T124 62会忘年ハイキング(高鈴山・熊の山)

1.動 機
62会では11月にも竜神ふるさと村に一泊して二日間の山行を楽しんだが、12月にももう一回宿泊ハイキングをやって、忘年会にしようと話が纏まり、幹事役を引き受けた。宿泊は、啓ちゃんの提案で「きららの里」とし、ハイキングルートは下山先生に、一日目に「高鈴−神峰」、二日目に「熊の山」ルートの紹介があり、案内してもらうことにした。好天の日を選んで都合の悪い人も出たが、参加者10名で賑やかで楽しい忘年登山になった。

2.データ
a)山域:高鈴山(623m)、神峰山(587m)、高久保三角点(370m)、熊の山(370m) 穴城三角点(261m)
b)登山日:2006/12/19(火)晴、20(水)晴
c)日程:
19日/御岩神社 ----高鈴山 ----神峰山 ----きららの里(泊)
20日/ 西金----上高塚三角点----熊野山----穴城三角点----R118
d)同行者:下山夫妻、大矢夫妻、大内、小林啓、小林弘、安藤、和子
e)地形図:1/25000「町屋北東」「大中宿南西」

3.山行記録
19日/
日立自宅8:15 = 8:55きららの里9:30 = 9:40御岩神社 9:50 ---- 11:05林道終点10:10 ---- 11:20玉簾分岐---- 11:40高鈴山頂(昼食)12:20 ---- 13:10向陽台分岐13:15 ---- 13:50神峰山頂14:05 ---- 14:40きららの里N05駐車場 = 管理棟 = きらら館(泊)

(1日目:御岩神社−高鈴山−神峰山)
9時過ぎに、神峰山からの下り道に近いきららの里No5駐車場に10名全員集合し、2台の車で御岩神社に向かった。
ストレッチをして、ご神木の三本杉を拝み、赤い仁王門を潜って登山道に入った。すぐに地形図にある林道に入り、くねくねとした長いだらだら坂をのんびりと登っていった。
(御岩神社から歩き始めた)
(林道から高鈴山頂が見えていた)
林道が終わり、少し登ると玉簾の滝からのコースと合流し、これを横切って植林伐採地に進んでいった。伐採のための作業道が残っていて歩きやすく、立ち木がないので展望が良かった。日光連山、高原山塊、塩原山塊、那須連山と雪山が見事に並んで見えていた。
北沢からの道に合流して高鈴山頂に着くと、群馬からの団体さんが陣取って食事中だった。群馬の山は登りつくしたので、茨城までやってきたとおっしゃる。400人の会員がおり、年間300コースも計画しているとものすごいグループだった。ここで、弁当を広げた。
(伐採林は展望が良かった)
(高鈴山頂は賑わっていた)

(神峰山頂にて集合写真)

高鈴を下って、御岩山のところに来て、「下の林道に下りて歩いてみよう」という案も出たが、そのままいつもの登山道を下り続けた。
向陽台分岐のところで一休みして神峰山に向かったが、途中、きららの里への案内板を確認した。神峰山頂で集合写真を撮ったが、後の大煙突が半分になっているのが淋しい。
神峰山から案内板まで引き換えして、きららの里への道に入った。道は広く良く手入れされていた。No.5駐車場について、一台の車で3人が御岩神社まで車の回収に向かい、残り5台は管理棟で手続きをして高台にあるきらら館に向かい、今夜宿泊する2階の研修室に入った。12畳和室が二間、キッチン、洗面所、男女別トイレがあり、一階に男女別の大きな風呂がある。
風呂の用意をして2階に上がると、小林農園寄贈の大量の野菜が広げられていた。大内さんは、魚を湯通ししたり、野菜を切ったり、鍋の材料作りにと日頃鍛えた料理の腕を存分に発揮しており、安藤さんはサラダを綺麗に盛り付け、啓ちゃんはお茶やコーヒの準備に忙しかった。大矢さんほか皆さんもエプロン姿でかいがいしく働いていた。 外では夕焼けが始まり、展望塔に登って大室山の向こうに沈む夕日を眺めた。みんなで風呂に入ってから、二つの鍋に火が付いた。よせ鍋風の水炊きと珍しい葱鮪鍋(ねぎまなべ)だ。
(夕焼け小焼けで日が暮れて)
(賑やかな晩餐会風景)
型通りにビールで乾杯して、鍋を囲んで啓ちゃんのリードで四方山は話に花が咲いた。暖かい鍋に持ち寄りの惣菜が加わっておなかいっぱいになり、お酒も利いてきてすっかり気持ちよくなった。テーブル上を片付けて、下山校長の力作「2003年以降の62会ハイクの写真集を解説文つきのスライド」にしたものを披露して貰った。少し始めるのが遅くなったので、さわりしか見ることが出来なかった。次の宿泊ハイキングまでの楽しみになった。

