T92.赤岳

1.動 機
赤岳に登って素晴らしい展望を楽しんできた。当初は、美濃戸まで車で入って歩き始めて、南沢から行者小屋に入り、阿弥陀岳に登ってから赤岳頂上小屋に一泊、翌日横岳の岩場を通過して硫黄岳から赤岳鉱泉に降りて北沢を下って美濃戸に戻るという欲張った計画だった。一日でいきなり2900mの赤岳頂上小屋まで登る計画がきつ過ぎて、和子が高山病に罹って食欲ゼロになり、赤岳だけで帰ってくることになった。それでも、秋晴れの赤岳山頂から、素晴らしい360°の展望を満喫し、美しい日没と日の出の両方を拝み、ブロッケンのおまけまで楽しむことが出来て、満足いっぱいの山行だった。
(赤岳周回ルート)


2.データ
a)山域:赤岳(2899m)
b)登山日:2006/09/20(水)晴れ、21(木)晴れ
c)コースタイム:
9月20日: 森山自宅3:45 = 3:55日立南IC = 4:40三郷IC = 5:20高井戸IC = 5:50談合坂SA6:15 = 一宮御坂IC(通勤割引下車)= 6:50双葉SA(朝食)7:05 = 7:20八ケ岳PA7:35 = 7:50諏訪南IC = 8:15やまのこ村駐車場8:40 ---- 11:20行者小屋(昼食)11:55 ---- 13:15地蔵の頭13:20 ---- 14:40赤岳頂上小屋14:55 ---- 15:00赤岳15:40 ---- 15:50赤岳頂上小屋(泊)
9月21日:赤岳頂上小屋6:40 ---- 6:45赤岳6:50 ---- 6:55権現岳分岐 ---- 7:25阿弥陀岳分岐 ---- 8:30行者小屋8:45 ---- 10:50やまのこ村駐車場(昼食)11:20 = 11:40八ケ岳美術館12:30 = 12:50もみの湯(入浴)13:40 = 13:55諏訪南IC = 15:20高井戸IC = 16:30三郷IC = 16:40守谷SA(夕食)17:10 = 17:50那珂IC = 18:30森山自宅
d)同行者:和子
e)地形図:1/25000「八ケ岳西部(北東)」
3.記 録 
9月20日(水)
(ドライブ)
朝3時45分に我家を出発して、ETCの夜間3割引を活用するため朝4時前に日立南ICから常磐道に乗った。早朝のドライブは気持ちが良い。首都高も快調に40分で通過して高井戸まで半額、談合坂SAでトイレ休憩を取った。高井戸から先は通勤割引を受けるため100km以下の一の宮ICで一旦高速を降りて入りなおしたが、通勤割引50%は八王子料金所からの距離で計算されるようで、韮崎ICまで走っても良かった。双葉PAで朝食を取ったが、走行中に見える赤岳を中心にした八ケ岳連峰の眺めが素晴らしく、ゆっくり眺めたくて八ケ岳PAにも入ってみた。ここからは赤岳が権現岳に隠れて残念だった。諏訪南ICで高速を降りると一の宮ICからの料金も半額になっていた。

気分を良くして一般道を20分走った美濃戸口で登山届けを出した。ここからダートの道をガタガタと走って8時15分に美濃戸の山小屋「やまのこ村」に着いた。やまのこ村は赤岳頂上小屋と同一経営で、一泊二日の駐車料金2000円が500引かれるので、広い駐車場に停まっている車は20台近くあり、他の小屋よりダントツに多かった。
(やまのこ村の駐車場)
小屋は留守だったが、予約してあったので車をおいて身支度を整えて8時40分に林道を歩き始めた。一番奥の美濃戸山荘のところから南沢に入って、行者小屋への沢沿いの道を歩き始めた。沢を何度か渡りながら1時間も歩くと一旦山道の急登になり暑くなって一枚脱ぐ。ふたたび沢沿いに降りたが、寝不足のためか和子のピッチが上がらない。元気な若い夫婦に追い越されたが、休みながらゆっくりペースで歩いて広い河原に出ると、目の前に横岳の岩稜が現れ大同心の絶壁が格好良い。
(なんども南沢を渡る)
(大同心が見えてきた)

