U72.超ロングコース・栂海新道
1.動 機
a)山域:白馬岳(2932m)雪倉岳(2611)朝日岳(2418)黒岩山(1624)サワガニ山(1613)犬ケ岳(1593)菊石山(1210)下駒岳(1241)白鳥山(1287)尻高山(677) b)登山日:2007/07/13(金)〜18(水) c)コースタイム:
7月13日:日立自宅 21:25 = 21:35 日立電鉄 21:40 = 22:45 水戸駅 = 23:10 水戸IC = 23:30 千代田PA 23:40 = 7月14日:= 長野IC = 6:10 猿倉荘 6:30 ---- 白馬尻 ---- 大雪渓 ---- 葱平 ---- 小雪渓 ---- 村営頂上小屋 ---- 13:30 白馬山荘 7月15日:(台風のため停滞)白馬山荘15:10 ---- 白馬岳 ---- 16:00 白馬山荘 7月16日:白馬山荘 6:00 ---- 白馬岳 ---- 三国境 ---- 蓮華温泉分岐 ---- 雪倉岳 ---- ツバメ岩 ---- 子桜ケ原 ---- 水平道分岐 ---- 朝日岳 ---- 15:45 朝日小屋 7月17日:朝日小屋 6:00 ---- 朝日岳 ---- 吹上のコル ---- 八兵衛平 ---- アヤメ平 ---- 黒岩平 ---- 黒岩山 ---- 文子ノ池 ---- サワガニ山 ---- 北又ノ水場 ---- 犬ケ岳 ---- 16:10 栂海山荘 7月18日:栂海山荘 5:15 ---- 黄蓮山 ---- 菊水山 ---- 下駒岳 ---- 白鳥山 ---- シキ割の水場 ---- 金時坂の頭 ---- 坂田峠 ---- 尻高山 ---- 入道山 ---- 親不知観光ホテル ---- 15:30 日本海 ---- 親不知観光ホテル = 22:45 水戸IC = 水戸駅 = 日立電鉄 = 0:10 日立自宅 d)同行者:水戸アルパイン(男10、女10)、和子 e)地形図:1/25000 「白馬岳」「黒薙温泉」「小川温泉」「親不知」 3.山行記録 夜遅く日立電鉄南営業所発車のバスに乗り、東海、勝田、水戸と仲間が乗ってきて、総勢22名が揃った。水戸ICで常磐道に乗り、最初に千代田PAで休憩して守谷SAをパスしたが、空いていて能率的だし快適だった。バスは外環道、関越道、上信越道と走って、長野ICを3時半ごろ降りて市中のコンビニで朝食をとった。空は曇っているが、わずかに雪山が見えていた。期待を乗せてバスは猿倉登山口に向かった。 (1)一日目:7月14日(土)小雨後曇、再び雨 猿倉荘 6:30 ---- 7:40 白馬尻 7:50 ---- 8:15 ケルン 8:30 ---- 大雪渓 ---- 10:15 葱平(昼食)10:30---- 11:20 小雪渓 11:30 ---- 13:00 村営頂上小屋 ---- 13:30 白馬山荘 猿倉荘に着くと駐車場には数台の車が停まっており、折から到着した路線バスからは、大勢の登山者が降りてきた。明日は台風がやってくると言うこんな日に山登りに出かける酔狂者は我々だけではなかった。 山荘脇の登山道を登って林道に入り、すぐに鑓温泉への分岐を見送って進むと、右前方に白馬岳から小蓮華山の稜線が見えてきた。
道端の花を愛でながら、木の橋を何度か渡って、白馬尻小屋までゆっくっりと登っていった。咲いていた花は、カラマツソウ、モミジカラマツ、ヤグルマソウ、レイジンソウ、サンカヨウ、キヌガサソウ、オオヒョウタンボク、タニウツギ、ベニバナウツギなど賑やかだった。 小屋前で大雪渓を背に記念撮影をしたりしながら休憩し、更に30分ほど登山道を歩くとケルンの積まれた岩場に到着し、ここでアイゼンを付けて、いよいよ大雪渓登りが始まった。
