T111 四国山行(剣山・三嶺・石鎚山)

1.動 機
水戸アルパインの特別企画「剣山、三嶺、石鎚山」は四国の百名山2座を登るので楽しみに参加した。石鎚山には生まれ故郷の広島の片田舎からも毎年出かける人がいて、その名前と鎖登りのことは聞いていたが、剣山、三嶺については何も知らなかった。お天気にも恵まれて、3泊4日の山行を思う存分楽しむことが出来た。

2.データ
a)山域:剣山(1955)、次郎笈(1929)、三嶺(1893)、石鎚山(1982)
b)登山日:2006/11/3(金)〜 6(月)
c)日程:
11/3(金):日立電鉄南営業所 = 水戸IC = 羽田空港 = 徳島空港 = 徳島IC = 美馬IC =見ノ越 = 西島 ---- 剣山 ---- 次郎笈 ---- 西島 = 見ノ越(泊)
 4(土):見ノ越 = 名頃 ---- ダケモミの丘 ---- 三嶺 ---- ダケモミの丘 ---- 名頃 = かずら橋 = 三島川之江IC = 松山IC = 面河渓(泊)
 5(日):面河渓 = 土小屋 ---- 弥山 ---- 天狗岳 ---- 弥山 ---- 面河渓 = 道後温泉(泊)
 6(月):道後温泉 = 耕三寺 = 村上水軍城 = 広島空港 = 羽田空港 = 水戸IC = 日立電鉄南営業所
d)同行者:水戸アルパイン会員26名(男性13、女性13)、和子
e)地形図:1/25000「剣山」「京上」「石鎚山」「瓶ケ森」「面河渓」

3.山行記録
(剣山登山ルート)
10月3日 剣山 
日立自宅2:05 = 2:15日立電鉄南営業所2:25 = 3:50水戸IC = 4:40守谷SA4:50 = 5:35羽田空港7:30 = 8:35徳島空港9:05 = 9:30徳島IC = 10:20美馬IC = 12:10見ノ越13:05=(ロープウエー)= 13:20西島駅 ---- 13:50剣山本宮14:00 ---- 14:05剣山14:10 ---- 14:40次郎笈峠 ---- 15:00次郎笈15:05 ---- 15:20三嶺分岐 ---- 15:35次郎笈峠 ---- 16:15西島駅 = 16:30見ノ越(泊)

早起きして電鉄南営業所に車を停めて、2時25分にバスが出発し、東海村、那珂町、勝田駅、水戸と回って仲間28名を集めて、3時50分に水戸ICから常磐道に乗った。羽田空港に5時35分に到着し、朝食をとって7時35分に離陸、徳島空港には1時間ほどで到着した。空港には28名を乗せて四国の道を走ってくれる現地の夢交通のマイクロバスが出迎えてくれた。四国の山奥の道路は、国道でも車がすれ違うことが出来ない狭い道が多いので、大型バスというわけには行かない。
コンビニで弁当などを仕入れて、徳島ICから徳島自動車道にのり、美馬ICで下りて、道の駅貞光ゆうゆう館で休憩後、狭いR438を南下していった。一宇あたりからは紅葉寸前の綺麗な渓谷沿いを走り、九十九折の剣山ドライブウエーを対向車と道を譲り合いしながら登っていって、昼過ぎにやっと今夜の宿のある見ノ越に到着した。紅葉の3連休の初日、近くの駐車場は全部満杯で道路まで車があふれていた。

(登り下り420mはリフトで)

宿で昼食の讃岐うどんをとってから、大きな荷物は宿に預けて、サブザックですぐ近くの乗場から登山リフトに乗って420m上の山頂駅に向かった。下って来るリフトも下山してくる観光客でいっぱいだった。リフトを降りても山頂直下の剣山本宮までの参道では、下りてくる観光客の行列と行き交いながらの登山であった。
本宮から広い木の階段を少し登った剣山の山頂には標識と三角点があった。頂部はかなり広く、三角点の周りに木道を敷いてあって、これを回りながら360°の展望を楽しむことが出来る。その道は「木道」と言いうよりも「廊下」という感じの広い道である。今日の剣山は登山の山ではなく観光の山だった。
(剣山中腹から次郎笈)
(次郎笈峠から剣山を振り返る)

