U92.三岩岳から窓明山周遊

1.動 機
今月はじめに読売新道を歩いて以来、色々と取り込んで忙しくて2週間山歩きをお休みした。2週間も運動しないでいると、体の調子がおかしくなる。孫の運動会などあった三連休明け、やっと山に出かける気分になり、予ねて計画していた会津の「三ツ岩岳から窓明山」に出かけることにした。三ツ岩岳から窓明山」は元気な下山さんは10年前に一日で一回りしているが、我家には無理そうだし、啓ちゃんがHESCO亀楽会で三ツ岩岳避難小屋に泊まって楽しかったと話していたので、避難小屋泊二日間の予定にした。


2.データ
a)山域:三ツ岩岳(2065m)、窓明山(1842m)、巽沢山(1162m)
b)登山日:2007/09/18(火)曇時々晴、09/19(水)晴一時曇
c)コースタイム: 
9月18日:日立自宅 6:50 = 道の駅たじま=10:40 小豆温泉登山口P11:00 ---- 11:25 渡渉点---- 12:00 支尾根(昼食)12:20 ---- 13:00 旧道分岐13:05 ---- 14:30 避難小屋 14:50 ---- 15:30 三ツ岩岳 16:05 ---- 16:35 避難小屋(泊)
9月19日:避難小屋 7:05 ---- 8:15 窓明山8:30 ---- 9:45 家向山分岐 ---- 10:30? 巽沢山---- 11:15 国道 ---- 11:30 小豆温泉登山口P11:50 ---- 11:50 窓明の湯(入浴・昼食)13:05 = 道の駅たじま = 17:20 日立自宅
d)同行者:和子
e)地形図:1/25000 「内川南西」
(三ツ岩岳登山ルート:分岐点の標識を撮影)

初日は一般コースで、窓明の湯から黒桧沢を通って三ツ岩岳に登って三ツ岩避難小屋に泊まった。翌日は健脚コースで、窓明山に登り巽沢山を経て国道に下りた。

3.山行記録
登山口は沼田街道を南下して小豆温泉の手前で二つ続くスノーシェッドの二つ目の入口右にあり、このシェッドの中間の左に駐車場入口がある。我家で朝食を済ませて7時前に出発し、R400で塩原を越え、道の駅たじまの先でR121からR352に曲がってひた走り、沼田街道に入って駐車場には11時前に到着した。
シェッドの北側入口の右に「三ツ岩岳登山口」の看板があり、「三ツ岩岳山開き」の旗がたなびいている。擁壁のスロープを登ってシェッドの屋根の上に上がり、屋根の上を少し歩いた先にも「三ツ岩岳山開き」の旗があって10mほどの立派な鉄製の階段が崖にかかっている。これを上ったところから登山道が始まった。
暫らくは沢を右下に見下ろしながら緩やかな道を登っていった。道は下草の駆り払いがされたばかりであり、時に沢が滝になったところを見下ろしたりしながら気持ちよく歩いた。秋とはいえ今日は26℃とまだ暑いが、道中のほとんどが鬱蒼とした樹林の中の道なので背中を焼かれないので助かった。25分ほど歩くとコンクリートの階段が沢に向かって急降下しており、沢にはまたコンクリートで作った飛び石があった。向かいの端には倒木が横たわっていたが、切り込んで足場を作ってあったので助かった。
そこから道は沢の右手に移り、今度は一変して尾根へ向って急斜面をジグザグに登る急登になった。途中ブナの樹間から時々三ツ岩岳らしい緑の稜線が望まれた。随分高くて遠くに見えた。
(小豆温泉登山口)
(コンクリートの飛び石と階段の渡渉点)

30分汗を搾られて尾根に着き、道が少しなだらかになったので、もしかしてもう旧道分岐に着いたのか早合点したが、やっと支尾根に登りついたところだった。昼食を取りながら一休みし、気を取り直して尾根道を登っていくと、道は右にトラバースするようになり、いくつもの小さい沢を越えるようになる。和子は避難小屋前の水場が枯れていたら大変だと言って、水場の看板のかかっていた沢で用意してきたペットボトル2本に水を汲んだ。用心のいいことだ。
道に木道を敷いたところが現われ、更に3度小沢を渡ると主尾根に登りつき、ここが旧道分岐だった。右から登ってくる旧道も広くて、下草刈りも綺麗にしてあった。
(綺麗な小沢を何度も渡る)
(長いトラバース)