大雪渓は結構な勾配だった。リーダは一列にならんだ隊列をゆっくりゆっくり導いてゆく。途中には大きな石ころがゴロゴロ転がっており、上から転がってきたものがここらあたりで止まったらしいが、雪解けとともにこれらがまた滑り始めたらと思うと怖くなってくる。
大雪渓を登りつめると、岩っぽい草原状の斜面になり、まだ盛りには遠いらしいが色々な花が咲いていた。ウルップソウ、シナノキンバイ、ハクサンイチゲ、ヤマガラシ、イワオウギなど色とりどりだった。弁当を広げてゆっくりと景色と花を楽しんだ。
小雪渓を横切ると、今冬の雪で流されたらしい土台だけが残った避難小屋があり、その脇で天狗菱を仰ぎながら小休止、グリーンパトロールの腕章をつけた監視員の話を聞く。今年は北アルプスでは雪が多かったようで、例年ではお花畑になっているはずのその上でも、まだ雪渓が残っていた。 この雪渓を登るようになって眠気をもようし、頭がふらふらしてきた。夜行バスでの寝不足もあろうが、高山病の気が出てきたかと気になった。リーダに酸素水の補給を受けた。
シナノキンバイなど色々な花が咲き乱れる立派な村営山頂小屋の前を通って登っていくと、岩場の上にライチョウが飛んできた。雨の使者だといって嫌われるが、やはり可愛い。みんなでシャッタを押した。
やがて山頂直下の白馬山荘が見えてきたが、近いようでなかなか近付かない。山荘下の登山道脇は広いお花畑になっており、ウルップソウやオヤマノエンドウなどいっぱい咲いている。高山病で気分が悪くなった和子と二人で、周りの花を眺めながらゆっくりと登っていった。 午後1時半山荘に着くと、台風襲来の予報のためか宿泊客は少なく、5、6人に一部屋が割り当てられ、ゆっくり出来た。濡れた雨具などを乾燥室に干して、スカイプラザで暖かいコーヒを味わった。これを見て「ビールを飲んでいるほうが様になるよ」と冷やかす人もいた。
(2)二日目:7月15日(日)台風のため停滞、後曇 白馬山荘 15:10 ---- 15:40 白馬岳 15:45 ---- 16:00 白馬山荘 台風は太平洋岸を東進中で直撃は避けたとはいえ、梅雨前線が刺激されて夜中中雨音が絶えなかった。予定通り朝4時半ごろ起きだすと、雨は横向きに吹き付けていて、とても歩ける状態ではなかった。我がリーダはすぐに一日ここに停滞することに決定したが、同宿の中には、必死の顔つきで出かけて行った元気な女性グループもあった。韓国から来たという49名の大集団も、小松空港から明日昼の便に乗らなければならないと出かけていったが、1時間後にびしょびしょの姿で引き返してきた。 テレビも映るので、台風情報を見ながらやきもきしたり、山歩きのビデオテープを眺めたりしながら時間をつぶした。午後2時過ぎになると風雨も止み、青空も出てきて目の前に杓子岳も姿を現してきた。明日の天気はどうなるか判らないので、今日のうちに白馬山頂に登って展望を楽しもうと数人で出かけることにした。ところが、身支度を整えているうちにまたガスがかかってきて視界が利かなくなってきた。ガスが晴れるのを待つしかないと思い、途中の花を一つ一つ写真に収めながらゆっくりと登っていったら、皆さんは山頂に直進してずっとお待ちでご不興を買った。 ガスは晴れることなく、山頂での証拠写真だけ撮って下ると、山荘に帰り着くごろにはまた雨が降り出していた。
展望が利かないので花の写真をたくさん撮りました。「白馬岳で出合った花々」をクリックしてみてください。 (3)三日目:7月16日(月)曇後晴 白馬山荘 6:00 ---- 6:20 白馬岳 6:25 ---- 7:00 三国境 7:05 ---- 7:50 蓮華温泉分岐 ---- 7:55 休憩 8:05 ---- 8:55 雪倉岳避難小屋 9:10 ---- 9:55 雪倉岳 10:10 ---- 11:10 水場(昼食) 11:35 ---- 12:15 ツバメ岩 ---- 12:30 子桜ケ原 12:40 ---- 13:15 水平道分岐 ---- 14:15 休憩 14:25 ---- 14:50 朝日岳 14:55 ---- 15:45 朝日小屋 朝目覚めると雨は止んでいて、窓の外には近くの雪山が見えていた。早速前庭に飛び出してシャッタを押した。