20日/
きららの里9:10 = 県道36 = 9:55穴城R118 10:05 = 10:10西金駅10:30 ---- 11:40上高塚三角点11:50 ---- 12:00アンテナ塔12:30 ---- 13:00熊の山13:30 ---- 14:00穴城三角点14:10 ---- 14:25穴城R118 14:35= 14:40西金駅 = 15:30日立自宅


(2日目:西金駅−熊の山)

朝が明けるまでゆっくりと眠って目覚めると、下山先生がそっと起きだして担当の味噌汁の段取りを始めた。やがてみんな起きだして寝床を片付け、食卓の準備、お茶の準備、大根をおろしたりと手分けして働いたが、奥さん方は昨夜の鍋の残りを見栄え良く皿に盛ったり、昼弁当のおにぎりを作ったりとさすが要領が良い。結構立派に出来た朝食を美味しくいただいて、協力してきちんと後片付けをした。
管理棟に鍵を返してから7台の車を連ねて奥久慈に向かった。最短距離を選んで県道36号を走ったが、水府から山方への峠越え道は道幅が狭く、対向車にダンプが来たり気を使いながら走った。今日の下山場所に近い穴城のR118沿いの広くなったところに駐車し、2台の車で西金駅に向かった。

(橋本部落にはりんご園が多かった)

湯沢温泉への交差点からR118を少し南下したところから左手の細い道に入ると、そこは橋本部落の入口で多くのりんご園が広がっていた。 橋本部落から別れて山道に入り、落葉があつく積もった急坂を登ると、上高塚三角点の山とアンテナの鉄塔が見えてきた。更に登って尾根道になると、北斜面にイワウチワの大きな群落が続いた。春になったら是非来てみたいところだ。
巻き道を見送って急坂を登ると頭を赤く塗られた上高塚三角点があった。ここは展望がなかったので、少し下にあるアンテナ鉄塔の敷地まで下りて昼食にした。みんなお揃いのおにぎりをほおばった。
ここまでは盛金から林道が延びて来ており、これを少し下ったところに後在所部落への分岐があった。竹が茂る斜面の道をトラバースしながら進んで行くと、後在所部落の数軒の民家が見えてきた。
(アンテナ塔敷地で昼食)
(熊の山の石柱)
やがて急坂の登りと巻き道の分岐が現れ、どちらにするかと問われたが、みんな急坂を登ることに意見一致した。急坂はきつかったが、後の樹間に男体山の岩峰が姿を現してきた。このピークを下って登り返したところに、二つの石灯篭の間に石の祠が祭ってあり、熊の山の山頂だった。山頂は周りの樹木が切り払われて360°の展望地になっており、鎖で囲まれていた。歩いてきた高塚三角点からのルートが見え、その上に奥久慈男体山、左に回って八溝山、盛金富士などおなじみの山々が見えて、おやつを出し合いながらゆっくりと休憩した。
急な石段を下り、キャンプ場分岐と高井釣分岐を見送って何度かピークを超えて、次の穴城三角点に到着した。目の前の盛金富士が格好よかった。更に部落まで下っったところにハイキングコースの案内柱が立っており、ここからV字に曲がってR118に向かって下るとすぐに駐車場所だった。大内さんに西金駅まで送ってもらって車を回収して引き返し、ここで解散になった。



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