ここからの尾根道ははじめなだらかだったがすぐに急登になり、急登が一段落したと思ったらすぐにまた急登になる。これを何度も繰り返していたが、ついには急登一辺倒になった。石くれの道になったり草付きになったり木の根っこ道になったりと路面は変化したが、急登は何時までも続いた。拭いても拭いても汗は流れ落ちる。この前のブナ立て尾根を思い起こさせる。
真っ赤な実をつけたゴゼンタチバナに癒されながら、オオシラビソなどの針葉樹が目立つようにになると、突然木道が敷かれた小さな湿原に出た。湿原の中には今は何の花も咲いてはいなかったが、季節にはコザクラなど可愛い花が咲き誇るところらしい。今はほとりにオヤマリンドウやツルリンドウ、シラネニンジンがわずかに咲いているだけだった。
(尾根道になっても急登が続く)
(避難小屋手前の小湿原)

急登の途中の道傍に展望が開けたところがあり、会津の山々を展望できたので一休みした。右に日光白根山が丸いぽっこりとした頭を出しており、その前に奥鬼怒山から台倉高山、帝釈山、田代山の稜線が横たわっている。その後に男体山が見えてもいいのだが、今日は雲の中なのか、それらしき山が見えない。枯木山と大嵐山、荒海山の間に見えているのは釈迦ケ岳だろうか。左手手前には高畑山のスキー場が目立っており、その後に七ケ岳の山並みがあり、その遠方に塩原や那須らしき連山が見えていた。
(尾根途中の展望台から)

水が流れる道を石伝いに登っていくとすぐに避難小屋が見えてきた。小屋の前には3人の男性が座り込んで談笑中だった。登山道の草刈をしている人たちで、今日の作業が終わってこれから下るところだとのこと。道理でここまでの登山道が綺麗になっていたわけだ。丁重にお礼を言った。
小屋はログハウス風の作りで、中は2階になっていて、床は綺麗に掃除され、ぴかぴかに光っていた。小屋の前の水場には、パイプの先からちょろちょろと水が流れ出ていた。
(三ツ岩岳避難小屋)
(避難小屋前の水場)

ザックをおいて一休みしてから、水だけを持って三つ岩岳の山頂に向かった。道はなだらかで、木道を敷いた湿原もあった。キンコウカやオヤマリンドウ、アキノキリンソウなどがちらほら咲いていて、イワショウブの赤い実が綺麗だった。
山頂に着いたが、生憎ガスが多くて楽しみにしていた会津駒の姿を見ることができなかった。先ずは証拠写真をと思ったが、西側に立つ山頂標柱をいれた証拠写真を撮るには太陽がまともに逆光で差し込んできて拙い。固定されていない立派な山頂表示板があったので、これを東側に移動して写真を撮った。東稜にはこの山の名前の謂れになった、三つの岩頭が見えていた。
三ツ岩岳の最高点はもっと西の方にあり、綺麗な湿原を持った山頂が見えていた。ここに行く道があるかと探してみたが、シャクナゲのよじれた木に阻まれて到底行けそうにはなかった。
(三つ岩岳山頂)
(三ツ岩を見下ろす)

しばらく粘って待っていると、ガスが段々と晴れてきて会津駒ケ岳が姿を現し、その上に燧ケ岳までも頭を出してくれた。中門岳の方は何時までもガスが晴れなかったが、大戸沢岳からの尾根筋が綺麗に繋がって伸びてきており、歩いたら気持ちの良い稜線歩きが楽しめそうに見えた。道はないらしいが---
(会津駒ヶ岳、後に燧ケ岳)
(会津駒、大戸沢岳から繋がる尾根筋)

小屋に戻ったが誰も来ていなかった。今日は貸切で、勝手に荷物を広げて、スープを作っておにぎりの夕食を食べ、ゆったりと寝床を作って眠った。人気が少ないと少々寒かった。

夜中、用足しに外に出てみると満点の星空だった。朝5時前に目覚めるとまだ天気は良さそうで日の出が拝めそうだった。小屋の前からだとオオシラビソの木立が少々目障りなので、私は下の小湿原まで下りてみた。和子は寒いところは嫌だと言って、屋内の窓の傍で日の出を待った。
だんだんと東の空が赤みを帯びてきて、5時半に雲海の上の一点にパッと明かりが灯った。すぐに陽は高くなり、三ツ岩の岩頭や窓明山の山肌を赤く染めていった。
(雲海の上の日の出)
(朝焼けの三ツ岩)