正面には次郎笈が大きく見え、明日登る三嶺へと続く山々が見えていて気分が良かった。人が多いので写真を撮るのにも工夫がいったが、集合写真と証拠写真を撮ってから次郎笈に向かった。ここからは観光客がいないのでゆっくり歩くことが出来、木道も尽きて一面ミヤマクマザサに覆われた登山道を気分良くハイキングが出来た。鞍部から眺める剣山と次郎笈の眺めがとても良かった。
次郎笈山頂も展望が良く昼寝していたいところだが、下りのリフトは4時30分でおしまい。今日は出発が遅かったので、うっかりするとこれに乗り遅れ、遅れると1時間ヘッドランプを頼りに下るようなのでゆっくりとはしておれない、証拠写真を撮って早々に下りにかかった。

(大剣神社下の大岩)

下りは一旦、三嶺方向に下り、三嶺縦走路に合流してからトラバース道を剣山方向に歩き、剣山は巻道を歩いた。リフト山頂駅西島に近付くと、大剣神社の下に屹立する頭の尖った大きな岩が見えてきた。女性的でたおやかな山容のこの山に“剣山”の名前が付いたのはこの岩のせいだという説もあるらしい。
無事リフトに乗って下山し、民宿の風呂に入って夕食をいただき、今朝からの寝不足を取り返すべく、夜9時から朝6時までぐっすりと眠った。

11月4日:三嶺
見ノ越5:15 = 5:40名頃(朝食)6:00 ---- 6:35平尾谷登山口 ---- 7:40ダケモミの丘 ---- 9:10三嶺山頂9:25 ---- 10:30ダケモミの丘 ---- 11:20平尾谷登山口 ---- 11:55名頃12:00 = 14:15美人食堂14:35 = 14:40かずら橋15:20 = 16:25三島川之江IC = 16:55石鎚山SA 17:05 = 17:30松山IC = 18:40国民宿舎面河
(剣山登山ルート)

(暗闇をヘッドランプ頼りに歩き始めた)
朝4時に起きだして朝食の弁当を貰い、バスは5時15分に発車して奥祖谷二重かずら橋のR439を西走、名頃の駐車場に停まった。ここからの林道は補修工事中で一般車乗り入れ禁止、朝食を食べてヘッドランプを付けて6時に歩き始めた。今朝のリーダのピッチはやけに早い、みんな不振に思いながらも懸命について歩いた。平尾谷登山口に着いたのは標準時間1時間10分に対し半分の35分だった。日立を出発する時から風邪気味だった和子は音を上げて、「三嶺山頂は諦める」と別行動を申し出て、我家だけでゆっくりペースで歩くことにした。役員の一人Ogさんが我々のペースメーカを買って出て、長い足を思いっきり小股にして先頭を歩いてくれた。和子のペースでは、いくらゆっくり歩いてもつっかえてしまうようなペースだが、お陰で息も上がらず、平地を歩くのと同じ体調で登って行って休憩地に付いた。待っていた皆さんに追いつくと、リーダから「この調子で歩けば山頂にも登れるよ」と励ましてもらって元気が出た。すぐに出発した皆さんに続いて歩きはじめようと思ったが、Ogさんはここでも休憩を取った。

(ダケモミの丘の上の巨岩群)