山頂ではやはり展望はゼロ、集合写真を撮っただけで次に向かった。三国境までザレた斜面をジグザグに下り、ここでお仕事の都合で一日の延長が許されない男性一人が、白馬大池経由で蓮華温泉に下っていった。山頂から三国境までにも、ハクサンイチゲやウメバチソウなど色々な花が咲いていたが、良く見るとこのあたりの斜面にはコマクサがあちこちに咲いていて、みんなでシャッタを押した。 ここから下もザレた坂道で雪渓渡りもあったが、斜面は広く、ウルップソウ、ツクモグサ、ツガザクラ、ミヤマシオガマなどと花の数は更に増えてきた。だんだんと天気も持ち直してきて、下の蓮華温泉への分岐まで気持ちよく下った。 次の鉢ケ岳は巻道を歩いたが、巻道は何回も雪渓に遮られており、リーダはその都度ステップを切りながらみんなを先導した。雪渓が消えたところには、ハクサンコザクラやコマクサ、イワカガミ、ミヤマムラサキなどが賑やかに咲き始めていた。
雪倉岳への登りの前に、トイレのある雪倉岳避難小屋の前で一休みした。周りにはイワゼキショウ、ミヤマアズマギク、ハクサンチドリなどの花が咲き、振り返ると鉢ケ岳の左に白馬岳から小蓮華山の稜線が見えていた。
雪倉岳の登りは花の道、広いお花畑の中を気持ちよく登る。振り返れば、鉢ケ岳の左に白馬岳、小蓮華山、右に清水岳が雪渓を抱いて見えていた。
下りきった水場で一休みしたが、シナノキンバイやシラネアオイが咲き乱れていて気持ちの良い場所だった。 今にも崩れ落ちそうな燕岩の絶壁の下のガレバをこわごわ通り過ぎると、ツバメ平に入る。入口の水場にはミズバショウが咲いており、ハクサンコザクラが紫の絨毯のように咲き広がっていた。朝日岳を目の前にしながらリュウキンカやハクサンコザクラが見事に咲いた草原の中の木道を歩く。お花畑は子桜ケ原へと続いたが、ミズバショウやハクサンコザクラは絶えることなく続いていた。
朝日岳を巻く水平道は、出発前には雪が深くて通行禁止の情報だったが、分岐点に着くと「通行可能です。踏み抜き注意」の立札が立っていた。水平道を行くか400m登って下るか選択を聞かれたが、みんな元気に朝日岳に登ることに意見一致した。水平道がちっとも水平な道ではないことをみんな知っていた 登り始めは急登で汗を搾られたが、キヌガサソウやエンレイソウなど咲き乱れ、300名山朝日岳の山頂はただっ広く池塘があって木道がしかれていた。
集合写真を撮って下りにかかると、眼前の白馬清水岳の稜線の向こうに剣岳の鋭鋒が綺麗に見えていた。この山にもまだ登っていない。眼下の前朝日岳の中腹に目指す朝日小屋の赤い三角屋根が見えていた。随分と下るのだと気が遠くなる。途中、雪渓があったり見事なお花畑があったりしたが、段差の大きい階段を一歩一歩汗を拭きながら下りていった。
朝日小屋に到着すると、元気な女主人が迎えてくれた。従業員も若い明るい女性ばかり、ふとんもふかふかで気持ちの良い山小屋だった。定員は一畳二人で計算されているが、台風でキャンセル続出とのことで、貸切に近い状態でゆっくりと休めた。 ドリンクサービスつきの美味しい夕食をいただきながら、テレビで中越地震の情報を聞いた。歩いている時には地震に気がつかなかったが、高速道が寸断されたり随分ひどい被害が出ているようだ。明後日バスが迎えに来ることができるのだろうか、少々心配だが、日立電鉄が何とか考えてくれるだろう。 夕食を終わって外に出てみると、白馬岳が雪倉岳と旭岳を左右に従えて夕日に輝いていた。素晴らしい眺めに感動し、みんなを呼び出して集合写真を撮った。海面は見えなかったが、日本海に沈む日没の情景をじっと眺めていた。 今日も可愛い花をいっぱい楽しむことが出来ました。