即席餅とスープとパンの簡単な朝食を済ませ、貸切で使わせていただいた小屋の中を綺麗に掃除して、7時過ぎに窓明山に向かって出発した。小屋のすぐ上に分岐点があり、右に分かれていった。綺麗に刈り払われた急坂の岩っぽい道を15分下ると沢があり、流れは豊富でここでも綺麗な水が取れそうだった。このあたりから窓明山が良く見えて、東斜面がガスに覆われていた。今日のお天気はどうなるのだろう。
登山道の下草刈りが終わったのはここまでで、これから先は朝露に濡れた笹を踏みながらの山行になり、ズボンも靴もびしょ濡れになった。
鞍部まで下って登り返すと湿原があり、そこから片面がガレた尾根筋に登山道が伸びている。
(水場近くからの窓明山)
(窓明山登り口の湿原)

ガレた東側は会津の山々の絶好の展望が広がるはずだが、一面のガスで完全に白の世界、反対側の西面は樹林になっていて視界が利かない。時々、樹間に中岳と越後駒の前に尖った荒澤岳が並んだ越後の山並みが見えるのだが、立ち木が邪魔してすっきりと見ることが出来ない。一箇所ぐらい展望台を作ってくれればいいのにと思う。
中腹まで登ると展望が開けたところがあり、やっと三ツ岩岳と一緒に平ケ岳・中岳・荒澤岳・越後駒をパノラマで見ることが出来た。
(窓明山中腹から、三ツ岩岳・中門岳・平ケ岳・中岳・荒澤岳・越後駒)

山頂近くにも湿原があり、この上に家向山への分岐点があった。窓明山の山頂はここからすぐだった。山頂には三角点と斜めに傾いた山頂標柱が立っており、この前で証拠写真を撮った。ガレた東側に出ると展望が開けていたが、まだガスは立ち込めたままで、これから歩く家向山への稜線を見ることは出来なかった。わずかに七ケ岳や佐倉山が確認できただけだった。
地形図には稜線上に坪入山へ破線の道が書いてあるが、見つからなかった。
(窓明山山頂)
(窓明山山頂から)

分岐点まで引き返して、家向山に向かって笹原の中の登山道を下っていった。道はなだらかだが、笹に覆われており、下にはところどころ木の根っこが出ているので気を使う。うっかり乗っかるとつるりと滑るので危なくてしようがない。
下りの途中からだんだんとガスが晴れてきて、向かいの家向山や南の三ツ岩岳が見えてきたが、会津の山々はまだ雲の中だった。
途中からブナの森になり、道傍の木にムキタケが鈴なりに生えているのを見つけてゲット。数箇所で取り込んで大収穫だったが、帰宅後調べたら、ツキヨダケも混じっていて、怖くなって全部捨ててしまった。キノコの先生と一緒でなければキノコの収穫はできない。
(熊笹に覆われた登山道)
(家向山)

ブナの原生林を鞍部まで下りて家向山に向かうと、気持ちの良い雰囲気だがいつまでも視界は利かない。後の三ツ岩岳から窓明山の稜線の写真を撮りたかったがかなわなかった。ここにも一箇所ぐらい展望所が欲しかった。結構な登りで辛いが、ただひたすら登る。
家向山への分岐点らしきところに着いたが、ロープが張られているし、踏跡も見つからない。そのまま通り過ぎた。
家向山を下りきるとオオシラビソの森になり、次のピークが巽沢山だと思ったが、山頂標識など見つからず、ここもそのまま通過した。道傍には色々なキノコが頭を出していたが、残念ながら名前も分からない。収穫も出来ず眺めるだけで通り過ぎた。
(ブナの森)
(オオシラビソの森)

いくつか小さなピークを越えると、突然急斜面の下りになった。丸太で階段道にしてあるが、なにしろ急な坂だし、ところどころ崩れたところもあって歩きにくい。20分ほどの下りで汗をかき、この最後の急坂を登ってくる人は大変だろうなと思った。
階段を下りきって国道に飛び出したが、ここは白い洋館の脇で標識はなく、山開きの旗だけがたなびいていた。駐車場まで国道を15分歩いたが、途中には「第五十回国民体育大会・山岳縦走競技開催記念」の碑があり、手前のスノーシェッド入口にある旧道の登山口にも「ふくしま国体」の登山口表示があった。
今日歩いたルートには、道標の地図にかかれた以外の分岐道を見ることはなかった。特に、窓明山の中腹から下は視界が利かず、深い森の中をただひたすら歩くのを楽しむ競技用に作られたようなルートであった。昨日のコースの方が変化があって面白かった。
(最後は急坂)
(国体山岳縦走競技コース)

駐車場に戻って、すぐ近くの850円也の窓明の湯に入り、ほとんど貸切状態で色んなお湯に浸って疲れを癒し、美味しい昼食を頂いて帰途についた。




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