T12 筑波山(m5ルート)
1.動 機 筑波山の薬王院近くのみかん園から登るm5ルートを歩いてきた。このコースは、弘昌さん御夫妻が昨年の冬に登って積雪に苦労したとの報告があり、どんなコースなのか興味があった。和子は昨年暮れに下山御夫妻に連れて歩いてもらって、このm5ルートを登ってそのすぐ北の谷筋を下ってきたが、私はその時都合が悪く同行できなかった。和子の記憶を頼りに、このルートを再現してみることにした。
a)山域:筑波山(871m) b)登山日: 2006/01/17(火)晴 c)コースタイム: 日立自宅 8:30 ---- 10:10 みかん園廃屋 10:25 ---- 10:55 沢ルート合流点 ---- 11:45 自然研究路 ---- 11:50 展望台(昼食)12:20 ---- 12:25男体山山頂:12:35 ---- 12:40 御幸ケ原 ---- 13:05薬王院分岐 ---- (谷ルート)---- 13:35 m5合流点 ---- 13:55みかん園廃屋 14:10 = 内原ショッピングセンタ = 17:30 日立自宅 d)同行者:和子 e)地形図:1/25000「筑波」 3.記 録
身支度を整えて、先ほどの分岐に引き返して、筑波方向に10m入ったところに下から登ってくる登山道が横切っており、ここから登り始めた。はじめ急登があって昨日の雨で滑りやすく気を使ったが、すぐになだらかな歩きやすい道になった。落ち葉散り敷く登山道を気持ちよく30分ほど歩いて行くと、「この前はここに上がってきたのよ。下にポンプ場が見えるでしょう。」という。ここを過ぎると坂道の斜度が増し岩っぽくなってきた。今日は風もなく暖かく、だんだんと汗ばんできた。一枚縫いで歩く。道はどんどん急になってきて、岩場を攀じ登るようになってきた。「こんなところに雪が着いていたら危ないね。弘昌さん良く登ったもんだなあ、我家なら引き返しそうだね。」と言いながら50分苦闘しながら登って、自然研究路へのコンクリートの階段にたどり着いた。 研究路を歩いて展望台のところに着くと、男性2人と女性5人の団体さんが歓談していた。挨拶するが、横目で睨まれただけで返事がない。展望を楽しもうと思って「ごめんなさいよ」と言いながらベンチの先に行こうとしたが、話に夢中で通せんぼしているリュックを動かすでもない。暖かい日和で残念ながら遠くは霞んでいるが、宝鏡山の向こうに霞ケ浦が輝いていた。団体さんが食事の準備を始め、我家もと思ったが、とてもこんな傍若無人なおばさん方の傍では弁当がまずくなる。東屋まで逃げ出して弁当を広げた。時々おばさんたちのけたたましい笑い声が聞こえてくるが、暖かいが当たって気持ちの良い静かなベンチでゆっくりと食事した。
少し先の踏み後から男体山へ登った。出くわした男性から「手入れしたので、この道も歩きやすくなったでしょう。」と声をかけられ「そうですね」と返事したが、どういう人なのか聞き落とした。男体神社には御幸ケ原からどんどんと人が登ってくる。登山者もいるが観光客が多い。証拠写真を撮って御幸ケ原に下りたが、TX開通の効果だろうか平日なのにずいぶんと観光客にであった。
御幸ケ原から自然研究路の北側に回り込んだが、こちらでは笹の葉が白く薄化粧をしており、ところどころの道にも一面に雪が残っていた。足跡がなかったので、今日はまだ誰もこちらへは歩いてきていないようだった。加波山の山並みを眺めながら20分で薬王院への分岐に着き、南側から来た3人の男性が薬王院へ向かったところだった。すぐ後に続き、少し入ったところに左の谷に下る踏み後を見つけて踏み込んだ。踏み後は薬王院の方向にトラバース気味にどこまでも進むようなので、途中から谷側に向きを変え杉の植林の中をまっすぐに下ることにした。和子は「この前は白いテープを見つけて下りたよ。」というが、厚い落ち葉を蹴散らしながら下るのは気持ちが良いのでかまわず進む。m5ルートの岩場を下るよりもずっと快適だ。植林帯から抜けたところに左の斜面に沿って下っているはっきりとした道が現れた。「目印のテープがない。この前の道とは違う。」と言って嫌がるが、こんな良い道を使わない手はないのでどんどん下った。道は急に尾根に上がる方向に曲がったが、ここでm5ルートに戻ってはまた歩きにくい急坂を下るような気がして、少し薮を漕ぎながらそのまま下ると沢の源頭が現れた。沢沿いを少し下って、そろそろ良かろうと踏み跡を尾根に登るとすぐにm5ルートの急登が終わったところに出て、暮れの合流点の3分上だった。m5ルートを落ち葉を踏みながら20分下って駐車場に戻った。
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