周りの紅葉や、後の塔丸の頂を眺めながらゆっくり登っていっていくと、目の前に岩山が立ちはだかった。これを急登で巻きながらゆっくり登っていくと、後に昨日登った剣山や次郎笈の嶺が見えてきた。ゆっくり休憩しながらシャッタも押した。途中、真っ赤に色づいたマユミの古木があり、これを過ぎると、右手に三嶺小屋が見えた。その上のミヤマクマザサの稜線を気持ち良さそうに歩いている皆さんの姿が見え、「左の近道を取らないで小屋側に回っておいでよ」と声が掛かる。皆さんに5分も遅れていないことに元気付けられて後を追った。
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(三嶺小屋の上のクマザサの草原を行く仲間達)

(三嶺山頂)

クマザサの中の緩やかな坂道を登って、左に曲がって尾根筋を歩くと目の前に三嶺の山頂が姿を現した。いちめんコメツツジの紅葉とクマザサの緑に覆われた鋭鋒は格好が良い。花の咲く春にはまた一段と綺麗だろう。急坂を少し頑張ったら、すぐに山頂に着いた。9時10分着、名頃から3時間10分だった。皆さんに祝福されて嬉しくなって握手したが、遅れての登頂も悪くない。
無事登頂できたのは、Ogさんの徹底したゆっくりペースのお陰である。これからの二人山行の時にも、登りで辛い時には見習おう。
ここも360°の展望である。四国が山また山の国であることが良く分かる。この三嶺は二百名山だが、山の変化、展望ともに百名山の剣山に決して負けていない。お八つを食べながら展望を楽しみながらゆっくり休んで、集合写真と証拠写真を撮って下山にかかった。

(紅葉の下山道)

下りは皆さんと一緒に歩いた。みんなと賑やかに歩くと周りの紅葉も一段と綺麗に見えて元気が出てくる。基本的にはピストンだったが、途中、土砂崩れで登りでは一部高巻きをしていたところも近道し、林道の大きく折り返す部分ではショートカットの道を歩いた。バスの待つ名頃の駐車場には正午ごろに到着した。
かずら橋の近くの予約してあった食堂「そば美人」で祖谷そばを賞味すべくバスに乗ったが、奥深い東祖谷の中の狭い道を走っている間に運転手さんが道を間違えたりして、名物“祖谷そば”にありつけたのは14時30分になっていた。空腹もあってなかなか美味しいそばを味わうことができた。

(超満員のかずら橋)

「そば美人」から、近くのかずら橋を渡りに出かけたが、まずは、向こう岸に鋼材を井桁に組んだ基礎の上に巨大な駐車場が出来ていてびっくりさせられた。入口手前から橋を渡る人の長あーい行列、吊橋の上も列を作って渡るのであまり面白くない。橋桁も6年前に渡った時には、踏み外すと足が入ってしまいそうなほどの隙間がある丸い藤蔦でできていた思ったのだが、今は角材で蜜に出来ていてスリルがない。橋を渡ると下流のコンクリートの橋を渡って戻るので、吊橋は一方通行になっている。
若干期待はずれのかずら橋から大歩危、小歩危を通り、三島川之江ICで高速松山自動車道に乗り、石鎚山SAで休憩、18時に松山ICで高速を下りた。行楽帰りの車が数珠繋ぎの対向車線を尻目に一路R33を走り、久万町から県道12に曲がって面河渓の国民宿舎に18時40分に入った。

11月6日:石鎚山
面河渓7:20 = 8:00土小屋8:15 ---- 9:10東稜基部9:15 ---- 9:55#2鎖 ---- 10:35#3鎖 ---- 10:50弥山11:10 ---- 11:20天狗岩11:30 ---- 11:40弥山(昼食12:00 ---- 13:00愛大小屋13:20 ---- 15:30面河登山口 ---- 15:50面河渓16:00 ---- 16:20面河山岳博物館16:30= 19:30道後温泉(泊)

(石鎚山登山ルート)


(スカイラインからの石鎚の岩峰)

