U91 読売新道

2日目;8月30日 針ノ木小屋ー船窪小屋 


8/30(木):針ノ木小屋7:25 ---- 8:30蓮華岳8:35 ---- 9:35北葛乗越9:25 ---- 10:45北葛岳(昼食)11:00 ---- 11:40七倉乗越 ---- 12:35七倉岳12:40 ---- 12:50船窪小屋(泊)
天候:曇時々霧雨

朝起きると、外は霧雨交じりのガスで視界ゼロ。日の出写真の騒ぎではない。朝食をとってからゆっくりと7時に半ごろ歩き始めた。視界は利かないが、コマクサやイワギキョウが慰めてくれる。

(ガスの中を出発)


蓮華岳はコマクサの名所)

山頂でも視界はなく、集合写真だけとって名だたる蓮華の大下りにかかった。下り始めて10分ほどはコマクサの中を歩くようであった。登りに見た群落とは比べ物にならない見事さだった。一昨年の時にも知っていれば少しだけ足を伸ばしてあろう。ゆっくり写真に収めたかったが、下りになるとペースが速くなり、一度立ち止まると追いつくのが容易ではない。風雨の所為もあるが写真に残さなかったのが残念だ。

(蓮華岳山頂で集合写真)


(蓮華の大下りの始まり)

蓮華の大下りは落差500mを越すが、最後の50mほどが2段になった岩場になっている。足場はしっかりしていて、鎖や梯子も取り付けてあるので危険はないが、垂直に近い岩場を降りるのは結構気を使う。

(蓮華の大下りの締め括りは25mの鎖場が2回続いた)

北葛乗越まで下りきって一休みして、次の北葛岳への登りにかかる。300mに満たない登りとたかをくくっていたが、ガスの中で岩っぽい急坂があったりなかなか山頂に着かない。山頂に着いたが風が強く、集合写真だけ撮って少し下ったところで昼食にした。
ここからの下りにも岩場が多く、朽ちかけた梯子など登り以上に気を使って七倉乗越に下った。

(北葛岳へ登り返し)


(また下る)

七倉乗越は両側が大きく崩れており、下の深い谷間を怖々覗き込んだ。ここから七倉岳への登りは左がガレて切れ落ちており、踏跡はそのすぐそばを通るので気を使う。山頂までわずか200m足らずの登りだが、七倉の名前どおり目の前に何度も岩のピークが現れ、梯子や鎖を頼りに登りきると、その前に次のピークが現れる。山頂手前で女性の一人はへたり込んでしまった。

(七倉乗越は両側崩れ)


(七倉岳へ登り返し)

励ましながら山頂にたどり着き、集合写真をとって、なだらかな道を少し歩くとガスの中に小さな小屋が見えてきた。初めは小さな小屋1棟だけが見え、こんな小さな小屋に泊まるのかと心配したが、その後に青い屋根が見えてきてほっとした。最初見えていたのはトイレだった。

(七倉岳はこぶの連続、山頂と錯覚)


(やっと船窪小屋に到着)

小屋に入って一休みして、裏の高台に上がると雲海の彼方に富士山が見えていた。みんなを呼んでシャッタを押した。

(小屋裏の高台から富士山)

船窪小屋は主人ご夫妻の心温まるもてなしの小屋だった。小屋に着くと、濡れた雨具の干し場所を細かに指示してくれ、ザックも奥まで運んでくれる。小さなソーラ発電もあるようだが、暖房と湯沸しは囲炉裏の薪、照明はランプという生活である。早速囲炉裏端で濡れた衣類を乾かしながら、今日の苦労の行脚に花が咲いた。
夕食には山菜テンプラ、キノコや野菜の煮物、ふき味噌つきの豆腐、サラダ、味噌汁と揃って味付けも美味しい。娘さんの説明では、テンプラには今日収穫してきたアザミやヤマニンジンが入っていて、ご飯は古代米だと言う。評判になるわけだ。
話言葉に少し癖のある人がおり、聞くとネパールから出稼ぎに来ており、向こうではヒマラヤのシェルパをしているとのことだった。明日下山して帰国するので今日が最後の夜、お祝いにネパール茶とケーキが振舞われた。最後にシェルパから主人ご夫妻に絹のスカーフが贈られた。
ご主人の松澤さんはここの針ノ木古道の復旧にに長年貢献されてきたようで、パソコンでそのビデオを流してくれた。ナレータは奥さんだった。今では共鳴した多くのボランティアが、この道の維持に出かけて来てくれるとこと。

(船窪小屋は囲炉裏とランプの小屋)


(シェルパさんの最後の夜だった)

宿泊は我々意外は単独行の男女一人ずつだけ、今日もゆっくりと眠れた。






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