U91 読売新道

3日目;8月31日 船窪小屋ー烏帽子小屋 


8/31(金):船窪小屋6:05 ---- 7:00船窪乗越 ---- 7:25船窪岳 ---- 8:00乗越 ---- 8:40船窪松澤岳8:45 ---- 9:30乗越 ---- 11:20不動岳11:25 ----11:40(昼食)11:50---- 12:15不動乗越 ---- 13:05南沢岳13:10 ----13:35四十八池13:40---- 14:35烏帽子小屋(泊)
天候:曇時々霧雨、後雨

今日は烏帽子小屋まで、いくつものピークを上り下りするハードな8時間半のコースだ。霧雨交じりのお天気だが、1L200円の水を貰い、美味しい朝ごはんを頂いて気合を入れて出発した。ご夫妻に娘さん、シェルパが玄関前で鐘を鳴らしながら見送ってくれた。奥さんの優しい笑顔が何時までも脳裏に残る。
暫くは針ノ木岳方向にトラバース道を歩き、梯子などの急坂を下ったガレた崖の上に、古い船窪小屋の跡があった。水場はここから更に下ったところらしい。

(鐘を打ちながら何時までも見送っていてくれた)


(初め七倉岳をトラバース)

船窪乗越への下りはロープが頼りのザレた急坂が続いた。船窪乗越は松澤さんが復活した針ノ木谷への分岐であり、道標には「船窪小屋まで1時間、烏帽子岳まで7時間」とあった。まだまだ先の長い道のりである。

(船窪乗越へ急降下)


(船窪乗越)

ここから左手が断崖の連続になる。稜線は激しく崩れているところもあり、この道を保守している人たちの苦労が思いやられた。

(崩壊寸前)


(船窪岳の稜線)

第二ピークまでの間に何個かピークがあったが、最初のピークに船窪岳の標柱が立っていた。二つ目のピークから振り返ると、昨日苦労した蓮華岳、北葛岳、船窪小屋が建つ七倉岳が並んで見えていた。

(蓮華岳、北葛岳、七倉岳のアップダウン、手前に低く船窪岳)

このあたりには、ガレバを外れると意外と花が多かった。トリカブト、ママコナ、マツムシソウ、ナデシコ、コゴメグサなど色々咲いていた。
急坂を登った2459mの地形図上の第2ピークには、「第二ピークでは面白くない。船窪松澤岳と言おう」の看板があった。船窪小屋主人の松澤さんのフアンの人が作ったものだろうが、みんな賛成だった。

(お花も多かった)


(船窪松澤岳)

松澤岳から不動岳への途中で振り返ると、今日船窪小屋から歩いて来た稜線が、凄い崩落地の絶壁の上だったことが良くわかった。うっかり足を滑らしたら一巻の仕舞いだっただろう。

(不動岳途中のピークから振り返る・船窪松澤岳と七倉岳の絶壁)

不動岳へはまだ崩落地や岩場が続いて慎重に歩いた。この山頂からの稜線ルートは廃道になっていて、右に巻き道が作ってあった。道の途中からは黒部湖も遠望でき、お花畑のほとりで古代米のおにぎりを頂いた。少し進むと烏帽子岳も見えてきた。お天気が良くなれば今日のうちに登ろうか。

(不動岳へ・左は絶壁)


(烏帽子岳が見えてきた・右は南沢岳)

南沢岳まではまたお花畑と左の断崖が現れた。

(お花畑)


(左の絶壁が続く)

南沢岳は砂礫の山だった。残念ながら、お天気は段々と悪くなり、小雨も降り出してガスで何も見えなくなったのですぐに通過した。下ったところのあちこちに小さな池が現れた。後で知ったが、四十八池というお花と景色のいいところだったらしい。周りには可愛いお花も色々咲いていたが、雨も降り出してじっくり楽しむゆとりはない。小休止してから烏帽子小屋に向かった。雨と風が強くなってきて、烏帽子岳に登るなど論外、ニセ烏帽子を越えてびしょびしょに濡れながら烏帽子小屋に逃げ込んだ。
中からは、ぶな立て尾根を登ってきたAグループの女性達の元気な声のお出迎えがあった。濡れた雨具の処理などめんどうを見ていただいた。
夕食後、翌日のグループ分けがあった。全員水晶小屋に泊まることが出来ればいいのだが、団体は10名までしか受け付けてもらえない。残り6名は手前の野口五郎小屋に泊まって、翌々日の歩く距離はその分長くなる。女性の人数が丁度10名なので当然女性が水晶小屋泊まりになり、リーダとして下山先生が引率する。女性陣の中で別格に健脚のIさんが代わりに野口五郎小屋泊まりになった。男性陣の中で別格に弱い私も水晶小屋まで連れて行ってくれるようお願いしてみたが無視された。

(南沢岳山頂)


(四十八池)


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