「朝日岳で出合った花々」をクリックしてみてください。 (4)四日目:7月17日(火)曇後雨 朝日小屋 6:00 = 7:10 朝日岳 7:15 ---- 7:45 吹上のコル 7:55 ---- 8:15 八兵衛平 8:20 ---- 9:50 アヤメ平 10:00 ---- 11:25 黒岩平(昼食) 11:45 ---- 12:25 黒岩山 ---- 12:55 文子ノ池 13:00 ---- 13:20 休憩 13:30 ---- 13:55 サワガニ山 14:05 ---- 14:45 北又ノ水場 15:05 ---- 16:00 犬ケ岳 ---- 16:10 栂海山荘 朝からガスがかかっているが、今日は12kmのロングコースだ。日が当たらないのを幸いと思うべきかも知れない。山頂も見えない朝日岳に向かって登って行き、山頂で小休止して「ツガミシンドウ・レンゲ温泉へ」の道標に従って下山にかかった。ザレたゆるい斜面をジグザグに下った。ザレ場だがタカネバラやウスユキソウなど色々咲いていた。
すぐに蓮華温泉への分岐点である吹き上げのコルに降り立った。ここからが日本海に抜ける栂海新道の始まりだ。小休止後集合写真を撮って、「日本海へ」と赤ペンキで書かれた大岩を乗り越えて、これから先にはエスケープルートがない栂海新道へ踏み込んだ。しばらくシラビソの樹林帯を歩くと、八兵衛平の木道になり、長栂山の麓、照葉の池の周りを木道で進む。
基本的にはなだらかな道が続くが、ところどころロープ場があったり、ごろ石があったり、泥濘があったり、深くほれ込んだ道になったり、なかなか歩きにくい道が続いた。 アヤメ平には、まだ少し早かったがヒオウギアヤメが咲いており、最後の楽園と言われる黒岩平には、コバイケイソウ、ニッコウキスゲ、ミズバショウが群落を作り、トキソウやコメツツジがひっそりと咲いていた。
黒岩平で昼食をとり、黒岩山の次のサワガニ山で、今日の宿泊地栂海山荘まで先着して下準備をする先発隊が編成された。あまりにも遅いペースに業を煮やした元気な男性陣からの提案だった。私は後続隊に指名された女性3名とリーダ一人と一緒にゆっくりと歩くことにした。 サワガニ山は痩せ尾根の連続で、小さなアップダウンが続いて汗を搾られた。このあたり蛇がたくさん出るとの情報を得ていたが、一匹も出会うことがなくて助かった。次の犬ケ岳へ向けての下りはきつかったが、鞍部の北俣の水場で今晩と明日のための水を2.5L詰め込んだ。登山道から水場まで往復10分かかったが冷たくて美味しい水だった。女性陣を励まし、観察しながらまた急坂を登って犬ケ岳に登りついて証拠写真を撮る。 女性3人のうち2人は、初日それぞれ高山病と痙攣により遅れを取ったが、今は高度は下がり、クエン酸の服用もして対策済みであり、元気な歩きで問題なし。一人は平地や下りは問題なく歩けるが、登りになると極端にペースが落ちる。「体力の割りにザックの中身が多すぎるのだ」と結論付けた。翌朝リーダに提案してザックに中身で重そうなものを抜いて分担して担ぐことにした。自分のザックを8kgと制限してきてよかった。元気な下山先生のように共同装備を引き受けて12kg超のザックを担いでいては、人の物を背負う前に自分が参ってしまっていただろう。 栂海山荘に着くとここも貸切状態で、20分も前に到着した先発隊によりもう敷物が敷かれテーブルも用意されており、後続隊は荷物を降ろすだけだった。トイレは離れたところにあり、谷間に突き出した金網の足場にビニルシートの屋根をかけたもので、女性の使用には少々勇気が要りそうだった。 α米の夕食をとってから後は寝るだけ。折から雨が降り出し、二階の屋根から一階のトタン屋根に落ちる雨音が深夜まで続いて眠りを妨げた。管理者が退治したのか評判のねずみの出現はなかったが、代わりに戸外のカエルが一晩中ゲーコゲーコと啼いていたのが耳障りだった。 夜中トイレに出てみると、空は満天の星空、日本海のほとりの家明かりが煌々と輝いていた。明日は天気が良さそうだ。
