T45 黒岳
1.動 機 HESCOの山岳会から黒岳登山のお誘いを受けた。黒岳といえば、北海道旭連峰、裏銀座の水晶岳、九州九重連峰、御坂黒岳など数々あるが、今回の黒岳は大菩薩嶺から南に伸びる大菩薩連嶺のなかの一峰であり、小金沢黒岳とも言われることもあるようだ。湯ノ沢峠の避難小屋までの林道を車で入り、大蔵高丸まで登って富士山を展望してから湯ノ沢峠でテント泊し、二日目は小金沢山まで往復してから帰って来る予定だった。 2.データ a)山域:黒岳(1988m)白谷丸(1890m)大蔵高丸(1781m) b)登山日:2006/04/15(土)曇時々晴、16(日)小雪後曇 4月15日:大甕駅 7:43 = 7:53日立駅 8:10 = 8:20 日立中央IC = 9:55 駒形PA10:05 = 11:30 勝沼IC = 12:00 焼山林道ゲート(昼食)12:40 ---- 13:20 分岐 13:30 ---- 14:15 湯の沢峠避難小屋 14:25 ---- 15:00 大蔵高丸15:25 ---- 15:55 湯の沢峠避難小屋 4月16日:湯の沢峠避難小屋6:10 ---- 6:45 白谷丸 6:50 ---- 7:10 黒岳 7:25 ---- 7:50 白谷丸 ---- 8:10 湯の沢峠避難小屋 8:20 ---- 9:30 焼山林道ゲート 9:50 = 10:00天目山温泉 10:55 = 11:20大月IC = 11:35上野原IC = 12:50 あきるのIC = 13:10三芳PA(昼食)13:40 = 友部SA = 東海SA = 15:20日立南IC = 15:30 大甕駅 d)同行者:HESCO山岳会7名、和子は不参加 e)地形図:1/25000「大菩薩(南東)」 3.記 録 4月15日: テント泊というので、食料やバーナ鍋などを詰め込むと14kgのザックになった。久しぶりの大きなザックに、ちゃんと歩けるかどうか少し心配はあったが、すぐ近くまで車で入るらしいのでまあ何とかなるだろうと、工夫することもなくそのままにした。 舗装された2.5kmの林道を40分歩いてやっと登山口に着く。林道はここから湯の沢峠まで5km続くが、ここから登山道に入った。整備された登山道が沢沿いに伸びており、1.5km、45分ほど登ると避難小屋に着く。避難小屋に先客は誰もいない。10人ぐらいはゆっくり寝られそうな広さがあり、布団や毛布が重ねてあり、蛍光灯も備わっている。明日の天気が怪しいので、今日は貸切になるだろうとテントを張るのは止めになった。小屋のすぐ上が広い駐車場になっていて、真新しいトイレが建っているが冬季閉鎖中だった。トイレは生かしておいてくれれば有難いのに。 山頂に着くと、目の前に富士山がお目見えした。空が曇っていて白っぽいのでパッとしないが、裾野まで綺麗に見えていた。写るかどうか心配しながら皆でシャッタを押した。反対側には、明日登る予定の白谷丸は眼前にあり、その後に黒岳、左に雁ケ腹摺山は見えていた。山頂標識の前で集合写真をとってから、しばらく展望を楽しんだ。下りは、登り以上に滑りやすい、30分かけて慎重に下った。 小屋の壁板は隙間があって、隙間風が入ってきて寒かった。敷布団と掛布団を借りて、間にシュラフを入れて寝た。蛍光灯のスイッチには9時消灯のメモがあるが、横線で消してあるので自動消灯ではないのかもしれない。7時に蛍光灯のスイッチを切り、あまり静かではない夜が始まった。夜中には屋根をたたく雨音も聞こえていた。 4月16日: 朝5時に誰かが起きだして照明を入れたので、外に出るとチラチラと小雪が舞っていた。暖かい朝食をとってから6時過ぎに登山が始まった。今日は展望もなさそうなので、小金沢山まで登るのは諦めて、黒岳で引き返すことになり、軽いサブザックだけを背負って登った。白谷丸まで200m強の登りだが急登の連続で汗を搾られた。休憩しながら振り返ると昨日の大蔵高丸だけが見えていた。最初のピークからいったん下って登り返したところが白谷丸の山頂だった。かやとの山頂は富士山の好展望地のはずだが、今日は何も見えない。山頂標識の前で集合写真だけ撮って、黒岳に向かった。 いったん下って緩やかな登りになる。シラビソで黒く見える黒岳も、中腹までは雑木林で「やまなしの森林100選:黒岳の広葉樹林」の立札が立っていた。登山道の一部は凍ってつるつるに光っていて滑りやすく、立ち木に掴まりながらこわごわの上り下りになった。黒岳山頂には一等三角点、古いのや新しいのやとりどりの山頂標識、道標、沢山の標識があるが、周りは立ち木に遮られて展望はまるでなかった。集合写真を撮って名残を惜しんで下りにかかった。白谷丸の中腹では、登りでは見えていた大蔵高丸も隠れてしまい、代わりに綺麗な雲海が広がっていた。 R20に出る手前に天目山温泉があり、丁度朝10時の開店時間だった。村民400円、村民外700円、日曜日で村民がもう大勢やってきていた。1時間ゆっくり汗を流して出ると、40年ぶりで出会う同窓会が行われるとかでどんどんと人も車も増えていた。 大月ICまでのR20には信号がほとんどなく快調に走った。来るときに中央高速が八王子近くで猛烈な渋滞をしていたので、これを敬遠することにし、上野原IC で高速を下りた。県道33号上野原五日市線の山道を走って、あきるのICで連絡自動車道に乗り、関越道、外環道と快調に走ることが出来た。2号車が日立南ICで下り、私もそれに乗せてもらうことになり、友部SAで荷物とともに乗り換えた。少し走ってから登山靴を乗せかえるのを忘れたのに気がついて、携帯で連絡を取り1号車に東海PAに寄ってもらって回収した。ポカがどんどん増えてくるのは困ったものだ。大甕駅まで送ってもらって、同乗の2人もここで下り、10分歩いて我家に帰った。 |