面河渓谷の国民宿舎の朝食は時間厳守、きっかり7時に開場、大急ぎで食事を取ってバスに乗り、7時20分発車して、石鎚スカイラインを土小屋登山口に向かった。石鎚スカイラインは「最も自然環境の保たれていた地域に自動車道路を貫通させたため、自然環境に大きな影響を与えた。」として評判が悪いらしいが、ヘヤピンが続く高地道路を縫って走るバスの車窓からは、紅葉した森林と断崖絶壁、その間を流れる渓谷の美しさ、なだらかなスロープを持つ草原状の笹ケ峰のような山々の間にゴツゴツとした岩山の石鎚山が好対照をなして見え隠れして素晴らしい展望道路だ。この道が夜間閉鎖されるために、手前の面河渓に泊まったらしいが、昼間走って幸せだった。
1時間展望を楽しんでいる間に、バスは土小屋の駐車場に着いた。目の前に山頂に平原を持つ瓶ケ森の山容が美しく見えていた。鎖場までは整備されたなだらかな道なので、準備体操を割愛してすぐに歩き始めた。
(東から見た石鎚山)
(岩峰を見上げながら)
なだらかに登っていくと、やがて目の前に石鎚の山頂が目に入りだして嬉しくなり、早速シャッタを押した。少し登ってピークを回り込んだところで石鎚が全貌を現し、矢筈岩、南尖峰、天狗岳、弥山と四つ並んだ岩山が美しかった。ここから東稜基部までまた平坦で、ここからは南尖峰、天狗岳に直登する登山道への踏跡が別れていたが、もちろん巻道を進む。真上に矢筈岩や天狗岳の岩頭を見上げながら登っていくと、鳥居を潜って二の鎖の下に着いた。夜明峠側から登れば試しの鎖、一の鎖と登ってくるらしいが、我々は二の鎖からだ。

(二の鎖)

二の鎖は70mの長い鎖だ。見上げるとたくさんの人が鎖に取り付いている。我々一行も、ストックをザックに収め、休憩用の金ビラを取り付け、手袋を着けて鎖に取り付いた。鎖は太さ1”もありそうな鉄棒で出来ていて、一つ一つに寄進者の銘を彫りこんである。太く重いのでほとんど揺れることがなく、鉄の梯子を登るような感じで安心だ。岩場にも足場が適当にあるし、足場の難しいところでは適当に三角の鎖が付いていて、この輪に足を懸けて登ることも出来る。初めての体験に面白くて夢中になって登り、皆さんがピッチを上げて登っていくのに遅れない ように付いていくと、高い崖の上にいるという恐怖心を感じる暇もなかった。今朝から風邪気味で、一気に高度を稼ぐのに息が切れてきた。

(三の鎖)

二の鎖をこなすとすぐに三の鎖が待っていた。三の鎖も70m、斜度があってほぼ垂直に見えた。足場のない一枚岩のところで、回転したのか三角の鎖が鎖の裏側に回ってしまって足が入らない状態、腕力だけで身体を持ち上げた。和子は仲間と巻道を選んだが、ここでは苦労しただろう。三の鎖も終わりに近付くと、上から和子がカメラを構えている。巻道を登るほうが時間的には早かったようだ。
弥山山頂には石鎚神社と頂上山荘があり、四方の展望が良く、東の瓶ヶ森と西の二ノ森・西ノ冠岳、目の前にマッタホルンのような天狗岳が聳えていた。こちらが1982mの最高峰、行かない手はない。ザックをデポして短い岩場を下りて狭い尾根を辿る。登山道は狭いので交差する登山者と道を譲りながら進む。途中から岩尾根を直進する道と巻道に分かれたが、岩尾根を選んだ。左側がすっぱりと切れ落ちていてスリリングだが、岩が滑らないので安心して歩くことができた。
(天狗岳から見た弥山)
(四国のマッターホルン天狗岳)
天狗岳には祠が置かれ、「天狗嶽王子社」と記されていた。も一つ先に天狗岳と似た形の南尖峰がおいでおいでしていたが、今日は時間がない。証拠写真と展望写真を撮って皆さんに続いて弥山に引き返した。帰りは巻道を選んでみたが、下ったり登ったりが結構あって、岩尾根ルートのほうが楽そうだった。

