山が二つ、赤石岳と悪沢岳らしい。右手前の扇山の向こうに大菩薩の峰峰。双眼鏡を出したら、その右に金峰山の五丈石が見えた!さらに右に回ると、生藤山を挟んで奥多摩の山々、三頭山、雲取山、大岳が並んでいた。日光あたりは少し霞んでいたが、八王子の町の向こうに筑波山の双耳峰も確認できた。
(関東ふれあいの道石標)
1時間ほど山頂で遊んで、丸太の階段道の下りにかかった。標識だけの奈良子峠を過ぎ明王峠に着くと、ここの茶店は主人が病気中とかでお休みだったが、富士山や丹沢の眺めが良く、多くの人が休みながら談笑していた。さらに底沢峠を過ぎ堂所山に至るまで陣馬山からいくつものピークがあり、全部に広い立派な巻き道が付いていたが、和子はいちいちピークを踏みながらどんどん歩くので、やむなく後を追いかけた。道中の何箇所には「関東ふれあいの道:陣馬高原下−高尾山口」の標石があり、その間のどのあたりにいるかを棒グラフで示していたのが面白かった。私達は2年前の4月に高尾山から城山−小仏と歩いたので、今回とで2回に分けてやっと完歩したわけだ。
案内書で八王子城址と景信山との分岐点のところが堂所山だと思っていたが、標識にマジックで八王子城址側に堂所山と落書きしてあったので、そちらに少し歩いたら山頂標識があった。「どうしょやま」だと思っていたら「doudokoroyama」とローマ字書きがしてあった。堂所山は樹間から奥多摩の山が少し見えるだけの「どうしょもない山」だったが、城址側に下りる男性が休んでいたので、証拠写真の撮りあいをした。
堂所山から景信山へはピークは全部巻いて歩いた。手入れされた快適な山道だった。この時間になってもまだ登ってくる人とどんどん出会った。どこまで登るのだろうか、なかには子供連れもいて、暗くならないうちに山を下りることが出来るのか心配になった。駆け足で登ったり下ったりするマラソン登山の人にも随分出会った。さすが人気のハイキングコース、いろいろな人がいるものだ。
(加波山と筑波山)
景信山のピークに登ると綺麗な紅葉が出迎えてくれ、いい匂いが漂っていた。ここにも茶店「かげ信茶屋」があって繁盛していた。景信山も変わった山名だが、その昔天正の頃、すぐ南の小仏峠に北条氏照の家臣、横地景信が警備していた富士見関があったので、その横地景信に因んだ山名とのことだった。来し方に奥多摩の山々が一望でき、茶店の前からは富士山や丹沢が眺められた。下り方向には八王子の町並みの向こうに加波山と筑波山が陣馬山からよりも鮮明に見えていた。
一休みして小仏バス停の標識に従って下ったが、物凄い急勾配の下りだった。何人かを追い抜きながら下ったが、一人の男性と1人の御夫人はもっと速く飛ぶように追い越していかれた。膝がまともなら負けはしないのにと癪に障る。車道に下りるところは丁度中央道の小仏トンネルの出口近くだったので、ゴーゴーと物凄い車の音が響き渡ってきた。助川山に登るとき常磐道のトンネルの音が大きいと思っていたが、比較にならないすさまじい轟音だった。
車道におりて10分ほどでバス停に着くと、バス2台がすでに発車体制だったが、20人ばかりが不満げにたむろしていた。聞くと次の30分後のバスを待つのだという。30分も待ってはおれないので、乗客に詰めてもらって二人で乗り込んだ。バスは途中のバス停でまだ7,8人の乗客を押し込んで20分で高尾駅に着いた。久しぶりに満員バスに乗った。
高尾駅に着くと15時40分発の東京行き快速が待っており、幸いにも空いていて座席に座ることができた。途中青梅特快に乗り換えれば早く帰ることが出来たが、乗換えが面倒でそのまま快速で神田まで帰り、上野駅で18時発のスーパひたちの指定を取って、駅のレストランでゆっくりと夕食を食べ、大甕駅に19時23分に帰着した。JR5900円バス代920円で、車で行くよりも随分楽な山行ができました。



戻る

inserted by FC2 system