(5)五日目:7月18日(水)晴後曇、雨 栂海山荘 5:15 ---- 6:15 黄蓮山 16:25 ---- 6:50 黄蓮の水場 ---- 7:05 菊水山 ---- 7:50 下駒岳 8:00 ---- 9:20 白鳥山 9:40 ---- 10:45 シキ割の水場 10:55 ---- 11:10 金時坂の頭 ---- 11:45 坂田峠 12:00 ---- 12:45 尻高山 12:50 ---- 13:25 林道出会 13:35 ---- 13:45 二本松峠 ----14:05 入道山 ----14:30 ・461山頂 14:35 ----15:10 親不知観光ホテル 15:20 ---- 15:30 日本海 15:45 ---- 15:55 親不知観光ホテル16:30 = 17:10 名立谷浜SA 17:40 = 19:10 東部湯の丸SA 19:20 = 20:50 高坂SA 21:00 = 21:50 守谷SA 22:05 =22:45 水戸IC = 23:10 水戸駅 = 23:55 日立電鉄 24:00 = 0:10 日立自宅 朝目覚めると、予想通り周りの山々が見渡せた。リーダの説明では雨飾山、妙高山などの名前が出てくるが、我家には縁遠い山だった。夜が明けるに従って雲が登ってきて、これらの山を隠していった。
黄蓮山から痩せ尾根を辿って縫うように歩く。左右どっちに踏み外しても一巻の仕舞いになりそうな痩せ尾根を、足元を見ながら慎重に歩いた。稜線の小さなアップダウンも忠実に辿るので、見かけ以上にきつい道である。
菊石山を下って、次の下駒岳への登りがものすごい急登だった。奥久慈男体山の健脚コースのような登りがどこまでも続く。100mほどの登りなのだが、初めて歩くルートだし、ザックも重いこともあって、男体山の2倍もあるように思えた。 下駒岳から50mから100m程度のアップダウンを何回も繰り返して白鳥山の山頂に着いて小屋の前で小休止。展望台があったが、ガスで視界も利かないので誰も登ってみる人はいなかった。小屋の中に、逆コースでこれから栂海山荘に登るという人が休んでいた。逆コースは我々よりももっと大変そうだ。ご苦労様。
白鳥山からの下りは粘土の急坂、滑りやすくて大変だった。疲れてきているので踏ん張りが利かず、何度も尻餅を突いて泥んこになる人も出てきた。途中の水場で小休止して、元気を付けて下っていったが、次に待っていたのが金時坂の急坂だった。梯子があったりロープがあったり、滑りやすい粘土があったり、300mを一気に下る金時坂に汗を搾られた。 やっと坂田峠に降り立つと、ここは立派な舗装された車道である。ガイドブックには、ここまでタクシーを呼ぶことが出来て、親不知まで6000円だという。「タクシーは予約してないんですか」と冗談もでたが、あと2時間半で日本海まで完歩になるものを、ここでオジャンにする人がいるはずもない。
ここからも何回もピークがあり尻高山、入道山、・416m峰とピークを越えていったが、坂道はこれまでの急坂ではない。その代わりにどろどろの水溜りが次々と現れて邪魔をした。日本海はなかなか見えてこない。国道を走る車の音が聞こえ始めて、やっと樹間に海らしきものがわずかに見えてきたが、またすぐに見えなくなった。不意に親不知観光ホテルが目の前に現れて、やっと終わったと実感した。待っていたバスにザックを預けて、ホテル前の階段を落差70m下ってやっと日本海の砂浜に降り立った。
海抜0mの砂浜の上でみんなで握手し合い、万歳三唱してみんな揃っての完歩を祝福しあった。
沢の水で泥んこを流し、ホテルの温泉で汗を流してから、バスに乗った。途中、名立谷浜SAで美味しい夕食を頂いて、バスは満足いっぱいの喜びを乗せて一路茨城に帰ってきた。 |