(面河山辺りからの石鎚連山)

弥山に戻って弁当を食べ、集合写真を撮って下山にかかった。下りは面河渓登山口に向かった。
途中までは三の鎖の巻道で、上り下りが中心の手すりで分離されたアルミ製の広い階段道を、多くの登山者観光客と交差しながら下ったが、トイレのある分岐から下は登山道になり、静かな山行になった。クマザサに覆われた西ノ冠岳の中腹を巻きながら下っていって振り返ると、弥山の岩山がクマザサとシラビソの上に聳えている姿が美しかった。下るにつれて、天狗岳、南尖峰も連なって見えてきて素晴らしい展望になり、何度もシャッタを押しながら歩いた。

(下山路は紅葉が真っ盛り)

なだらかに1時間下るとアルミ製の小さな愛大石鎚小屋についた。大きなリュックを背負った若者のグループが休んでいる脇で、石鎚を眺めながら一休みした。
下るにつれて紅葉が盛りになってきて、気分はますますよくなってきた。黄色な紅葉がおおく、時に赤いかえでがあると歓声が上がる。面河山を過ぎてカーブを曲がると、石鎚の鋭鋒は見えなくなり、道もいよいよ急坂になってきた。「山頂から4850m、登山口まで2300m、45分」の道標のあるところからは、どころどころザレたところもあったり、朽ちて今にも壊れそうな木道を歩いたりして息が抜けなくなってきた。
 
(面河渓の絶景)
(車道をテクる)
石鎚神社の立派な鳥居を潜る石段を下りると、ここが面河登山口で、面河渓の遊歩道に降り立った。面河渓は深く刻まれた岩の渓谷を綺麗な流れが流れ下ったり淵を作ったりする様が美しく、キャンプ場や休憩所が整備されて多くの人が歩いていた。登山口から黄色い紅葉や濃い緑の淵を眺めながら20分歩いて亀腹岩の岸壁が聳える面河渓の入口に着いた。まさに絶景、今朝出た国民宿舎もすぐ近くにあった。
昼間は対向車が多くてバスがここまで入ってくることが難しいので、さらに山岳博物館の駐車場まで20分車道を歩いた。素掘りのトンネルを「こんなところをよくバスを運転したよな」と感心ながら何度か潜って駐車場に着いた。
バスに乗って道後温泉に向かった。途中から日が暮れて、道後温泉の高級ホテル(水戸アルパインとしては破格)に到着したのは夜の7時半を過ぎていた。温泉で汗を流して、豪華な夕食に舌鼓を打って、天気が良くて幸せだった3日間の山行を思い出しながらゆっくりと休んだ。

11月7日:観光
道後温泉8:00 = 8:05石手寺8:50 = 9:10子規堂9:25 = 10:45今治IC = 10:50来島海峡SA11:10 = 11:50耕三寺12:40 = 12:40昼食13:15 =14:00村上水軍城14:35 = 14:50向島IC = 15:00福山西IC = 15:25本郷IC = 15:35広島空港18:40 = 19:45羽田空港20:20 = 21:50水戸IC = 23:00日立電鉄南営業所


(石手寺の三重の塔)

朝起きると、皆さんは宿の露天風呂や近くの道後温泉で朝湯を楽しんでいたが、風邪気味の私は自重する。朝食をとって8時にバスに乗り、すぐ近くの石手寺にお参りした。
石手寺は今から千二百年以上昔の古い時代の建立で四国霊場第51番札所らしい。山ではないので勉強しないでお参りしたのが間違いだった。頂戴した資料によると「国宝一つ、重要文化財建造物六つ、工芸品(鐘)一つ。県指定の有形文化財工芸品三つ、彫刻五つ、絵画一つ、市指定の物件工芸品二つ、歴史資料三つ、考古資料三つ、古文書一つ、天然記念物一つと誠に豊富である。」とあるが、身を入れて見なかったのが残念だ。