3時間近くかかって11時20分にやっと行者小屋に到着した。和子は、目の前に高く聳える赤岳を眺めても感動するではなく「あんな高いところまで登れるかなあ」と心もとなげだ。阿弥陀岳に登るのは止めにした。
小屋前で弁当を広げて、阿弥陀岳や横岳など眺めていると、上から単独行の男性が下りて来た。埼玉の在で70才になるとのことだが、今朝5時半に美濃戸から歩き始めて下りて来たところだが、8月から百名山に20座も登っていて疲れ気味だと元気におっしゃる。「文三郎道を下ってきたが急坂で登るのは大変だ。登りは眺めも良いし地蔵尾根が絶対お勧めだよ」と言われ、これに従うことにした。
(赤岳は高いなあ)

地蔵尾根は、はじめは樹林帯の緩やかな道だったが、段々と急登になりやがて岩場になってきた。登るのはきついが、視界が開けてきて辛い気分を救ってくれる。左手に大同心、後ろに阿弥陀岳が見えてきて、その向こうにも御嶽山、乗鞍岳、大キレットを挟んだ穂高と槍の峰峰、先日歩く予定だった鹿島槍、さらに白馬連峰まで綺麗に見えていた。何組かの下ってくる夫婦に出会ったが、みんな「下りは怖いよ」と言いながらへっぴり腰で下っていった。確かにこの道は登り向きの道だった。
(地蔵尾根の登り)
何人かに道を譲りながら、休み休み2時間かけて、やっと可愛い地蔵さんが鎮座する地蔵の頭まで上りついた。反対側には、上州の山、秩父の山、瑞牆山、金峰山などずらりと並んでいる。少し歩くと富士山も見えてきた。あと高度差200mの赤岳を見上げながら、和子は「胸がむかつく」と欠伸をしながら言う。どうも高山病が出てきたようだ。
(富士山も見えた)
(赤岳頂上まであと200m)

和子の様子を見ると、近くの展望荘に泊まるのが良いのかもと思ったが、やはり赤岳山頂での夕焼けや日の出を見たい。頂上小屋で一晩ゆっくり休めば明日までには高度順応するだろうと期待して、山頂まで頑張ることにした。山頂近くのガレた急坂は、私にもきつかったが、後に段々見えてくる横岳から硫黄岳への稜線を振り返りながら、休み休みゆっくりと登った。
(赤岳山頂にある頂上小屋)

頂上小屋で宿泊手続きをしてから、ザックを置いて赤岳山頂に行ってみることにした。山頂からは、まさに360°の展望、中央アルプスから北アルプスにかけてと、金峰山や茅ケ岳あたりが綺麗に見える。残念ながら富士山や南アルプスは半分雲の中だった。和子はここで完全にダウン。証拠写真もやっとの思いで撮ってから、うずくまってしまった。
(赤岳登頂!)

ゆっくり休んでから小屋に帰り、小屋前の展望台からしばらく展望を楽しんだ。特に目の前に見える横岳から硫黄岳への稜線が素晴らしかった。「明日は体調が回復して、この稜線を歩くことが出来れば良いな」と言いながら、小屋に入った。今日は一人で敷布団一枚とっても、まだがらがらだった。
(横岳から硫黄岳への稜線)
一休みするという和子を置いて外に出ると、霧が出てきて思いがけずブロッケンが現れた。長い間続いたので、いろんなポーズを映して喜んだ。やがて霧が晴れると、日没が始まった。日没は阿弥陀岳の真上、御嶽山と乗鞍岳の間に沈み、夕焼けが綺麗だった。
(ブロッケン現象に遊ぶ)
(夕焼け小焼けで日が暮れて)
和子は夕食を摂ることが出来なかった。ヘリを呼ぶことになるかなと心配したが、夜中、酸素ボンベを吸ったり、腹式呼吸に努めたりして何とか眠りについた。

9月21日(木)