(八十八ヶ所の霊場回り)

御手洗を過ぎ回廊を歩むと、正面入口の楼門・二王門(国宝)があり、丁度バスガイドさんが説明していた。全国屈指の楼門、左右金剛力士像(県文化)は運慶一門の作といわれているそうです。大きなわらじを飾ってあるのが目を引いた。中に入ると正面に本堂、左に鐘楼、右に三重塔があった。
本殿左奥に曼荼羅の洞窟があったので入ってみると、中にはおびただしい石仏が並んでおり、通り過ぎると裏道に出た。引き返すと違った出口に通じていた。本道右のお堂の周りには、四国八十八ヶ所の霊場の名の入った砂袋が置いてあったので、100円ご寄進して一つ一つに手を置いて回って、遍路道を全部回ったことにした。お札も貰って、最後に鐘楼の鐘もつかせてもらった。

(瀬戸内しまなみ海道の大吊橋)

次は、子規堂だった。
子規堂は、正岡子規の住居を子孫の記憶をもとに正宗寺の境内に復元したものだが、こじんまりとした住居に子規の書斎、手紙や色紙が展示してあり、外には子規と野球の関係、坊ちゃん列車の紹介などと与謝野晶子の句碑など並んでいた。
市電の走る松山を後にして、海岸沿いのR196をどんどん走って今治に向かい、今治ICから瀬戸内しまなみ海道に乗ってすぐの来島海峡SAで休憩した。土産物屋を物色し、裏の広場に出ると大島に渡る大橋の展望が大きく開けており、直線的な橋と島並みとのコントラストが綺麗だった。

(きらびやかな耕三寺の孝養門)

橋を四つ渡って生口島南ICで下りて、蜜柑園の間を縫うように走って耕三寺に向かった。若くして財をなした金本耕三という人物が母の菩提を弔うために全国の寺社を模して造営したというお寺で、境内は極彩色の建物で構成されており、別名「西の日光」と呼ばれる。特に日光東照宮の陽明門を模擬したという孝養門がきらびやかだった。五重塔は室生寺、本堂は宇治平等院のコピーだという。本堂裏の丘の上には “未来心の丘”という石庭があったのでみんな揃って登ってみた。杭谷一東という彫刻家の作品なのだというが、小山の上に大量の大理石を運んできて、大きなものを作ったものだとただただ感心した。

(孝行息子を育てたご母堂)

隣接して耕三が母堂のために建てたという潮聲閣という書院が建っていた。案内者の話を聞きながら一巡したが、霧島杉の一枚板や屋久杉を取り寄せたり、著名画家に天井絵や襖絵を描かせたり、大理石の風呂を作ったり、贅を尽くした内装に感嘆したが、貧乏人にはこれで母堂は落ち着いて生活できたのかなあとやっかみ半分疑問が残った。
入口のレストランでたこ飯と海の幸詰め合わせの豪華料理を賞味、今回の楽しかった山行を仕上げるにふさわしい贅沢な料理に舌鼓を打った。
運転手の案内で島内のみかん農園に立ち寄って、瀬戸内みかんを購入してお土産が増えた。

(因島村上水軍城)

次は因島に下りて村上水軍の因島水軍城を見学した。お城は山城なので、駐車場から見上げると結構高いところにある。見ただけでみんなうんざり、和子は一人バスに引き返した。城内には村上水軍の成り立ちや、時の支配者に巧みに利用されてきた歴史が記され、甲冑や刀剣類が展示されていた。
向島ICで一旦高速を下り、福島西ICで山陽道に乗って本郷ICで降りて広島空港に着いた。途中、生まれ故郷の久井を通り越したが、今は昔、広島空港も始めてである。広島焼を賞味して、18時40分発の飛行機で帰途についた。



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