翌朝、一人で山頂まで登って、日の出まで刻々変わる空と雲海の色を楽しんだ。和子は朝食のデザートだけだが口に入れることが出来て、何とか下山できそうだと安心させてくれた。もちろん横岳は諦めて、下山は最短ルートの文三郎道を下ることにした。
(赤岳山頂からの日の出)

今朝は、赤岳山頂から権現岳の向こうに南アルプスの山々がはっきりと見えていた。観音岳、北岳、甲斐駒、仙丈岳と登ったことのある山が見えて嬉しい。しばらく360°の展望を楽しんだ。
(赤岳山頂から権現岳と南アルプス)

地形図には、赤岳山頂から阿弥陀岳へ向かう尾根道があり、その方向に踏跡が伸びているので、進むと通行禁止の立札がある。山小屋にあった案内図を思い出し、権現岳への縦走路を梯子や鎖を使ってしばらく下ると、行者小屋への分岐の立札があった。
ここからしばらく岩場の下りが続いた。昨日からほとんど何も食べていない和子の体調が心配だったが、「下るだけだと思ったら、気分が楽になった」といって付いてくる。こんな時は気丈なのが有難い。
(赤岳山頂からは岩場の連続)
赤岳山頂の崖を回りこむと、横岳の稜線が綺麗に見えてきて、あんなところを歩く積りだったのかと見上げる。阿弥陀岳の頂きも「寄ってらしゃいよ」と呼んでいるが、「今日は登りはごめんよ」とお断りした。
(横岳の稜線)
(中岳と阿弥陀岳)

文三郎道は急勾配の尾根をひたすら下る。ザレた小石だらけの急坂を下るのは気を使う。相当部分に金網製の階段が付けてあり、ここでは大変助かる。何人もの人と行き交ったが、みんな汗を拭きながら登ってくる。途中に休むところもないので大変だ。この坂は登るにはきつい。
(文三郎道は階段の連続)

2350mの行者小屋まで下ると、和子も少し食欲が出てきて、笑顔でバナナをほおばった。これで、やっと一安心だ。 元気になって、登ってきた南沢を下っていった。一度歩いた道だからすぐに着くだろうと思ったが、意外に遠かった。和子は「おなかが空いた」と言うので、何度も休みながら行動食を口に入れた。「やまのこ村」についても暖かいうどんを美味しそうに平らげた。
(赤岳山頂からは岩場の連続)

早く下りたので、八ケ岳美術館に立ち寄ってみた。原村の村立美術館で、村出身の彫刻家清水多嘉示や書家津金寉仙の見事な作品が多数展示されていた。「信州の裂織展」が開かれていて、公募された一般の人の作品が色々展示されており、得票で入選を決めるといって投票用紙を渡された。原村の一帯は縄文文化が華ひらいた地域らしく、各遺跡から出土した見事な石器や土器も多数展示されていた。
(八ケ岳美術館)
(編笠権現から蓼科山までの八ケ岳連峰のパノラマ)
北の蓼科山から南の編笠山までの八ケ岳の山並みを眺めながら走って、もみの湯で汗を流してから、諏訪南ICで高速に乗って帰途についた。中央道は快調だったが、首都高は渋滞で通過に1時間かかった。守谷SAで夕食を食べ、常磐道は通勤割引のため那珂ICで降りて我家に18時半ごろ帰り着いた。

(和子の高山病)
今回、和子の高山病について配慮を怠り、2900mの頂上小屋では進退極まるかとの思いをした。いままでも何度も高山病になったが、その都度、一晩休むと次の日には元気に歩くことが出来たので軽く見ていた。下山後、我家に帰ってから過去のデータを調べてみたら、一泊で高山病が治った山小屋はいずれも2700m程度だった。
表銀座:燕山荘、富士山:7合目山小屋、仙丈岳:馬の背ヒュッテ
ここまで調べていれば、今回も「2700mの天望荘で泊まって翌日赤岳往復後、横岳に向かう」か、逆回りにして、「北沢から硫黄岳に登って2650mの硫黄岳山荘に一泊」すれば、次の日横岳から赤岳に歩くことが出来たかもしれない。赤岳山頂での日没と日の出に拘ったのがまずかった。



戻る

inserted by FC2 system